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絡みつくような、粘っこい空気が鼻腔から体内に入り込む。気色の悪い空気が肺から体内に巡り、少しずつ死に誘う。
生きることは地獄だ。永遠とも感じるほどの長い間苦しむというのに、己の意思で死ぬ事も難しい。こんな空気を吸わないと生きれないのなら、いっそ死んでしまいたい。もう母に会えなくなるくらいなら、私も死にたい。母の元に行きたい。
鼻の奥がツンと痛くなり、視界がぼやけた。喉が震える。
頬を伝った涙が、顎の先から、制服の襟や首元に落ちる。
もちろん理由は無い。理由は無いが、母はこの階段を上った先に居るはずだ。確信がある。直感や虫の知らせのような、小さいけれど無視できない存在感が、私の心の中に確かにある。
階段の終点も近付き、最上段の向こうに神社の本殿が見えてきた。
気付いたことに一瞬脳内が支配されそうになるが、すぐに別のものに意識が向いた。
こんなにボロボロだったか?こんなに崩れそうだったか?
屋根が抜け落ちてたっけ?
賽銭箱の向こう側に、白いものと黒いものが混ざりあったような、何かがあった。白くて大きいものに、黒いものが巻き付いていた。階段を上り、本殿に一歩踏み出す。その瞬間わかった。そして叫んだ。
「お母さん!」
鬼のような形相をした母が、本殿の前に居た。手を揃え足を揃え、折り目正しく綺麗に座っている。一歩踏み出す毎に、母の目付きが鋭くなっていった。
彼女の方から、どす黒い煙のようなものが立ち上っていた。近付くにつれそれが濃く、大きくなっていくように感じられ、思わず足を止めそうになる。母に対する愛情と恐怖が私の中でせめぎ合って、腹の奥底でグツグツと煮立つ。
怖い。それでも母の元に行きたい。抱きつきたい。一緒に居たい。
我慢出来なくなって、もつれそうな足で走り出した。一瞬でも早く、彼女の元にたどり着きたかった。
「殺すぞ」
母が発したのはそれだけだった。
静かで低い声。
それは鋭く、矢のように私の胸を刺し貫いた。
足が、動かなくなった。........いや違う、足が前に進もうとしない。
熱くなっていた頭からスっと血の気が降りて、それは胸、下腹部を通り過ぎて両足に移動した。身体が「逃げろ」と言っている。
なんとか一歩、新たに踏み出した。やっとの思いだ。噛み締めた前歯の隙間から、新鮮な空気が吸い込まれていく。吐き出し方を思い出せないせいで、どんどん肺が膨らむ。
母が顎を下げ、上目遣いで私を睨み付ける。黒いものがどっと吹き出し、私に向かって襲いかかってきた。ハッとして顔を上げると、視界は全て真っ黒に染まった。
「ぅあああ!!」
喉の奥から悲鳴が漏れ、ようやく私は向きを変えて逃げ出すことが出来た。
石畳を走り抜け、ガタガタに歪んだ階段を駆け下りていく。このまま逃げてしまうと、もう母に会えなくなる。しかしあのまま母の元に行っていれば、私は死ぬ。
母と一緒に死にたいとすら思っていたはずなのに、皮肉にもここ一番の場面で己の気持ちに気付いた。死にたくない。
あれ?でもあの黒いものは........
