幽霊列車の夜

月這山中

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呪い

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「宮島、起きろ」

 ふいに声が聞こえ、運転席で眠っていた彼は顔を上げた。
 すぐ横に立っていたのは壮年の男だった。

 宮島と呼ばれた彼は立ち上がり、手袋をはめた手で帽子の鍔に軽く触れた。
 今日は早いですね。
 そのような軽口をはさむ間もなく男は続ける。

「今日の報告書はどうした」
「ああ、はい。少し待ってください」

 運転席の横に備えられた書類入れを探りはじめた。
 男は苛立った様子で首を動かし、その手元を観察していた。

 引き締められた口の両端には深い皺があり、鼻の右横に大きな黒子がある。
 腕は後ろ手に組まれたまま、半眼の目は鋭く彼を見下ろしている。
 男は彼と同じ形のコートと制帽を着ていた。

 車庫の中。
 灯りを抑えた車両後方は、闇に閉ざされている。






「―――おい、起きろ」

 私は慌てて寄りかかっていた背中を離し、足をもつれさせながら敬礼する。

「お前は寝ていても、周りが見えるわけか」

 上官は皮肉を言った。

「いえ、申し訳ありません」

 懲罰棒の痛さを思い出して身が固くなるが、上官はため息をついただけで歩き去った。

 硝子窓の向こう側にはまだ薄暗い大陸の風景が流れていく。

 特別列車に私は乗車していた。
 故障が起こった時以外は荷の積み降ろしや線路修繕、そして歩哨の手数として働く。
 貴賓車両には軍閥の位の高い者が乗っていた。はずだが、今となっては顔も思い出せない。
 小説さながらに列車へ飛び乗る阿呆な敵が居るはずもなく、そのようなことをするくらいなら線路に細工をする方が効率的なのだから、見張りの意義は私自身にも皆目見えなかった。

「まぁた怒られたな」

 若い声がした。
 対角に居た花石は軽薄な笑顔を浮かべていた。

「緊張感がない」
「さんざん言われた。だが誰しも死ぬ時は死ぬ。戦時は確率が少し上がるだけで何も変わらん」
「はっは。いつも通りの虚無主義か」

 同期の花石は幼い頃から家が近く、何かと絡んでくる。
 奴は社交的で、私は内向的な性格だった。長い付き合いではあるのだが、よくわからない男だ。おそらく互いにそう思っていただろう。

「そんなに列車が好きか」

 どうやらそれは私への質問だったらしい。
 半月型の目はこちらには向かわず、広大な大陸の景色を見ていた。

「お前は愛国心があるように見せかけているが、よく見りゃ全て上っ面だ。お前自身が人よりも機械のほうへ寄っているように、たまに思うよ」

 奴が使う『好き』はいつも女へ向けられるものだ。

 列車は乗っていればどこへも連れて行ってくれる。
 整備が足りなければ正直にサボり、世話をすれば飽きることなく働く。
 肉の歯車で出来た共同体よりもずっと精緻で誠実な存在だと考えていた。
 だがこれは信頼であり、恋慕とは程遠い感情だろう。先達のように機械の声が聞こえるわけでもない。

 私は命を捨てる覚悟があるわけでも、悟りきっている訳でもなかった。ただ、意志が弱かった。
 運行中の車内は母体の中に居るように安心できる。

 そこまで考えて私はただ短く、

「ああ」

 と、だけ答えた。
 花石は声を殺して笑い、ひとしきり肩を揺らしたあと、ため息をひとつ吐いた。
 その軽薄な顔はどこか残念そうにも見えた。

 思ったことを全て言う必要はない。機械に恋慕する類と思われようが、人非人と思われようが、どうでもいい。

「ところで例の奴だが」
「聞いている」
「どうもこの車両にいるらしい」

 噂は我々の間では公然の秘密として伝わっていた。
 奴らはわざわざ戦争がやりたいのだ。
 上の命令には逆らえないがゆえに、それは噂止まりにしかならない。

「お前もよく観察したほうがいいぞ」

 その言葉は、もしかしたら人間に興味が薄い私への、奴なりの助言だったのかも知れない。

 気が付けば線路は平野から潜り両側を土手に囲まれていた。
 レンガの橋下駄が見えてきたあたりで、不思議にゆるゆると減速しはじめたので、私は故障か、あるいは線路の異常かと身構えたところだった。

 轟音。

 車体が大きく揺れた。
 地震かと思ったが、それは脱線した車両が砕石を蹴とばしたためだと後にわかった。
 花石と私はとっさに身を低くして近くの座席を掴んだが、それも無意味だと数秒後にはわかった。

