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3話 彼女がここにいる理由
しおりを挟む彼女はお嬢ではないと言う。俺とも初対面だと。
だが、人違いと言うにはあまりにも似すぎている。雰囲気、優しさ、そして声。
俺が――黒羽組の狂犬、狩巣野秘隙が仕えるべきは黒羽楓ただひとり。
それは異世界に転生しようが変わらない。
そして、目の前にはお嬢と瓜二つの少女。
確かに違いもある。髪色が違う。目がしっかり見えている。何より自らの足で立って、動いている。
もし生前のお嬢がこうであったなら、どんなに素晴らしいだろう――そんな思いがよぎって、感動してしまうほどに。
これは、奇跡ではなかろうか。
お嬢はケルアとしてこの世界に転生していて、今はただ、生前の記憶を失っているだけの、奇跡。
ヤクザは、験を担ぐ。
ウダウダ悩むのは、俺らしくない。
そのときだ。ふとケルアが小さく微笑んだ。まるで何かを諦めたような笑み。
「ごめんね。ここでお別れしよ」
「は……!?」
「最後にヒスキさんと会えてよかったよ。おっきくなれる子犬さんとお話しするなんて、素敵な体験もできたんだし。でもダメだなあ、私。助けようとして助けられちゃうんだもの。あはは……」
「いや、そんなことは」
「私と一緒にいても意味ないよ。その『お嬢』ってひと、早く見つかるといいね。ヒスキさん」
「ちょっと待ってくだせえ。いったいぜんたい、どういうことです、それは!?」
思わずそう口走る。するとケルアは答えた。
「私は疎まれた子だから。邪魔者だから」
「邪魔者、ですって……!?」
その表情が、言葉が、諦念の微笑みが、生前のお嬢とダブる。
「私といても、いいことないよ。それじゃあ、さよなら……」
踵を返すケルア。行く当てもなく彷徨うつもりなのか。
無意識に叫んでいた。
「お嬢ッ! 待ってくれ!! 行くな!!!」
「――きゃん!」
可愛らしい悲鳴が聞こえた。
泥濘に足を取られて、コテッとずっこける。そのまま池に前のめりでダイブし、水しぶきとともにそのままブクブクと……。
「うわあああっ!!? お嬢おおおっ!??」
動転した俺は慌てて池に飛び込む。無我夢中で『戌』モードに変身すると、そのまま彼女を助け出した。
全身ずぶ濡れになったケルアは、なぜだかひどく落ち込んでいた。
「うう……。また落ちた……。私のドジ……」
「いや、まあ、人間得意不得意はありますぜ」
とりあえず慰める俺。助け出せて気が抜けたせいか、すぐにイッヌモードに戻ってしまう。
「ごめんね。また助けられちゃった。……へぷし!」
「お嬢。とりあえず濡れた衣服を乾かさねば。そのままじゃ風邪を引きますぜ」
「ううん、平気……。私にはこれくらいグダグダが似合ってるの……」
「むむぅ。そうだお嬢。俺のこの身体を使って下せえ」
前脚を上げて万歳アピールをする。これも神獣としての能力なのか、身体についた水滴はあっという間に乾いていた。
「ほら、ご覧くだせえ。この滑らかかつふわもこの身体を! スポンジタオルとしてぴったりじゃねえですか。さあ、遠慮なくこれで濡れたお身体を拭いてください! さあ!」
「……ふふっ。ヒスキさん、面白い」
暗く落ち込んでいたケルアの表情に、ようやく笑みが戻った。やはり笑う仕草まで生前のお嬢に似ている。
「そ、それじゃあ遠慮なく……ふわぁ……!」
「おおうっ!?」
イッヌな俺の身体を抱き上げた彼女は、お腹に頬ずりを始めた。妙な感覚に妙な声を上げてしまう。ちっ、このくらいの辱め、我慢しろや狩巣野秘隙! てめえはポン刀ブッ刺さっても平気なツラぁしてただろうがよ!
「すりすりすり……。すりすりすり……」
「うわっほぉっ!??」
やべえ。ケルアがマジで遠慮なくなってきてる。身動きできねぇ……。
つうか、これじゃあ身体拭けてなくない? 全身ずぶ濡れから改善できてねえぞ?
「へっくち!」
「ああもう。言わんこっちゃない」
くしゃみをした拍子に抱きつきが緩んだので、俺は地面に降り立った。そのまま毛並みを押しつけながら、猫のようにグルグルと彼女の周りを回る。ケルアは無邪気に喜んでいた。
「不思議。ヒスキさんと一緒にいると、暗い気持ちが軽くなってく」
「お嬢……」
「もう。私はお嬢じゃないってば」
タイミングを見計らって、俺は改めて尋ねた。
「お嬢――じゃない、ケルア。教えてくだせえ。疎まれた子って、どういうことですかい?」
「うん……」
体育座りで膝頭に頬を乗っけたまま、彼女は語り出した。
「私、故郷の村を出てきたの。村の皆に……嫌われちゃってたから。このままいたら迷惑になる。だから私がいなくなれば、皆、きっと幸せになれるって思って。大事な友達も、私のせいで……」
口ごもる。
まさか、この世界でも居場所を失っていたとは。しかも人知れず命を絶とうと。
だからこんな人の気配がない森にひとりで入ったのだ。サバイバルできるタイプではないにもかかわらず、無謀にも。
彼女を嫌い、ハブる奴ら――か。
「仰って下されば、そんな連中灰皿にドタマはめ込んでわからせて差し上げたのに」
「え?」
「いえ何でも。続けてくだせえ。どうして疎まれることに?」
危うく狂犬の本性が牙を剥きそうになって、俺は話題を戻した。
するとなぜか、ケルアは自分の口を手で押さえた。声のボリュームも抑えるので、俺は彼女の口元に顔を近づけ、耳を立てる。
ケルアは言った。
「私の声、ちょっとおかしいみたいなの」
「おかしい? なぜ? 耳に心地良い、優しい声音じゃないですか」
「そう、なの? えへ。ありがとう。嬉しい」
ちょっとはにかんでから、彼女は続ける。
「詳しいことはよくわからないんだけど……私の声が、いつからか『オーク』を呼び寄せるようになったみたいなの。それで、村の皆が困って、怖がって、私から離れていった」
「オーク!? あの、異世界転生モノには必ずといってもいいほど登場するブタ顔筋肉質の亜人種で主人公の強さを紹介するためだけのザ・やられ役に甘んじる一方、特定ジャンルにおいては不動のレギュラーたるたくましさ太ましさを見せるあのオーク!!?」
「……? 早口でよくわからない……」
「すみません忘れて下さって結構です。まだ識るには早すぎるので」
「ちょっと、知りたい」
「ダメです」
「私、オークのことをもっと知らないといけないの。だって――」
そこで口ごもるケルア。
俺は少し考えを改めた。どうやら、この世界のオークは俺が思うほど単純なケモノではないらしい。特に彼女にとっては、何か含みがある相手のようだ。
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