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第二部
47 変わらぬもの(第二部完)
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ルーカスから話を聞いている間、オルガノは多少の驚きは見せたものの。感情を露にすることはなく、反応は至って穏やかなものだった。
話し終えると、オルガノは「そうか」と一言、静かに呟く。彼はやれやれといった風情で嘆息するも、出会った当初の、まだ少年の頃に時折見せてくれた優しい顔をしていた。
懐かしい。彼が大人になってからは、とんと見ることのなかった顔だ。
心の底から純粋にルーカスを慕っている気持ちを、あの頃はこうして表わしてくれたのを思い出す。
ようやく多くの物事が腑に落ちた。そう語らいでもするように、どこか満足げで安心したような眼差しでこちらを見ている。
それからオルガノは王座で頬杖をつき、殊勝顔で傍らにいるルシエラに、ふんっと鼻を鳴らす。
「自ら次代の勇者の血統を選んでおきながら、私に対し神の気に入りとはよく言ったものだ」
「それは言葉の綾でして。申し訳ございません」
「まあいい。それより、さっさと用件をすますがいい。呪いの類いに造詣が深いお前が、ただ見舞いの言葉を言うために来たのでないのはわかっている。ルーカスに掛けられた呪いに関して、何かしらの力添えにきたのだろう?」
「ええ、そのつもりできました」
オルガノに存在を拒絶されることなく、早くしろと急かされて、どこかホッとしたような表情でルシエラが苦笑する。
光の大精霊となった初代勇者も、己の守護する人間には弱いようだ。
「では早速ですが、少し確かめさせてください」
ルシエラが徐にルーカスへ手を差し伸べる。
立膝をついて二人の会話を聞いていたルーカスがオルガノへ視線を送ると、彼は応えて起立の許可を出す。
ルーカスは自分と同じく隣で跪くラーティへチラリと目を向け、変わらず王に頭を垂れる夫の様子を一目してから立ち上がる。
夫と、背後に控える従者たちを残し、ルーカスは王座の方へと歩を進めた。
オルガノの丁度正面までいったところで、彼の後方で待機していたルシエラが進み出る。
互いの距離が適正な位置までくると、ルシエラはニコリと微笑み、それからルーカスの額に手を当てる。彼の掌から癒しの光のようなものが沸き起こり、ルーカスは暫し目を閉じた。
「老婆心ながらお聞きします。もうお姿を現してもよろしいのですか?」
「はい、私の属性を含むほぼ全ての精霊は神の呪縛から開放されましたので。ご心配には及びません。ですが老婆心というには、貴方の今の姿ではいささか違和感がありますね」
ルーカスからの問い掛けに、ルシエラは楽しげに答える。
診察を受けている合間の私的な会話を、オルガノが静かに聞いているのをルーカスは意識するも、「己の守護者だった男、ルシエラの動向に興味が湧いているな」と理解して話を続けた。
「そういえばリュシーには会いましたか? ロザリンドから光の精霊が行方不明でリュシーが探していると聞きましたが」
「闇の精霊にはつい先刻見つかってしまって、事情は全てお話ししました。私が不在にしている間の仕事を引き継いでもらったところです。丁度ローランドから連絡もあったことですし」
「それはつまり、ローランド様から連絡がきたものの、対応に迷われ。側近にも黙って空の古城を抜け出し、一時の避難場所として地上を出歩いていたところ結局はリュシーに見つかってしまい。問い詰められた結果、観念してこれまでの事柄を全て白状させられた。ということですね?」
雲隠れという単語は抜いて、リュシーはそういうところは徹底していますから。と申し添える。
ルーカスは一時の避難場所と例えたが、ようはオルガノとの対面に臆したルシエラが、実は裏で逃げ回っていたと知って、オルガノが「ほう」と白けた顔をしている。
ルシエラはオルガノの友人でもあるリュシーに事情を知られないよう、おそらくまたルーカスにだけこっそりと接触するつもりだったのだろう。だから闇の精霊であるリュシーが探していると知っていても隠れていた。
そう勘付いているルーカスとオルガノの視線に、ルシエラはコホンと小さく咳払いする。
「さて、そろそろよいでしょう」
診察を終えたルシエラが、改まってルーカスの額から手を離す。
「ローランドから貴方の状態は聞きました。竜玉が作用して呪いの進行が抑えられているとか。しかし一部とはいえ、欠損した竜玉の影響が貴方の息子である子ドラゴンの成長を阻害しているようだと。ですが手元に完全な竜玉がなくとも、その子は至って元気のようですね」
大量の菓子を食い散らかしたテーブルの上で、出た腹を上に、イビキをかいて寝ているクーペへルシエラが目をやる。
突然の注目に、会話の妨げとなって気を散らさぬよう、クーペのお口を摘まんでいるガロンが目をパチパチした。
厳密に言えばクーペはガロン相手にイタズラで、たまに竜眼も使っているようだし、今のところ目に見えて弱っている様子はない。
「私の見立てでは貴方にかけられた呪いは安定しているようです。だが生者必滅の呪いとは、呪いを受けた者の命を削る、容易に打ち消すこと罷り成らぬ強力な古代の呪術です。だというのに」
「ここまで私や私の息子への負荷が少ないのには理由がある。そしてルシエラ、呪術の類いに精通している貴方は、既にその理由に気付いている。そう考えてもよろしいだろうか」
話の続きを引き受けたルーカスの重く鋭い口調に、ルシエラは「はい」と真摯に頷く。
「もう一人いるでしょう。貴方の身近に。貴方の夫である現在勇者に匹敵するほどの力を有する、光の紋章を持つ者が」
それが理由ですと返したルシエラに、ルーカスはみるみるうちに驚きの感情を引き出されていく。
確かに、ルーカスの身近にもう一人、光の紋章を持つ者は存在する。
けれどもそれは、まだ生起したばかりの不安定な因子であって、とても自らの意志で力を使いこなすまでには至っていない。──が、
