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第二章 怪異変異編
9話目 猫宮、身の証しを立てる(三)
しおりを挟む見藤と猫宮は手筈通り、連絡があった遺体安置所施設にその身を置いていた。
見藤が到着するや否や、関係者から事情を説明され、施設内部の一室へと案内されたのだった。彼は椅子に座って腕組みをしつつ、時間が過ぎるのを待つ。猫宮は床に腹這いになっている。
真夏だというのに、寒気を感じるというのは腐敗を防ぐための冷房装置だけが要因ではないだろう。少なからず、その場所の雰囲気も関係しているようだと、見藤は辟易とした顔をしながら呟いた。
「にしても、あまり長居はしたくないな」
「そうかァ??」
「はぁ、」
猫宮の事もなげな返答に見藤は溜め息をつく。こうして彼の足元に待機している猫宮だが、遺体安置所施設に入る際には姿を消していた様子で妖怪としての特質を大いに活かしたようだ。
そうして一人と一匹は安置室付近の部屋で待機しているのだが、刻一刻と深夜が近づいてくる。
―― すると、ごそ、ごぞごぞ、ずそ、と何かが這う音が廊下から聞こえて来た。
「来た」
猫宮の耳がぴくり、と反応する。そして、のそりと小太りな体を起こした。
猫宮の言葉に見藤は椅子から立ち上がり、借り受けた警棒を手に持つ。その物々しさに、猫宮は何事だと目を見開いた。
「見藤。なんだ、ソレは」
「ん、借りた。殴ればこと足りるだろ?」
「相変わらず、脳筋だなァ」
「……?」
「あとで小僧か小娘にでも『脳筋』の意味を聞いておけ」
「……?」
猫宮はわざとらしく溜息をついたが、見藤は何故そのような反応をされたのか解せない、といった表情で猫宮に視線を送っている。
(ほんと、こいつ可笑しいだろ)
猫宮は心の内に悪態をついた。―― そう、不自然なのだ。見藤のフィジカルの強さ、要は怪異や妖怪に対する物質的な関与を及ぼす力が。
怪異や妖怪、または霊と言ったものは素質が無ければ視えないのは当然のことながら、その可視化でさえ困難なものを物理的に叩くことができる、ということは到底理解に追いつかない。古来より言われてきたであろう、霊力、というものなのだろうか。見藤にその説明を求めても要領を得ず、本人でさえ何となくできていること、らしいのだ。
猫宮は思考もほどほどに、首を振った。
「まぁ、いい、囮がばれる前に叩くぞ」
「そうだな」
ごそ、ごぞごぞ、ずそ、と何かが這う音が徐々に安置室がある方向へ遠ざかっていく。そうして、バタン……と物音が聞こた。
猫宮は駆け出し、それに見藤も続いた。少し息を吸い込むと、冷却された空気が冷たく、肺を冷やす。
扉の前に辿り着くと、やはりというべきか。扉自体は閉まっているものの、施錠されていたはずの鍵が開いている。見藤は気取られないよう、静かに扉を開けた。
すると、そこには ――。棺に納められ腐った肉を無我夢中で食らう二体の妖怪の姿があった。
一体目は女のようにも見えるが、片手に何やら箱を携え「ない、ない」と譫言《うわごと》のように呟いている。二体目は、まさに異形の姿をしている。幼児程度の体格をした部分と苔色と黒が混ざり合ったような肉塊がまとわり付いている部分、はたまた何やら動物の手が生えており、その先の爪は鋭い。
腐った肉が放つ異臭に嫌悪感を露にし、見藤に至っては鼻を手で覆う程だ。彼は眉を寄せ、目前の光景の異様さに懐疑的な眼差しを向けた。
(種の異なる妖怪が徒党を組むのか……?)
