従者の愛と葛藤の日々

紀村 紀壱

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5話 アルグ隊長の従者殿 5【5話完】

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 やはり、協力してもらっているのだから、話はしておくべきだろうと。

 

 

 従者とはいえ、常に付き従うよりも、内務や先立って諸々の手配を行うルスターは、アルグの側を離れている事が多い。
 そんな、時間を利用して。
「実は、アルグ様と『本当に』お付き合いする方向で努力しようと思うのですが」
「ん、別に良いんじゃないの? つか、わざわざ俺に了承を得なくてもいいよ」
「いえ、一応、オーグ様はご事情を把握していらっしゃいますし……」
 アルグの帰りが遅くなる日を選び、屋敷へ招いた、布とサイングラスで相変わらず表情の読めないオーグに。
 決死の思いで告げた話はあっさりと受け入れられて。
 ルスターは拍子抜けするよりも、こんなに上手くいってよいのだろうか、と困惑する。
「こういう事は人の気持ち次第なんだから、俺がどうこう言えることじゃないでしょ。そもそもはじめにルスターさんが無理って言ってたら、しゃーないって話だったし。あ、このクッキー美味いね。どこのやつ?」
「エルマ通りの、赤い屋根のミルティッカという店のものですが……あの、本当によろしいのですか?」
 紅茶と一緒に出した茶請けのクッキーを「俺、甘いの好きでさー」と言いつつ、もりもりと消費していく黒い布の塊もとい、オーグへ、ルスターは追加のクッキーと紅茶を足しながら、つい、もう一度確認してしまえば。
 そんなルスターの様子を、オーグは、本当にこのオッサンは律儀というか、難儀な性格だと思った。
「心配しなくても大丈夫だって。そもそも俺は別に反対してたわけじゃないしね。それとも何、俺が『最初の話と違う。アンタ、兄貴と円満に別れるって話だったじゃないか』とでも言ったらどうするの」
「その時は、ご納得いただけるまで謝罪とご説明をするつもりでしたが」
「それだけの腹が決まっているんならやっぱ俺が言うことは何もないでしょ。でもまあ、なんでまた兄貴の事を受け入れてみようと思ったわけ? そこはちょっと気にはなるんだけど」
「それは……」
 わざわざオーグに報告するほどだ。
 ルスターが簡単に決めた訳ではないのだろうと分かっているが。
 念のため尋ねると、ルスターは一瞬、思いを巡らせる様子を見せて。
「アルグ様が、私が想像していた以上に、きちんと私を見ていてくださったからでしょうか」
「ふぅん? それは具体的に俺が聞いていいもん?」
「長い話になってしまいますが」
「良いよ、別に。クッキー追加してくれるなら」
 わざとおどけた調子で先を促すオーグに、ルスターは笑って追加のクッキーを差し出す。
「実は、ほんの少し、私がアルグ様の従者であることについてトラブルがあったのですが……」
 詳しい内容を伏せつつ、エンブラント隊での出来事を説明すれば、オーグにも何があったのか大方の予想は付いたのだろう。ところどころ、ため息を付きつつ相槌を打ち。
「まるく収まったなら良いけどさ。アンタも意外と負けず嫌いなところがあるよね。つかさ、兄貴は何してんの。そういった事は、兄貴がちゃんと把握してアンタの事を守るべきじゃないの」
「アルグ様は、きちんと把握なされてましたよ」
「は?」
 オーグの反応に、ルスターは苦笑する。
 やはり普通は、『そういった』考えになるのだろう。
 ルスターも、ほんの少しばかり、アルグを疑ったのだ。
 ただしこちらは、気づいて『いない』から、何も『しなかった』という疑いだが。
「アルグ様は、私の状況を把握されておりました。ですが、私が『あえてアルグ様にご報告をあげなかった』旨を尊重されて、手出しをされていなかったのです」
 どういった事か、お分かりになりますか。と、オーグに視線を向ければ。
 兄弟だからアルグの思考が把握できたのか、それともルスターの言い分がわかったのか。
「なるほど……ね。そうだよな、ルスターさんも男なんだから、守られるだけってのは嫌だよなー。俺だってそうだわ」
 価値観のすり合わせっていうのは大事だよな、と、頷くオーグに、ルスターは、ああ、その言葉が今回のことを表すのに一番しっくり来るなと思った。 

 

 

