体質が変わったので

虫（1）黒いアイツ

　警察官は、意外と思われるかも知れないが、書類の作成が多い。刑事ドラマのようにほぼ走り回っているわけではない。
　その時も、僕は部屋にいる数人と、机に向かっていた。
　と、パンと手を叩く音がして、一斉に皆がそちらを見た。３係の芦屋さんが、空を睨んで両手を肩幅くらいに開いている。
「くそう、さっきからチョロチョロと蚊が……」
　言うので、訊いてみた。
「……飛蚊症？サプリでも飲む？」
　御崎　怜みさき　れん。元々、感情が表情に出難いというのと、世界でも数人の、週に３時間程度しか睡眠を必要としない無眠者という体質があるのに、高校入学直前、突然、霊が見え、会話ができる体質になった。その上、神殺し、神喰い、神生み等の新体質までもが加わった霊能師であり、キャリア警察官でもある。面倒臭い事はなるべく避け、安全な毎日を送りたいのに、危ない、どうかすれば死にそうな目に、何度も遭っている。
「いや、違います」
「貧血かねえ？レバーとかマグロがいいんだよねえ、怜」
　町田　直まちだ　なお、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高１の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いである。そして、キャリア警察官でもある。
「違いますって。蚊です、蚊」
「ああ。この頃冬でも屋内は暖かいから、蚊が冬でもいますよね」
　千歳さんが頷いて言った。
「ああ、時々いるなあ。夏よりはヒョロヒョロっとしてるけど」
　小牧さんも蚊を探すように視線を空に向けながら言う。
「優維ちゃんが噛まれないようにしないとな」
　言うと、皆が一斉に僕を見た。
「蚊は噛まないでしょう？」
「刺されるとかくわれるとか言うよな？」
　それで、関西出身の沢井さんが苦笑した。
「関西では、『蚊に噛まれる』って言うんだよな。勿論わかってるけど。
　怜君のところ、お母さんが関西の人だったよね」
「そうです。それでうちでは昔から、『噛まれる』って」
「ボクも移っちゃったよう、すっかり」
　直も笑い、
「蚊取り線香まだあるかな――いや、煙が煙いかも知れないねえ。人体に安全な何か……」
と真面目に考え始めた。
　先月長女が生まれたばかりで、初めての子育てに試行錯誤中だ。
　と、電話が鳴り、出た鍋島さんが、
「相談者がいらしたようです。保健所の方だとか」
と言う。
「保健所？まあ、うん。来てもらって下さい」
　受付にそう返事をする鍋島さんを見ながら、何だろうと言い合う。
「保健所って、動物の死体が夜な夜な動くとか？」
　嬉しそうに美保さんが言う。
「それ、嫌だなあ」
　山神さんは、肩を竦めて震えあがった。
「あとは何だろう。ゴミ？ゴミ屋敷から何か出たとかかねえ？」
「死体だったら捜査課だしな。おかしな絵とか位牌とかミイラとかワラ人形とか？」
　ああでもないこうでもないと想像しながら、来客を待った。
　現れたのは、スーツの２人組だった。
　挨拶と、ここに相談するように上から勧められたという話をした後、暖かいお茶を１口飲んで、本題に入る。
「ある町内で、やたらと虫が発生するんです。苦情の電話が何軒もあって、消毒にも行きました。それでも、一向に減らないんですよ。こんなの、おかしいです」
「消毒も、１回じゃないんですよ。異常な感じなんです」
「ええっと、その虫というのは？」
　訊くと、彼らは声を揃えて答えた。
「ゴキブリです」
　僕達は、サッと目を走らせた。誰が行くか。
　１係、２係の皆は、急に忙しそうに机に向かい始めた。
「今日中に仕上げないとなあ」
　などと独り言を言うやつまでいる。
「槙村君の班、次だったな」
「いえ、まだ検証会と報告書ができていません」
　逃げた。
「……直、僕達が行こうか」
「そうだねえ」
　直は苦笑して、僕と直が当たる事になった。
　ゴキ。僕だって嫌いだ。

　ふと、視界の隅で何かが動いた。見ると、大きなゴキブリだ。
「いやあね。冬なのに」
　千春ちはるは眉を顰めると、殺虫剤を勢いよく噴射した。
　ゴキブリはサササッと逃げ、壁の隙間から消えた。
「逃がしたわ。ゴキブリホイホイでも仕掛けた方がいいかしら」
　言いながら、机の上のカゴを見る。ハムスターが、エサを食べていた。
「ふふふ。可愛いわねえ。ハムちゃんは、温水プールは好きかな？潜水してみようね」
　言って、手慣れた様子で、動画撮影の準備を始めた。