現状、現在勇者のラーティにもっとも近い資質を持つ者であることは、誰の目にも明らかだった。
父親と同じ瞳を持ち、今は屋敷にいて両親と兄の帰宅を待っている光の紋章を受け継ぐ者──
「まさかナディルが?」
ナディルは光の精霊の加護である証、光の紋章をその身に宿し産まれてきた。
紋章の位置は大抵、手足や胴体に現われるものだが、ナディルは珍しく瞳の中に光の紋章を宿している。
ラーティと同じ青い瞳を持つ我が子の左目にある光の紋章は、時折、温かな光を湛えていたものの。今まで一度として、その力を発揮する素振りを見せたことはなかった。
「幼いながらも呪いの余波に魂を引きずられつつある兄と、命を食い破られようとしている母親の危機に咄嗟に反応したのでしょう」
瞠目し、「私は二人の子供たちに守られている」そう茫然と呟くルーカスと、控えて話に聞き入っていたラーティに、ルシエラは優しい眼差しを向ける。
話の腰を折らず、ラーティが冷静そのもので見返すのを、ルシエラは満足げに受けていた。
「貴方は本当に良い夫と息子を持ちましたね。それと子ドラゴンは成長こそ止まっているように見えますが、それは貴方に掛けられた呪いを封じ込めるのに力を多く使っているからであって、緩やかではありますが、少しずつ成長はしています」
ルシエラがさらなる回答を述べ。渦中の子ドラゴンが成長しているという部分にギクリと反応したガロンが、「あっ」と声を出した。
イビキを止めるためお口を摘まんでいた手に、思わず力が入ってしまったらしい。
子供といえど仮にもドラゴンのお口をガロンがキュッと絞ってしまったのを見て、周りの者たちがギョッと息を詰める。
意図せず爆誕してしまった魔獣最強珍種、タコ口子ドラゴンに祝いの言葉を述べる者はおらず。シンと静まり返る王の間。
けれどそこは手練れの魔獣使いである。ガロンはクーペがタコ口のまま起きる寸前、気配を察知し手を素早く離したのだ。
お口の異変に、上半身だけ起こしてボーッとしている寝ぼけ眼のクーペは、何とはなしに首を傾げている。間に合ったようだ。
「緩やかとはどの程度のものか、教えていただけるだろうか」
「そうですね。成長速度は人間の十分の一程度、と言ったところでしょうか」
つまりクーペは成人するまで人の十倍はかかるということになる。
「呪いが解けなければ、少なくとも私たちが生きているうちに、この子が大人に成長する姿を見る機会はないと」
「そうなりますね」
事態を持て余した者たちが引き気味に見守るさなかにも、ルーカスとルシエラは痛い沈黙にも怯まず淡々と話を進めながら、再びクーペとガロンの方へ顔を向ける。
クーペは己の近くに何故ガロンがいるのかと思ったらしい。
そ知らぬ顔でいるガロンを、すっかり目を覚ましたクーペが、ジト目で見ている。信頼とは程遠い。
寝ているときに何かしたのではないかと、疑いの眼差しでガロンをガン見しているクーペと、上級の魔獣使いらしく慣れた様子で惚け続けるガロン。双方、もはや引っ込みがつかないらしい。
これはいよいよ危ういなと判断し、ルーカスがジト目の息子を迎えに行く。「失礼します」と断りを入れてから、菓子の置かれたテーブルへ向かう。
そうして抱っこして戻ってくる間も、クーペは疑いの眼差しをガロンに注いでいるのだが、挙動不審なガロンにルシエラも別の意味で注目していた。
「ああそういえば、呪いを打ち砕くために勇者の紋章を復活させるのに旧王族の知識が必要だが、そこの魔獣使いの力をもちいて冥王ハザードを呼び出すのは避けたい。と言う話ですが。貴方と子ドラゴンは今のところ安定しているようですし、当面は大丈夫でしょう。ならば安全性の高い方法で解決するのが定石では? まあ安全性が高いとは言っても多少の荒事は想定されますが」
突如話題にされて当惑するガロンを尻目に、ルーカスは思い当たる場所を口にする。
「生者のいない魑魅魍魎の住まう境界の地──死神の町か」
「はい。貴方もよく知っている場所ですから、ここから先は私からの説明は不要でしょう」
すると、ルシエラとの会談に疑惑の男、ガロンが遠慮がちに口を開く。
「それってあの、冥王ハザードと同等の力を持つ死神が頭領となり支配するっていう。この世とあの世を繋ぐ町ですか? まさか本当にあるとは……」
「実在はします。ただ、町に入るには通行証が必要となりますので、持たない者は入れませんし、辿り着くことすらできません。それに死神はルーカスに借りがありますので。きっと力を貸してくれるでしょう」
死神の町ともなると、普通の通行証ではないと容易に想像がつく。
それをルーカスが所持しており、加えて頭領の死神に借りがあるとはいったい……とガロンは疎か、ラーティも同じ感想を抱いているようだ。強い関心に、いつもより瞳孔が開いている。
オルガノでさえも「今更ながらここまで底が知れない男だったとはな」と、あずかり知らぬ事柄に呆れ口調で言うのを、皆一様に頷いている。
ルシエラに続き、今度はルーカスがコホンと咳払いして諸々を紛らわす。
「ところで、先程からこの子は頭に菓子を乗せているのですが。共にいるとき何かありましたか?」
円盤状の真ん中に穴が空いたドーナツ型の菓子を、クーペは頭に乗せていた。
最初は寝起きで寝ぼけているのかもしれないと思ったが、そうではないようだ。
頭に菓子を乗せたまま、クーペは大きなおめめでルシエラをキラキラと見上げている。ガロンへの関心は失せたようだ。
今は引っ込んでいるルシエラの頭の光輪を思い起こし、何かあったなと察したルーカスに、けれども彼は普段と変わらぬ笑顔でさらりと答えた。
「いえ、何もありませんでしたよ」
*
ようやく見通しが立ち、一時の安堵のなかにどこか引き締まった様子を見せる従者たち。他に控えている者たちも同様に、穏やかな面持ちでいる。
王の間に流れる安らぎは、頭にドーナツ型の菓子を乗せた我が子、クーペを中心に広がっているようだ。
安穏とした雰囲気にルーカスが気持ちをほぐしていると、オルガノから指示があった。