見藤の中に浮かび上がる疑念。
本来であれば怪異と異なり、妖怪の類は同族でもない限り徒党を組むことはない、とされている。上位存在の妖怪に眷属として従い、縄張りや食べ物のおこぼれをもらうことはあっても、異なる種族間では争いの種だ。
その妖怪の類も、現代においては悉く数を減らしている。現世では人の数が多く、縄張り争い以前の問題だ。そのため、現世を離れる妖怪は後を絶たない。
以前、猫宮が口裂け女 ―― 夕子を案内した場所、怪異の行き着く先、永久に変わることのない不変の世界、常世へ住処を移しているのだ。だというのに、こうしてわざわざ人の目につくような行動を取るとは ―― なんとも不可解だ。
見藤の思考も程々に、唐突に猫宮がくしゃみを一つ。腐敗した肉の残り香が猫宮の敏感な鼻を刺激したのだろう。
「くっしゅん!!」
猫宮のくしゃみを皮切りに ――、肉を貪る音が止まった。
「あー、まずいなこりゃ」
猫宮がそう呟いたときだった。女妖怪が、見藤に襲い掛かったのだ。
「目玉がないぃいいぃいい!!」
「うお……!?」
咄嗟に見藤は借りた警棒で、女妖怪が伸ばしてきた片腕を防ぐ。ぎりぎりと、警棒を押す力はやはりこの世のものではない。しかし、警棒で防いだのは悪手だったのかもしれない。
女妖怪は警棒を握り、力で押してきている。警棒を握るその爪は赤く、血塗られており、爪には肉塊が挟まり、悪臭を放っている。間近で見ていい気分ではない。
力で応戦しながらも、見藤は冷静だった。女妖怪が片手に持っている、箱だ。この状況でも手放さない箱に、どんな意味があるのか。
見藤はその箱を思い切り蹴とばした。すると、その中から出てきたのは――、大量の目玉だった。
「流石に気色悪いな……、」
先の事件で集めた目玉なのかと、思わず悪態をつく見藤。
箱から零れ落ちた目玉を見て女妖怪は突然取り乱した、かと思えば床に転がる目玉を食らい始めたのだ。その光景に眉を顰める見藤。
―― 怪異や妖怪を相手に仕事をしてきたとはいえ、ここまでの光景を目にしたのは初めてかもしれない。元来妖怪であっても、人とある程度の言葉は交わせるものなのだが……、何がこの妖怪をここまでさせているのか。この妖怪達は理性を失い、本能のまま「飢え」に突き動かされているように見えるのだ。だが、今は考える余地はない。
見藤は巡る思考を払拭しようと、首を横に振った。
女妖怪は床に転がる目玉をおおかた食い終えると、見藤を見据えたかのように思えたが、何せ焦点は合っていない。そして、再び見藤に襲い掛かろうと、その体を動かした。
「くそ、一旦外へひきつける!猫宮、あっちは任せる」
「あァ、任せとけ」
見藤はそう言うと、廊下へ駆け出した。こういう時は分断するまでだ。
猫宮は鼻をフン、と鳴らすと助走をつけるかのように、短い脚で床を蹴った。その時から、外では雷鳴が轟いていた ――。
◇
廊下を駆ける見藤は後ろから追って来る、耳をつんざく金切り声に辟易とした表情を浮かべていた。
「お前の目玉をよこせえぇえぇ!!!」
「それは誰だってお断りだな」
見藤の呟きは女妖怪の金切り声にかき消されることになるのだが。
見藤は一直線に続く廊下をただ、ひたすら走った。警棒で応戦してもいいが、あの怪力だ。どこか、好転する機会がなければ力で押し切られ、最後には女妖怪のお望み通り、目玉をくり抜かれてしまうだろう。
どうしたものかと思いつつ、やっと一直線だった廊下が終わりを迎え、角を一つ曲がった。角を曲がった少し先に、消火器が目に留まった。そこまでたどり着けば、と更に足を速める。
すると、女妖怪も同じく足を速めたのか後方から聞こえてくる歩幅が大きくなった。背後に限りなく近づいてきたのが、分かる。
金切り声を上げながら、鋭い爪を蓄えた手が伸ばされたのが視界の端に映る。
「お前の目玉は上等だ!! よこせえぇえぇえぇえぇ!!!!」
「残念だが、お断りだっ!!」
そう叫ぶのと、見藤が消火器を手に取ったのは同時だった。
消火器は綺麗な弧を描き、女妖怪の側頭部にめり込んだ。流石の妖怪も、見藤の物理的な抵抗に完全に意識を失ってしまったようだ。黒く長い髪と、赤黒く血にまみれた体が廊下に横たわっている。
「は、……今回は、怒られずに済みそうだ」
その呟きは、先程と打って変わった廊下の静けさに消えた。
見藤は消火器を元の位置に戻すと、意識を失った女妖怪の首根っこを掴んでずるずると引きずり始める。
―― 猫宮に引き渡しに行くのだろうが、その光景はなんとも猟奇的であった。
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