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本編
21、お取り置き最終日⑤
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孤立した男の声には怯えが混ざり。先程リリヤを糾弾していたときの勢いはすっかり消え失せている。
虚勢を張って隠そうとしているが。カチカチと奥歯の震える音が聞こえてきそうなくらいに、男はリリヤを怖がっていた。
「私は、その……」
リリヤは逡巡し、怯えている男の顔を見た。
静まり返った大通りに集まっている人々の顔を見渡して。
一時迷い。男を気遣い。そしてリリヤは覚悟を決めた。
「私は……リリヤ・ソールズベリー。オルグレン様の命の一部を奪った白の魔女です。ですが──」
リリヤがそうと認めた瞬間、それまで感情を抑えていた人々の、たがの外れる音がした「確かにあいつが白の魔女だよ! 私はあの女が城に連れていかれるのを見たんだ!」「俺も見たぞ! 公国の名を汚す盗人めッ!」「公子様から奪ったものを返せ──っ!」群衆から次々とヤジが飛ぶ。
一斉にリリヤに向かって非難が殺到し。後に続く人々の賛同の声と口汚い罵りの言葉が耳朶を打つ。
息を吹き返したように、それに参加する男の嬉々とした様子に。リリヤは静かに瞳を閉じた。
(説明どころか話すらできないなんて…………)
これがリリヤの現状だった。
レンガ造りの大通りで小石が落ちていないのがせめてもの救いだ。小さいながらもあれは当たるとかなり痛いし出血する。
小石の代わりに投げつけられる野菜くずが飛び交うなか、眼前に飛んできたそれをリリヤは避けようともしない。身動ぐことさえしようとしないのは、諦め切っているからなのか。
民の怒りをあるがままに受け止めようとして──けれど、それはリリヤに届かなかった。
「あの、何していらっしゃるんですか? こんなところで」
間の抜けた質問の合間にも飛んでくる野菜くず。しかし、リリヤにはその一片も、欠片すら当たっていない。
それを代わりに受けているのは騒ぎが起きて直ぐに。颯爽とどこからともなく現れ、自らのマントでリリヤを包んだ少年。
「貴女の方こそここで何をしている」
「それは……」
命令するのに慣れた、少し怒り口調の物言いに、リリヤは反射的に身を固くする。
随分と大人びた雰囲気の少年は。今はなるべく目立たないように、その無駄のないスラリとした体に、ゆったりとした衣をまとい。腰元のベルトで固定しただけの簡易的な服装で。どこにでもいる下町の男の子のように装っているが。
十六とまだ幼さの残る整った顔立ちに、生真面目な性格を如実に表している硬質な表情を浮かべた。黒髪に黒い瞳の美しい少年は、サマースキル公国の年若い公子──オルグレン・リード・レイヴンズクロフト。
リリヤが命の一部を奪った公子、その人だった。
「婚約者を守るのは義務だ」
胸元で重ねられたリリヤの手元──手袋に隠された指輪が嵌められているそれを一目して。オルグレンは当然とリリヤをその包んだマントごと、民衆から庇うように引き寄せた。
「でもまだ正式に発表も報告もされてない、というかできない仮の婚約ですし。私がちゃんとオルグレン様の命を延命することができたら破談になりますので。そんなに気負う必要はありませんよ? オルグレン様」
大人しく引き寄せられたものの、リリヤは気遣うようにいいながら、その好意を突き放す。
「それは……関係ない」
リリヤの話に気を悪くしたのか。オルグレンは途端、怒ったようにその綺麗に整った眉を顰めて黙り込んでしまった。
(…………あらっ?)
