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55話 異空間書庫で見たもの
しおりを挟む失礼な声かけに牙を剥いてから、俺はファンマとともに隠し部屋の中に入った。
浮かれた気持ちを引き締める。今の俺はイッヌ状態、しかもポン刀聖女をお嬢の警護(とブロンテンへの見張り)に付けてきたため、ほぼ丸腰の状態だ。
だがまあ、鉄砲玉になるのは慣れてる。若い頃さんざんやってきたことだ。
これでお嬢の修行への地ならしができるのなら、安い物だ。
見回すと、そこは薄暗い空間だった。
床がぼんやりと光っている。
レフテの館長室は大図書館の最上階だったはずなのに、この隠し書庫は天井が見えない。同様に奥行きも左右の壁も見えなかった。
空間が歪んでいるのだ。
「さすが大図書館の奥。迷ったら大変だな」
呟きながら歩を進める。
空間内には巨大な本棚がいくつも並ぶ。歪んだ空間らしく、中には空中に浮かんでいるものもあった。
ファンマは物珍しそうに辺りを見回している。俺は尋ねた。
「お前、この書庫に来たことはないのか?」
『実際に入ったのは数えるほど。入る度に景色が違う。今日は特別、変』
「変?」
『今まで一番、広くて大きい』
空間が歪んでいるだけじゃなく、書庫自体が生きているような感じなのか。
しかし、だったらどうやって本を活性化させればいいのか。とりあえず近場の本でも見てみるか?
「ファンマ。そこの本を取ってくれ。何て書いてあるんだ?」
『……わからない。タイトルない』
「は? それってどういう――」
そう言いかけたときだ。
ファンマの手が本に触れた途端、辺りの景色が一変した。
カッと眩い光が包み込み、視界を奪う。
慎重に目を開けた俺は、驚愕した。
「な、んじゃこりゃあ……」
そこに広がっていたのは、ある意味、見慣れた景色。
広い畳敷きの床。
年季の入った梁。
床の間の掛け軸。
開け放たれたふすまから見える、自然豊かな景色。
かつて俺が何度も訪れた、オジキの別荘だったのだ。そこは生前のお嬢が孤独に療養していた場所でもある。
襲撃を受けた名残はない。お嬢の姿もない。これは、俺の過去なのか。それとも別の何かを見させられているのか。
ふと、『音』が聞こえてきた。
別荘の庭でよく聞こえていた、小川の音。それに加えて、鈴虫の鳴き声。重ねるように梢が風に揺れる音も聞こえてくる。こんなときでなければ、目を閉じてリラックスしてしまいそうな心地良い音の重なりだ。
「ファンマ?」
ふと、そこで俺は気づいた。
この空間にいるのが俺だけなのだ。
ファンマの姿がどこにもない。
まさか、俺だけ異空間に取り込まれたのか。
一歩前へ踏み出したとき、前脚が何かに触れた。まっさらな表紙の、文庫本である。
本はひとりでに開いた。中には何も書かれていない。白紙だ。
俺はふと思い立ち、言った。
「この風は、お嬢を和ませるために集まったものです」
ASMR物語。
寝たきりのお嬢に語っていた即興の話を、思いつくままに喋る。
すると、白紙ページの表面に文字が浮かび上がる。さっき俺が口にした短い物語が、流麗な文字で書き留められていく。
そして、ページがひとりでに切り離され、宙を舞った。天井の梁にぶつかったところで、光の粒を散らして消える。
それを見た俺は悟った。
「まさか。本の活性化は、俺が物語を吹き込むことなのか……? ならば、この大図書館は、俺がお嬢に語って聞かせた物語のアーカイブを収めている……?」
もし、この推測が正しければ。
「マジで、このASMR世界は俺の物語が具現化した世界なのかもしれない。俺が、お嬢のために創った世界――!」
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