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第三章 夢の深淵編
26話目 悪友との邂逅、そして類が及ぶ(六)
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そうして、一足先に久保と東雲は警官の保護の元、自宅へと送り届けられることになった。その計らいをしたのは斑鳩だ。
特に東雲は精神的に滅入っている様子だと、後に伝えられた。今後しばらくの間は、一人で外を出歩くことにも恐怖を抱くかもしれない。
見藤はどうしたものか、と溜め息をついた。
恐怖心に打ち勝つのは東雲自身であり、起こった出来事は変えられない。どうしてあげることもできない――、と目を伏せる。
そこでふと気付く、久保の変化。彼はいつも東雲に敬称をつけて呼んでいたのだが、先程までずっと彼女を呼び捨てにしていた。――東雲のことは久保に任せよう、疲労に負けた頭ではそう考える他なかった。
◇
久保を見送った後、見藤は斑鳩と共に帰路に着こうとしていた。
すると、突然。斑鳩が立ち止まり、これまで抱いていたであろう疑問を見藤にぶつける。
「で、お前に憑いている怪異はどうした?お前に何かあれば、すっとんで来るんだろ?」
「…………」
「なんだ、喧嘩でもしたのか?」
「…………」
「おいおい、図星か」
見藤は斑鳩に返す言葉を持ち合わせていない。――鋭い奴だ、と斑鳩を睨みつける。
見藤に取り憑いている怪異の女――、霧子の存在。斑鳩はこれまで、その目に彼女を映すことはなかった。だが、その存在は認識している。
その怪異の女は見藤に対して、異様なまでの執着と独占欲を持っていることを、斑鳩はそこはかとなく感じ取っていた。
それを斑鳩は茶化したのだが、見藤は見るからに機嫌が悪い。斑鳩はやれやれ、と首を振った。そして、表情をしたり顔に変えると、励ますように見藤の肩を軽く叩く。
「ここで俺からのアドバイスだ。女の言い分は百パーセント聞いておけ、口答えはするな。それが円満の秘訣だ」
「…………ひとつも参考にならん」
「まぁ、人と怪異じゃあ……持ち合わせている物の尺度が違うからな。人の善悪に当てはまらない場合もあるだろうな」
見藤に辟易とした表情で返されれば、彼には到底当てはまらない助言であったと斑鳩は苦笑する。
そんな斑鳩を一瞥すると、見藤は再び歩き始めた。
斑鳩は置いて行かれないよう、小走りでその後を追った。追いつくと、その歩みをゆったりとしたものに変え、二人は肩を並べて歩く。そして、斑鳩はふと思い出したかのように、口を開く。
「そうだ、あの被害者の子」
「東雲さんか?」
「そう、その子だ。自分が危うく切りつけられる所だったっていうのに、話を聞けばお前の心配ばかりしていたぞ。それに、お前のジャケットを片時も手放さなかった」
斑鳩が話す、事件後の東雲の様子。東雲と初対面の斑鳩から見ても、彼女が見藤に寄せている好意は分かりやすいものなのだろう。
見藤は依然、辟易とした表情を浮かべて歩みを進める。
斑鳩は見藤の顔を覗き込むように、背を少しだけ屈めた。
「なぁ、見藤」
「…………」
まるで同意を求めるかのように、斑鳩は見藤の名を呼んだ。直接的な言葉を見藤に掛けることはない。
しかし、彼が言わんとしていることは理解できる。見藤の眉間には皺が刻まれている。そっと見藤の口から出た言葉は、東雲の好意の本質を突いたものだった。
「あの子は父性を求めているだけだ。ちゃんと断っている。応えるつもりはない」
「おい」
見藤の返答を聞くや否や、「そんな突き放し方はないだろう」と斑鳩は見藤を咎めた。そして、斑鳩は大きく息を吐き、神妙な面持ちで見藤を見据える。その表情と声音はとても真剣なものだった。