そろそろと上目遣いによく見てみると、オルグレンの烏の濡れ羽色の艶やかな黒髪が僅かに乱れていた。
いつも片側に掛けられているマントでリリアを包んで。民衆の目に触れぬようリリヤを隠しているオルグレンは。普段から何事においても息一つ乱さない。
そんな彼が、その角度によっては紫にも見える紫暗の瞳を細めて、心なしか肩を上下に動かしている。ほつれた前髪が目にかかるのを直そうともせず。リリヤと民衆を遮る盾となっている。
(オルグレン様って生真面目で責任感の強い子だから……)
きっとよっぽど心配させてしまったのだろう。
仮とはいえ、婚約者の窮地に急いで駆けつけてくれたのに。さっきはあんな突き放すような言い方をするべきじゃなかったと。リリヤが反省していると、
「火事だ──────ッ!」
不意に現れた少年にあっけにとられていた人々の意識が、突然発生したボヤ騒ぎに持っていかれる「大変だ! ブルーベルベット通りの店が火事だぞっ!」「ええっ!? 家の近くじゃないかっ!」「うちもだよ!」そうして次々と蜘蛛の子を散らすように帰っていく。
「──行くぞ」
「はい……」
混乱に乗じて、右往左往に入り乱れる人垣の中を。リリヤはオルグレンに強く手を引かれながら潜り抜けていく。そうしてどうにか、リリヤは窮地を脱することができたのだった。
虚勢を張って隠そうとしているが。カチカチと奥歯の震える音が聞こえてきそうなくらいに、男はリリヤを怖がっていた。
「私は、その……」
リリヤは逡巡し、怯えている男の顔を見た。
静まり返った大通りに集まっている人々の顔を見渡して。
一時迷い。男を気遣い。そしてリリヤは覚悟を決めた。
「私は……リリヤ・ソールズベリー。オルグレン様の命の一部を奪った白の魔女です。ですが──」
リリヤがそうと認めた瞬間、それまで感情を抑えていた人々の、たがの外れる音がした「確かにあいつが白の魔女だよ! 私はあの女が城に連れていかれるのを見たんだ!」「俺も見たぞ! 公国の名を汚す盗人めッ!」「公子様から奪ったものを返せ──っ!」群衆から次々とヤジが飛ぶ。
一斉にリリヤに向かって非難が殺到し。後に続く人々の賛同の声と口汚い罵りの言葉が耳朶を打つ。
息を吹き返したように、それに参加する男の嬉々とした様子に。リリヤは静かに瞳を閉じた。
(説明どころか話すらできないなんて…………)
これがリリヤの現状だった。
レンガ造りの大通りで小石が落ちていないのがせめてもの救いだ。小さいながらもあれは当たるとかなり痛いし出血する。
小石の代わりに投げつけられる野菜くずが飛び交うなか、眼前に飛んできたそれをリリヤは避けようともしない。身動ぐことさえしようとしないのは、諦め切っているからなのか。
民の怒りをあるがままに受け止めようとして──けれど、それはリリヤに届かなかった。
「あの、何していらっしゃるんですか? こんなところで」
間の抜けた質問の合間にも飛んでくる野菜くず。しかし、リリヤにはその一片も、欠片すら当たっていない。
それを代わりに受けているのは騒ぎが起きて直ぐに。颯爽とどこからともなく現れ、自らのマントでリリヤを包んだ少年。
「貴女の方こそここで何をしている」
「それは……」
命令するのに慣れた、少し怒り口調の物言いに、リリヤは反射的に身を固くする。
随分と大人びた雰囲気の少年は。今はなるべく目立たないように、その無駄のないスラリとした体に、ゆったりとした衣をまとい。腰元のベルトで固定しただけの簡易的な服装で。どこにでもいる下町の男の子のように装っているが。
十六とまだ幼さの残る整った顔立ちに、生真面目な性格を如実に表している硬質な表情を浮かべた。黒髪に黒い瞳の美しい少年は、サマースキル公国の年若い公子──オルグレン・リード・レイヴンズクロフト。
リリヤが命の一部を奪った公子、その人だった。
「婚約者を守るのは義務だ」
胸元で重ねられたリリヤの手元──手袋に隠された指輪が嵌められているそれを一目して。オルグレンは当然とリリヤをその包んだマントごと、民衆から庇うように引き寄せた。
「でもまだ正式に発表も報告もされてない、というかできない仮の婚約ですし。私がちゃんとオルグレン様の命を延命することができたら破談になりますので。そんなに気負う必要はありませんよ? オルグレン様」
大人しく引き寄せられたものの、リリヤは気遣うようにいいながら、その好意を突き放す。
「それは……関係ない」
リリヤの話に気を悪くしたのか。オルグレンは途端、怒ったようにその綺麗に整った眉を顰めて黙り込んでしまった。
(…………あらっ?)
そろそろと上目遣いによく見てみると、オルグレンの烏の濡れ羽色の艶やかな黒髪が僅かに乱れていた。
いつも片側に掛けられているマントでリリアを包んで。民衆の目に触れぬようリリヤを隠しているオルグレンは。普段から何事においても息一つ乱さない。
そんな彼が、その角度によっては紫にも見える紫暗の瞳を細めて、心なしか肩を上下に動かしている。ほつれた前髪が目にかかるのを直そうともせず。リリヤと民衆を遮る盾となっている。
(オルグレン様って生真面目で責任感の強い子だから……)
きっとよっぽど心配させてしまったのだろう。
仮とはいえ、婚約者の窮地に急いで駆けつけてくれたのに。さっきはあんな突き放すような言い方をするべきじゃなかったと。リリヤが反省していると、
「火事だ──────ッ!」
不意に現れた少年にあっけにとられていた人々の意識が、突然発生したボヤ騒ぎに持っていかれる「大変だ! ブルーベルベット通りの店が火事だぞっ!」「ええっ!? 家の近くじゃないかっ!」「うちもだよ!」そうして次々と蜘蛛の子を散らすように帰っていく。
「──行くぞ」
「はい……」
混乱に乗じて、右往左往に入り乱れる人垣の中を。リリヤはオルグレンに強く手を引かれながら潜り抜けていく。そうしてどうにか、リリヤは窮地を脱することができたのだった。
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