ルーカスのみ残るよう告げると、他の者には退出の許可が下りた。
形式的な退出の挨拶をすませたルシエラが、精霊の力を介して早々に虚空へ消えたのを皮切りに、他の者たちも片膝を床から離して立ち上がる。
オルガノから何かしら話があるだろうと予測していたルーカスは、起立したラーティに自然と視線を送る。抱っこしているクーペを預けるためだ。
程なくして、息子の身柄を引き取りにラーティがきた。
先刻から頭にドーナツ型の菓子を乗せている息子に、ラーティは「こちらへおいで」と丁寧に話し掛けながら受け取る。
引き渡されたクーペは一瞬キョトンとしたが、次の瞬間には父親向けのキリッとした凛々しい顔付きになる。
たとえ頭に菓子を乗せていようとも、父親に預けられた理由がわからなくとも、クーペはとりあえず全幅の信頼を寄せている父親の前では態度を崩さない。
ルーカスはキリッと父親に抱っこされているクーペの頭を撫でながら、息子を抱っこしている夫の様相に、どこか違和感を感じて問い掛けた。
「ラーティ様?」
いつも通りの冷静な顔付きでいるラーティに、僅かにだが変化があった。
疑念に類する何かを抱いている。しかし信頼が揺らいでいるような負の感情とは違う何か。
注意深く夫を観察し、少しの時間で懸念に勘付いたルーカスに、ラーティが珍しく有無を言わさぬ夫の顔で言った。
「ルーカス、私も屋敷に戻り次第少し話がある」
ラーティの真剣な表情に、ルーカスは物腰を柔らかく答えた。
「畏まりました」
これは──やはり心配をかける要素が多すぎたか。
確信する。ラーティは妻の抱える多くのものを、知らなすぎたかもしれないと考えたようだ。
ルーカスが若返る前、これまで歩んできた長い人生の前半に生じた多くの内情。それを、この淡泊な人が知りたいと感じてくれたことはとても嬉しいのだが……。
真面目に答えたものの。利発な夫になるべく心の負担をかけることなく、どう説明したものか。ルーカスは思考し、思い悩む。
ある程度を包み隠さず話すとして、ましてこの状況下だ。
屋敷に戻った後のことを考えて、ルーカスは内心苦笑するしかない。
かようなルーカスの心中を知ってか知らずか、良い返事をした妻を、不思議な顔をしているクーペと共にラーティは見下ろしていたが。やがて背を向け、扉に向かって歩き出す。
すると、その広い肩越しに、ひょこっと何かが生えた。
クーペがラーティの肩越しに、オルガノに向かって「またね」と短いおててを片方をあげている。
こちらも「こんにちは」の次に新しく覚えた挨拶だ。少し覚え方を間違えたらしく、手を振るのではなく短いおててをまっすぐ挙手するみたいにあげ続けている。
そんなクーペをオルガノは真顔で見ているが、彼の性格上、手を振り返すことはないだろうと息子も何となく理解しているようだ。
抱っこしているラーティが王の間を出るまで、父親の肩越しにクーペはジーッとオルガノを見ながら、手をあげ続けていた。また菓子をもらいに来る気満々らしい。
続いて主であるラーティの退出に合わせ、従者たちがその後を追う。彼らは今しがたまで繰り広げられていた新しい見地に、興奮さめやらぬ様子で王の間を出ていった。
人の気配が薄まった王の間で、一人残ったルーカスは王座にいるオルガノを振り返る。
こちらが改まる前に、オルガノの方から動きがあった。
「死神の町か。行くのは構わんが、死ぬなよ?」
「はい」
言われて、ルーカスは静かに微笑む。
形式的な作法は必要ない。そう起立したままのルーカスを見下ろし、オルガノは淡々と告げる。王座に腰を落ち着けている彼は、それ以上は何も言わなかった。
何を打診されようとも、ルーカスが愛する者のために行動するのをやめるわけがないと、オルガノはこの世の誰よりも理解しているのかもしれない。
共に悠久の時のなかを駆け抜けてきた盟友のように、互いの絆は揺るぎなく。どこか感慨深い空気のなかで、オルガノが席を立った。
彼はルーカスの前までくると、心の整理をするように僅かな間をおいた。そして──
「話はそれだけだ」そう素っ気なく締めて、こちらに背を向け再び歩き出したオルガノに、ルーカスもまた背を向けたまま呼び止めるように言う。
「オルガノ、誰かの誇りであるために行動し続ける貴方を、私は敬愛しております」
ピタリと止まって話を聞いていたオルガノがどのような表情をしているのか、互いに背中を向けていてもわかる。
懐かしくも切ない旅路の果てに辿り着いた優しい時を、オルガノも共有しているのを感じ、ルーカスは己の内に秘めていた最大の秘密を明かす。
「それに知っていましたか? 互いに別の道を歩むと決めたあのとき、私は貴方に別れを切り出されなければ生涯お傍を離れはしなかったでしょう」
話のついでに報告する程度の軽やかさで言うルーカスに、オルガノは心底穏やかな様子で耳を欹てて聞いていた。
「そうか」
「はい」
そうして一切の余分な言動を廃して、一足先にオルガノが出ていった。
パタンと閉ざされた扉を見つめ、ルーカスは一人ごちる。
「我が永遠の主にして友よ。長きに渡る務めのなかで、君はよくやった」
*
オルガノが去った後、頃合いを見計らって王の間を出たルーカスは、王城の廊下を歩きながら、ふと足を止めた。
暖かな日差しに穏やかな風が吹くなか、王城の庭に植わっている新緑に光が反射して輝いている眩しさに、ルーカスは目を細める。
風で目に掛かった前髪を指先で払いながら、ルーカスは息子が必死の思いをして持ってきてくれたローランドの手紙を懐から取り出した。
手にしたローランドの手紙を、ルーカスは慎重に開封する。
内容は想定通り、呪いを解く相談相手としてルシエラを呼んだことの他に、セザンが残した手紙には嘆願書とは別にもう一通あったのだと書かれていた。
そしてローランドの手紙には、その内容についても詳しく触れていた。
先ほどオルガノがルーカス一人を残したのは、もしかしたらそれをルーカスに告げようとしていたのかもしれない。
しかしオルガノが何も語らぬのをローランドは見越していたのだろう。
