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謝罪
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母は今朝も泣きはらしていた。
文化祭当日。
菊野千佐子は茶道具を洗っていた。部活で使うものは自分たちで手入れするのが先代から続く伝統だった。
訪れる生徒たちを想いながら丁寧に露を拭き取る。
「楽しみだね」
部員の香子が菊野に声をかける。体験入部のチラシも皆で作った。
学校での部活動が菊野の生きがいだった。
菊野は茶室に入り、その時を待った。
『菊野千佐子さん』
校内放送が流れた。
『お母さんが大好きな菊野千佐子さん、至急体育館まで来てください』
三つ上の姉は。
三つ上の姉は、才女と言われて親戚からも教師からも持てはやされた。母親からの期待も大きかった。
生徒会役員になり代表を務め、受験をクリアして名門の高校に入学した。
それがある日、中退して劇団員の男と結婚した。
抑圧から抜け出すための行動だというのは妹の千佐子から見てもよくわかった。
男の運転する車に乗って、新婚旅行へと向かう途中の高速道路で、対向車線から吹き飛んできた車に姉は押し潰された。
千佐子は最期まで押し潰されて終わった姉を可哀そうに思った。
一命をとりとめた義兄は退院後、家へ挨拶に来た。
手には観劇のチケットを持って。題名は覚えていない。母は追い返した。
彼なりの謝罪だということはなんとなく千佐子にもわかったが、不器用な人だなと思った。
母はそれから、毎日姉のことを考えている。
失われた姉との日々を見て、姉の声を思い出して、姉の姿を追って生活している。
千佐子はそんな母を慰めてやりたいと思って生活している。
千佐子は、己が姉の半分も優秀であればよかったと、思って生活している。
「何? 急に」
香子が言った。
部員たちがざわめく。
「行くことないよ。なんか変だもん、この放送」
「菊野さん、大丈夫?」
忠言は菊野の耳には入らなかった。
「行ってくるね」
菊野は立ち上がる。
急ぐことはなく、しかし立ち止まることもなく、喧騒の間を抜けて、菊野は体育館へ向かった。
体育館は薄暗かった。演劇部の公演があるはずだった。
映像がスクリーンに映し出されている。早弁、本屋でのスマホ撮影、更衣室でタオルを巻いて着替える男子生徒の映像。
風紀委員の女子生徒が舞台に上がり、「中止だ!」と叫んでいる。
千佐子はその姿を、その姿が受ける眼差しを、嫌なものだと思った。
「千佐子ちゃん」
低い声が届いた。
亡くなった姉の婚約者が、思い人が、義兄がいた。
どうしてここにいるのだろうか。
「千佐子ちゃん、なんか、様子が変なんだよ」
そんなことはわかっている。
菊野は舞台へ近付こうとした。その腕を引かれる。
パイプ椅子から立ち上がって彼は菊野を引き留める。
「やめておこう。危ないよ」
何が。
何が危ないというのか。
あなたは言ったのか。姉にも。その言葉を。
高速道路へ出る前に。
車へ乗せる前に。
学校をやめる前に。
「あああぁ……ッ!」
菊野は言葉にならない叫びをあげた。
腕を振り払おうと暴れる。肩が抑えられる。暴れる。
「千佐子ちゃん、やめて、千佐子ちゃん!」
逃げ出そうとするほど拘束は固くなる。
頬に冷たいものが流れる。
体育館の外。空が眩しい。
「いくら謝っても許されないと思っている」
その言葉すら上滑りしていて、本当に不器用な人だなと菊野は改めて思う。
義兄はクシャクシャになった観劇のチケットを出した。
「こんなもので許されようと、いや、自分の言葉の代替にしようとしてたことが、バカだったんだって気付いたよ」
チケットは二枚あった。
最初は彼女と見に行くつもりだった、と説明された。
菊野はその千切れそうなチケットを手に取った。
「……千佐子ちゃん」
「あの」
最後の涙をぬぐった。
「許すも何も、恨んでませんから」
菊野は言った。
帰って来ても、母は姉についての後悔で泣きはらしていた。
