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40話 湖底での戦い
しおりを挟むポン刀聖女が漏らした一言に、俺は眉をひそめた。
「どうした、シーカ」
『ご主人。今何か、妙な気配がしませんでしたか?』
「妙な気配?」
『はい。こう……すっごくネトっとして、ビチャっとして、ズリズリって感じの妙な気配です』
「普通に嫌すぎる擬音やめろ。お前が言うといかがわしく聞こえてたまったもんじゃねえ」
『言われてみれば確かにいかがわしい響き!』
「納得すんな。……まあでも、お前の感覚は信用しよう」
ポン刀を鞘から引き抜く。驚くお嬢たちには、「念のためです」と目で伝えた。
それから俺たちは、慎重にティレトーの葉橋を渡り始める。
「意外とふかふかなんだね、葉っぱの上って」
足踏みをしながらイティスが言う。ティレトーの葉をそのまま巨大化させたからだろう。足裏から伝わってくる感触は、確かに柔らかい。だが強度は十分だ。茎の部分が強固に絡まり合っているので、俺たち3人が上を歩いたくらいではびくともしない。
ティレトーの巨大化によって湖の底が引っかき回されたせいか、水面が少し濁ってポコポコ気泡が弾けている。その色と音が邪魔で、水中で何が起きているのか判断できない。
(嫌な感じだぜ)
葉橋を半分ほど渡ったころ。
スキップして足下の感触を楽しむ舎弟に、俺は苦言を言った。
「おいイティス。浮かれてないでもうちょっと周りを警戒しろ」
「はーい。……うわっと」
葉が膨らんだ部分に足を取られてバランスを崩し、その場に尻餅をつくイティス。お嬢が「大丈夫?」と心配そうに駆け寄った。
その瞬間であった。
『ケルア嬢!』
「え?」
いち早く警告の声を上げたシーカに、お嬢が振り返る。
巨大で細長い影が屹立していた。
同時に、巻き上げられた湖の水がシャワーとなって俺たちに降り注ぐ。
「きゃああっ!?」
「お嬢ッ!」
シャワーに紛れて、何かがお嬢の手足に絡みついた。あれは――触手か!?
轟音を上げて、葉橋のすぐ脇に触手の持ち主が姿を現す。
そいつは、巨大なタコだった。
しかも、グロテスクな目と目の間にオークの顔がくっついている。これ以上ないほど気味の悪い、タコオークだった。
「や……んんっ!」
『ぶふぉっふっ!?』
声を上げるお嬢とポン刀聖女。
お嬢は触手に巻き付かれて苦悶の表情。
ポン刀聖女は、触手に巻き付かれ悶えるお嬢に悶えるというクソムーブをカマしている。この野郎。
「クソ変態オタクが感じた違和感の正体は、てめぇだったのか。タコオーク……!」
『あれ? 何気にアタシ貶されてます?』
青筋を浮かべる俺。
お嬢に手を出した報いは、キッチリ受けてもらうぞ。
雄叫びと共に『戌モード』へ変身。魔力の高鳴りに呼応して、ポン刀聖女も慌ててサイズアップする。
そのまま、お嬢を捕らえている触手に斬りかかった。抵抗らしい抵抗もなく、両断に成功する。
解放されて葉橋の上に尻餅をつくお嬢。すかさずイティスが駆け寄って守る。その動きに俺は口元を緩める。
(よーし、いいぞ。半人前舎弟め。自覚ってもんが出てきたじゃねえか。俺はこのまま奴を)
――と思った次の瞬間だった。
ティレトーの葉橋に着地した俺の身体が、ぐらりと傾く。
「チィッ!」
「ヒスキさん!?」
「兄貴様!?」
「離れてくだせえ、お嬢!」
叫ぶ。
バランスを崩した原因は、葉橋の耐久性にあった。巨大化した戌モードの重さに、葉橋が耐えられなかったのだ。俺が足を置いた部分の葉が、ぐにゃりとたわむ。
(イッヌ状態の【カシワブラッド】じゃあ、強度が足りなかったか……! だが幸い、お嬢たちが立っている場所までは影響が広がっていない。これなら)