セザンの手紙を読んだオルガノがどう判断したのか、何故オルガノがルーカスと別れる決断を下したのかが、手紙には克明に記されていた。
それからどう歩いてきたのだろう。
衝撃に堪え、どうにか夫のいる門前に辿り着いた。
ラーティはクーペを馬上に乗せ遊ばせながら、己は地に足を付けて、ルーカスが来るのを待っていた。そんな夫にルーカスはフラフラと近付き、その厚い胸板に顔を押し付けるようにする。
「ルーカス?」
「すみませんラーティ様。今少し……このままでいてもらってもいいだろうか」
人前であまりそういった行動をしないルーカスが、人目を憚らず身を寄せてきたことに、ラーティは一瞬驚きを見せたものの。目を瞑り、縋るように頼み事をするルーカスのただならぬ様子に、即座に「わかった」と落ち着き払った声で答えて、何も聞かず静かに抱き締めてくれた。
*
無事会談を終え、自室へ戻ってきたオルガノは、ラーティが連れてきた従者たちの顔付きを思い出していた。
彼らは皆、忠義に篤く、腕も立つ。理知的で将来を担う有能な若者たちだと、オルガノにはすぐにわかった。
それでも若い世代にとって、現在勇者のラーティは今を生きる英雄であり、その妻たるルーカスは飽くまでも一世代前の英雄として、時代の一部と認識されているところが大きい。
時代の流れであり、致し方のない部分でもあるのだが。
だからこそ、将来ルーカスを真に支える役を担える若き才のある者たちを、ラーティはオルガノとルーカスが対面する場に、あえて指名して連れてきたのだろう。
己の妻であるルーカスの本来の姿を従者たちに見せるために、ラーティは国防に関わる重要な情報が飛び交う会談への同行を許したのだ。
ルーカスは主であるラーティの妻というだけでなく、この国にとってもそれ以上に重要な存在だと認識させるには、その必要があった。
事実、会談を終えた従者たちの目には、これまであった信頼に加えて、はっきりとしたルーカスへの忠義が浮かんでいた。
命に代えても主を守る者の目だ。
今回の会談の内容を、口外することはないだろう。そこまで考え及んで、一つ肩の重荷が降りたような感覚に、オルガノはやれやれと書案の前の豪奢な椅子に腰掛ける。
背もたれに寄りかかりながら、次いで引き出しを開け、そこにある古びた手紙に目を落とす。
セザンの嘆願書に添えられていた。誰もいないところで一人で開けてほしいと、セザンからオルガノ個人へ宛てられたものだ。
「今となっては古びた感傷だ。これはお前にとって、もう知る必要のないものだ。ルーカス」
セザンが遺した手紙には、こう書かれていた。
『すでにご存知かもしれませんが、私には息子が一人おります。息子は私に似た気性の持ち主です。
僭越ながら、もしこの先あの子と出会う機会があったなら、どうか私とは違う平穏な人生を歩めるよう見守っていただけないでしょうか。
そしてできることなら王家には関わらず、健やかに、息子には生きていてほしいのです』
旧王族からオルガノを逃がすために多くを犠牲にして、命を落とした人間が唯一遺した願いを、無下にするなどできなかった。
セザンの遺言通りにオルガノはルーカスと別れた後も、けじめとしてルーカスとの接触を一切断っていた。
だというのに、ルーカスに関して流れてくる噂は、幸せとは縁遠いものばかり。
仕方なく久方ぶりに掘っ建て小屋を訪れてみれば、ルーカスは誰とも添い遂げるつもりもなく、あの粗末な小屋で、生涯独り身で過ごすと決めてしまっていた。
何も求めず、ただ時を過ごすその姿に、オルガノは愕然とした。
大切なものが壊れてしまったような感覚に、恐怖した。
セザンの遺言を反故することになっても構わない。丁度いい時に産まれてきた息子ラーティの警護兵として、オルガノはルーカスを何とか表舞台へ呼び戻した。──が、
その十数年後に、息子が己と同じ過ちを犯したのだ。
二度主君に捨てられたと思ったルーカスが、主なしでは生きられぬと、火山の噴火口から身を投げ出したと後から知って、オルガノは深い絶望を味わい決意した。
もう二度と、ルーカスの心を殺す真似はすまいと。
自身を含め、そのような真似をする輩は、誰であろうと全て手ずから排除する。決して許しはすまいと。
当時の心境に向き合い、思いを馳せる頭に、ふと手紙に書かれていた最後の文面がよぎった。
『しかしもし、息子が平穏ではない人生の選択を望むその時は……』
会談で、呪いの解除に勇者の紋章を行使した後でラーティに王座を渡すつもりかと、ルーカスに引退を聞かれたとき。
前王亡き今、解呪の方法がそれしかないというのなら、それで勇者の紋章を行使した負荷が全身を冒し、王座を失ったとしても悪くはない。最愛の人の役に立つのならば、人生の集大成として、そういう幕引きも悪くはない。そう思った。
オルガノはゆっくりと席を離れると、窓辺に立つ。
眺望を望み。何を語るでもなく、心の中で呟く。
(今のお前には多くの失えないものができた。だからお前は、私など気にせず先へ進め)
ローランドが手紙で何を伝えていたとしても、ルーカスを妻としなかった己の選択を、オルガノがこの先明かすことはない。
ずっと、それは変わりはしないだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第二部END
大変長らくお待たせいたしました。
これにて第二部は完結となります。ご愛読、誠にありがとうございました。
また、いいねや感想等々、沢山の応援、本当にありがとうございました。
一番の執筆の支えになりました。
重ねてお礼申し上げます。
今後の予定などにつきまして、また追って近況ボードなどからご連絡出来ればと思っております。
次回は「第4回次世代ファンタジーカップ」での投稿となりますが、ご興味ありましたら、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。
それではまた、お会いできるときを楽しみにしております…!
