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2話 アルノア・エイリークは死を望まれる 5
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夏の終わりの還炎祭。
長年大事にしていた道具や故人に纏わる物を、魔術協会から配られた還炎で燃やし世界に還す祭では、占いや遊びのような感覚で魔術適正を調べていた。
拳ほどの石から青白く立ち上る還炎は熱くもなく。
手を入れても火傷を負うことはないし、物が炭になることもない。ただその炎を通すことで浄化されるという謂われから人々は思い思いの物をその炎へとかざすのだ。
そしてこの還炎は、魔術師としての才がある者が触れると炎の色が変わったり、その炎の揺らめきに変化が起きる。大抵は「ほんの少し」炎が大きくなっただの、色が変わった「気がする」だの。もしかするかもしれない、と言う程度で騒ぎ、賑やかしで終わるものなのだが。
使用人達の食堂にて、ネロが手を入れた還炎は天井まで伸び、煌々と白く輝いていた。疑いようのない変化に誰しもがぽかんと口を開け、そして徐々にざわめきが広がり、騒ぎは直ぐさまアルノアの耳に入った。
ネロの一報に、アルノアは何てツイているのだろうと笑みを深めた。
良くも悪くも魔術師は特殊職だ。
魔術師の才が判明した場合、特殊な事情が無い限り魔術協会への加入、就学が義務づけられている。近年はその数が減少しているせいか、才ある者の確保に躍起になっていた。使用人に魔術師の才がある者がでて、それを速やかに報告、協会への加入を誘導すれば、一人の使用人を失うのに遜色ない報償金が雇用主には与えられるし、適正者にも移民だとか些細な事は関係なく門戸が開かれ、場合にとっては奨学金や補助金、住民権の付与なども行われていた。
移民であるネロにとって衣食住と今後の職、身分が保障されるのはまたとない好機であり、そして魔術協会の庇護下に入ることで、はるかに安全と居場所が確定し、把握できるのはアルノアにとっても好都合だった。
ネロはあと数日で屋敷を去ることになる。
ならばもうアルノア・エイリークとしてこの場にいる必要は無いし、さっさと次の身分を確立するのに注力するに越したことはない。
「ネロ、手を出しなさい」
木陰に移動したアルノアに安心した様にほっと息を吐いて、また仕事へと戻ろうとするネロを引き留める。
アルノアの言葉に戸惑いつつもネロは手の汚れを落とすように服でゴシゴシと拭い、両手を無防備に差し出してくる。
「掌を上に……選別だ。今まで良く働いてくれた」
昔より一回り大きくなったが相変わらず小さなネロの手に、先ほど食べさせた砂糖菓子がつまった缶を置けば、綺麗な彩色が施されたそれに、ネロが瞳を大きく見開いてアルノアを見上げた。
「ありがとう、ございます。ご恩はわすれません」
たわいもない金額の子供だましのようなそれを、大切な宝物だと言うようにネロは両手で缶を抱きしめる。
そのどこまでも澄み切った真摯な瞳に見つめられているのが心地よい。
ネロと出会い一年を過ぎた頃から、時折のぞかせていた迷う様な眼差しは、うっすらとアルノアの稼業がきな臭い物だとネロも気がつき始めていたのだろう。だが、いまアルノアを見つめてくる瞳はどこまでも無垢で、ただ純粋な好意に満ちていた。
この顔をしばらく見られなくなるのはとても辛いな、と思いながら。
ネロに会いに来た、もう一つの目的を果たそうとして、ふと「最後だから」と脳裏に浮かんだ閃きに身を任せ、ワザと目眩がしたというようによろめいてみせる。
「……っ」
「っ! 大丈夫、ですか……?」
「嗚呼、ありがとう、少し目眩がしてね。少しこのまま支えてくれるか」
「どうぞ楽になるまで。無理を、なさらないでください」
ネロはアルノアを支えようと慌てた様子で身を寄せてくる。栄養不足が改善され背が伸びたが、未だアルノアの顎の下までしかない体躯は腕の中にすっぽりと収まった。
