C-LOVERS

佑佳

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TRUST

2-3 CLOWN smiles meaningfully

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 同日木曜日、フランス──某所アパルトマン。


 愛用のノートPCの画面に向かってほがらかに笑む善一。もちろんビジネスとしてなので、YOSSY the CLOWNの仮面を装備済み。
 「初めまして」の挨拶を終えて、画面に映る一人の男性へと口を開いた。
「実に熱心なマネジメント売り込みで、久々に根負けしてしまいました」
 文字に起こせそうなアッハッハを響かせるYOSSY the CLOWN。しかしそこに嫌味は無い。
『あぁ、すみません。彼女マネージャーは頑固だし押しが強くて、良くも悪くもかたくなでして』
「いやいや、マネージャーはむしろそのくらいじゃないと。『アーティストへより良い仕事を廻すんだ』という、気迫と熱意が伝わりましたから。だからこそ僕はお引き受けしたわけですよ、Signoreシニョーレ秀介しゅうすけ
 初夏の青空を思わせる、『爽やか』を体現したかのような男性──秀介は、照れ困ったようにその口元に左拳を持っていった。

 YOSSY the CLOWNは、ヨーロッパで有名になりつつある画家・後藤ごとう秀介とのコラボレーションパフォーマンスを依頼され、引き受けた。今回はその初顔合わせ。双方の事情を加味してテレビ通話による打ち合わせを行うことになり、ここに至る。

「それで、さっそく打ち合わせですが──」
 四〇分間ほど、画家後藤の希望事項とパフォーマーYOSSY the CLOWNの実行可能事項の、擦り合わせと計画が練られる。
 同年代の二人。厳密には、画家後藤の方が善一よりもふたつ上だが、『ハタチ過ぎればなんとやら』。まるで旧知の仲であるかのような、丁度よく気を使い合わない居心地のよさを互いに感じ、穏やかに打ち合わせは収束した。

『じゃあ、そのようにこちらも作品作りに取りかかります』
j’ai comprisわかりました。ところでSignoreシニョーレ、ひとつお願いしたいことが」
『はい、なんでしょう』
「作品を一点、購入させていただきたいと思ってます」
『えっ、ほんとですか。ありがとうございます!』
 そうして、形のよい切れ長の目を丸くする画家後藤。照れた笑みが、彼自身の無垢な部分をあらわにする。
『光栄だなぁ、あの有名な世界のYOSSY the CLOWNに、私の作品を手にしていただけるなんて』
「フフッ、僕も楽しみです」
『なにかお好みのもの、ございましたか』
「ええと、失礼かもしれないし贅沢な話ではありますが、よろしければ、作品に入れ込んだ熱情なんかを拝聴しながら選ばせて戴けたら、極上に嬉しいかな、なんて」
 顎を引き、珍しく耳を染めるYOSSY the CLOWN。
 そこに人間味を見て取った画家後藤は、徐々に懐古かいこ的な気持ちになった。こんなように照れ恥じらう女性に恋をした、あの日々がよぎる。
『はは、構いませんよ。このくらいの時間帯でよければ、いつでもYOSSYさんのために、こうしてPCの前に座ってます』
「じゃあ早速、明後日はいかがですか」
『ええ、もちろん』
 光の速さでまとまる話。決めたら即行動がモットーの善一すらも戸惑う速さで、噛み締めるまでに時間を要した。
「ほ、ホントに?」
『はい。こんな機会、私にとっても一度あるかないかでしょうし。ラッキーは逃したくないのが昔からの性分で』
「ラッキーは逃したくない、か。フフ、確かにそうですね」
『でしょう? よろしかったら、お選びいただいた作品は差し上げますよ』
「それはダメです」
 前のめりになるように腰を浮かせ、真顔を作るYOSSY the CLOWN。柔らかく笑んでいた画家後藤は、二度のまばたきと共に眉上げた。
「作品のどれもこれもが、Signoreが心血を注ぎ、丹精を込めたかけがえのない作品たからだ。相手が誰であろうと、きちんと金銭価値を付けて提示してください」
 バキリ、画家後藤の胸の奥につかえていたものにヒビが入ったような。
「僕が金銭を支払うのは、Signoreの作品に対する姿勢と熱意に対してです。たとえ習作練習用だったとしても、あなたはいち芸術家アーティストとしてきちんと顧客から金銭を取らなければいけない」
 YOSSY the CLOWNの気迫と主張に、呆気に取られる画家後藤
「あなたはその金を、次に控えているであろう作品作りに是非とも生かして。もしそれがしっくりこないなら、その金で一番美味いベルギーワッフルでも召し上がってきてください。Signoreご自身のために」
 半腰のYOSSY the CLOWNは、スゥと一呼吸吸い込んでから、再び椅子へ腰を落とした。
 二〇秒ほど経って、画家後藤は静かに口を開く。
『あなたは、不思議な人だ』
 寂しそうに笑んでから、画家後藤は「あーあ」と画面の向こうで天井を仰いだ。吹っ切れたようにアハハとサッパリ笑い飛ばし、YOSSY the CLOWNに向き直る。
『仰るとおりだ、YOSSYさん。そういう大切なことすら忘れてしまうくらい、俺は自分自身を見失っていた。そりゃ、描けないわけだ』
「……描けてなかったんですか」
『ちょっとね。スランプってやつですかね、普段ならどうでもいいと思える一言に、数か月間捕らわれていたんです』
「でも、もうSignoreはそこから自由になった。一分前と面持ちが違う」
 顔を見合う二人。YOSSY the CLOWNが薄く笑むと、画家後藤は抱いていた懐古感から創作意欲が沸いた。ゆるゆると頬が緩む。
『あなたは本当に変わってる。俺の正当性当たり前を壊して、それに固執していた俺を解放してくれた。なんだかまるで……』
 まるであの頃の彼女のように、と付け加えようかを迷って、画家後藤は口腔内で溶かし、呑み込むに留まる。一度目を伏せ、「いや」と小さく笑って流した。
『YOSSYさん、胸のつかえが取れました。あなたはクラウン道化師というよりも、私にとってはウィザード魔法使いのようです』
 画家後藤があまりにも晴々しい表情を向けているので、善一もつられて表情を柔く崩した。
「Signoreがそう仰るなら、僕はきっと何にでもなれます」
 チャキリ、と薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズの位置を直すYOSSY the CLOWN。
『そうだ。先に送り先を訊いておいてもいいですか? すぐにお送りできるように』
「ええ、ありがとうございます」
『フランスのどちらに?』
「あぁ、すみません。日本にお願いできますか」
『日本? あれ、ご自宅は日本なんです?』
「拠点を移すために引っ越すんですよ、来週末。だから実は、こんなにダンボールまみれで」
 ノートPCを持ち上げた善一は、ぐるりと部屋の奥を映した。至るところで山積みされているダンボール。しかし整頓してあって、なんとも几帳面な片付けられ方に、画家後藤は「ワオ」と目を丸くした。
「僕も最近、夢にきちんと向き合おうと思えてきたんです。自分の価値を、最も大切な人に認めてもらうことが、僕の夢の根本こんぽんなんです。結構怖いもんですが」
『じゃあその恐怖心もひっくるめて、共に向き合いましょう。きっと私たちは、既に夢に両の手を掛けているんだ』
 苦難も夢への付加価値である──画家後藤は小さく呟いて、YOSSY the CLOWNへ再び爽やかに笑んで見せた。

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