話し終えると、オルガノは「そうか」と一言、静かに呟く。彼はやれやれといった風情で嘆息するも、出会った当初の、まだ少年の頃に時折見せてくれた優しい顔をしていた。
懐かしい。彼が大人になってからは、とんと見ることのなかった顔だ。
心の底から純粋にルーカスを慕っている気持ちを、あの頃はこうして表わしてくれたのを思い出す。
ようやく多くの物事が腑に落ちた。そう語らいでもするように、どこか満足げで安心したような眼差しでこちらを見ている。
それからオルガノは王座で頬杖をつき、殊勝顔で傍らにいるルシエラに、ふんっと鼻を鳴らす。
「自ら次代の勇者の血統を選んでおきながら、私に対し神の気に入りとはよく言ったものだ」
「それは言葉の綾でして。申し訳ございません」
「まあいい。それより、さっさと用件をすますがいい。呪いの類いに造詣が深いお前が、ただ見舞いの言葉を言うために来たのでないのはわかっている。ルーカスに掛けられた呪いに関して、何かしらの力添えにきたのだろう?」
「ええ、そのつもりできました」
オルガノに存在を拒絶されることなく、早くしろと急かされて、どこかホッとしたような表情でルシエラが苦笑する。
光の大精霊となった初代勇者も、己の守護する人間には弱いようだ。
「では早速ですが、少し確かめさせてください」
ルシエラが徐にルーカスへ手を差し伸べる。
立膝をついて二人の会話を聞いていたルーカスがオルガノへ視線を送ると、彼は応えて起立の許可を出す。
ルーカスは自分と同じく隣で跪くラーティへチラリと目を向け、変わらず王に頭を垂れる夫の様子を一目してから立ち上がる。
夫と、背後に控える従者たちを残し、ルーカスは王座の方へと歩を進めた。
オルガノの丁度正面までいったところで、彼の後方で待機していたルシエラが進み出る。
互いの距離が適正な位置までくると、ルシエラはニコリと微笑み、それからルーカスの額に手を当てる。彼の掌から癒しの光のようなものが沸き起こり、ルーカスは暫し目を閉じた。
「老婆心ながらお聞きします。もうお姿を現してもよろしいのですか?」
「はい、私の属性を含むほぼ全ての精霊は神の呪縛から開放されましたので。ご心配には及びません。ですが老婆心というには、貴方の今の姿ではいささか違和感がありますね」
ルーカスからの問い掛けに、ルシエラは楽しげに答える。
診察を受けている合間の私的な会話を、オルガノが静かに聞いているのをルーカスは意識するも、「己の守護者だった男、ルシエラの動向に興味が湧いているな」と理解して話を続けた。
「そういえばリュシーには会いましたか? ロザリンドから光の精霊が行方不明でリュシーが探していると聞きましたが」
「闇の精霊にはつい先刻見つかってしまって、事情は全てお話ししました。私が不在にしている間の仕事を引き継いでもらったところです。丁度ローランドから連絡もあったことですし」
「それはつまり、ローランド様から連絡がきたものの、対応に迷われ。側近にも黙って空の古城を抜け出し、一時の避難場所として地上を出歩いていたところ結局はリュシーに見つかってしまい。問い詰められた結果、観念してこれまでの事柄を全て白状させられた。ということですね?」
雲隠れという単語は抜いて、リュシーはそういうところは徹底していますから。と申し添える。
ルーカスは一時の避難場所と例えたが、ようはオルガノとの対面に臆したルシエラが、実は裏で逃げ回っていたと知って、オルガノが「ほう」と白けた顔をしている。
ルシエラはオルガノの友人でもあるリュシーに事情を知られないよう、おそらくまたルーカスにだけこっそりと接触するつもりだったのだろう。だから闇の精霊であるリュシーが探していると知っていても隠れていた。
そう勘付いているルーカスとオルガノの視線に、ルシエラはコホンと小さく咳払いする。
「さて、そろそろよいでしょう」
診察を終えたルシエラが、改まってルーカスの額から手を離す。
「ローランドから貴方の状態は聞きました。竜玉が作用して呪いの進行が抑えられているとか。しかし一部とはいえ、欠損した竜玉の影響が貴方の息子である子ドラゴンの成長を阻害しているようだと。ですが手元に完全な竜玉がなくとも、その子は至って元気のようですね」
大量の菓子を食い散らかしたテーブルの上で、出た腹を上に、イビキをかいて寝ているクーペへルシエラが目をやる。
突然の注目に、会話の妨げとなって気を散らさぬよう、クーペのお口を摘まんでいるガロンが目をパチパチした。
厳密に言えばクーペはガロン相手にイタズラで、たまに竜眼も使っているようだし、今のところ目に見えて弱っている様子はない。
「私の見立てでは貴方にかけられた呪いは安定しているようです。だが生者必滅の呪いとは、呪いを受けた者の命を削る、容易に打ち消すこと罷り成らぬ強力な古代の呪術です。だというのに」
「ここまで私や私の息子への負荷が少ないのには理由がある。そしてルシエラ、呪術の類いに精通している貴方は、既にその理由に気付いている。そう考えてもよろしいだろうか」
話の続きを引き受けたルーカスの重く鋭い口調に、ルシエラは「はい」と真摯に頷く。
「もう一人いるでしょう。貴方の身近に。貴方の夫である現在勇者に匹敵するほどの力を有する、光の紋章を持つ者が」
それが理由ですと返したルシエラに、ルーカスはみるみるうちに驚きの感情を引き出されていく。
確かに、ルーカスの身近にもう一人、光の紋章を持つ者は存在する。
けれどもそれは、まだ生起したばかりの不安定な因子であって、とても自らの意志で力を使いこなすまでには至っていない。──が、
現状、現在勇者のラーティにもっとも近い資質を持つ者であることは、誰の目にも明らかだった。
父親と同じ瞳を持ち、今は屋敷にいて両親と兄の帰宅を待っている光の紋章を受け継ぐ者──
「まさかナディルが?」
ナディルは光の精霊の加護である証、光の紋章をその身に宿し産まれてきた。
