極上の女

伏織

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三章

3-1

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長々としたお涙頂戴の昔話に付き合って頂いたこと、本当に感謝したい。

私は母と食事をしている間、そんな昔のことを思い返していた。

元々、向かい合って会話を楽しむ、ということが苦手な私達親子は、食事を終えてファミレスを出るまで、ほとんどまともな話は出来なかった。お互いに無言で、各々の携帯をいじっている時間のほうが、ずっと多かった。


「もうお腹いっぱい」

「美味しかったね」


こうして、二人並んでいる時の方が、ずっと会話が出来る。お互いの顔を見ないで済む。お互い目を合わせなくて済む。


母はどうか知らないが、私は人と向かい合って何かを話すのがとても苦手だ。
話している相手の表情を観察しては、自分のせいで機嫌を損ねないよう、言葉を選んで慎重になってしまう。


何より目を合わせるのが嫌だ。
相手が自分を見る、私も相手を見る。
そうして互いにハッキリと意思を疎通させようとする。

私が考えすぎなのは重々承知だが、目を合わせた瞬間、相手に自分が何を考えているのか、何を感じているのか、全て悟られているような気になる。

やましいことはないのだが、何故か悪いことをした気分になる。
目を合わせた瞬間に自分がどんな表情をしていたのかが気になる。無意識のうちに顔をしかめていたり、しなかっただろうか?

しかも、言葉を選んで慎重に話しているうちに、次の言葉が出なくなったり、いつの間にかすっとんきょうな方向に話が変わっていたりする。
頭の中で沢山の言葉がひしめきあって、我先にと口元から飛び出そうと殺到してくる。頭の動きに、口が、身体が、ついていかない。


「夜はだいぶ涼しいね」

「そうだね。昼間は暑くて、脇の下がびしょびしょだったよ」


だから、並んで会話するのが好きだ。相手を見なくていいから。


ファミレスから出て、しばらく表通りを歩き、私達の家がある住宅街への道に入る。

空に星は一つも無かった。地上に溢れる無数の光と、汚れた大気が夜空にフィルターを掛けているのだ。月だけが、ぽっかりと穴が空いたように光っていた。


どこぞで犬が吠え、通りすぎる家から時折家族の笑い声が聞こえた。少し切ない気持ちを抱えながらも、手を繋いで歩いた。


そういえば、母とまともに手を繋ぐようになったのは、つい最近になってからの気がする。父親と決別し、遂に二人きりの家族になってしまってからだ。


母の手は私より少し大きく、そして力強かった。私の二倍以上生きて、そして私よりも多くのものを掴んできた手。私を叩いた手。父親に抵抗した手。私の手首に包帯を巻いた手。






街灯の光で出来た己の影を踏みながら、私達は夜道を歩いた。街灯の前を通る度に影は大きくなったり、小さくなったりと、忙しなく動いてく。


「あ」


ふと視線を上げると、数十メートル先にある街灯の下に、小さな人影が見えた。真っ黒なその人影を見て、一瞬肝が冷えた。瞬きして目を凝らすと、その人影が昼間見たあの男の子だと気付いた。


「お母さん、あそこにいる男の子。昼間うちに忍び込んでたよ」

「男の子?」

「うん」


男の子を指差して母に言うが、彼女はキョトンとした表情で私を見ていた。


「何にも居ないじゃん。気味悪いこと言わないでよ。どうせ寝ぼけてたんでしょ?」


おお、これはこれは。

私は恐怖よりも先に、ちょっとした感動を覚えた。生まれて初めての幽霊だ、と。本当にそんなものが居るのかと半信半疑で生きてきたが、この時やっと確信できたわけだ。幽霊は存在すると。


「冗談だよ。ごめん」


我ながら不謹慎だと思うが、あの男の子に対する好奇心が渾々と湧いてきて、口元が緩んだ。

男の子は歩いてくる私達をしばらく見詰めていたが、家一件挟んだ距離にまで近付くと、パッと身を翻して弾丸のように走り出した。

街灯の光が届かない、やけに深く感じる暗闇に、消えていく男の子。

恐怖で背筋が凍る思いだが、同時に幽霊を初めて見た興奮で心臓が激しい鼓動を刻んでいた。
自分の知らない世界への好奇心。男の子の姿を追い掛けたい気持ちがあった。


「加奈?どうかしたの?」


そんな私の顔を見て、母が不安そうに訊いてくる。「なんでニヤニヤしてるの?」


「なんでもない。思い出し笑いしちゃった」













………
………………
………………………


さて、無駄な話が過ぎたので、時間を一気に翌週に回そう。

週末、例の古本屋の店長━━堀さんから電話があり、「水曜日の9時に店に来て下さい」という連絡。初出勤、ってやつだ。


初めての職場は、毎回緊張する。変な話だが、私には働き始めの仕事に慣れない時期がとても苦痛だ。自分がいかに役立たずか、痛感する。

だからこそ、一つ一つの仕事を長く続けたいと思うのだが、どうしても上手くいかない。


個人的な所見だが、女性が多い職場だからじゃないかと思う。
やれ人付き合いだクレームだ悪口だ嫌がらせだのと、女は何故、こうも自分がやられて気分の悪いことを、他人にするものだろうか。
新人や若者はよくターゲットにされる。良心の呵責もないのか。




