責任とって婿にします!

薄影メガネ

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本編

42、神に祈りを

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 オルグレンを守ることに使命感を帯びた顔で話をしていたリリヤだったが。ふいに顔をかげらせた。

「リリヤ……まだ何か話していないことがあるのか?」

 言いにくそうにするリリヤの顎をとらえて、心配したオルグレンが顔を近づけてくる。それに後押しされる形でリリヤが再び口を開いた。

「……私が、早急にオルグレン様を人間にしたのにはもう一つ問題があったからです」

「問題?」

「オルグレン様が使われる魔術に必要な魔力媒体がだったからです」

「……!」

「そして……生まれて最初にオルグレン様が発動した魔術の魔力媒体に使用したのは私の命・・・でした」

「俺が貴女の命を使っただと……?」

 何もかもが信じられないとでも言うように、放心するオルグレンを前にリリヤは落ち着き払った様子で、穏やかな表情を崩さないようにつとめながら話を続けた。

「だから私はオルグレン様に命を全て使いきられる前に、自らの消滅を回避するためにも選ばなければならなかったのです。貴方を生かすか殺すか」

 程度によっては消滅せずにいられたかもしれない。しかし、当時乳飲み子だったオルグレンにそこまでの判断ができたかどうか。定かではなかった。
 単なる魔力の暴走か。何をしようとしているかも分からない赤子相手にリリヤは苦渋の選択をせまられた。

「もちろん私にはオルグレン様を殺すことなどできませんでした。だから……」

「代わりに俺の魔力を奪ったのか」

「はい……オルグレン様の魔力は他者の命を犠牲にすることではじめて発動する。いわば黒魔術と同じ禁術そのものの力を貴方は持っていた。だから私はその魔力が張り付いていた命ごとオルグレン様から無理矢理引き剥がす必要があったのです」

 茫然とするオルグレンの頬に手を添えて、リリヤはオルグレンの紫暗しあんの瞳をのぞき込む。

「一国の公子に他者の命を媒介にした魔術を使用する子供が生まれたなどと他国に知れたら国はどうなります?」

 国の信用は地に落ちる。それもこれまでつちかわれてきた公国の歴史そのものが崩壊し。魔女に対する悪意ある根底のイメージを払拭ふっしょくしてきた努力も全てが水の泡となる。黒の魔女を女王に頂く公国の危機はまぬがれないだろう。

「魔力媒体は自分で決めることはできません。生まれついてのものですから。無理矢理変えることはできないのです。ですが…………私は黒の魔女の作った国を守りたかった。魔女が幸せに暮らしていける暖かくて優しい場所を。そして何より──貴方を守りたかった」

「……しかし貴女は一度だってそんな素振りを見せたことはなかったはずだ」

 もう二度と魔女狩りのような悲惨な歴史を繰り返して欲しくない。そこにはリリヤの悲痛な思いがあった。

「ええ、その通りです。残忍な白の魔女が国の行く末を案じていたなどと思われてしまっては困るんです。白の魔女はオルグレン様の命を奪った冷酷な裏切り者の魔女──そうでなければならないのだから」

「だから何も語らずにいたというのか?」

 オルグレンの手が怒りでワナワナと震えているのを見つめながら。リリヤはごめんなさいと何度も謝罪した。なだめるように触れた手をオルグレンに払い除けられなかったのがせめてもの救いだ。
 それにオルグレンが怒っているのはリリヤにではなく、自身に対するものだろう。何も知らず。何もできなかった自分にオルグレンは怒りを向けている。

「でもそうすると決めたのは私ですから。親友の大切な子供である貴方の人生を丸ごと守るって。オルグレン様が生まれたときに決めていましたから」

 リリヤはいつもとんでもないことをさらっと言ってしまう。それがオルグレンにとって、どれだけの意味を持っているのかも深く考えずに。

「だが……親友の子供というだけでそこまでできるものなのか?」

 オルグレンの口から出た当然の疑問。疑いすら含んだ問いかけ……しかしリリヤは迷わなかった。それに足るだけの答えを持っていたからだ。

「生まれたばかりのオルグレン様は魔術を発動させた。そして魔術によって私を支配しようとした……いえ、気付いたときにはもう……私は半ばオルグレン様に支配されていた。というほうが正しいですね……そしてそれは魔力を奪ったあとも有効なようです」

 今もこうして黒の魔女と対面しながらも、オルグレンはリリヤを傍に置きけして離さなかった。
 リリヤはオルグレンと重ね合わせたままの手に目を落とした。しっかりと繋がれた手は温かく──それがオルグレンと自分とを繋ぐきずなのように見えるのはきっと……

「リリヤ……?」

 オルグレンに名前を呼ばれてリリヤはゆっくりと顔を上げた。

「全身全霊で貴方をお慕い申し上げております。オルグレン様──いえ、私の大切なご主人様?」

 悪戯いたずらを仕掛けた子供のような顔をしてリリヤは小さく笑った。そして困惑するオルグレンの手に口づける。

「主、人だと……?」

 何かの冗談だろう。そうオルグレンが返すのをリリヤは首を横に振って否定した。

「私はオルグレン様を守る為に命の一部を魔力ごと奪って逃げました。そうして魔女協会の目をオルグレン様からそらすように仕向けてもう永遠に貴方達親子の前に姿を現さないと黒の魔女と約束して……それまではよかったのですが。オルグレン様が私を探し出してしまったのでいろいろと困りました」

 うぶな少女のように笑っているリリヤの細腰を掴んで、オルグレンは思わず自身の方へと引き寄せていた。そうして大人しく引き寄せられたリリヤの頬に手を添えて、その赤く大きな瞳を見つめると。リリヤは少し恥ずかしそうにオルグレンから目をらした。

「……時折、ここに眠っているオルグレン様の魔力に飲み込まれそうになるときもありますけど……私は最後までオルグレン様の命と魔力を引き受ける役をになうことになんら不満はありません」

 別れの言葉のようなことを言ってリリヤは自身の胸元を手で押さえてから、次いでオルグレンの胸元にそっと手を置いた。

「それにしても、まさかオルグレン様をお婿さんにするなんて話をすることになるとは思ってもいませんでした……それに……こんなに傍にいられるなんて思ってもみなかった。だから本当は少し嬉しかったんです。ダメだと分かっていても」

 そうして刹那せつなに揺れたリリヤの赤い瞳の純真さにオルグレンは酷く心を打たれた。

「貴女は馬鹿なのか……!」

「だって私がいたらオルグレン様の足手まといになります。私にはオルグレン様の安全を守るのが第一ですから。馬鹿でもいいんです」

 リリヤが捕まらず逃げてさえいれば、オルグレンは安全の中で幸せに暮らしていくことができる。それを遠目にも知ることができれば、人伝ひとづてにも聞くことができればそれでよかったのに。当の本人が出向いて、それも捕まえに来たのだから。とんだ誤算にリリヤは獄中、生きた心地がしなかった。
 信じたことのない神に祈りを捧げるくらい。怖かった。自分がオルグレンを不幸にしてしまうのではないかと思いかたく口を閉ざした。そうすることでオルグレンを守ることに集中した。

「……愛しています。私はオルグレン様を誰よりも愛しているから守るんです」

 そう言ってリリヤは嬉しそうに顔をほころばせた。
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