紋章の位置は大抵、手足や胴体に現われるものだが、ナディルは珍しく瞳の中に光の紋章を宿している。
ラーティと同じ青い瞳を持つ我が子の左目にある光の紋章は、時折、温かな光を湛えていたものの。今まで一度として、その力を発揮する素振りを見せたことはなかった。
「幼いながらも呪いの余波に魂を引きずられつつある兄と、命を食い破られようとしている母親の危機に咄嗟に反応したのでしょう」
瞠目し、「私は二人の子供たちに守られている」そう茫然と呟くルーカスと、控えて話に聞き入っていたラーティに、ルシエラは優しい眼差しを向ける。
話の腰を折らず、ラーティが冷静そのもので見返すのを、ルシエラは満足げに受けていた。
「貴方は本当に良い夫と息子を持ちましたね。それと子ドラゴンは成長こそ止まっているように見えますが、それは貴方に掛けられた呪いを封じ込めるのに力を多く使っているからであって、緩やかではありますが、少しずつ成長はしています」
ルシエラがさらなる回答を述べ。渦中の子ドラゴンが成長しているという部分にギクリと反応したガロンが、「あっ」と声を出した。
イビキを止めるためお口を摘まんでいた手に、思わず力が入ってしまったらしい。
子供といえど仮にもドラゴンのお口をガロンがキュッと絞ってしまったのを見て、周りの者たちがギョッと息を詰める。
意図せず爆誕してしまった魔獣最強珍種、タコ口子ドラゴンに祝いの言葉を述べる者はおらず。シンと静まり返る王の間。
けれどそこは手練れの魔獣使いである。ガロンはクーペがタコ口のまま起きる寸前、気配を察知し手を素早く離したのだ。
お口の異変に、上半身だけ起こしてボーッとしている寝ぼけ眼のクーペは、何とはなしに首を傾げている。間に合ったようだ。
「緩やかとはどの程度のものか、教えていただけるだろうか」
「そうですね。成長速度は人間の十分の一程度、と言ったところでしょうか」
つまりクーペは成人するまで人の十倍はかかるということになる。
「呪いが解けなければ、少なくとも私たちが生きているうちに、この子が大人に成長する姿を見る機会はないと」
「そうなりますね」
事態を持て余した者たちが引き気味に見守るさなかにも、ルーカスとルシエラは痛い沈黙にも怯まず淡々と話を進めながら、再びクーペとガロンの方へ顔を向ける。
クーペは己の近くに何故ガロンがいるのかと思ったらしい。
そ知らぬ顔でいるガロンを、すっかり目を覚ましたクーペが、ジト目で見ている。信頼とは程遠い。
寝ているときに何かしたのではないかと、疑いの眼差しでガロンをガン見しているクーペと、上級の魔獣使いらしく慣れた様子で惚け続けるガロン。双方、もはや引っ込みがつかないらしい。
これはいよいよ危ういなと判断し、ルーカスがジト目の息子を迎えに行く。「失礼します」と断りを入れてから、菓子の置かれたテーブルへ向かう。
そうして抱っこして戻ってくる間も、クーペは疑いの眼差しをガロンに注いでいるのだが、挙動不審なガロンにルシエラも別の意味で注目していた。
「ああそういえば、呪いを打ち砕くために勇者の紋章を復活させるのに旧王族の知識が必要だが、そこの魔獣使いの力をもちいて冥王ハザードを呼び出すのは避けたい。と言う話ですが。貴方と子ドラゴンは今のところ安定しているようですし、当面は大丈夫でしょう。ならば安全性の高い方法で解決するのが定石では? まあ安全性が高いとは言っても多少の荒事は想定されますが」
突如話題にされて当惑するガロンを尻目に、ルーカスは思い当たる場所を口にする。
「生者のいない魑魅魍魎の住まう境界の地──死神の町か」
「はい。貴方もよく知っている場所ですから、ここから先は私からの説明は不要でしょう」
すると、ルシエラとの会談に疑惑の男、ガロンが遠慮がちに口を開く。
「それってあの、冥王ハザードと同等の力を持つ死神が頭領となり支配するっていう。この世とあの世を繋ぐ町ですか? まさか本当にあるとは……」
「実在はします。ただ、町に入るには通行証が必要となりますので、持たない者は入れませんし、辿り着くことすらできません。それに死神はルーカスに借りがありますので。きっと力を貸してくれるでしょう」
死神の町ともなると、普通の通行証ではないと容易に想像がつく。
それをルーカスが所持しており、加えて頭領の死神に借りがあるとはいったい……とガロンは疎か、ラーティも同じ感想を抱いているようだ。強い関心に、いつもより瞳孔が開いている。
オルガノでさえも「今更ながらここまで底が知れない男だったとはな」と、あずかり知らぬ事柄に呆れ口調で言うのを、皆一様に頷いている。
ルシエラに続き、今度はルーカスがコホンと咳払いして諸々を紛らわす。
「ところで、先程からこの子は頭に菓子を乗せているのですが。共にいるとき何かありましたか?」
円盤状の真ん中に穴が空いたドーナツ型の菓子を、クーペは頭に乗せていた。
最初は寝起きで寝ぼけているのかもしれないと思ったが、そうではないようだ。
頭に菓子を乗せたまま、クーペは大きなおめめでルシエラをキラキラと見上げている。ガロンへの関心は失せたようだ。
今は引っ込んでいるルシエラの頭の光輪を思い起こし、何かあったなと察したルーカスに、けれども彼は普段と変わらぬ笑顔でさらりと答えた。
「いえ、何もありませんでしたよ」
*
ようやく見通しが立ち、一時の安堵のなかにどこか引き締まった様子を見せる従者たち。他に控えている者たちも同様に、穏やかな面持ちでいる。
王の間に流れる安らぎは、頭にドーナツ型の菓子を乗せた我が子、クーペを中心に広がっているようだ。
安穏とした雰囲気にルーカスが気持ちをほぐしていると、オルガノから指示があった。
ルーカスのみ残るよう告げると、他の者には退出の許可が下りた。
形式的な退出の挨拶をすませたルシエラが、精霊の力を介して早々に虚空へ消えたのを皮切りに、他の者たちも片膝を床から離して立ち上がる。