薄っぺらい身体で成人男性を支えられると本気で思っている子供を抱きすくめる。
乾いた土埃と、汗と、太陽の匂い。素朴でなんて無いはずのそれが、情事の寝室で焚くどんなムスクよりもいつまでも嗅いでいたい。
腕を回した腰の細さは今まで抱いたどの情婦よりも細く薄かった。きっと腹の中を掻き回され、種を撒かれるなんて野蛮な行為など知りもしない。強く掴みあげれば折れてしまいそうだった。
「ネロ、良く覚えてくんだ」
首を折り曲げて、小さな形の良い耳へと唇を寄せる。
くすぐったいのか、逃げるように反らされる頭を追いかけて、触れるギリギリのところで囁く。
「これから様々な誘惑が訪れるだろうが、決して誘いに乗ってはいけない。まずはしっかりと勉学に励むんだ。それが身を守る糧になる」
「は、い……」
真っ当な事を言っているように見せかけて、誰にも手垢を付けられてくれるなと、いつまた出会う時の為に吹き込むように呪いをかける。
内容と合い反する、低い閨事で使う声音にヒクヒクと腕の中の子供が震える。返事をする声はかすれていた。最後に撫でるように唇で触れた耳輪は酷く熱を持っていた。
そっと身を起こし、腕を解いてネロを解放してやる。
「いつか、またな」
小さく呟き、俯いたまま固まった子供の顔を見たいのを必死に我慢して、アルノアは踵を返した。
そうしてネロが魔術協会へと去った一ヶ月後。
アルノア・エイリークは焼身自殺をした。
夜中に響き渡る笑いのような金切り声に使用人達は目を覚まし。続いてうっすらと漂ってきた焦げ臭い匂いに大騒ぎで火事だと火元を慌てて探せば、アルノアのベランダにいつの頃か据えられた女神の像の前で、まるで像にすがりつくような形で炎に巻かれた男の死体があった。
部屋の中には散らばった書類、薬、そして酒瓶に、運悪く像の周りに置かれた蝋燭の火が燃え移ったのか。それとも愚かな悪人が死から逃れようとして罪を悔い、救いを求めるようにして叶わぬ現実に焼身自殺をしたのか。と様々な憶測が飛び交ったが、最終的にはたいして揉めることもなく、アルノアの死は決定的な物として広まった。
実はアルノアが生きているのでは、と疑うような人間などいなかった。
それよりも知己だ、貸しがと、亡くなったのは可愛そうだと表面で涙を流すふりをして、アルノアが残した財産や事業をいかに手に入れるかと同業者は群がり攫っていく。それこそ骨をしゃぶり尽くす勢いで奪い合い貪った結果、アルノア・エイリークという人間が積み上げた物がすっかり解体されるのには半年もかからなかった。
そうして一人の男が消えてから二年過ぎ、エルノア・エイリークという名を聞いても、誰の名か思い出すのに時間がかかる様になってきた頃。
社交界の片隅で一人の男がひっそりと頭角を現し始めた。
男の名はベルテ・デルーセオ。
ボルドーに近いブラウンヘアーの甘いマスクの男は女男爵であるロメリア・ソルランのお抱えのデザイナーで、どうやら愛人のようだと社交界の噂話に花を添えながら、その整った容姿と軽やかな物腰でジワジワと顧客を増やしていた。
腕と見目は良いが、しばしば貴族の間で見かけるアクセサリーのような優男。その一人だと認識されている彼の本当の名に気がつく者はいない。
彼のパトロンであるロメリア女男爵が着々とその財を増やしている秘密に彼が関わっているという事に気がつく者がいないように。
美男美女でお似合いと囁かれる二人の関係が、それはそれはストイックなビジネスパートナーの関係だと知るのは当人たちだけだ。
そしてそんなベルテが最近とある図書館の歳若い司書にご執心だという噂は、移り変わりの激しい社交界のゴシップに一瞬だけ話題が上がって、すぐに忘れ去られた。
まさかそれが8年もの歳月を醸しつづけた執着だとは誰も知らないまま、興味が移ってゆく社交界の話題にベルテは一人ほくそ笑む。
(さあ、舞台は整った。そろそろ彼を手に入れよう)
昔と違う趣味の、それでも洒落た装いに身を包んで、ベルテは軽快な足取りで今日も図書館へと向かう。