「……いい加減、人と一緒になることも考えろ。子どもを授かって、その成長を見守るのも、とても幸せなことだ」
そう話す斑鳩の表情はいつになく柔らかい。家族のことを思い出しているのだろう。この男が家族の話をするときは、あの鋭い眼光もそのなりを潜めてしまっている。
そして、どこか昔を懐かしむような表情を見せたかと思うと、今度は少しばかり複雑そうな表情を見せる。
「分家の俺は、家同士の利益を見越した見合いだったが……。結果として、かけがえのないものを得た」
今時、家同士の利益や見合い婚は古くに廃れた風習だろう。しかし、近代化に伴いその数を減らす呪いを扱う名家の存続をかけ、他の名家と交わることも少なくない。
その中で互いに想い合える伴侶と出会えた斑鳩は、至極幸福とも呼べるだろう。決して、誰しもがそうではない。
――恐らく、斑鳩の大層早い出世は家族が原動力になっているのだ。そして、斑鳩の言う選択肢は、見藤が端から持ち合わせていないものだった。
だが、見藤の答えは聞かれる前より決まっている。溢した言葉は、本心でもあった。
「…………俺に、そんな甲斐性はない」
「ったく」
斑鳩は悪態をつくと語気を強め、その紫黒色の瞳を見据える。斑鳩の表情はいつになく真剣だった。
「俺達、人は先に死ぬ。遺された怪異がどんな思いをするのか、想像してみろ。あいつらは時間の猶予が違う。下手をすれば数百年ずっと、遺されたままになるんだぞ」
「…………」
斑鳩の言葉に「その傷跡が欲しい」と言ってしまえば、なんと酷い男かと罵られそうだ。見藤はその答えを口にすることなく、飲み込んだ。
そして、斑鳩の言葉に「余計なお世話だ」と答えてしまえば、それまでだ。斑鳩という友が自分を心配していることは分かる。分かってはいるものの、それを素直に受け取ることはできない。
斑鳩が自分の家族が一等大切なように、見藤にとっては霧子が唯一なのだ。
沈黙の肯定を続ける見藤に、斑鳩は大きな溜め息をつく。
「はぁ……。お前は怪異に入れ込み過ぎだ」
「否定はしない」
呆れたように首を横に振る斑鳩に、見藤は間髪入れず答えた。
特に東雲は精神的に滅入っている様子だと、後に伝えられた。今後しばらくの間は、一人で外を出歩くことにも恐怖を抱くかもしれない。
見藤はどうしたものか、と溜め息をついた。
恐怖心に打ち勝つのは東雲自身であり、起こった出来事は変えられない。どうしてあげることもできない――、と目を伏せる。
そこでふと気付く、久保の変化。彼はいつも東雲に敬称をつけて呼んでいたのだが、先程までずっと彼女を呼び捨てにしていた。――東雲のことは久保に任せよう、疲労に負けた頭ではそう考える他なかった。
◇
久保を見送った後、見藤は斑鳩と共に帰路に着こうとしていた。
すると、突然。斑鳩が立ち止まり、これまで抱いていたであろう疑問を見藤にぶつける。
「で、お前に憑いている怪異はどうした?お前に何かあれば、すっとんで来るんだろ?」
「…………」
「なんだ、喧嘩でもしたのか?」
「…………」
「おいおい、図星か」
見藤は斑鳩に返す言葉を持ち合わせていない。――鋭い奴だ、と斑鳩を睨みつける。
見藤に取り憑いている怪異の女――、霧子の存在。斑鳩はこれまで、その目に彼女を映すことはなかった。だが、その存在は認識している。
その怪異の女は見藤に対して、異様なまでの執着と独占欲を持っていることを、斑鳩はそこはかとなく感じ取っていた。
それを斑鳩は茶化したのだが、見藤は見るからに機嫌が悪い。斑鳩はやれやれ、と首を振った。そして、表情をしたり顔に変えると、励ますように見藤の肩を軽く叩く。
「ここで俺からのアドバイスだ。女の言い分は百パーセント聞いておけ、口答えはするな。それが円満の秘訣だ」
「…………ひとつも参考にならん」
