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29話 決意と覚悟
しおりを挟むオークどもが雑音を放つ中、俺は舎弟とじっと目を合わせる。
最初は驚きで固まっていたイティスの顔。それがふと、「くしゃり」と歪んだ。小さな子が涙とともに感情を溢れさせる瞬間のそれ、だ。
涙が目尻から溢れ出すところで、イティスはこらえた。
剣を握った手で、目元を拭う。俺は穏やかに言った。
「武器を持ったまま目をこするのはやめろ。危ねえぞ」
「うん。わかった兄貴様。それと、もう泣かない」
そう応えた舎弟の表情から、怯えが取れていく。
代わりに、強い決意を秘めた、いい面構えになる。
俺は口元を引き上げた。
「頼んだぞ」
「うん」
もう一度頷く舎弟。
「お嬢」
前脚にしがみついたままのお嬢にそっと声をかける。
「ここは危険です。どうか俺と――舎弟に任せて、お下がり下さい」
静かに告げると、お嬢は躊躇いがちに手を離した。数歩距離を取ったのを確認して、俺はゆっくりと歩き出す。
オークどもの眼前へと。
「ポン刀聖女。抜かるな。てめえの実力見せてみろ」
『はい。お任せ下さいませ』
初めて聞く真剣で頼もしいポン刀聖女の言葉。俺は満足した。
改めて、オークに向き直る。己と味方を鼓舞するように吠えた。
「さあ。かかってこいやぁっ!!」
同時に前に出る。
ポン刀がなくとも、俺には神獣の肉体がある。鋭い爪がある。オークを地面に叩き伏せるには十分だ。
兄貴分として、舎弟に見せられる背中でなければならない。
菊花の輝きとともに、前脚を一閃。
前方のオークどもがまとめて宙を舞った。
「はああああっ!」
後方で気合いの声。
腹を決めたイティスが、地面を蹴った。右手に聖剣、左手に木刀を構え、まっすぐにオーク村長へ向かっていく。
「あたしは、ケルアを守るんだッ! 兄貴様と一緒にッ!!」
拙い剣さばきに裂帛の気迫を乗せて、オーク村長の腹を十字に切り裂く。
聖剣の力か、それとも神獣の力か。
本来なら血漿ぶちまけ臓物を垂れ流すところ、オーク村長の身体にはただ、美しく白く輝く斬撃痕が刻まれる。
「ふーっ、ふーっ」
「止まるなイティス! 足を狙え! 地面を抱かせて無力化しろ! もう一撃だ!!」
荒い呼吸で動きを止めた舎弟を、大声で叱咤する。
するとイティスは、目を見張るような素早さで剣を振るった。どこで覚えたのか、踊るように回転しながら左右の武器で一閃ずつ、オーク村長の膝関節を狙う。
オーク村長の汚い声が途切れる。
ぐらりと身体を傾け、そのまま前のめりに倒れた。
間一髪で下敷きを免れたイティスは、荒い息のまま言った。
「村長さん! ケルアにひどいこと言った報いだよ。そこでしばらく寝てて。お願い!」
俺は思わず笑みを零した。
しばらく寝てて、お願い――か。オーク相手に大した配慮だ。
だが。
「よくやった! 上出来だ!」
「見てて、兄貴様。ケルア。ふたりのために、あたしは戦うよ。これからも。そう決めたんだ。今!」
俺の賞賛にも振り返ることなく、イティスは叫ぶ。荒い息のまま、油断なく武器を構える。
一皮剥けたなと俺は思った。
一線を越える一歩――それは時として、本能に酔ってでも乗り越えなければならない大きなものだ。
舎弟は、それを越えた。
騎士になるための重要な一歩だ。
手近なオークをなぎ倒しながら、ぎゅっと口を閉ざす俺。
(舎弟が越えたなら……俺は最後まで奴のケツを持たなけりゃならんな)
それが、一歩を踏み越えさせた俺のケジメだ。
腹をくくった舎弟と、あいつに力を貸すポン刀聖女、そして神獣の俺。
3つの強烈な嵐が、舐め腐ったオークどもを次々と戦闘不能にしていく。
シーカが言ったとおり、聖剣を一時的に託せばオークどもを消滅させずに済む。心置きなく天誅を下せる。
そう思っていた。
確かに、途中まではそうだったのだ。
しかし――。
「あ、兄貴様……!」
イティスが戸惑いの声を上げる。
「いくら倒しても倒しても、皆、全然元に戻らないよっ」
「チッ。おいポン刀聖女、どういうことだ。てめぇの力は奴らの『理不尽』を切り離すんじゃなかったのか!?」
『や、やってますよぅ!』
「じゃあ何でまったく変化がないんだコイツら!」
「うう……もしかしてこのまま皆、元に戻らないの……?」
「しっかりしろイティス!」
途端に剣の振りが鈍るイティス。
いくら覚悟を決めたと言っても、まだ10歳の子ども。精神の方に限界が来てもおかしくない。すでに顔が半泣きの状態になっている。
俺はもう一度、ポン刀聖女を問い質した。
「シーカ!」
『確かに、アタシの力は彼らに届いています! オークたらしめる『理不尽』からも切り離し続けてます! けど……』
シーカもまた戸惑いを表すように、刀身の輝きを明滅させる。
『他ならぬご主人やイティス嬢が、彼らに新たな恐怖をもたらしているのかも……』
その言葉に、イティスの足が止まる。慌ててポン刀聖女は言い足した。
『い、いえ! これが仕方のないことだとは理解しているのですよ!? ご主人もイティス嬢も、彼らのためを思って加減をしているのは、アタシも重々承知しておりますとも! アタシだってそうです!』
「シーカちゃん……それって、あたしたちが暴力を振るっちゃだめってこと……? ケルアがあんなに苦しんでるのに……?」
『あ……いや、その。……残念ながら、そう言わざるを得ないかと』
ポン刀聖女が言い淀む。ここで適当な言葉で誤魔化さないのは好感が持てた。
――所詮、俺はヤクザである。
暴力とは切り離せない。
これは宿命であり、天命なのだろう。
俺は言った。
「イティス。お前は下がれ。もう十分に功を立てた」
「あ、兄貴様!?」
「まだまだガキのお前が、ヤクザの宿命に苦しむ必要はない。『やれ』と命じたのはこの俺だ。お前はそのとおりに動き、役目を果たした。覚悟を決め、それを示した。今はそれだけ頭に入れておけ」
戌モードの巨体で、地面を踏みしめる。
「後ろ指を指されるのは俺だけでいい。お前のケツはきちんと持ってやる」
――自分が正しいと信じてやったことが、裏目に出ることなんて腐るほどある。腐るほどあった。腐るほどあって、何度も腐した。
だがな。
腹ん中にぐちゃぐちゃ抱え込みながら、それでも前に進むのだ。
命を賭けて決めたことに、後からごちゃごちゃ愚痴をぶつけることほどダセぇことはない。
飲み込めヒスキ。
てめえの腹の皮は、このときのためにたっぷり厚くしておいたハズだろ?
「兄貴様……」
俺の背中を見て、イティスがつぶやく。こいつが何を思ったのかはわからない。今は余計なことを思い悩むなと言ってやりたい。
まだ立っているオークはいる。
奴らを全員叩き伏して、お嬢への暴言を止めさせる。
……最悪、俺が悪者になってでも、こいつらを止める。そのときは、悪いが道連れになってもらうぞ。ポン刀聖女。
感情の昂ぶりに呼応して、菊花の輝きが溢れる。
そのときだった。
「やめて、ヒスキさん。その場に……伏せなさい」
決意を込めたお嬢の声が響いたのだ。
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