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即身仏(2)箱の中
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夏休みの宿題である絵日記に旅行の事を書くのは敬の中で決定事項らしいが、どの場面の絵を描くかと悩んでいるらしい。
着替えながら、
「露天風呂から見た星空も、朝日もいいしなあ。海で泳いだところも、岩場の魚やカニも描きたいなあ」
と悩んでいる。
「裏のお寺はもう行かれました?狩野派の絵師が書いた襖絵や、仏像も立派ですよ。あと、裏庭には竹林がありまして、風が通るたびにいい音がしますし、ここの井戸の水は美肌効果があるんですよ」
朝食を並べながら、仲居さんがにこにこと言う。
「いいわねえ。行きましょうよ」
「そうね。日焼けしたしね」
「行っておきましょう」
女性陣はすっかりその気だ。
「朝ごはんを食べたら、見に行こうか」
兄が言い、
「そっちも描きたくなったらどうしよう!」
と敬が言って、皆、噴き出した。
しかし僕は、夜中の鐘の音の出所が裏山だった事もあり、警戒の必要があると、気を引き締めた。
敬と優維ちゃんが手をつなぎ、その後ろに凜と累が手をつないで続く。大人はその後ろだ。
鐘の事を直には言っておいたので、僕と直は、何でも無い顔をしながら辺りを警戒中だ。
「ここかどうかわからないけど、近所の子供が夜中に家から抜け出して、行方不明になってるらしいよ」
直が訊き込んで来た事を小声で言う。
「念のために、しっかり注意しておこう」
「そうだねえ」
今の所は怪しい感じはないが、本堂に入ると、空気が重い。原因は何かと視線を巡らせた。
本堂には大迫力の仏像が並んでいたが、非公開の秘仏として、即身仏が奥に安置されているという説明書きがある。
「これか」
極端な食事制限で体の脂と水分を抜き、狭い箱の中に結跏趺坐の姿勢で入って、それを地面の下に埋める。そしてそのまま、鐘を鳴らしながら経文を唱え続ける。空気穴として刺し込まれた竹筒から空気は入って来るが、それだけだ。水も食事も、光さえもない。
やがて死が訪れると、鐘の音が途切れて地上の人はそうと知る。それで竹筒が抜かれ、そのまま数か月置いてから掘り出すと、成功していればミイラ、即身仏の出来上がりというわけだ。
箱に入って埋められたが最後、どう頑張っても自分で出る事は叶わない。
真の闇で、彼らは何を思いながら死にゆくのだろう。民の為、救いの為と、相当の覚悟で臨むのだろうが、これは紛れもなく自殺であり、自殺ほう助だ。
女性陣と子供達は関心を持たなかったようで、次の襖絵に進んで行く。
襖は、海と桜、海と松、海と紅葉、海と竹の4枚で、チビッ子3人が食い入るように見つめていた。
危険な予感がする。帰ったら、家の襖に絵を描きそうだ……。
「あれが竹林か。立派だな」
兄も3人の目の輝きに危険を感じたらしい。そう言って、裏の竹林へと誘導した。流石は兄ちゃん、上手い。
広い竹林に飛び出し、葉の立てる音に大喜びで走り出す子供達にホッとしながらそちらに行き、改めて、辺りを窺った。
風が竹を揺らす音に、それが混ざった。
チリン。
瞬時に出所を探りつつ、
「兄ちゃん、皆を井戸にでも誘導してくれる?」
と頼む。
「怜、結界を張ったら戻るねえ」
「頼む」
直と、そうと察した兄とで皆を呼び戻し、美肌の井戸とやらへ向かう。
僕は、音の出所である「石室」に正対した。即身仏となるべく箱を埋めていたところで、当時の箱を埋め、当時のように空気用の竹筒を地面に刺し、それを竹の囲いで囲んでいる。
音は、その下からしていた。
チリン……チリン……
近付いて行くと、地面の下から、鐘の音の他に、ガリガリと硬い物を引っかくような音も聞こえた。そして、血を吐くような叫びも。
出してくれ 助けてくれ
ああ もう少し あと少し
直が急ぎ足で戻って来た。
「あれって、即身仏の?」
「だな」
そこには霊体の手が地面の下から突き出し、穴の縁から這い上がろうとするかのように、蠢いていた。
「少しずつ這い出して来たのかな」
「執念だねえ」
「こうなると、非公開の秘仏とやらは、本当に即身仏になっていたのか疑問だな」
「暴れて傷から菌が繁殖して、腐敗してたとしても驚かないねえ」
「非公開の理由だったりしてな」
直が肩を竦めた時、それは、ガッと体を地面の下から引き揚げた。有名ホラー映画のような迫力だ。
あああ……!
よくも よくも よくも!
それは、体中に傷を作り、爪を剥がし、指の肉どころか骨までも削り、白装束を血で赤黒く染めた若い男の霊体だった。
「即身仏になられた方ですか」
男はギロリとした目で僕と直を睨んだ。
やるんじゃなかった
出してくれって叫んだのに
怖い 暗い 自分の体もわからない
生きているのか 自分でもわからない
イヤダ イヤダ イヤダ!
