勇者パーティーを追放、引退、そして若返った二度目の人生でも、やっぱり貴方の傍にいる

薄影メガネ

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第二部

23 変わりゆく時

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 フォルケと対峙するラーティの心を表すように、強風に散らされたリビオラが地面を覆っていく。

 無残むざんに散った青い花びらを握り締め、ルーカスはクーペとナディルをバルバーニに預けると、呪いにおかされ疲労しきった体をどうにか奮い立たせた。

「……ルーカス、お前はそれ以上無理をするな」

 背中を向けていたはずのラーティが、首だけ動かしてチラリとこちらを振り返り、釘を刺す。

 有無を言わせない鋭い視線。しかし、ルーカスは滅多にない行動を取った。主の意に反し、首を横に振ったのだ。

 途端、ラーティは怪訝けげんそうに眉を顰める。

 ラーティは普段から表情をあまり出すことがない。はたから見れば不機嫌なのか、それとも静かに怒っているのかと思われかねない雰囲気だが、ルーカスには分かる。ラーティはただ……ルーカスを心配しているだけだ。

 地面に倒れていた妖精達が意識を取り戻し、手傷を負ったフォルケが固唾かたずんで見守るなか、昔に比べ最近は表情豊かになったものだと、その不器用さにルーカスはクスリと笑う。

随分ずいぶんと怖い顔をなさる」

「ルーカス……?」

 からかうような口調。やれやれと自嘲気味に笑い、先程までの疲れ切った様相から打って変わって、ルーカスはしっかりした足取りで立ち上がる。

 驚きまたたくラーティの反応に、ルーカスは不調を押し隠し、何の事はないと穏やかに微笑む。

「ラーティ様、傷付いた紋章の力を無理に使えば貴方の身が持たない……お分かりですね?」

「…………」

 きつねにつままれたような顔とはこのことか。かしずくルーカスへと、ラーティが体の向きを変えた。

 確かな足取りでルーカスが近付くにつれ、ラーティの体から徐々に怒気が抜けていく。辺りを吹きすさぶ風が止み、今にも強風に飛ばされそうだった体の負担が和らいだ。

 やがて嵐が過ぎ去った後のように、荒れた中庭に光が差し込んだ。空は晴れ、日中の穏やかな陽気を取り戻す。

 優しく頼りになる夫かと思えば、あらぶる神のごとき絶対者にもなりうる。勇者の力をおさめたラーティの聞き分けの良さに安堵しつつ、困った人だとルーカスは内心苦笑する。

 そうして静観するラーティの前まで来ると、ルーカスはその場に片膝をつき、こうべれた。

「貴方の邪魔にならないよう、私はわきまえてきた」

 続く沈黙に、ルーカスは更に言葉を重ねる。

「ご承知でしょう。従者として付き従い、貴方を守ることが私にされた役割なのです」

 立場を考えるなら、花嫁筆頭候補のウルスラに正妻の座を譲り、自分は大人しく身を引くべきなのだ。

「それは夫婦となった今でもか?」

「はい」

 ひたすら頭を下げたまま動かずいると──静かにこちらを見下ろしていたラーティが動いた。

 どうやらひざまずくルーカスに合わせて身を屈めたようだ。ルーカスが身を引いた分だけ距離を埋めるように、互いの影が重なった。

 伸びてきたラーティの武骨ぶこつな指が、頬に触れる。ルーカスに触れることに慣れたその指は、輪郭に沿って下に移動し、あごに優しく添えられた。心地よさに体がゾクリとしていることなど、きっと彼は気付いていない。

 黙っていると、顔を上げるよううながされ、ルーカスは従う。

 間近で見る金髪碧眼の整った顔立ち。ラーティの酷く真剣な目に見下ろされている。

「すまないルーカス。男であることがお前の心に影を落とし、身分の違いを気に病んでいることに、私はもっと早く気付くべきだった」

 結婚し子をした。ラーティの中でルーカスは飽くまでも元従者の認識だったのだろう。けれど長年ルーカスの体に染み付いた、ラーティが主であるという思いは、そう簡単に抜けるものではない。