 アルグが、己をあまりにも壊れ物に触るかのように対応するので。
 もしや従者という肩書が、ただの『側においておきたい』という願望だけのハリボテなのかと不安になったのだ。
 場合により、プライドを折ることも辞さないが、かと言ってまったく無いわけでもない。
 シエンの従者としても、アルグの従者としても。その役割を果たすために行ってきた努力と培った能力に対して自負があった。
 だから、ルスターの状況に気づいた時に、すぐにでも助けようとしてきたのなら、ルスターはアルグとの関係をきっぱりと終わらせようと思っていたのだ。
 しかしながら現実は、幸か不幸か。
 大した手を打たぬ副隊長にじれたらしい第4小隊の一人が、密かに順序を飛び越えてアルグへと報告を上げていたらしい。
 だがアルグは一言、ルスターへ『エンブラント隊で働き始めてしばらく経ったがどうだ。何か有るか』と確認をして。
 それにルスターが『まったく何も無いとは言えませんが、今のところは、まだご相談するほどのことはありません』とその目を見据えて返した事に、アルグはただ『そうか』と頷き、すべてを飲み込んだのだ。
 その後、いくらルスターとサーフの間で、承知の上の探り合いだったとはいえ。
 隊内で、行き過ぎた行動を取る者が居た事実と対処の顛末を、報告しないわけにはいかない。
 サーフと当事者であるルスターが連れ立って隊長室の扉を叩き、一連の始末を述べた時。
 アルグは一つ、ため息を付いて。
『私はお前たちのどちらの事も、信頼している。これからは私の補佐として、互いに協力しあってほしいが、言葉だけでそう言っても納得できない部分もあるだろう。……故に、今回のことは口出しを控えたが……どうだ、上手くやれそうか?』
 静かにそう言われ、ひたりと見つめてくるアルグの目には、ただの愛玩でなく、能力を伴った己の実像がたしかに結ばれていた。
 ルスターは改めて、アルグはまるっとすべてを分かっていながら、それでも、ルスターも、サーフのことも受け止めていたのだと再確認して。
 その瞬間、ルスターの中にじわじわと、アルグが、己の尊敬と、敬愛をささげるにふさわしい人物であった、という事実が湧き上がって、喜びで胸が震えた。
 そしてその時やっと、覚悟が腹の中で落ち着いたのだ。
 初めは一体、アルグはどうして己に対して恋情を抱いたのかさっぱりわからなくて。何かしら、誤って理想を抱かれているのでは、または、ただ稀有なことに見目が趣向に合致したのかとまで考え、ルスターはアルグの中での自分を図りそこねていたのだ。
 ただそれが、きちんと己という存在が認められていると、確信が出来て。
 ふらふらと舵の決まらなかった目的地がぴたり、と定まる。
 ここまで理解をされて、努力を傾けてくれる相手に、この先、出会えるのだろうか。
 夫婦生活は決して、性生活だけではない。基本的には精神性の寄り添いが何より必要だ。
 そう考えた時、アルグはルスターにとって、より理想的な位置にいる相手には間違いがなかった。
 己が怯えるからと言うだけで、同性として不憫に思うほど我慢を重ねるアルグの努力に対して、己は何を返したのかと思う。
 飽きやめることばかりに目を向けているのはどうなのか。
 抱擁に対する抵抗感も随分とはじめに比べて感じないどころか、人肌の心地よさを覚える程だ。
 ならば、努力次第で、この先もどうにかならぬものか。

 

 どうにか、してみるのが必要ではないかと。

 

「愛情と尊敬という土台はありますので、後はどれ位アルグ様のご要望を受け入れられるかというのが問題だと思うのです。……これは、ありがたいことにアルグ様が事を急がない方なので少しずつ『慣れ』という形で享受が出来るのでは、と」
「うんうん、それで良いんじゃないかな」
 恋愛感情というよりも、やはり敬愛が強いが、随分と前向きなプランを抱いてくれたルスターに、オーグは思ったよりも良い方向に転がってくれたと相槌を打つ。
 その後、ちゃっかりと土産のクッキーまでゲットし、兄の困難と思えた恋路にも明るい光がさして見え、めでたいことだと、足取り軽く家路について半ば。
 オーグはふと、何か忘れているような気がすると足を止めた。
 しかしながら、しばし頭を捻ってみるが一体それが『何か』は思い出せず。
 まあ、気のせいかと頭の片隅に疑問を追いやり。その日の夜、いそいそと妻のベッドへと潜り込もうとするも、明日は早いと放り出され。しょぼくれつつ己のベットへ潜り込んだ瞬間、パーンと疑問が弾けるようにオーグは思い出した。
 そう言えば己は、兄への忠告の際に「ルスター自身から」「明確なアプローチ」があるまで我慢しろと言ったような気がする。
 はたして、これから「前向きな努力を」と張り切るルスターはアルグの目から見てどう映るだろうか?
「………………………」
 脳裏に、『待て』を命令された犬へ、ルスターが笑顔で近づく姿が思い浮かぶ。
 犬がよだれを垂らして我慢しているのは、置かれた餌ではなく、ルスター自身だと気がつかずに、その口が『よし』を唱え――
「いやいやいやいや、流石にいくらなんでも大丈夫、兄貴だって其れくらいの判別は……」
 思わず声に出してつぶやいた言葉は、自分でも驚くほど頼りなく。今から忠告を、と思っても時は夜中を回っている。
 あの従者の性格からして、善は急げと、アクションを既に起こしていると想像に難くない。
 どう考えても、まったくもって、完全に。

 
 ――手遅れ、だろう。


「………………よし、寝よう」
 既に日は変わっているが、明日のことは明日考えるべきだと、何処かの偉い人が言っていたはず、と、オーグは半ばヤケクソぎみに目を閉じた。

 

 

 そして。
 一晩明けた次の早朝に。
 パンを口に運ぼうとしたしたその瞬間、鳴り響いた連絡器の受信音に嫌な予感を覚えつつ受話器を持ち上げてみれば。
「オーグ! ルスターが熱を出したんだが、見てくれないか!?」
「駄目だったかー!」
 焦った様子の愚兄がのたまった言葉に、オーグはその場に崩れ落ちる羽目になるのだった。

 
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