菊野は久しぶりに姉の仏壇に線香を上げ、手を合わせた。
了
文化祭当日。
菊野千佐子は茶道具を洗っていた。部活で使うものは自分たちで手入れするのが先代から続く伝統だった。
訪れる生徒たちを想いながら丁寧に露を拭き取る。
「楽しみだね」
部員の香子が菊野に声をかける。体験入部のチラシも皆で作った。
学校での部活動が菊野の生きがいだった。
菊野は茶室に入り、その時を待った。
『菊野千佐子さん』
校内放送が流れた。
『お母さんが大好きな菊野千佐子さん、至急体育館まで来てください』
三つ上の姉は。
三つ上の姉は、才女と言われて親戚からも教師からも持てはやされた。母親からの期待も大きかった。
生徒会役員になり代表を務め、受験をクリアして名門の高校に入学した。
それがある日、中退して劇団員の男と結婚した。
抑圧から抜け出すための行動だというのは妹の千佐子から見てもよくわかった。
男の運転する車に乗って、新婚旅行へと向かう途中の高速道路で、対向車線から吹き飛んできた車に姉は押し潰された。
千佐子は最期まで押し潰されて終わった姉を可哀そうに思った。
一命をとりとめた義兄は退院後、家へ挨拶に来た。
手には観劇のチケットを持って。題名は覚えていない。母は追い返した。
彼なりの謝罪だということはなんとなく千佐子にもわかったが、不器用な人だなと思った。
母はそれから、毎日姉のことを考えている。
失われた姉との日々を見て、姉の声を思い出して、姉の姿を追って生活している。
千佐子はそんな母を慰めてやりたいと思って生活している。
千佐子は、己が姉の半分も優秀であればよかったと、思って生活している。
「何? 急に」
香子が言った。
部員たちがざわめく。
「行くことないよ。なんか変だもん、この放送」
「菊野さん、大丈夫?」
忠言は菊野の耳には入らなかった。
「行ってくるね」
菊野は立ち上がる。
急ぐことはなく、しかし立ち止まることもなく、喧騒の間を抜けて、菊野は体育館へ向かった。
体育館は薄暗かった。演劇部の公演があるはずだった。
映像がスクリーンに映し出されている。早弁、本屋でのスマホ撮影、更衣室でタオルを巻いて着替える男子生徒の映像。
風紀委員の女子生徒が舞台に上がり、「中止だ!」と叫んでいる。
千佐子はその姿を、その姿が受ける眼差しを、嫌なものだと思った。
「千佐子ちゃん」
低い声が届いた。
亡くなった姉の婚約者が、思い人が、義兄がいた。
どうしてここにいるのだろうか。
「千佐子ちゃん、なんか、様子が変なんだよ」
そんなことはわかっている。
菊野は舞台へ近付こうとした。その腕を引かれる。
パイプ椅子から立ち上がって彼は菊野を引き留める。
「やめておこう。危ないよ」
何が。
何が危ないというのか。
あなたは言ったのか。姉にも。その言葉を。
高速道路へ出る前に。
車へ乗せる前に。
学校をやめる前に。
「あああぁ……ッ!」
菊野は言葉にならない叫びをあげた。
腕を振り払おうと暴れる。肩が抑えられる。暴れる。
「千佐子ちゃん、やめて、千佐子ちゃん!」
逃げ出そうとするほど拘束は固くなる。
頬に冷たいものが流れる。
体育館の外。空が眩しい。
「いくら謝っても許されないと思っている」
その言葉すら上滑りしていて、本当に不器用な人だなと菊野は改めて思う。
義兄はクシャクシャになった観劇のチケットを出した。
「こんなもので許されようと、いや、自分の言葉の代替にしようとしてたことが、バカだったんだって気付いたよ」
チケットは二枚あった。
最初は彼女と見に行くつもりだった、と説明された。
菊野はその千切れそうなチケットを手に取った。
「……千佐子ちゃん」
「あの」
最後の涙をぬぐった。
「許すも何も、恨んでませんから」
菊野は言った。
帰って来ても、母は姉についての後悔で泣きはらしていた。
菊野は久しぶりに姉の仏壇に線香を上げ、手を合わせた。
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