禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異の困りごと、解決します~

出口もぐら

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第二章 怪異変異編

20話 凶兆、現る(二)

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 そして、白沢は言葉を続ける。

「それを持ち前の運だけで回避しよった。こないおもろいもん、あるかいな。バイト募集の住所、やろう?それで、が起きる前におっさん所に辿り着くんやもんなぁ」

 低い笑い声を噛み殺しながら、ひとり喋り続ける白沢。その身振り手振りは、まるでこちらを警戒していない。己が上位者である、という確固たる自信が見て取れる。

 白沢の言葉に、久保ははたと思い出す。

(そうだ、あの時の見藤さんは「バイトを募集した覚えはない」そう言っていた……)

 よもや、勘違いで尋ねた見藤の事務所。その行動が、久保の顛末を書き換えたのだ――。
 

 一方の猫宮は、突如として現れた存在に警戒を強めていた。男を取り押さえた手に力が入り、鋭い爪が男に食い込んだようだ。男が小さく呻く声が聞こえた。
 その声を聞いた見藤は眉を下げつつも、猫宮をいさめる。

「……猫宮、なるべく傷を負わせるな。後々面倒になる」

 見藤にそう言われてしまえば従う他ない、と猫宮は不本意だと言わんばかりに鼻を鳴らした。そして、少しだけ男を取り押さえた手の力を緩めたのだった。
 しかし、それに便乗するかのように白沢が茶々を入れたのだ。

「そうそう、そいつは悪くないんや。俺がちょっと嫌な夢を見せるよう頼んだんや。現実か夢か、一時的に分からんなっとるだけや」

 猫宮は不愉快そうに眉を動かした。そして、鼻で笑うと白沢を見据えて言い放つ。

「はン! どうりで訳だ」
「ああん?」

 猫宮の言葉に、白沢の表情が豹変した。

「野良猫風情が!」

 これでは最早、売り言葉に買い言葉だ。
 白沢が怒鳴り声を上げた途端、額にはギョロギョロと左右に動く目玉が勢いよく見開かれたのだ。すると、彼の怒りに呼応するかのように突風が吹き荒れる。

 突風を受けた見藤と猫宮。そして、久保は思わず目を瞑ってしまう。次に目を開けた瞬間には、大柄な牛の姿をした怪異――、もしくは妖怪が、怒りに任せこちらに鋭利な角を向けて突進してくるのが見えた。
 その大柄な牛の姿は、まさに上位者。角は闘牛のように立派で、肌は薄い梔子からし色をしており、第三の眼を開眼させている。

 流石の猫宮でも足元に取り押さえている男を放り、巻き添えを喰らわないよう投げ捨てた。――だが、これでは衝突の衝撃を受けるには間に合わない。猫宮の後ろには依然ふらついている見藤と、それを支える久保がいる。どうしたものか、と考える時間はないようだ。思わず、猫宮は大きく舌打ちをした。

――突如、忌々しい呑気な声が見藤の耳に届く。

「お、本当に釣れてるねぇ」

 鈍い空気を含んだ音がして、辺り一帯の視界を遮る煙。その煙に押され、牛の怪異は身を翻《ひるがえ》し、距離を取った。そして、その牛の怪異は瞬く間に白沢の姿へと戻る。

 煙が晴れると、目の前に佇む人影を目にした見藤は力なく名を呼んだ。

「煙谷……」
「なになに、珍しくやられてるねぇ。いや、僕が知る限り二度目かな?」
「はっ、こいつは……」

 皮肉じみた煙谷の言葉に、見藤は軽く笑みを溢す。煙となって目の前に現れた煙谷に、見藤はさして驚かなかった。

 それは先の夏のこと、廃旅館火災からの救出。見藤の中で、合点が行ったのだ。そして、思い出す。
 その後の出来事だ。煙谷から吹きかけられた、煙草の煙に激怒した霧子の怒りの意味。人に友好的な怪異、人の中で紛れて暮らす怪異と言うのは見分けがつかないものだと、見藤は笑った。
――目の前に敵意を剥き出しにする牛の怪異は、一目視て正体が分かったというのに。



 煙となって現れた煙谷を見るや否や。白沢は眉をひそめ、嫌悪感を孕んだ声音で呟く。

「なんで、地獄の番人共がこうも揃うんや」
「何でって。思い当たることは、いくつもあるはずだよ。神獣白澤はくたく

 白沢の問いに、飄々と答える煙谷の口から告げられた、彼の正体。
――神獣、それは神の一端。人が招いた愚行により、悉く姿を消していったとされる吉兆の者たち。
 現代ではその姿を目にすること叶わず。伝承にのみ、その姿を記す。だが、この神獣は違ったようだ。

 神獣白澤。そう呼ばれた白沢と、地獄の番人と呼ばれた煙谷と猫宮。それは役者が揃ったと言わんばかりの光景だ。煙谷は腕を組み、白沢の前に立ちはだかる。



 久保は依然、蚊帳の外だ。
――友人だと思っていた白沢が怪異だった。それを、どう受け止めていいのか分からない。
 目の前の光景は、あからさまに敵対している。それは成す術も、口を挟むことも許されない。そう言われているような気がして、唇を噛んだ。

 見藤は自力で立ち上がろうと膝に力を入れ、久保の心情をおもんぱかるように背中を軽く叩いた。その真意に気付いた久保は、少しだけ安堵の表情を浮かべながら頷く。そして、白沢へと視線を向けた。

 見藤は立ち上がると、揺れる視界をなんとか紛らわそうと頭を押さえる。そして、白澤と呼ばれた怪異をしっかりと見据え、質問の続きを口にしたのだった。

「で、怪異をそそのかしていたのは、お前か」
「んー、せやけど。別に俺は悪い事はしとらんやん」
「……、なぜ摂理を引っ搔き回す?」
「うーん、妖怪の類は数を減らす一方。怪異は認知に存在を左右され自由に生きられへん。人は進歩の歩みを止めてしもうた。だから、俺がそれぞれの進歩を促しただけやんか」

 神獣白澤というのは、なかなかにお喋り好きのようだ。見藤は言葉を続ける。

「で、かの崇高な神獣白澤が――、何故、人間を薬にしようと思った?」
「なんや、質問責めやんか。まぁ、……ええやろう」

 見藤の問いに頷いた白沢は、「白沢」と呼ばれている人の姿から、今度は梔子色をした牛の姿。そして、今度は獅子の姿。次には、また別の青年の姿、最後にそのすべてが入り混じったような異形へと姿を変えた。
 まるでテレビのチャンネルを無造作に変えているような――。これでは、自身がとるべき姿が定まっていないとも見て取れる。――いや、最早、本来の姿を忘れてしまっているようだ。

「俺をこんな姿にしたのは人間だろう。その治療だ」

 そう言い放った白沢の声音は、今までとは明らかに異なっていた。口調も違う。それは酷く怨嗟が籠っていた。
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