少しずつ警戒を解き始めて、あの日と変わらぬ無垢な瞳を己に向けるようになって来た、愛しいネロに会うために。
長年大事にしていた道具や故人に纏わる物を、魔術協会から配られた還炎で燃やし世界に還す祭では、占いや遊びのような感覚で魔術適正を調べていた。
拳ほどの石から青白く立ち上る還炎は熱くもなく。
手を入れても火傷を負うことはないし、物が炭になることもない。ただその炎を通すことで浄化されるという謂われから人々は思い思いの物をその炎へとかざすのだ。
そしてこの還炎は、魔術師としての才がある者が触れると炎の色が変わったり、その炎の揺らめきに変化が起きる。大抵は「ほんの少し」炎が大きくなっただの、色が変わった「気がする」だの。もしかするかもしれない、と言う程度で騒ぎ、賑やかしで終わるものなのだが。
使用人達の食堂にて、ネロが手を入れた還炎は天井まで伸び、煌々と白く輝いていた。疑いようのない変化に誰しもがぽかんと口を開け、そして徐々にざわめきが広がり、騒ぎは直ぐさまアルノアの耳に入った。
ネロの一報に、アルノアは何てツイているのだろうと笑みを深めた。
良くも悪くも魔術師は特殊職だ。
魔術師の才が判明した場合、特殊な事情が無い限り魔術協会への加入、就学が義務づけられている。近年はその数が減少しているせいか、才ある者の確保に躍起になっていた。使用人に魔術師の才がある者がでて、それを速やかに報告、協会への加入を誘導すれば、一人の使用人を失うのに遜色ない報償金が雇用主には与えられるし、適正者にも移民だとか些細な事は関係なく門戸が開かれ、場合にとっては奨学金や補助金、住民権の付与なども行われていた。
移民であるネロにとって衣食住と今後の職、身分が保障されるのはまたとない好機であり、そして魔術協会の庇護下に入ることで、はるかに安全と居場所が確定し、把握できるのはアルノアにとっても好都合だった。
ネロはあと数日で屋敷を去ることになる。
ならばもうアルノア・エイリークとしてこの場にいる必要は無いし、さっさと次の身分を確立するのに注力するに越したことはない。
「ネロ、手を出しなさい」
木陰に移動したアルノアに安心した様にほっと息を吐いて、また仕事へと戻ろうとするネロを引き留める。
アルノアの言葉に戸惑いつつもネロは手の汚れを落とすように服でゴシゴシと拭い、両手を無防備に差し出してくる。
「掌を上に……選別だ。今まで良く働いてくれた」
昔より一回り大きくなったが相変わらず小さなネロの手に、先ほど食べさせた砂糖菓子がつまった缶を置けば、綺麗な彩色が施されたそれに、ネロが瞳を大きく見開いてアルノアを見上げた。
「ありがとう、ございます。ご恩はわすれません」
たわいもない金額の子供だましのようなそれを、大切な宝物だと言うようにネロは両手で缶を抱きしめる。
そのどこまでも澄み切った真摯な瞳に見つめられているのが心地よい。
ネロと出会い一年を過ぎた頃から、時折のぞかせていた迷う様な眼差しは、うっすらとアルノアの稼業がきな臭い物だとネロも気がつき始めていたのだろう。だが、いまアルノアを見つめてくる瞳はどこまでも無垢で、ただ純粋な好意に満ちていた。
この顔をしばらく見られなくなるのはとても辛いな、と思いながら。
ネロに会いに来た、もう一つの目的を果たそうとして、ふと「最後だから」と脳裏に浮かんだ閃きに身を任せ、ワザと目眩がしたというようによろめいてみせる。
「……っ」
「っ! 大丈夫、ですか……?」
「嗚呼、ありがとう、少し目眩がしてね。少しこのまま支えてくれるか」
「どうぞ楽になるまで。無理を、なさらないでください」
ネロはアルノアを支えようと慌てた様子で身を寄せてくる。栄養不足が改善され背が伸びたが、未だアルノアの顎の下までしかない体躯は腕の中にすっぽりと収まった。
薄っぺらい身体で成人男性を支えられると本気で思っている子供を抱きすくめる。
乾いた土埃と、汗と、太陽の匂い。素朴でなんて無いはずのそれが、情事の寝室で焚くどんなムスクよりもいつまでも嗅いでいたい。