オルガノから何かしら話があるだろうと予測していたルーカスは、起立したラーティに自然と視線を送る。抱っこしているクーペを預けるためだ。
程なくして、息子の身柄を引き取りにラーティがきた。
先刻から頭にドーナツ型の菓子を乗せている息子に、ラーティは「こちらへおいで」と丁寧に話し掛けながら受け取る。
引き渡されたクーペは一瞬キョトンとしたが、次の瞬間には父親向けのキリッとした凛々しい顔付きになる。
たとえ頭に菓子を乗せていようとも、父親に預けられた理由がわからなくとも、クーペはとりあえず全幅の信頼を寄せている父親の前では態度を崩さない。
ルーカスはキリッと父親に抱っこされているクーペの頭を撫でながら、息子を抱っこしている夫の様相に、どこか違和感を感じて問い掛けた。
「ラーティ様?」
いつも通りの冷静な顔付きでいるラーティに、僅かにだが変化があった。
疑念に類する何かを抱いている。しかし信頼が揺らいでいるような負の感情とは違う何か。
注意深く夫を観察し、少しの時間で懸念に勘付いたルーカスに、ラーティが珍しく有無を言わさぬ夫の顔で言った。
「ルーカス、私も屋敷に戻り次第少し話がある」
ラーティの真剣な表情に、ルーカスは物腰を柔らかく答えた。
「畏まりました」
これは──やはり心配をかける要素が多すぎたか。
確信する。ラーティは妻の抱える多くのものを、知らなすぎたかもしれないと考えたようだ。
ルーカスが若返る前、これまで歩んできた長い人生の前半に生じた多くの内情。それを、この淡泊な人が知りたいと感じてくれたことはとても嬉しいのだが……。
真面目に答えたものの。利発な夫になるべく心の負担をかけることなく、どう説明したものか。ルーカスは思考し、思い悩む。
ある程度を包み隠さず話すとして、ましてこの状況下だ。
屋敷に戻った後のことを考えて、ルーカスは内心苦笑するしかない。
かようなルーカスの心中を知ってか知らずか、良い返事をした妻を、不思議な顔をしているクーペと共にラーティは見下ろしていたが。やがて背を向け、扉に向かって歩き出す。
すると、その広い肩越しに、ひょこっと何かが生えた。
クーペがラーティの肩越しに、オルガノに向かって「またね」と短いおててを片方をあげている。
こちらも「こんにちは」の次に新しく覚えた挨拶だ。少し覚え方を間違えたらしく、手を振るのではなく短いおててをまっすぐ挙手するみたいにあげ続けている。
そんなクーペをオルガノは真顔で見ているが、彼の性格上、手を振り返すことはないだろうと息子も何となく理解しているようだ。
抱っこしているラーティが王の間を出るまで、父親の肩越しにクーペはジーッとオルガノを見ながら、手をあげ続けていた。また菓子をもらいに来る気満々らしい。
続いて主であるラーティの退出に合わせ、従者たちがその後を追う。彼らは今しがたまで繰り広げられていた新しい見地に、興奮さめやらぬ様子で王の間を出ていった。
人の気配が薄まった王の間で、一人残ったルーカスは王座にいるオルガノを振り返る。
こちらが改まる前に、オルガノの方から動きがあった。
「死神の町か。行くのは構わんが、死ぬなよ?」
「はい」
言われて、ルーカスは静かに微笑む。
形式的な作法は必要ない。そう起立したままのルーカスを見下ろし、オルガノは淡々と告げる。王座に腰を落ち着けている彼は、それ以上は何も言わなかった。
何を打診されようとも、ルーカスが愛する者のために行動するのをやめるわけがないと、オルガノはこの世の誰よりも理解しているのかもしれない。
共に悠久の時のなかを駆け抜けてきた盟友のように、互いの絆は揺るぎなく。どこか感慨深い空気のなかで、オルガノが席を立った。
彼はルーカスの前までくると、心の整理をするように僅かな間をおいた。そして──
「話はそれだけだ」そう素っ気なく締めて、こちらに背を向け再び歩き出したオルガノに、ルーカスもまた背を向けたまま呼び止めるように言う。
「オルガノ、誰かの誇りであるために行動し続ける貴方を、私は敬愛しております」
ピタリと止まって話を聞いていたオルガノがどのような表情をしているのか、互いに背中を向けていてもわかる。
懐かしくも切ない旅路の果てに辿り着いた優しい時を、オルガノも共有しているのを感じ、ルーカスは己の内に秘めていた最大の秘密を明かす。
「それに知っていましたか? 互いに別の道を歩むと決めたあのとき、私は貴方に別れを切り出されなければ生涯お傍を離れはしなかったでしょう」
話のついでに報告する程度の軽やかさで言うルーカスに、オルガノは心底穏やかな様子で耳を欹てて聞いていた。
「そうか」
「はい」
そうして一切の余分な言動を廃して、一足先にオルガノが出ていった。
パタンと閉ざされた扉を見つめ、ルーカスは一人ごちる。
「我が永遠の主にして友よ。長きに渡る務めのなかで、君はよくやった」
*
オルガノが去った後、頃合いを見計らって王の間を出たルーカスは、王城の廊下を歩きながら、ふと足を止めた。
暖かな日差しに穏やかな風が吹くなか、王城の庭に植わっている新緑に光が反射して輝いている眩しさに、ルーカスは目を細める。
風で目に掛かった前髪を指先で払いながら、ルーカスは息子が必死の思いをして持ってきてくれたローランドの手紙を懐から取り出した。
手にしたローランドの手紙を、ルーカスは慎重に開封する。
内容は想定通り、呪いを解く相談相手としてルシエラを呼んだことの他に、セザンが残した手紙には嘆願書とは別にもう一通あったのだと書かれていた。
そしてローランドの手紙には、その内容についても詳しく触れていた。
先ほどオルガノがルーカス一人を残したのは、もしかしたらそれをルーカスに告げようとしていたのかもしれない。
しかしオルガノが何も語らぬのをローランドは見越していたのだろう。
セザンの手紙を読んだオルガノがどう判断したのか、何故オルガノがルーカスと別れる決断を下したのかが、手紙には克明に記されていた。