「まぁ、人と怪異じゃあ……持ち合わせている物の尺度が違うからな。人の善悪に当てはまらない場合もあるだろうな」
見藤に辟易とした表情で返されれば、彼には到底当てはまらない助言であったと斑鳩は苦笑する。
そんな斑鳩を一瞥すると、見藤は再び歩き始めた。
斑鳩は置いて行かれないよう、小走りでその後を追った。追いつくと、その歩みをゆったりとしたものに変え、二人は肩を並べて歩く。そして、斑鳩はふと思い出したかのように、口を開く。
「そうだ、あの被害者の子」
「東雲さんか?」
「そう、その子だ。自分が危うく切りつけられる所だったっていうのに、話を聞けばお前の心配ばかりしていたぞ。それに、お前のジャケットを片時も手放さなかった」
斑鳩が話す、事件後の東雲の様子。東雲と初対面の斑鳩から見ても、彼女が見藤に寄せている好意は分かりやすいものなのだろう。
見藤は依然、辟易とした表情を浮かべて歩みを進める。
斑鳩は見藤の顔を覗き込むように、背を少しだけ屈めた。
「なぁ、見藤」
「…………」
まるで同意を求めるかのように、斑鳩は見藤の名を呼んだ。直接的な言葉を見藤に掛けることはない。
しかし、彼が言わんとしていることは理解できる。見藤の眉間には皺が刻まれている。そっと見藤の口から出た言葉は、東雲の好意の本質を突いたものだった。
「あの子は父性を求めているだけだ。ちゃんと断っている。応えるつもりはない」
「おい」
見藤の返答を聞くや否や、「そんな突き放し方はないだろう」と斑鳩は見藤を咎めた。そして、斑鳩は大きく息を吐き、神妙な面持ちで見藤を見据える。その表情と声音はとても真剣なものだった。
「……いい加減、人と一緒になることも考えろ。子どもを授かって、その成長を見守るのも、とても幸せなことだ」
そう話す斑鳩の表情はいつになく柔らかい。家族のことを思い出しているのだろう。この男が家族の話をするときは、あの鋭い眼光もそのなりを潜めてしまっている。
そして、どこか昔を懐かしむような表情を見せたかと思うと、今度は少しばかり複雑そうな表情を見せる。
「分家の俺は、家同士の利益を見越した見合いだったが……。結果として、かけがえのないものを得た」
今時、家同士の利益や見合い婚は古くに廃れた風習だろう。しかし、近代化に伴いその数を減らす呪いを扱う名家の存続をかけ、他の名家と交わることも少なくない。
その中で互いに想い合える伴侶と出会えた斑鳩は、至極幸福とも呼べるだろう。決して、誰しもがそうではない。
――恐らく、斑鳩の大層早い出世は家族が原動力になっているのだ。そして、斑鳩の言う選択肢は、見藤が端から持ち合わせていないものだった。
だが、見藤の答えは聞かれる前より決まっている。溢した言葉は、本心でもあった。
「…………俺に、そんな甲斐性はない」
「ったく」
斑鳩は悪態をつくと語気を強め、その紫黒色の瞳を見据える。斑鳩の表情はいつになく真剣だった。
「俺達、人は先に死ぬ。遺された怪異がどんな思いをするのか、想像してみろ。あいつらは時間の猶予が違う。下手をすれば数百年ずっと、遺されたままになるんだぞ」
「…………」
斑鳩の言葉に「その傷跡が欲しい」と言ってしまえば、なんと酷い男かと罵られそうだ。見藤はその答えを口にすることなく、飲み込んだ。
そして、斑鳩の言葉に「余計なお世話だ」と答えてしまえば、それまでだ。斑鳩という友が自分を心配していることは分かる。分かってはいるものの、それを素直に受け取ることはできない。
斑鳩が自分の家族が一等大切なように、見藤にとっては霧子が唯一なのだ。
沈黙の肯定を続ける見藤に、斑鳩は大きな溜め息をつく。
「はぁ……。お前は怪異に入れ込み過ぎだ」
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