何かおかしい。
階段を駆け下りている途中、気付いたことを確かめたくて背後を振り返ろうとした。しかしそのせいでバランスを崩してしまい、私は転倒した。
その勢いのまま階段を転がるように落ち始めた。全身が痛い。捻った足首、何度もぶつける頭、肩、肘、全てがバラバラになってしまうのではないかと恐ろしくなった。
いつまで続くように感じられた階段もやがて終点が来て、ボロボロになった私は平たい地面に惨めに叩き落とされた。「え、何この人」目の前を通り過ぎていく小学生達の軽い足音と、高い声が鼓膜を震わせる。カッと耳が熱くなった。
これ以上恥を晒したくない。なのに身体中が痛んで上手く起き上がれない。とりあえず仰向けだった身体を回転させ、仰向けになった。せめて顔だけでも伏せておきたい。人目をダイレクトに認識したくない。両腕を突っ張って上半身を起こそうとして、肘の痛みにうめき声が出る。
すでに何人かが、そんな私の脇をすり抜けている。声を上げたのは最初の小学生だけで、それ以降はまるで私が見えてないかのように、するりと横を抜けて通り過ぎて行った。不審者だと思われてそうだーーーー思われても仕方ないけど。
「大丈夫ですか?」
懐かしい感覚に襲われ、顔を上げるとそこには何時ぞやの美少女が居た。
あの日記........「彼女」を探していた人だ。
相変わらず何の感情も無さそうな彼女の双眸に、自分の顔が写っているのが見える。白い手が差し出され、何か考える間もなく私はそれを掴んだ。意外なくらい強い力で引き起こされ、無理やりにも感じるほど、少し荒々しく立たされた。足が痛むが、激しい痛みではない。
「あなた、ホームレスかなんかですか?なんでこんな所に寝てんの」
先日話した時よりも若干砕けた口調だった。親しげというよりは、呆れている。
「違うんです。階段から落ちてしまって........」
と、蚊の鳴くような声でなんとか答えた。「階段?」少女の顔に初めて、僅かな表情が産まれた。片眉を少し吊り上げ、興味深げに私を見据える。
「階段なんて、何処にあります?」
「........え?いや、ほら、この上の神社に行くための階段が────........」
肩越しに背後を見遣り、私は言葉を失った。そこに階段なんて無かったのだ。
腰の下くらいの高さの植木が並ぶだけの、何の変哲もない道端。さっきまで私が上っていた階段はどこにも見当たらない。もちろん神社もだ。
呆然としていた私の肩に手を置いて、少女は軽くため息を吐いた。
「難しいですね、あなたは」どういう意味か分からない一言を呟き、直ぐに切り替えるような調子でこう言った。
「ちょっと、場所変えて話しましょうか」
絡みつくような、粘っこい空気が鼻腔から体内に入り込む。気色の悪い空気が肺から体内に巡り、少しずつ死に誘う。
生きることは地獄だ。永遠とも感じるほどの長い間苦しむというのに、己の意思で死ぬ事も難しい。こんな空気を吸わないと生きれないのなら、いっそ死んでしまいたい。もう母に会えなくなるくらいなら、私も死にたい。母の元に行きたい。
鼻の奥がツンと痛くなり、視界がぼやけた。喉が震える。
頬を伝った涙が、顎の先から、制服の襟や首元に落ちる。
もちろん理由は無い。理由は無いが、母はこの階段を上った先に居るはずだ。確信がある。直感や虫の知らせのような、小さいけれど無視できない存在感が、私の心の中に確かにある。
階段の終点も近付き、最上段の向こうに神社の本殿が見えてきた。
気付いたことに一瞬脳内が支配されそうになるが、すぐに別のものに意識が向いた。
こんなにボロボロだったか?こんなに崩れそうだったか?
屋根が抜け落ちてたっけ?