腕を回した腰の細さは今まで抱いたどの情婦よりも細く薄かった。きっと腹の中を掻き回され、種を撒かれるなんて野蛮な行為など知りもしない。強く掴みあげれば折れてしまいそうだった。
「ネロ、良く覚えてくんだ」
首を折り曲げて、小さな形の良い耳へと唇を寄せる。
くすぐったいのか、逃げるように反らされる頭を追いかけて、触れるギリギリのところで囁く。
「これから様々な誘惑が訪れるだろうが、決して誘いに乗ってはいけない。まずはしっかりと勉学に励むんだ。それが身を守る糧になる」
「は、い……」
真っ当な事を言っているように見せかけて、誰にも手垢を付けられてくれるなと、いつまた出会う時の為に吹き込むように呪いをかける。
内容と合い反する、低い閨事で使う声音にヒクヒクと腕の中の子供が震える。返事をする声はかすれていた。最後に撫でるように唇で触れた耳輪は酷く熱を持っていた。
そっと身を起こし、腕を解いてネロを解放してやる。
「いつか、またな」
小さく呟き、俯いたまま固まった子供の顔を見たいのを必死に我慢して、アルノアは踵を返した。
そうしてネロが魔術協会へと去った一ヶ月後。
アルノア・エイリークは焼身自殺をした。
夜中に響き渡る笑いのような金切り声に使用人達は目を覚まし。続いてうっすらと漂ってきた焦げ臭い匂いに大騒ぎで火事だと火元を慌てて探せば、アルノアのベランダにいつの頃か据えられた女神の像の前で、まるで像にすがりつくような形で炎に巻かれた男の死体があった。
部屋の中には散らばった書類、薬、そして酒瓶に、運悪く像の周りに置かれた蝋燭の火が燃え移ったのか。それとも愚かな悪人が死から逃れようとして罪を悔い、救いを求めるようにして叶わぬ現実に焼身自殺をしたのか。と様々な憶測が飛び交ったが、最終的にはたいして揉めることもなく、アルノアの死は決定的な物として広まった。
実はアルノアが生きているのでは、と疑うような人間などいなかった。
それよりも知己だ、貸しがと、亡くなったのは可愛そうだと表面で涙を流すふりをして、アルノアが残した財産や事業をいかに手に入れるかと同業者は群がり攫っていく。それこそ骨をしゃぶり尽くす勢いで奪い合い貪った結果、アルノア・エイリークという人間が積み上げた物がすっかり解体されるのには半年もかからなかった。
そうして一人の男が消えてから二年過ぎ、エルノア・エイリークという名を聞いても、誰の名か思い出すのに時間がかかる様になってきた頃。
社交界の片隅で一人の男がひっそりと頭角を現し始めた。
男の名はベルテ・デルーセオ。
ボルドーに近いブラウンヘアーの甘いマスクの男は女男爵であるロメリア・ソルランのお抱えのデザイナーで、どうやら愛人のようだと社交界の噂話に花を添えながら、その整った容姿と軽やかな物腰でジワジワと顧客を増やしていた。
腕と見目は良いが、しばしば貴族の間で見かけるアクセサリーのような優男。その一人だと認識されている彼の本当の名に気がつく者はいない。
彼のパトロンであるロメリア女男爵が着々とその財を増やしている秘密に彼が関わっているという事に気がつく者がいないように。
美男美女でお似合いと囁かれる二人の関係が、それはそれはストイックなビジネスパートナーの関係だと知るのは当人たちだけだ。
そしてそんなベルテが最近とある図書館の歳若い司書にご執心だという噂は、移り変わりの激しい社交界のゴシップに一瞬だけ話題が上がって、すぐに忘れ去られた。
まさかそれが8年もの歳月を醸しつづけた執着だとは誰も知らないまま、興味が移ってゆく社交界の話題にベルテは一人ほくそ笑む。
(さあ、舞台は整った。そろそろ彼を手に入れよう)
昔と違う趣味の、それでも洒落た装いに身を包んで、ベルテは軽快な足取りで今日も図書館へと向かう。
少しずつ警戒を解き始めて、あの日と変わらぬ無垢な瞳を己に向けるようになって来た、愛しいネロに会うために。
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