オマエモ コイヨ
ヒトリハ キガクルイソウダ
1歩ずつ近付いて来るその姿には、執念を感じる。
「生憎ですが、それはお付き合いしかねます」
答えた時、微かな違和感を感じた。
「ん?直、まだあの下に、何かいる?」
直は目を眇めるようにして、囲いの中を見た。
「何か、いる、かねえ?」
その時、微かに竹筒を通して弱々しい声がした。
「……すけ……たすけ……」
それが人の肉声だと気付いて緊張する僕達を見て、霊はニタリと嗤った。
ヒトリハ コワイ サビシイ
ミチヅレニ シテヤル
竹林を渡る風が、ざあっと大きな音を立てた。
着替えながら、
「露天風呂から見た星空も、朝日もいいしなあ。海で泳いだところも、岩場の魚やカニも描きたいなあ」
と悩んでいる。
「裏のお寺はもう行かれました?狩野派の絵師が書いた襖絵や、仏像も立派ですよ。あと、裏庭には竹林がありまして、風が通るたびにいい音がしますし、ここの井戸の水は美肌効果があるんですよ」
朝食を並べながら、仲居さんがにこにこと言う。
「いいわねえ。行きましょうよ」
「そうね。日焼けしたしね」
「行っておきましょう」
女性陣はすっかりその気だ。
「朝ごはんを食べたら、見に行こうか」
兄が言い、
「そっちも描きたくなったらどうしよう!」
と敬が言って、皆、噴き出した。
しかし僕は、夜中の鐘の音の出所が裏山だった事もあり、警戒の必要があると、気を引き締めた。
敬と優維ちゃんが手をつなぎ、その後ろに凜と累が手をつないで続く。大人はその後ろだ。
鐘の事を直には言っておいたので、僕と直は、何でも無い顔をしながら辺りを警戒中だ。
「ここかどうかわからないけど、近所の子供が夜中に家から抜け出して、行方不明になってるらしいよ」
直が訊き込んで来た事を小声で言う。
「念のために、しっかり注意しておこう」
「そうだねえ」
今の所は怪しい感じはないが、本堂に入ると、空気が重い。原因は何かと視線を巡らせた。
本堂には大迫力の仏像が並んでいたが、非公開の秘仏として、即身仏が奥に安置されているという説明書きがある。
「これか」
極端な食事制限で体の脂と水分を抜き、狭い箱の中に結跏趺坐の姿勢で入って、それを地面の下に埋める。そしてそのまま、鐘を鳴らしながら経文を唱え続ける。空気穴として刺し込まれた竹筒から空気は入って来るが、それだけだ。水も食事も、光さえもない。
やがて死が訪れると、鐘の音が途切れて地上の人はそうと知る。それで竹筒が抜かれ、そのまま数か月置いてから掘り出すと、成功していればミイラ、即身仏の出来上がりというわけだ。
箱に入って埋められたが最後、どう頑張っても自分で出る事は叶わない。
真の闇で、彼らは何を思いながら死にゆくのだろう。民の為、救いの為と、相当の覚悟で臨むのだろうが、これは紛れもなく自殺であり、自殺ほう助だ。
女性陣と子供達は関心を持たなかったようで、次の襖絵に進んで行く。
襖は、海と桜、海と松、海と紅葉、海と竹の4枚で、チビッ子3人が食い入るように見つめていた。
危険な予感がする。帰ったら、家の襖に絵を描きそうだ……。
「あれが竹林か。立派だな」
兄も3人の目の輝きに危険を感じたらしい。そう言って、裏の竹林へと誘導した。流石は兄ちゃん、上手い。
広い竹林に飛び出し、葉の立てる音に大喜びで走り出す子供達にホッとしながらそちらに行き、改めて、辺りを窺った。
風が竹を揺らす音に、それが混ざった。
チリン。
瞬時に出所を探りつつ、
「兄ちゃん、皆を井戸にでも誘導してくれる?」
と頼む。
「怜、結界を張ったら戻るねえ」
「頼む」
直と、そうと察した兄とで皆を呼び戻し、美肌の井戸とやらへ向かう。
僕は、音の出所である「石室」に正対した。即身仏となるべく箱を埋めていたところで、当時の箱を埋め、当時のように空気用の竹筒を地面に刺し、それを竹の囲いで囲んでいる。
音は、その下からしていた。
チリン……チリン……
近付いて行くと、地面の下から、鐘の音の他に、ガリガリと硬い物を引っかくような音も聞こえた。そして、血を吐くような叫びも。
出してくれ 助けてくれ
ああ もう少し あと少し
直が急ぎ足で戻って来た。
「あれって、即身仏の?」
「だな」
そこには霊体の手が地面の下から突き出し、穴の縁から這い上がろうとするかのように、蠢いていた。
「少しずつ這い出して来たのかな」
「執念だねえ」
「こうなると、非公開の秘仏とやらは、本当に即身仏になっていたのか疑問だな」
「暴れて傷から菌が繁殖して、腐敗してたとしても驚かないねえ」
「非公開の理由だったりしてな」
直が肩を竦めた時、それは、ガッと体を地面の下から引き揚げた。有名ホラー映画のような迫力だ。
あああ……!
よくも よくも よくも!
それは、体中に傷を作り、爪を剥がし、指の肉どころか骨までも削り、白装束を血で赤黒く染めた若い男の霊体だった。
「即身仏になられた方ですか」
男はギロリとした目で僕と直を睨んだ。
やるんじゃなかった
出してくれって叫んだのに
怖い 暗い 自分の体もわからない
生きているのか 自分でもわからない
イヤダ イヤダ イヤダ!
オマエモ コイヨ
ヒトリハ キガクルイソウダ
1歩ずつ近付いて来るその姿には、執念を感じる。
「生憎ですが、それはお付き合いしかねます」
答えた時、微かな違和感を感じた。
「ん?直、まだあの下に、何かいる?」
直は目を眇めるようにして、囲いの中を見た。
「何か、いる、かねえ?」
その時、微かに竹筒を通して弱々しい声がした。
「……すけ……たすけ……」
それが人の肉声だと気付いて緊張する僕達を見て、霊はニタリと嗤った。
ヒトリハ コワイ サビシイ
ミチヅレニ シテヤル
竹林を渡る風が、ざあっと大きな音を立てた。
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