 しかし身分の低い自分に王子のラーティから想われる資格があるのかという考えは、彼と家族になった幸せの中で薄れ、ときおりチラつく程度になった。そんなとき、花嫁筆頭候補だったウルスラの来訪を聞いた。

 負い目を感じくすぶっていた心に、それは痛いほど響いた。

 膝から崩れ落ちていく感覚。ラーティが自分以外の誰かを妻に迎えるかもしれない可能性を少しでも考えなかった愚かさと、自身の立場のもろさに、ルーカスは愕然がくぜんとした。

 幸せにどっぷり浸かり過ぎて忘れていた。オルガノに捨てられたときの理由を。

 男のルーカスを妻とするのは、世間体が悪い。

 体だけ若返っても、新しい世代にとってルーカスは時代遅れの英雄だ。存在価値は低い。

 ラーティの妻になったとはいえ、どこまでも王子の従者であるルーカスはその上、男なのだ。男で従者のルーカスが、正当な姫君に勝てるわけがない。……だから覚悟した。

 もしラーティが新しい妻を迎えたとして「お前の時代は終わった」と、彼に見向きもされなくなったとしても。掘っ立て小屋でティアーナの約束をむねに一人フォルケを待ち続けた、またあの頃の暮らしに戻ればいい。子供達は幸せになれるよう強くあろうと。

 最初は、母リビオラのために何よりも誰よりも勇者たり得ようとしていたラーティが、ルーカスのために勇者の紋章を傷付け、力を失った。これ以上彼から大切なものを奪ってはならない。

 仕方のないことだと諦め、ラーティに正妻を迎える際は教えてほしいと話した。一人になるのは慣れている。だから耐えられると思っていた。

 だというのに、今度は呪いに掛かったルーカスを助けるために、ラーティはフォルケを手に掛けようとしている。

 ラーティと自分との間には誰にも揺るがすことのできないきずながある。といってもそれは飽くまで主従関係ありきの成立だ。そう割り切っていたのに……彼の中にある伴侶としての自分への比重がここまでのものと、ルーカスは思っていなかった。

 私は従者であることを自分に、し過ぎていたのかもしれない……

 ラーティを誰にも渡したくない。どうか一人にしないでほしい。それは口に出してはいけない想いだった。──が、

 ラーティ様っ……!

 呪いに呑まれる直前、ルーカスは助けを求め、ラーティを強く想った。

 極限に、気取られぬよう押し隠していた本心があふれてしまった。

 産まれたときより仕えてきた、夫であり主でもあるラーティを守ることは、従者であるルーカスのあるべき姿だ。彼は生きる目的そのもの。それを奪われることは死にも等しい。

 けれど、ルーカスは途中で気付いてしまった。仕える主を独占したいという矛盾に。

「……もう、間に合わないのか?」

 ラーティがルーカスの頬を両手でくるむようにした。

「ルーカス、お前はどうあるべきかをすでに決めてしまったというのか……? 私は気付くのが遅すぎたのか? 頼む答えてくれルーカス」

 いつも余裕のラーティらしくない。憂慮ゆうりょに堪えない、別れを告げられるのを心底恐れている口調だ。

 ひざまずくルーカスに掛けるラーティの声は責めるものではなく、明らかにうれいを帯びていた。こちらを見下ろす強い意志を秘めた青い瞳は、今は切なに揺れ、失いたくないと必死にすがる。

 しかし懇願する姿に情けなさは微塵みじんもなく、渦中にあっても嘘偽りなく想いを告げられる芯の強さと心根の美しさに、ルーカスは心を奪われた。どちらも育ちの良い者が持ちうる特有であり、ラーティからはかげることのない気高さを感じる。

 存在そのものが希有けうな人なのだとまぶしく思いながら、ルーカスは一度目を閉じる。

「貴方はどこまでも強くあり続けるのだな……」

「ルーカス……?」

 そんなラーティだから、ルーカスは惚れたのだ。

 ……これ以上引け目を感じては、それこそ礼儀に反する。ならば私も共に気高くあろう。貴方の隣で誇れる己であるように。

「本来なら、私達は共にあるべきではないのかもしれない」

「っ!」

 ルーカスの頬に触れているラーティの手が動揺に揺れた。安心させるようにその手に手を重ねると、彼は目を細め、心配を顔に出す。

「けれど私は……貴方をウルスラ様にも誰にも譲りたくない。私は貴方の傍にいないと生きていけない……」

 申し訳ないと吹っ切れた様子で、ルーカスはようやく本心を口にした。ラーティの従者であることも、そして彼の妻であることも、どちらも捨てられない。ルーカスは両方を取る道を選んだ。

