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10章 僕はもふもふ家族院の院長先生!!
第80話 病気の脅威
しおりを挟むユウキが見つけた発疹は、まだそれほどひどくはないように見えた。色も薄く、また広がっている様子もない。
だが、あくまで素人判断だ。
「ヒナタ。ヒナタ」
ゆっくりと声をかける。ヒナタは仰向けで目をつむったまま、苦しそうに息をしていた。
「首や額、他に身体で痛むところ、ある?」
重ねてユウキは尋ねる。しかし、ヒナタから返事はなかった。彼女は眠っているわけではなさそうだ。こちらの声が届いていない様子である。
これ以上、無理に呼びかけ続けるのは抵抗があった。
ユウキは、ベッドのシーツを丁寧にかけ直してから、ヒナタの枕元を離れた。向かいで横になっているアオイの元へ向かう。
「アオイ。アオイ。僕だよ、ユウキだ。聞こえるかい?」
そっと声をかける。ヒナタと同様、彼女も反応が鈍かった。
額に手を当てる。やはり熱が高い。注意深く観察すると、アオイにも同じような箇所に発疹があった。
「……ユウキ、ちゃん……?」
ふと、アオイが反応する。目を開けた彼女は、やや焦点の合わないぼんやりした表情で少年院長を見上げた。
ユウキはできるだけ穏やかに尋ねた。
「アオイ、体調はどう? どこか痛いところ、ある?」
「……たい、ちょう」
思考がうまく回っていないのだろう。数秒かかって、彼女は答えた。
「……しんどい、です……」
「そっか。そうだよね」
自分でも他に言うべき言葉はなかったのかと思いつつ、ユウキは相づちを打つ。
アオイは首を横に向けた。向かいのベッドを見る。
「ヒナタ、ちゃんは……?」
「ヒナタも横になってるよ。アオイも休んでて」
ふー、と『家族院のお母さん』は息を吐いた。安堵のためか、それとも自分と同じく苦しんでいると知って心を痛めたためか。熱に浮かされた表情は変化に乏しく、ユウキには読み取れない。
そのとき、アオイが片手を上げてきた。指先まで熱い手で、ユウキの頬をそっと撫でる。
「ユウキちゃんは、だいじょうぶですか……?」
「僕は平気。元気だよ。ありがとう、アオイ」
彼女の手を握りながら、努めて笑みを浮かべて答える。
アオイに頬を触れられたとき、無意識のうちに自分が非常に険しい顔をしていたことに気づいてしまったのだ。アオイが安心できるような笑顔になっていたか、今のユウキには自信がない。
湧き出てくる不安を心の底に押し込め、彼はできるだけ穏やかに、笑顔で接した。アオイを、ヒナタを安心させるために。
果たしてアオイには伝わったのか。
彼女は手を下ろすと、そのまま目を閉じた。眠れないのか、眉間には小さな皺が寄っている。
「僕、飲み物と濡れタオルを持ってくるね。待ってて」
そう声をかけると、アオイは微かにうなずいた。
再びヒナタのベッドに行き、彼女にも同じように声をかける。ヒナタは「うれしー」とつぶやいたが、声の調子と表情は一致していない。空元気だった。
ユウキはチロロとともに部屋の外に出た。音を立てないよう、ゆっくりと扉を閉める。
――そのまま、扉に寄りかかって立ち尽くしてしまう。
家族の前ではなんとか抑え込んでいた不安と動揺が、吹き出してしまったのだ。
生きているだけで幸せ。その鋼のメンタルで様々な壁を乗り越えてきたユウキ。
だからこそ、そのメンタルを形作る原因となった『病気』には、人一倍敏感にならざるを得なかった。
彼の心に対する、最大の脅威なのだ。
これまでなにがあっても動じなかったユウキは、この異世界レフセロスにやってきて初めてと言っていいほど、強く心を乱されていた。
「どうしよう」
思わず漏れた弱気のつぶやき。顔に手を当てる仕草。手の下で歪む表情。
それは、十歳の年相応の脆さを表していた。
ふと、ユウキは思い出す。
――ピクニックのときの、くしゃみ。
もしかしてあのとき、『病気』に罹ってしまったのではないか。
だったら。
だったら。
僕がピクニックに行こうと言わなかったら、ヒナタやアオイや、皆がつらい思いをしなくてすんだのではないか。
僕が言わなかったら。僕のせいで。
いつもならしないような、ネガティブ思考の連鎖に陥る。
ユウキを救ったのは、彼の側にいる保護者たちだった。
『ユウキ。しっかりしろ。そなたはここの長なのだろう』
チロロの言葉に、ハッとして顔を上げる。
すぐ目の前に白銀のフェンリルの顔があった。
チロロは多くを語らない。ただじっとユウキを見上げてくる。
――落ち着くのだ、少年。
――あなたはひとりではないわ。
心の中に寄り添う転生者の魂たち。彼らは優しく、穏やかに声をかけてくれた。
――まだ最悪の事態になったわけではない。君と、我々の力なら打開できるさ。
――あなたはよくやっている。弱音を吐くのは悪いことではないわ。私たちはあなたを見捨てたりしない。だから安心して。
言葉が染みる。思わず涙ぐんだ。
すぐに、目をぎゅっと閉じる。袖で目元を拭い、深呼吸し、そして自分の頬を軽く二度、三度と張った。
「……よし。もう大丈夫」
ユウキは言った。不安は消せない。だが少なくとも、ネガティブ思考の連鎖からは立ち直った。
チロロと目線を合わせる。
「君は他の子たちの様子を見てきてほしい。同じ症状でつらそうにしていないか。僕はその間、皆の分の水とタオルを用意してくるから」
『承知した』
いくぶん目元を緩め、保護者フェンリルは力強くうなずいた。
ユウキは微笑み、扉から離れる。階下に向かいかけた足を、ふと止めた。振り返る。
「チロロ。扉は開けられる?」
『馬鹿にするな。余の前脚の器用さを見せてやろうぞ』
わざとか、おどけた口調で答える保護者フェンリル。ユウキは少し気持ちが楽になった。
行動を開始する。
階段を降りながら、ユウキは思った。そうだ。いつだって変わらない。狼狽えて立ち止まるくらいなら、自分にできることをしよう。
僕は皆の役に立ちたい。そう誓ったんだから。
眦を決し、ユウキはキッチンへと駆け込んだ。
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