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1章 旅立ち
9話 陰陽師、窮地におちいる
しおりを挟む刀岐家は昨日に劣らず、忙しなかった。
貴族たちは二日酔いの頭で烏天狗襲撃の事後対応、下働きたちも宿泊客の世話にくわえ、祝宴の後片付けを迫られたからだ。
だがその忙しなさの最中のことだ。
突如として屋敷中の陰陽師が、右衛門の命令によって寝殿へと集められた。
(なんなんだ……?)
陰陽術の心得があるものは全員集合――とのことだったので、清士郎もどういうことかと疑問に思いながらも、その場にやってきていた。
母屋にはすでに大勢の陰陽師が集い、その中には右衛門にくわえ、善吉と幸吉の姿もあった。
体中が巻木綿でぐるぐる巻きだが、至って元気に見える。凍砂が手酷く痛めつけていたので心配していたが、問題なさそうだ。叡明一行の中に優秀な癒術使いがいたのだろう。
(あ……)
嫌な顔を見つけ、顔を引きつらせる清士郎。
叡明が東満と共に現れたのだ。
清士郎は今世ではれっきとした人間。だから何も怯える必要はないはずだが、それでも叡明の姿を見ると本能的に体が萎縮してしまう。
一方、清士郎と真逆の反応のものもいた。
凍砂である。
「あの男……よくも玉藻さまの御前にぬけぬけと! 今すぐこの手で八つ裂きに――ふがっ!」
胸元から顔を出し、にわかに殺気をにじませる凍砂を胸に押しこむ。
「余計なことをしたら……許さないからな」
「し、しかしいいぃ……っ!」
無言で圧をかけると、凍砂は不服そうではあったものの、しゅんと大人しくなった。
右衛門が口を開く。
「それで叡明さま……ご命令通りに皆を集めましたが、どうなさったのです?」
集めるように命じたのは叡明らしい。
(嫌な予感がするな……)
眉をひそめ、屏風の裏に身を引く清士郎。
それはわたしから~、と東満が歩み出る。
陰陽師たちの注目が集まる。
「実は人をさがしてるんだよねぇ」
人でございますか? と首を傾げる右衛門。
「昨晩、強大な獣のモノノ怪が出現したってのは……ご自慢の双子ちゃんがこっぴどくやられたから知ってると思うんだけど~」
「あ……ああ、はい存じております」
右衛門が気まずそうな顔をする中、東満はニヤリと煽る視線を双子に送る。すると双子は傍目からわかるほどに悔しげに歯噛みしていた。
だが反論したげな顔をしたところで、東満は見計らったように続ける。
「実はそのモノノ怪の相手をしていたっていう陰陽師をさがしてるんだよね~」
「なるほど、あの“裂”の……でございますね」
上級のモノノ怪と相対し、上等陰陽師並の“裂”の痕跡を残した謎の陰陽師。その存在は一夜にして屋敷中のうわさになっていたのだ。
それほどの実力を持つ陰陽師は、陰陽寮にすら数えられるほどしかいない。こんな辺境にそれほどの才が眠っていたとすれば、こうして大々的にさがそうとするのも当然だった。
「うん、心当たりある人~?」
『……』
東満は訊ねるが、返答はなかった。
誰も心当たりはないらしい。
――清士郎をのぞいて、だが。
(まずい……死ぬ)
完璧な澄まし顔で取りつくろいつつ、内心で焦りに焦りまくる清士郎。
ドクドクドクドク、と。
先ほどから心臓が早鐘を打ち、気を抜いたら飛びでそうだった。
(いや……落ちつけ)
自分に言い聞かせる。
こうしてわざわざ陰陽師を集めて訊ねているということは、清士郎を特定する術がないという証拠である。襤褸を出さねばバレないのだ。
「ふむ……誰も心当たりはないようですが、どうなさいますかな?」
やれやれと肩をすくめる右衛門。
そう、特定は不可能。あの“裂”の痕跡だけで清士郎にたどりつけるはずもない。
清士郎が安堵しかけたときだった。
「じゃ、この靴を履いてもらおうか~」
東満は薄汚れた靴を取りだした。
(あ、あの靴は……!)
清士郎の靴だった。
間違いない。
凍砂との交戦中に脱ぎ捨てた靴だ。
(くっ、無理にでも回収しておけば……)
昨晩の時点で靴のことには気づいていた。
だが回収に戻れば人に遭う危険があると思い、今日時間ができたらさがそうと思っていたのだ。まさかもう拾われていたとは。
「はて、その靴はいったい……?」
「“烈”の現場に残ってたやつだよ~。これがけっこう小さくてさぁ、これを履けるものがいたらそういうことだよね~ってわけ」
じゃあ一人ずつ履いてもらおうかぁ、と東満は皆を一列に並ばせる。
(あれを履かされたら……まずい)
清士郎は寝殿から脱出せねばと思い、じりじりと忍び足で後ずさった。
だがそのとき、乱暴に背を押される。
「おい清士郎、何をぼーっと突っ立っとる!」
鬼のような形相の右衛門であった。
「あ……いや、申し訳ありません」
「御託はいい、さっさとお二方を手伝わんか! 右大臣さま方の手を煩わせ、わたしの顔に泥を塗るつもりか! ほれ、早く行かんか!」
「え……だけど僕は! ちょ……待っ!」
弁明の隙も与えられず、強引に叡明と東満の前に突きだされる清士郎。
処刑台に連行された気分だった。
二人の視線がこちらに集まる。
それだけで脳裏に走馬灯が駆けめぐりそうになったものの、清士郎はどうにかぎりぎりで持ちこたえ、その刹那で最善策をさがす。
(ここは……)
今から逃げる択はない。
何か理由をつけようとしても右衛門は許してくれまいし、その過程で叡明たちに注目され、結局はあの靴を履かされてしまう気がする。
(……地味に、とにかく地味に)
陰陽術の心得のないただの下働きの童を演じ、何食わぬ顔でやり過ごすしかない。
「あの、僕……手伝います」
「ん、ああ助かるよ~! だるくてさぁ」
清士郎は微笑で東満から靴を受けとる。
そしてひとりひとりに自身の襤褸靴を順に手渡し、試し履きしてもらう。
『んぐ……想像以上に小さい』
『合うどころかまったく入らんな』
『わたしにもきつそうだ』
もちろん、合うものはいない。
当たり前だ。
清士郎は齢一三とここでは最年少なのにくわえ、元々の体も小さい。その靴を履けるものが、そうそういるはずもない。
そもそも足が入らないものばかりで、試し履きはさくさくと進んだ。
半刻後――
「……やっぱりいない、かぁ」
一通り試し終え、やれやれ息をつく東満。
「他には本当にもういないの~?」
もう一度呼びかけるものの、みな顔を見合わせるだけだった。本当に全員試し終えたのだろう。
「いないようですねぇ……どします、叡明さま~? もう解散にしちゃいますかぁ?」
「ふむ……」
どうやら何事もなく終わるらしい。
一安心である。
二人が話しあっているその間に――
「じゃ、僕はこれで……」
清士郎は誰にも聞こえぬような小声で言い、そそくさと退散せんとする。
だがそのときだ。
「そこの童……待て」
叡明の声が、静かに響く。
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