 一方、突き放されることを覚悟していたのだろう、想定していたのとは違う答えに、ラーティは目をみはる。

「今一度、分不相応ぶんふそうおうを承知で申し上げます。私は……貴方が私一人のものであって欲しい」

 隣にいても恥ずかしくないように、そのためならどんな努力も惜しまない。

 こんなに弱く情けない姿をさらした自分を、ラーティは受け入れてくれるだろうかという一抹の不安は──即座に打ち消された。

「この身が欲しいというのなら、いくらでもくれてやる」

 腕を引かれ、ルーカスは広い胸に抱き締められていた。何故不安など抱いたのだろうと後悔するくらい、強く優しく。

「ルーカス、私はお前のものだ……」





「風が、止んだ……」

 精神が集中出来るようにと与えられた屋敷の個室で、ガロンは胡座あぐらをかき、再び使役獣と意識を共有していた。今回使っているのはオカメンコインではなく、ルーカスの警護として密やかに付けていた魔獣だ。

 ガロンには最初からルーカス達の状況が魔獣を通して見えていた。クーペ同様、一方的にやられているルーカスを助けるべく、よっぽど間に割り込みたかったが……彼の意志を尊重してそれはできなかった。

 歯噛みして見守るに徹しているうちに、どうにか解決し事なきを得たと思っていたら、呪いが再発。ルーカスは気を失い、そこへラーティが現れて安心したはずが、ボロボロのルーカスの姿に誤解してとんでもな事態になった。

 ラーティを止めるべく、いよいよ魔獣を使うすんでのところまできた矢先。勇者の紋章を行使してフォルケを吹き飛ばし、あと少しで殺してしまいそうなくらい大荒れに荒れていたラーティを、ルーカスがいとも簡単に正気に引き戻し場を収めてしまったのだ。

流石さすがルーカスだな」

 心配する必要はなかったかと、独りちる。とはいえ、呪いの発動で振り出しどころか状況が悪化した事実はいなめない。

「ガロン? どうしたの?」

 精神を摩耗まもうしたガロンの額に手を当てて、治癒の魔力を注ぐフェリスが話し掛けてきた。

 床に座って大人しく治療を受けていると思っていたら、何やらブツブツ言い出したのが気になったらしい。

 フェリスは勇者パーティーの仲間だけあって、相当腕のいい治療師だ。本当なら今頃とっくに完治しているはずが、オカメンコインとの五感の共有を半ば強制的に解除された反動で、思った以上に精神を摩耗まもうしたらしい。想定の倍は治療に時間が掛かっている。

 一刻も早くルーカス達のところへ駆け付けたいのに、それもままならない。最前線から退しりぞいてルーカスの警護をしているうちに、感覚が鈍ったのかもしれない。もしくは……

「僕ももう二十五歳だし。治りが遅いのは年ってことかなと思っただけだよ」

 二十代半ばでこれなのだ。四十過ぎても現役だったルーカスのタフさと化け物じみた精神力には、考えるだけで鳥肌が立つ。などと思っていたら、

「は、何を突然ジジくさいこと言ってんの? 元々並の魔力しかない凡人のガロンがラーティ様の持つ強大な魔力に当てられたらこうなるよ。あの人勇者なんだから」

「おまっ……えなあ」

 絶句する。治療に手間取っているフェリスの方が、よっぽどガロンの状態を把握している。その彼がそう言うならそうなのだろうが……言い方はともかく、一応慰めているつもりなのだろう、皮肉には気遣いが含まれている。

「お前、自分は魔術の天才だからってよくも人が一番気にしていることを」
 
「あ、それとさっきから気になってたんだけど……」

 恨み言を遮断され、妙な間が流れた。

「何だよ改まって?」

「まさか今、使役獣と意識共有とかしてないよね」

「…………」

 ギクリ。なるほど、さっきからキツい物言いなのはそのせいか。どうやら心配してくれているらしい。フェリスににらみ付けられている気がして、ガロンは顔を上げる。
 
 といっても額に手を当てて治療されているガロンの視界には、癒やしの光しか見えない。声の調子から勝手に推察しただけだが、予感は的中した。

 話がしやすいように、フェリスは手を当てる角度を変えたらしい。癒やしの光が和らいで、顔が見えた。

 渋い顔をしている。それも、互いの鼻がくっつきそうなくらい……近い?

