この感情を愛と呼ぶには

紀村 紀壱

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1話 ネロ・バシランは気づかない 3

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「ネロ、準備は大丈夫かな?」
「デルーセオ様、よかったら私も一緒に」

 制服である司書のローブを脱いでコートを羽織り、少なくとも大切な荷物が詰まった斜めがけの小さなカバンを肩から提げて戻った先には、見知らぬブルネットの女性が増えていた。
 貴族の令嬢か、それとも羽振りの良い商人の娘だろうか。
 侍女と護衛を一人ずつ付け、右手の人差し指と小指に家紋のついたシグネットリングがあるから既婚者のようだが、年の頃はネロと同じか、少し上に見えた。
 ネロを振り返るベルテの腕に、繊細なレースの手袋に包まれた手でそっと触れて、女性が同席を強請る。
 見ず知らずの人間との食事に、横から自分をねじ込もうとするのはよほど自信がないとできないものだろう。だがその行動を裏付けるように、まつげが烟る大きなライムグリーンの瞳に桃のような柔らかそうな頬、たわわな胸の膨らみとくびれた腰という、華やかな容姿を女性は兼ね備えていた。

「悪いけど、君には閃きを感じないんだ、ごめんね」

 大半の男は魅力的だろうと思う容姿の彼女に、しかしベルテはちらりと視線だけを投げてあっさりと袖にする。
 ベルテの言葉に女性が信じられないといった様子で目を見開き、瞳がぐるりとネロへと向けられ、忌々しげに睨みつけられた。
 美人の苛立ちに歪められた顔というのは綺麗な分、迫力があるなとネロは思う。
 先ほどの微笑みから急転直下、そんな顔を見られては100年の恋も冷めてしまいそうだが、肝心のベルテの視線がネロに向けられているからこそだろう。

(――まったく、勘弁して欲しい)

 ベルテの事をネロは嫌ってはいない。
 嫌ってはいないが、彼が絡んでくることで引き起こされるこういった事態に巻き込まれるのは遠慮をしたいとネロは思う。
 良くも悪くもベルテには求心力がある。
 この女性だけではなく、図書館の中でも何人もの司書達が「案内を」と声をかけては振られるのを見てきた。そしてその度に、ネロへと「どうしてお前なんかが」という視線が向けられるのだ。
 聞かれたら「移民である自分の容姿と文化に興味をあるようだ」と説明をするが、大抵は「毛色が違うのが珍しいのか」と納得して、だがすぐに「それだけなのだから調子に乗るなよ」と蔑んだ目で見てくる。
 普段からこの国出身ではないと一目で分かる容姿と、司書は司書でも【魔導司書】という少し変わった立場故にいつも異物を見る目を向けられてきたが。
 そこに更に嫉妬という物を混ぜられるのは疲れるものだ。

「さあ、行こうか」

 ベルテがネロの横へ並び、背中を軽く手を添えてエスコートをしてくる。
 それに逆らうことはしないし、背中にじくじくと刺さる恨みがましい視線についても考えないようにする。
 ここで女性に気を使おうが、どうせベルテは意に返さないのだ。
 ネロが都合が悪くなったと身を引こうとしても「じゃあ日を改めて誘うよ」と女性の引き留めなど何もなかったかのように去ってしまう。
 もしもネロが女性について言及などすれば最悪だ。
 ベルテは「まだいらっしゃったのですか、いくら主人に火遊びを許可されていても相手を選ばれた方が良いかと」なんて物腰穏やかに辛辣な事を言うのだ。
 ただでさえ振られた相手に追い打ちで不貞行為を糾弾されるなど恥の上塗りをさせるのは酷だ。そしてそんな時は決まって本来ならベルテに向かうはずの怒りはどうしてなのかネロに飛び火した。
 ネロがいなければ、といって、ベルテが振り向く可能性などたいして上がる訳でも無いのに。
 何故、人間という生き物は他者を勝手に見下して攻撃してくるのか。

「浮かない顔だ。この店の料理は口に合わなかったかい?」
「いえ、とても美味しいです」

 憂鬱の原因など分かっているくせに、と思いながら、フォークで突き刺す肉は自分の収入では簡単には食べられない金額の味がした。
 結局のところ、自分も現金で浅ましい人間だ。本当にプライドがあるのならば、ベルテの誘いにずっと乗らずに断り続ければいい。
 だがこうやって立場がなんだと言い訳をして付き合っているのは、最終的に他者の嫉妬よりもベルテからの特別扱いを突き放せないのだ。

