ボールの行方

sandalwood

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第13話「四つの言葉」

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 意を決して、男との間合いを詰める。
 できるだけ音をたてないよう、そろりそろりと慎重に足を動かす。頭のなかで、牛歩戦術をとる国会議員をイメージした。

 僕が着実に距離を縮めているのに気づいていないのかどうかわからないが、男は変わらずぶつぶつとなにかをつぶやいている。
 前に会ったとき、彼は四つのフレーズをローテーションでくり返していた。確か、「トラック行っちゃった」「CD再生」「カセットテープ」「府中病院」だったっけ。

 その距離、およそ一メートル。最初に見たときも、同じようにして背後から忍び寄り、このぐらいまで詰め寄った。
 怪しい人についていってはいけませんよと、学校の先生がよく言っていた。僕は、でもこの男に出くわすたびに華麗に先生の忠告を無視している。
 ここまでくると、男のつぶやきも拾える。例の四つの言葉を思いだしながら、そっと耳をすませた。


「シーツをびろーん」
「コーヒーいかが」
「アイ・ハヴァ・ポインター」
「くしゃくしゃスマイル」


 きこえてきたのは、やはり四つの短い言葉。これらを順番にくり返していた。前回と一緒かと思っていたらまるで違うフレーズだったので、意表を突かれた気分だった。
 前も同じことを思ったけれど、さっぱり意味がわからない。でも、今回はなんというか、よりひねりをきかせたようなフレーズだなと思った。
 男が読んでいる本は、ここまで近づいてもちょっと見えない。ページをめくる音が、落ち着いた室内で活発に響く。

 きこえたはいいが、どうしたものか。いや、別にどうする必要もないのだけれど。
 三度目といっても、さすがに声をかける勇気はない。よく知らない人に自分から声をかけるのは、相手が子どもだろうと大人だろうとちょっと尻ごみしてしまう。この男であればなおさらだ。周りの人がみたら、こんなふうに忍び寄るほうが勇気がいるよとツッコミをいれるかもしれないけどね。山内さんならそう言いそうだな。

 ふと腕時計を見ると、デジタルのかくかくとした字体で十時五十分と表示されていた。本当なら、今ごろは試験問題に向き合っているはずだった。ひと通り解き終え、見直しをしているころだろう。それなのに、どうして図書館で正体不明の男について探りをいれているのだろう。改めて状況をふり返って、声をたてずにあきれ顔を作った。

 男の声がやんだ。
 突然に、ぴたりと。僕は息をのんだ。

 沈黙。ページをめくる音がとまり、室内は不気味な静寂におおわれた。
 彼の次の行動が、僕にはわかっていた。
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