「ん? おまっ近い近い近い近い。その綺麗な顔近付けるなら可愛い女の子にしろ!」

 男に近付いてどーすんだよ。ブツクサ言う。

「今男とか女とか関係ないから」

 打てば響くスッパリした受け答えに、思わず「若いうちからそんな神経質だと、眉間みけんに深い皺ができて伸ばしても取れなくなるぞー」などと言ったのが悪かった。

 フェリスは返事の代わりに片眉をキツく吊り上げた。こわっ! こいつ年下のくせに容赦ねえ。

「…………はあ、仕方ねーだろ。気になるんだからさ」

 妥協したというよりも、弱い犬ほどよく吠えるだ。ガロンが情けなくのたまうのを、フェリスは綺麗にスルーする。

 腕は立つがラーティとルーカスの言うこと以外聞かない、我儘放題の子供だったフェリスが、随分と頼り甲斐がいのある弟分に育ったものだ。

「何笑ってんの?」

 フェリスがギョッと気味悪そうな顔をした。弟分の成長が嬉しいんだとは、言わない方が無難だろう。余計に気味悪がられそうだ。

「いや、お前ももう十八かと思ってさ」

 口達者なはずの自分が言いくるめられるようになったなんてな……と、いやでも感慨深くなる。だからだろうか、何とは無しに話したくなった。

「……僕は以前ウルスラ様の来訪があると知ったとき、ドリスに話したことがあるんだ『俺達が思っているよりも、あの人は遥かに強い』って」

 唐突な話題に「いきなり何の話?」と、疑念を持ったはずなのに、フェリスは茶化すようなことは一切しなかった。多少驚いて目を二、三まばたくと、話の続きを待つ顔でいる。

 フェリスの聞くに徹した態度に、受容された心地よさを覚えて、自然と考えていたことが口から出ていた。

「ルーカスはラーティ様に捨てられたと思って身投げしたのに、言う言葉じゃないって、僕も分かっていたんだ。でもルーカスがクーペを自分の本当の子供みたいに言ったり、接するのを見て思ったんだ。ルーカスの中で何かが変わったんじゃないかって」

 ルーカスの信念は強く、主への忠誠は騎士のそれを上回るほどだ。しかし同時に、裏切られれば自らの命を絶つほどにもろい。

 ラーティへの忠誠心は、ルーカスにとって諸刃もろはの剣でもあるのだ。

「ルーカスの中で何が変わったとガロンは思ったの?」

 続きを辛抱強く待っているフェリスが、ガロンを治療しながら問う。

「ルーカスは一人の時間が長かったからな。自分を大事に思っていて必要としている人達が少なからずいるってことに、多分今まで気付いていなかったんだろーなって思ったんだよ。それに気付いたって、思いたいんだよ、僕は……」

「そっか……そうだね」

 拾ったクーペを息子に迎え、主だったラーティが伴侶となり、その子供を宿してナディルを産んだ。ルーカスは大切なものが増えたことで、簡単には命を捨てられなくなった。そうであってほしい。そう思いたい。

 ばつが悪そうに「期待ばっかして勝手だよな」とこぼす。するとフェリスはゆっくり立ち上がり、ポンッとガロンの背中を叩いた。

「ほら、治療は終わったよ。行こうかルーカス達のところへ」

 あっさりシャキッと現実に引き戻された。こういうのも悪くない。

 中腰にこちらを見下ろす弟分から差し出された手を、ガロンはつかむ。いつの間にか自分と同じくらいに成長した手の感触に、少しの戸惑いと変わりゆく時を感じて。
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