神獣ヤクザ ~もふもふ神獣に転生した世話焼きヤクザと純粋お嬢の異世界のんびり旅~

和成ソウイチ

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59話 本を蘇らせる物語

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 震える文字。
 そこから微かに何かが聞こえてくる。それはだんだんと大きくなっていくようだ。
 俺は耳を傾け、その音の正体を探ろうとした。

 ……そして後悔する。

「おい。ちょっと待て。この音って、まさか関節音……!?」

 それを擬音で表現すれば「かさかさかさ」になるだろうか。
 節足動物が葉っぱの上をゆっくり移動する様をどアップ、ど近接から採音したような。
 要するに、虫の音だ。ちくしょうめ。

『戌モード』であれば、間違いなく前脚で床板ごと抉って放り投げているところだ。

 ドン引きしているのは俺だけではなかった。
 現図書館長のレフテも青い顔をして一歩下がっている。よく観察するとこめかみに青筋が浮かんでいるようにも見える。

「こ、これは。本の大敵が這いずり回る音ではないですか。く……私の身が万全であれば、即刻はたきだしているのに」
「まったく同感だ。気が合うな館長」

 不快感を誤魔化すため口元を引き上げて嘯く俺。

 一方のファンマの方は、むしろ逆に興味深そうに身を乗り出していた。
 震える哲学の文字列と、そこから奏でられるキショい音との共演を、まるで夏休みの自由研究中の小学生みたいに目を輝かせて観察している。
 親子でこうも違うのか……。
 そんな風に考えていたときだ。

 虫が這う音に別の音が混ざりだした。
 ぱちん、と火の粉が爆ぜる音だ。ほんのかすか、炎がゆらめくような音も聞こえてくる。
 こっちはASMR動画でも耳にしたことがある。ド定番、焚き火動画だ。

 堅苦しい哲学書、キショい虫、安らぎの焚き火。
 これらまったく種類の違う存在に触れたとき、俺の中でひとつのイメージが浮かんだ。

「こいつは悩める哲学者。賢すぎ、深く考えすぎなあまり、頭ん中に飼っていた思考の澱が、おぞましい虫の姿になって現れた。『その辺にしておけ、さもなくば我の分身がお前を埋め尽くすぞ』と」
「神獣様?」
「哲学者は悟る。このままでは自分が生み出した魔物に押し潰される。そこへ、お嬢が助け船を出す。親友から教わった魔法の炎で、その虫もどきの魔物を追い払ったんでさ。哲学者はお嬢にとても感謝し、自分の思考の良い部分を取り出して、頭の良くなる本を手渡した。でもお嬢はもともと賢かったから、一度さっと目を通して、すぐに哲学者に返した。『これはあなたの素敵な特技だから』って」

 すらすらと口を突いてくる物語。
 そういえば、生前もこんな感じで語っていた。
 お嬢は俺の話をいつも真っ直ぐ、微笑みながら聞いてくれた。だから、俺はどんな荒唐無稽な設定でも、胸を張って語り倒したものだ。

 異空間書庫が俺とお嬢の生前アーカイブだとしたら、漏れてきた音は元の世界の記憶の欠片なのかもしれねえな。

 ――そんな風に昔を懐かしんでいると、本に変化が現れた。
 震えていた哲学書の文字列が、スッと落ち着いたのだ。
 同時に、淡い光の輝きが生まれ、本全体を包む。光はインクの文字を細くなぞっていく。まるで文章がライトアップされるみたいだ。

 不可思議な光景に見入っていると、レフテのたおやかな手が間に入ってきた。
 彼女は何事か呟くと、自らの手から魔法の力を放出する。

 すると、眩しく輝いていた本が大人しくなり、やがて元の姿に戻った。さらに、ひとりでに本が閉じる。
 レフテが額を拭った。

「編纂完了です」
「今のがそうなのか?」
「ええ。本に、文字に溢れた力を均し、全体のバランスを整えました。これで、この本は本来の力を取り戻したと言えます」

 見た目には変化は見られない。
 だが、本を手に取ったレフテが、心なしか先ほどより顔色が良くなっている様を見ると、彼女の言ったことは正しいのだろうと思える。

 なるほど。こうして本の力を取り戻していけばいいのか。
 物語が本を蘇らせる、か。なるほど。なるほど。他にはない展開で、なかなか興味深い。

 名残惜しそうにファンマが尋ねた。

『虫は?』
「忘れろ」
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