「おいおい……」


さて、私は現在件の古本屋の前に立っている。9時ちょうど。

店の前を通る国道を、絶えず車が走っていく。そりゃあ朝だもの。仕事に出勤する人が沢山いるもの。


そして私も出勤してきたわけだが。店の中には人っ子一人居る様子さえなければ、周辺にすら誰も居ない。

まさか時間を間違えたかと、何度も左手に着けた腕時計を見るが、針は正確に9時を差していた。

やがて時は過ぎ、10分、20分と時計の針が動いてく。もはや絶望である。これはなんの嫌がらせだ。
店を間違えたのだろうか。
それとも間違えたのは日にちか?今日は定休日か?


不安に駆られてこの場から逃げ出したくなってきた頃に、やっと人が現れた。9時37分のことである。


原付のスクーターに乗ってやってきたのは、小太りの女性だった。眼鏡をかけたその見た目から独断と偏見で判断するに、いわゆる「オタク」などと呼ばれる部類のようだった。
逆の部類ともそうだったが、この手の人間とは上手に打ち解けられない。私は本やアニメは好きだが、見たり読んだりするだけで十分だ。夢中になれるほどの情熱はない。


「おはようございます」


人と喋ることに激しい抵抗を感じるような、社会生活不適応者だとバレないように、精一杯の明るい声と余裕のある態度を繕って、私は女性に挨拶した。


「今日からここで働かせていただきます、吉沢と申します。あの、ここの従業員の方ですか?」

「………はい」


女性は私を見て一瞬たじろいだが、一度深い呼吸をしてから「羽田です。よろしくお願いします」と言ってくれた。
気持ちは解る。私もあなたが苦手だ。私だってたじろぎたい。




「人が来て良かったです。店を間違えたかと不安になってました」

「いつものことです。大体、9時30分あたりから人が来だすんで。店長はしょっちゅう遅刻してるんで、遅れてもあまり文句言われませんし」

「そうなんですか」

「『自分が遅刻魔だから、人の遅刻を責める資格はない』って」

「はは……」


出来た人なのか、ダメな奴なのか、さっぱり解らん。

店の鍵は社員が持ってるそうなので、その場でしばらく羽田さんと雑談した。彼女が始めの印象とは違い、意外と気さくな人だと解った。冗談も通じる。


「吉沢さん、最初は怖そうな人だなって思ったけど、意外に気さくなんですね」

「……同じこと考えてました」


不安だったが、羽田さんのような人が居る職場なら、なんとかやれそうな気がする。


「私、来週辞めるんですよね。男の人ばっかで大変なことも沢山あるけど、頑張ってください」


……せっかく安心しかけてたのに、あっさり潰してくれたなぁ。






あと10分足らずで開店時間の10時というところで、一台の乗用車が駐車場に入ってきた。停車した車から、小柄で眼鏡を掛けた痩せぎすの男性が出てくる。
この人は見たことがあるぞ、面接の時にレジに居た人だ。


「お、知らない人が居るぞ」


その人は私達に近付き、そう言った。無表情なのに口調はおどけている。無愛想なのかお茶目なのか、よく解らないな。多分両方なんだろうけど。


「今日からここで働かせて頂きます、吉沢と申します。よろしくお願いいたします」

「こんな店より他の店のほうが働きがいあるのに、よくぞ選んでくれました。社員の小木です」

「よ、よろしくお願いいたします……」


社員が散々なことを言うもんだ。
小木さんは鞄から鍵の束を取り出し、店の自動ドアの鍵穴に差した。自動ドアを開けて中に入って行く小木さんに続いて、羽田さんも中に入った。このまま取り残されて突っ立ってるのもおかしいので、私も中に入ることにした。