それからどう歩いてきたのだろう。
衝撃に堪え、どうにか夫のいる門前に辿り着いた。
ラーティはクーペを馬上に乗せ遊ばせながら、己は地に足を付けて、ルーカスが来るのを待っていた。そんな夫にルーカスはフラフラと近付き、その厚い胸板に顔を押し付けるようにする。
「ルーカス?」
「すみませんラーティ様。今少し……このままでいてもらってもいいだろうか」
人前であまりそういった行動をしないルーカスが、人目を憚らず身を寄せてきたことに、ラーティは一瞬驚きを見せたものの。目を瞑り、縋るように頼み事をするルーカスのただならぬ様子に、即座に「わかった」と落ち着き払った声で答えて、何も聞かず静かに抱き締めてくれた。
*
無事会談を終え、自室へ戻ってきたオルガノは、ラーティが連れてきた従者たちの顔付きを思い出していた。
彼らは皆、忠義に篤く、腕も立つ。理知的で将来を担う有能な若者たちだと、オルガノにはすぐにわかった。
それでも若い世代にとって、現在勇者のラーティは今を生きる英雄であり、その妻たるルーカスは飽くまでも一世代前の英雄として、時代の一部と認識されているところが大きい。
時代の流れであり、致し方のない部分でもあるのだが。
だからこそ、将来ルーカスを真に支える役を担える若き才のある者たちを、ラーティはオルガノとルーカスが対面する場に、あえて指名して連れてきたのだろう。
己の妻であるルーカスの本来の姿を従者たちに見せるために、ラーティは国防に関わる重要な情報が飛び交う会談への同行を許したのだ。
ルーカスは主であるラーティの妻というだけでなく、この国にとってもそれ以上に重要な存在だと認識させるには、その必要があった。
事実、会談を終えた従者たちの目には、これまであった信頼に加えて、はっきりとしたルーカスへの忠義が浮かんでいた。
命に代えても主を守る者の目だ。
今回の会談の内容を、口外することはないだろう。そこまで考え及んで、一つ肩の重荷が降りたような感覚に、オルガノはやれやれと書案の前の豪奢な椅子に腰掛ける。
背もたれに寄りかかりながら、次いで引き出しを開け、そこにある古びた手紙に目を落とす。
セザンの嘆願書に添えられていた。誰もいないところで一人で開けてほしいと、セザンからオルガノ個人へ宛てられたものだ。
「今となっては古びた感傷だ。これはお前にとって、もう知る必要のないものだ。ルーカス」
セザンが遺した手紙には、こう書かれていた。
『すでにご存知かもしれませんが、私には息子が一人おります。息子は私に似た気性の持ち主です。
僭越ながら、もしこの先あの子と出会う機会があったなら、どうか私とは違う平穏な人生を歩めるよう見守っていただけないでしょうか。
そしてできることなら王家には関わらず、健やかに、息子には生きていてほしいのです』
旧王族からオルガノを逃がすために多くを犠牲にして、命を落とした人間が唯一遺した願いを、無下にするなどできなかった。
セザンの遺言通りにオルガノはルーカスと別れた後も、けじめとしてルーカスとの接触を一切断っていた。
だというのに、ルーカスに関して流れてくる噂は、幸せとは縁遠いものばかり。
仕方なく久方ぶりに掘っ建て小屋を訪れてみれば、ルーカスは誰とも添い遂げるつもりもなく、あの粗末な小屋で、生涯独り身で過ごすと決めてしまっていた。
何も求めず、ただ時を過ごすその姿に、オルガノは愕然とした。
大切なものが壊れてしまったような感覚に、恐怖した。
セザンの遺言を反故することになっても構わない。丁度いい時に産まれてきた息子ラーティの警護兵として、オルガノはルーカスを何とか表舞台へ呼び戻した。──が、
その十数年後に、息子が己と同じ過ちを犯したのだ。
二度主君に捨てられたと思ったルーカスが、主なしでは生きられぬと、火山の噴火口から身を投げ出したと後から知って、オルガノは深い絶望を味わい決意した。
もう二度と、ルーカスの心を殺す真似はすまいと。
自身を含め、そのような真似をする輩は、誰であろうと全て手ずから排除する。決して許しはすまいと。
当時の心境に向き合い、思いを馳せる頭に、ふと手紙に書かれていた最後の文面がよぎった。
『しかしもし、息子が平穏ではない人生の選択を望むその時は……』
会談で、呪いの解除に勇者の紋章を行使した後でラーティに王座を渡すつもりかと、ルーカスに引退を聞かれたとき。
前王亡き今、解呪の方法がそれしかないというのなら、それで勇者の紋章を行使した負荷が全身を冒し、王座を失ったとしても悪くはない。最愛の人の役に立つのならば、人生の集大成として、そういう幕引きも悪くはない。そう思った。
オルガノはゆっくりと席を離れると、窓辺に立つ。
眺望を望み。何を語るでもなく、心の中で呟く。
(今のお前には多くの失えないものができた。だからお前は、私など気にせず先へ進め)
ローランドが手紙で何を伝えていたとしても、ルーカスを妻としなかった己の選択を、オルガノがこの先明かすことはない。
ずっと、それは変わりはしないだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第二部END
大変長らくお待たせいたしました。
これにて第二部は完結となります。ご愛読、誠にありがとうございました。
また、いいねや感想等々、沢山の応援、本当にありがとうございました。
一番の執筆の支えになりました。
重ねてお礼申し上げます。
今後の予定などにつきまして、また追って近況ボードなどからご連絡出来ればと思っております。
次回は「第4回次世代ファンタジーカップ」での投稿となりますが、ご興味ありましたら、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。
それではまた、お会いできるときを楽しみにしております…!
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