 天地が反転した。

 私の身体は投げ出され、鈍い衝撃が前頭部を襲った。







 私はいつの間にか、先頭車両に向かって歩いていた。
 目覚めた瞬間も、起き上がったことすら記憶にない。

 車両は幾度か転がったようだ。散乱した硝子を踏み、天地逆転した車内を進む。
 窓の外も見えなくなってしまった。
 暗い車内でも、不思議とどこに何があるかは分かった。

 この身はすでに死んでいるのだと思った。指の感覚は軍刀の柄と一体化しつつある。

 意識は、今にも倒れそうな重い肉体を運んでいた。
 何かを成すために。
 何のためにだったか。
 列車の鼓動が聞こえる。レールから外れ、石炭をくべる者も落としてしまったのに、今もなお動き続けている。

 歪んだ連結扉を開け、私は歩みを再開する。

「―――何を考えている」

 低い声が響いた。
 灯りの消えた車内に辛うじて見える。反対側の扉に立ちふさがる影がある。手元に反射光。小銃か。
 狭い車内で鉛弾を撃つものではない。それはこの男が言ったはずなのだが。なぜ構えている。
 窓の外はいまだ暗い闇が広がっている。光源のないこの場で何が小銃の表面を光らせたのか、不可解だがどうでもよかった。

 耳には不快な音が続いている。鼓膜が破れたのだろうか。
 顔を伝う粘性の液体に時節ぬるりと塊が流れ押されていく。顎を離れたそれは靴先に落ちた。

「もういい、どこへとも行け」

 顔は見えない。視線の気配だけが感じ取られる。鋭い目は、怨念すら込められている。

「状況は覆らない。進軍を止めることなど誰にもできはしない」

 男は言う。疲弊した私の意識はその意味の半分も汲み取ることができない。転換した車内をまた一歩進む。男の向こうに次の車両へ続く扉が見える。先頭へ。
 体が重い。眠ってしまいたい。早く、これを済ませてしまいたい。

「今更、命を賭して何になる」

 聞きなれた言葉だ。

「私は命を賭したのですか。一体、何に対して」
「もういいと言っている」

 ただ起こった問題をどうにかしようとした。
 私の両手には抜身の軍刀と鞘が握られていた。工具ではない。
 列車の故障個所のように、どこかが食い違っていた。問題があるはずだった。
 今更やってどうする。
 もういい。
 今更。

 どうにかしようと、そのつもりだったのだが。
 問題とは、何だったのだろうか。

 その時に、私の双眼からゆるく白い光が発せられていることに気が付いた。

「いいから早く眠ってくれ、―――」

 頭からまた一つ、何かがこぼれ落ちた。

「ああ、なるほどそうか、そういうことか」

 何かに気付いたように男の声が高くなった。
 嘲笑を含む。

「命に意味などないよな。命に意味を与えていたのは、いつだって天上の、誰とも分からぬ人間だ」

 影が揺れている。

「おれ達には最初から自由も、それを受容する意思も存在しないのだと言いたいのか。言われたまま目的を遂行するのが志向というわけか。全く、忠義に厚いどころか、まるでこの鉄屑と同じだ」

 立ちふさがる男は、言葉を発する。
 怨念すら込められた目。
 軍刀を握る手に力が入る。

「聞いているのか。おい、聞いているのかッ」

 怨念すら込められた目だ。
 頭に乗っていただけの帽子がずるりと、落ちて私の背に当たった。

 叫んでいた気がする。ざらついた息が喉に送り込まれていたからだ。
 弾を受けた気もする。二発、三発。頭を揺らす衝撃があったからだ。

 反転した列車は今も走ろうとしている。車輪が空を掻き、エンジンが車両を揺らしている。
 靴底を液体が浸食するのがわかる。

 頭からこぼれていくのは私自身の脳漿だと、後になって気付いた。

 右手に吊るした刀。
 使い方が荒いのだ。何度も注意された。無理に押し込む必要はないのだと。

 おびただしい血液を浴びたコートが音を立てる。
 もはや泥を跳ねたその跡も分からない。

 すぐに汚すのだ、お前は。
 聞きなれてしまった声だ。
 与えてくださったものをどうしたらそこまで粗雑に扱えるのだ。
 そうだ全ては私の注意不足であり、私の責任だ。