『ご主人!』
シーカが警告する。
バランスを崩し、お嬢たちに意識が向いた俺の隙。そこを突いて、タコオークの触手が俺の足に絡みついてきたのだ。
そのまま、強引に俺を湖へと引きずり込む。
「上等じゃねえか、このタコ」
鞘から抜きはなったポン刀で、鬱陶しい触手を切り刻む。直後、水中に派手にドボンした。
戌モードであっても、やはり水に浮くのは厳しいようだ。どんどんと水底へと沈んでいく俺の身体。
だが呼吸は相変わらず問題ない。
俺は落ち着いて、水中の様子を見極めた。
【カシワブラッド】で巨大化した無数のティレトーにより、湖底は大きく様変わりしていた。生長したティレトーに土砂が押し出されたことで、湖底に埋まっていた街の残骸が露わになったのだ。
クソ忌々しい敵の存在も、そこで明らかになった。
湖底にぽっかりと開いた空洞。そこに、巨大で気持ちの悪い、オーク顔のタコが潜んでいた。
大方、これまでは土砂の下で眠るか何かしていたのだろう。
(寝床を引っかき回されておかんむりか? だがてめえはお嬢にまで手を出した。喧嘩を売った相手が悪かったと、後悔させてやる)
牙を剥き出しにして唸る俺。
『あんなオーク、見たことがありません。うええぇ……』
シーカが吐きそうな声を出す。タコオークのビジュアルが気持ち悪いのだろう。俺も同感だ。
奴は触手をうねうね動かしながら、こちらの様子を伺っている。図体はでかいが、威圧感はない。
『ご主人。水中ではご主人が不利です。どうされますか?』
(決まっている。完膚なきまでにぶった斬るんだよ)
『アタシもそのご意見には完全同意ですが。ケルア嬢の柔肌を穢した罪は万死に値しますし。あんなにもみもみと。タコの分際で――あ、だんだんアタシもムカムカしてきました』
(だったら俺に合わせろ。一撃で決めるぞ)
ポン刀を構える。同時に魔力を溢れさせた。
タコオークが反応する。湖底のさらに下に潜り込もうとしているのだ。
させるか。
俺は【カシワブラッド】を発動させる。すでに巨大化していたティレトーと幹から、さらに別の葉が複数生えてきた。それらはまるで意志を持っているかのように、俺の元へ集まってくる。
イッヌ状態と違って、今は全開の戌モードだ。【カシワブラッド】で操った植物の力も、桁違いに上昇している。
ティレトーの葉が俺の身体に巻き付き、高速で運んでいく。水圧なんぞもろともせず、一気にタコオークの眼前に迫った。
慌てたタコオークは、苦し紛れに触手を振ってきた。
だが、遅い。弱い。
まるで鬱陶しいハエを叩き落とすように、意志を持ったティレトーの葉が触手を弾き、あるいは上からねじ伏せていく。
奴の足は8本きりだが、こっちはその数十倍の数のティレトーを操れる。あっという間に奴の攻撃手段のすべてを封じた。もがくタコオーク。だが、無駄だ。後悔しても遅え。
俺のお嬢に手を出したこと、地獄で永遠に悔いるがいいわ!
ポン刀が聖なる輝きを放つ。
(往生せいやああああっ!!)
一閃。
村では手加減せざるを得なかったが、今度は違う。
神獣と聖剣の力が合わさり、タコオークをいともあっさりと両断した。
それだけでなく、湖底すらも真一文字に引き裂く。
着底した俺は、油断なくタコオークの残骸をにらみ据える。
奴からの反撃はなかった。
タコオークの身体は、やがて光の粒となって消滅していった。
『勝負ありですね』
(あっけねえな)
心の中で吐き捨て、ポン刀を収めたときである。
(ぼ――僕の触手ぅぅー……!)
そんな気味悪い声が聞こえてきたのは。
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