賽銭箱の向こう側に、白いものと黒いものが混ざりあったような、何かがあった。白くて大きいものに、黒いものが巻き付いていた。階段を上り、本殿に一歩踏み出す。その瞬間わかった。そして叫んだ。
「お母さん!」
鬼のような形相をした母が、本殿の前に居た。手を揃え足を揃え、折り目正しく綺麗に座っている。一歩踏み出す毎に、母の目付きが鋭くなっていった。
彼女の方から、どす黒い煙のようなものが立ち上っていた。近付くにつれそれが濃く、大きくなっていくように感じられ、思わず足を止めそうになる。母に対する愛情と恐怖が私の中でせめぎ合って、腹の奥底でグツグツと煮立つ。
怖い。それでも母の元に行きたい。抱きつきたい。一緒に居たい。
我慢出来なくなって、もつれそうな足で走り出した。一瞬でも早く、彼女の元にたどり着きたかった。
「殺すぞ」
母が発したのはそれだけだった。
静かで低い声。
それは鋭く、矢のように私の胸を刺し貫いた。
足が、動かなくなった。........いや違う、足が前に進もうとしない。
熱くなっていた頭からスっと血の気が降りて、それは胸、下腹部を通り過ぎて両足に移動した。身体が「逃げろ」と言っている。
なんとか一歩、新たに踏み出した。やっとの思いだ。噛み締めた前歯の隙間から、新鮮な空気が吸い込まれていく。吐き出し方を思い出せないせいで、どんどん肺が膨らむ。
母が顎を下げ、上目遣いで私を睨み付ける。黒いものがどっと吹き出し、私に向かって襲いかかってきた。ハッとして顔を上げると、視界は全て真っ黒に染まった。
「ぅあああ!!」
喉の奥から悲鳴が漏れ、ようやく私は向きを変えて逃げ出すことが出来た。
石畳を走り抜け、ガタガタに歪んだ階段を駆け下りていく。このまま逃げてしまうと、もう母に会えなくなる。しかしあのまま母の元に行っていれば、私は死ぬ。
母と一緒に死にたいとすら思っていたはずなのに、皮肉にもここ一番の場面で己の気持ちに気付いた。死にたくない。
あれ?でもあの黒いものは........
何かおかしい。
階段を駆け下りている途中、気付いたことを確かめたくて背後を振り返ろうとした。しかしそのせいでバランスを崩してしまい、私は転倒した。
その勢いのまま階段を転がるように落ち始めた。全身が痛い。捻った足首、何度もぶつける頭、肩、肘、全てがバラバラになってしまうのではないかと恐ろしくなった。
いつまで続くように感じられた階段もやがて終点が来て、ボロボロになった私は平たい地面に惨めに叩き落とされた。「え、何この人」目の前を通り過ぎていく小学生達の軽い足音と、高い声が鼓膜を震わせる。カッと耳が熱くなった。
これ以上恥を晒したくない。なのに身体中が痛んで上手く起き上がれない。とりあえず仰向けだった身体を回転させ、仰向けになった。せめて顔だけでも伏せておきたい。人目をダイレクトに認識したくない。両腕を突っ張って上半身を起こそうとして、肘の痛みにうめき声が出る。
すでに何人かが、そんな私の脇をすり抜けている。声を上げたのは最初の小学生だけで、それ以降はまるで私が見えてないかのように、するりと横を抜けて通り過ぎて行った。不審者だと思われてそうだーーーー思われても仕方ないけど。
「大丈夫ですか?」
懐かしい感覚に襲われ、顔を上げるとそこには何時ぞやの美少女が居た。
あの日記........「彼女」を探していた人だ。
相変わらず何の感情も無さそうな彼女の双眸に、自分の顔が写っているのが見える。白い手が差し出され、何か考える間もなく私はそれを掴んだ。意外なくらい強い力で引き起こされ、無理やりにも感じるほど、少し荒々しく立たされた。足が痛むが、激しい痛みではない。
「あなた、ホームレスかなんかですか?なんでこんな所に寝てんの」
先日話した時よりも若干砕けた口調だった。親しげというよりは、呆れている。
「違うんです。階段から落ちてしまって........」
と、蚊の鳴くような声でなんとか答えた。「階段?」少女の顔に初めて、僅かな表情が産まれた。片眉を少し吊り上げ、興味深げに私を見据える。
「階段なんて、何処にあります?」
「........え?いや、ほら、この上の神社に行くための階段が────........」
肩越しに背後を見遣り、私は言葉を失った。そこに階段なんて無かったのだ。
腰の下くらいの高さの植木が並ぶだけの、何の変哲もない道端。さっきまで私が上っていた階段はどこにも見当たらない。もちろん神社もだ。
呆然としていた私の肩に手を置いて、少女は軽くため息を吐いた。
「難しいですね、あなたは」どういう意味か分からない一言を呟き、直ぐに切り替えるような調子でこう言った。
「ちょっと、場所変えて話しましょうか」
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