 怨念すら込められた目は、ただの記憶だ。

 あれほど忌避した肉を切る感触も今は何とも思わない。

 ただの記憶だ。実際にそれは見ていないし、声も届いてなどいない。
 じっと耳を澄ませる。

 あるのは列車の鼓動だけだ。
 今ここに、意志あるものは私しかいない。
 その後のことは知らない。もう終わりだ。意識が肉体ごと空気に溶けて消えてしまいそうだった。そうしたかった。

 何のためだったか。

 見知らぬ誰かのためだった、わけでもない。
 かといって、見知った友や、父母を想ったためでも、ないと思う。
 物言わぬ概念のために、戦ったわけでもない。

 私は。

 やがて獣が唸るような、低い振動が背後から襲ってきた。

 私は、欠けた刀を振るい、それを斬り払った。しかし何度倒しても、それは低い声を上げて私を追いかけてくる。
 低い声だ。
 怨念を込めた目だ。

 列車を捨てて逃げる。外は暗い闇だった。自分の足で逃げているうちにどういうわけか、私は遠く海を渡って実家の上空に浮かんでいた。悪夢のようだった。
 朝は決して来なかった。

 それから、十年、二十年……百年ほどだろうか。
 出来うる限り遠くへ方々へ逃げ続けたのだが、怨念を込めた目はいつまでも私の背後を付いて回った。私もある時、とうとう、諦めてしまった。

 これは自業自得だ。
 奴に捕まると、またあの時のような強い怒りが私を支配する。
 そうして奴を切り伏せると、今度は奴が怨嗟を吐きながら追ってくる。

 私は死んで怨霊となり、呪い殺した相手と終わらない連鎖を繰り返している。

 気付けば、どこか暗い山林の中に居た。
 私は膝を抱え、じっと耐えていた。
 背後にはあれが居た。地面に貼り付いて、延々とその声を発し続けていた。
 私は、もう怒りに支配されないために、自分の意識が終わるのを待つつもりだった。

「どうしたんだい」

 私の顔を覗き込む者がいた。
 老いた男で白い丸首シャツを着ている。温和に細められた目尻には無数の皺が刻まれていた。民間人か。老人は続けた。

「道がわからなくなってしまってね、よかったら、教えてもらえんか」
「それどころではない」
「どうして」
「………」

 私は後ろ手に、あれが貼り付いた地面を指さす。コートの袖は血が固まり、ひどくほつれていた。また縫わねば。
 老人は腰をまげてしばらくそちらを見ていたが、笑いながら首を傾げた。

「なんも居ないじゃないか」

 老人に見えていなかったなら、あれは私の幻覚なのだろうか。
 追われ逃げ続けてきたものは、すべて私の意識に貼り付いた影だったのなら、私はずっと、何をしていたのだろう。

「まあ、たぶんだけどな。逃げるから、つらいんじゃないかい」

 老人は変わらぬ調子で、笑みを深めた。

「怒りは無理して剥がすもんじゃないだろ。わしはもう、疲れてしまったけど。いつか許せる日も来るさ」

 許していなかったのは、あれのほうではなかったのか。

 老人はもういいかな。と呟き、背筋を伸ばして立ち上がった。

「この辺りに、わしの墓があるはずなんだよ。道案内してくれるかい」

 それから道に迷いながらも、私は老人を送り届けた。
 彼は列車の最初の乗客だった。

 朝は今も来ていない。
 しかし私の視界は、以前よりも晴れていた。







 書類に視線を走らせながら、上官だった男は小言を呟いている。

「ふん、効率が低いのではないか、洞崎。もう少し急げ」
「はあ。精進します」

 彼はそれらしく相槌を返す。
 『これ』が呼ぶ名前は、どれもかつての私の名前ではない。今はヤマグチと名乗る彼は内心でため息をつく。そういう彼もまた上官の名を思い出せなかった。

 かつて上官だったそれは書類を手にし、後方の暗闇へと歩き出した。
 それが去る時の靴音は、ひと際大きく響く。

「ところで、萩山よ」

 それは振り返った。

「今の仕事に誇りはあるか」

 今までにないパターンだ。
 ヤマグチは少し考えて、やがて答える。

「はい。今は」

 それの表情が、わずかに動いたようにも見えた。

「そうか。……そうだな、それならいい」

 厳格な上官は言葉を濁し、歩みを再開した。

 靴音が止むと、ヤマグチは車両後方へと向かった。
 最後尾の連結扉に、車内灯のわずかな灯りを反射する物がある。
 ヤマグチが渡した白紙の束が落ちていた。

 ヤマグチは紙束を拾い上げ、運転席へと戻った。



  了

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