入ってすぐ、目の前に大画面の液晶テレビがあった。来週発売日のゲームソフトのデモのようだ。

営業中の喧しさが嘘のような静寂だった。


「こっちこっち」


レジの中から、小木さんが紺色のエプロンを首に掛けながら手招きしてきた。「時間無いよ、急いで!」━━━━誰のせいで時間が無いと思ってんだ。






渡されたエプロンを身に付け、急ピッチで開店準備を始めた。羽田さんに習って掃除の順序、そしてゲーム等のデモの準備のやり方をそれぞれメモした。


「吉沢さん、今までどんな所で働いてたの?」

「16の頃に一年間、福祉施設で清掃員をしてました。17の頃には近所のスーパー、18にはちょっと入院してましたが、退院してすぐ、また別のスーパーでレジをしていました」

「学校は?」

「あー………色々あって辞めました」

「色々って?」

「………えっと、電源はここですか?」


鬱陶しい。
女は万国共通でこうなのか。他人の事を根掘り葉掘りと。


適当に話を逸らしつつ、羽田さんの仕事を逐一観察した。
まず外を箒で軽く掃いて傘立てと灰皿を入り口付近に設置、モップで店内を清掃、………━━━彼女のモップの使い方は少し雑なようだ。棚の下にホコリが残ってる。

どうせ、時間が無いから毎日こうなんだろうなぁ。遅刻しなければいい話なのに。
私が真面目すぎるだけなのだろうか。


10時を少し回ったところで店内清掃もそこそこに切り上げ、自動ドアの電源を入れて開店した。

それから更に20分後になってやっと、店長である堀さんが店に入ってきた。羽田さんから私が一番早く店に到着していた話を聞いて、「真面目だねぇ」とのんきに抜かした。
その様子に、この職場は大丈夫なのだろうか、と心配になる。


「引っ越してきたばっかだったよね。新しい住まいはどうよ」

「あ、はい。快適です。お隣さんも優しいですし」

「へぇ」

「そのお隣が、すごい豪邸なんですよね」

「そっか」


と、まあ堀さんと世間話を交えながら、仕事を色々と教わった。初日ということもあり、終業時間の16時までのほとんどを仕事の説明を受けて終わった。

用意してきたメモ帳が半分以上埋まった。話を聞きながらメモを取る私を見て、また「真面目だねぇ」と呟く堀さん。


「それしか取り柄がありませんので」

「…………」


堀さんの切れ長な目を真っ直ぐに見て、そう言った。笑われるかと思っていたのだが、どういう訳か彼は眉間にシワを寄せ、何か不快そうな表情をした。

それまでの柔らかな口調が打って変わった、固く冷たい声で「あっそ」とだけ言うと、踵を返した。
そのまま歩いて行って、カウンター内の窓際にあるパソコンデスクに座ると、私が仕事を終えて帰るまで一度もその場を動かなかった。


急に彼の態度が変わったことは、不思議だった。しかし小木さんや羽田さんは慣れた様子だった。「いつものことだから、気にしないでいいよ」と言われた。





………
………………
………………………




さて、それから二週間ほどもすると、大体の仕事は覚えて、それなりに余裕が生まれる。毎週組まれるシフトには、辞めた羽田さんの所に私の名前が入った。

よく一緒に仕事をする小木さん、堀さんとの仲も思ってたよりは良好だった(急に態度が変わった翌日、堀さんの様子は元に戻っていた)。


とくに一番仲がいいと思えるのは小木さんだった。既婚者で子供がいる彼はのろけ話をよくする。それをからかうと、小気味のいい返しをしてくる。ノリがいい、というものだろう。

冗談も通じるし、話も合うので、まるで兄のような感覚だった。実際兄がいた事はないけどね。


一方堀さんは無口なほうで、私も無理をしてまで話をふらない。なのであまり話をしない。

だが何処か通じるものがあるらしく、彼が周りに何をしてほしいのか、何を必要としているのかが何となくわかる。

まあボールペンを使いたいのに手近に無くて困ってるとか、くしゃみが出そうだからティッシュを渡してやろうとか、その程度だ。

私がそうやってボールペンやらティッシュやら差し出すと、堀さんは少し驚いた顔をする。その顔が何となく笑える。




母は私がまた働きに出たのが嬉しいのか、機嫌がよくなった。
私の給料が入ったらテーブルを新調したいと言っている。非常に複雑な気分だ。

そりゃあ、母の会社の給料が少ないから仕方ないと自分に言い聞かせてはいるものの、本音は母に私の給料を全て渡すことにまだ納得しきれていない。

ゲーム機を買いたい、DVDを買いたい、古本屋で働くが故か、そんな欲まで出てきた。

でも母と喧嘩をして私が勝った試しが無いので、文句があっても我慢する。そんなストレスのせいで胃は痛いし生理が半年以上来ないこともよくあるが、まあ死にはしない、多分大丈夫。


頑張らなきゃ。

強くならなきゃ。








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