「気を付けた方がいい、優しすぎるとつけ込まれてしまうよ」
「? 俺、いえ、私は優しくないです」
「敬語。人目がない時は使わなくて良いって言っただろう?」
「……もしかしてその為に個室をとったのか?」
「いいや? 私は色々と人目を引いてしまうからね」

 最近ようやく覚束なさがなくなったネロとは違い、優雅な所作でベルテはカトラリーを操りながら戯けて片目をつぶった。
 絵になる、と言うのはきっとこういう男の事を言うのだろう。
 ベルテとの関係に一定の距離を置きたいネロに対して、そうさせまいとするかのごとく、ベルテは立場や年齢を超えた親しい者同士の振る舞いをすることを要求してきた。
 敬語も、立場について改めて意識をする大切なモノだと言うのに。
 不遜だと辞退しようとするネロを彼は笑顔で許さなかった。
 ベルテが目立つのは本当だ。しかし会食の場が個室なのはそれだけが理由でもないだろう。

「ところで、ここ最近キミから見て美しいと思った物はなにかあったかな」
「最近ではないが……」
「うん、いつの話しでも良いさ、続けて」

 腹が満たされ、残りはデザートとお茶だろうという頃になって、ベルテがいつものように話を振ってくる。
 どうしても食事中は普段は味わえぬ料理の数々に気を取られて、会話に気もそぞろになりがちなネロを慮っての事だった。

「西では雪が降らないんだ。だからこの国に来て初めて雪を見て驚いた。朝、町中が雪で何もかも真っ白になった時は一晩で違う国に来たのかと思った」
「ああ、確かに雪で覆われた街はいつもと違う姿になるね。すっかり当たり前になっていたが、色だけでも印象は変わる」
「あと雪が積もった日は大抵曇っているが、たまに曇りの隙間から太陽の光が差し込んだ時、雪がキラキラと煌めく様は、眩しくて目が痛いくらいだし寒いのは好きじゃないが、とても美しい光景だと思う」
「この街ではすぐに雪が溶けてしまうから、そうだな晴れ間の雪景色はなかなか見られない光景だね」

 ネロが日々の中で感じた、たわいもない話をベルテは本当に興味深いという姿勢で丁寧に耳を傾ける。その事が少しくすぐったくもあり、居心地が悪くもある。
 ベルテによって迷惑を被っている部分もあるが、大半の内容は不可抗力だ。
 少なくともネロが目撃している範囲で彼は言い寄られる度にはっきりと期待をさせないように断っている。ソレなのに縋り付いて、あまつさえネロに対して敵意を向けるのは相手が悪い。
 だからネロはベルテを心の底から責められなかった。
 むしろただネロの感性を生業であるデザインへ糧にしようとしている様子に、尋ねられた事を答えるくらい、誠実に対応しなければいけないと思っているが。

「……こんな事で、本当に良いのか」
「もちろんだとも。おかげで雪をモチーフにした新しいデザインの構想が思い付いたよ」

 自分の考えや言葉など、誰にでも思いつき感じるようなことばかりだと思う。ネロは多少の文化の違いはあれど、自身の感性が特別だとは思えない。
 食事の対価として、本当に良いのだろうかと口に出した言葉をベルテは穏やかに肯定する。
 チラリと覗ったその表情に偽りはないように見えた。
 ふとネロを見つめるベルテの瞳に記憶の蓋がカタついた。
 彼の濃いブルーの瞳が何処かいつもと違う気がしたのだ。
 ベルテに見つめられると、ネロは何故か居心地が悪いような、据わりが悪いような気持ちになった。そして同時になんだかとても懐かしい気分になる。何処かで見たことがあるような気がして、2年前に亡くなった母親の顔も浮かんだ。
 異人である母親とベルテなんてまったく似ているところなんて無いのに。
 馬鹿な事を考えたと、視線を落としたネロは気づかない。

 己から目を離したことを、面白くないとベルテが目を細めたことに。

 その視線がまるでいつ獲物を狩るかと狙い定める鷹のように鋭い事に。

 今はまだネロは気づかない。

 ベルテと初めて出会ったのが、図書館よりもずっと前である事に。


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