runaway

佑佳

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episode ONE

黄昏と暁は離別せり

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        ▲▼ ▲▼


 聞いて、アメリア。

 今日、ケンが告白されているところを立ち聞きしてしまったの。でも、本当は居合わせただけなの。アメリアなら、わかってくれる?

 ケンに告白してた相手は、隣のクラスのナタリーでね。あ、ナタリーはこの前、三年の先輩に浮気がバレて別れたばかりなのね。だからすんごくハラハラしちゃった。ケンが、浮気性のナタリーに誘惑されないかどうか。

 結局、ケンが振ってたよ。
 ちょっと安心した?
 ワタシは安心した。すごく。

 今夜もいい夢が視られそう。
 おやすみ。           アヤ


        ▲▼ ▲▼


 B5ノートの日記へ目通しし、私はほう、と浅い溜め息をいた。
 時刻は一八時三三分。今日の夕食は……あぁ、バケットとビーフシチューか。これはアヤの手製。小さなサラダも付いている。
 アヤは料理が上手い。このビーフシチューの牛肉がホロホロトロトロなのは、食べなくたってわかる。「隠し味にインスタントコーヒーをパラつかせるの」なぁんて言ってたっけ。それで深みが得られるんだって。よく知ってるなぁ。
「んー、『やっほー、アヤ』、と」
 まずそこまでを次のページへ書いて、ペンを一旦その場へ置いた。

 ビーフシチューをコンロで暖め直している間に、バケットを適量切り出して、軽く表面をあぶり焼き。用意されていたスープ皿へビーフシチューをたんまり注ぐ。端にバケットを刺し並べて、小鉢のサラダを冷蔵庫から出して隣へ添えれば、私の夕食の完成。
「いただきます」
 一人の食卓。天井から下がるペンダントライトのオレンジが物悲しくともっている。
 スプーンを口へ運びながら、アヤへの返事を考える私。

 そう。さっきの日記は、私とアヤの交換日記。
 アヤが過ごした時間を、ここへアヤが書き込んだことが始まり。はじめは私だけの日記帳だったんだけど、ある時急に書き込まれるようになった。
 アヤの日々をこうして文字で眺めると、楽しくて、ハラハラしたり応援したくなることばかりになる。だけど、同時にそれはとても苦しいことだった。
 
 だって私、アヤのことが好きなの。
 友情だとかそんなチンケなものじゃあなくて、どうしようもないくらい、大好きなの。
 私自身が同性愛者なわけではないの。
 たまたま、好きになった人がアヤという女の子だったってだけなの。

 控えめで、運動と魔術は苦手で、目立たないタイプのアヤ。
 歌が上手くて、クラシック音楽に詳しい。
 読書が好きで、この前は小さな恋愛小説を読んだって、交換日記に書いてあった。
 優しくて、人を想う気持ちは抜きん出て温かい。
 そんなアヤを、私はずっと愛している。


        ▲▼ ▲▼


 やっほー、アヤ

 またケンの奴、告られてたんだねぇ!
 いい加減にハッキリしろよ、って背中でも蹴り飛ばしてやりたくなっちゃうケド
 まぁ、アヤに免じて大目にみてやるか

 何にせよ、アヤの心配事がひとつ増えて、ひとつ減ったんだね
 大丈夫だよ
 アヤはそのままのアヤでいてね
 アヤの魅力は、私が一番知ってるんだから
 じきにケンにもそれがわかるよ
 けど、無謀だと思う突撃は避けること! なんちゃって

 ビーフシチュー相変わらず美味しかったよん

 おやすみ           アメリア


        ▲▼ ▲▼


「はーぁ……」
 そう。アヤは──私の大好きなアヤは、幼馴染のケンに恋してる。
 持ち前の明るさと天真爛漫な笑顔が素敵なんだって、アヤは頬を染めて言った。私は、私以外の誰かに恋するアヤを目の当たりにする度に、複雑な想いを抱いている。

 私の大好きな人は、私ではなく男が好き。
 まあ、当たり前か。
 私は女。アヤも女。ケンは男。生殖反応としての感情ベクトルがおかしいのは、私なんだもん。

 静かに洗い物を済ませて、アヤを想う。
 アヤは、ケンに告白するのかな。ケンはそれを受け入れるだろうか。そうなったら、私はどうしたらいいんだろう。
 私の心の拠り所は、確実にアヤだけ。そんなアヤをケンに奪われるなんて、とてもじゃないけど許しがたい。ううん、たとえばケンじゃない他の人間誰かがアヤを独り占めしようだなんて、そんなの──
「うっ」
 ザワザワと波立つような、不可思議な鳥肌が私を抜けていく。膝から力が抜けて、ズシャリとその場に崩れるようにしゃがみこんだ。
「はあ、はぁ、はぁ……」

 恐い。恐いよアヤ。
 私から離れていかないで。私以外の誰かのものになんてならないで。

 そうして二の腕をきつく抱いて、床におでこを擦り付ける。

 ケンが誰かを好きなことは、私はずっと気が付いてる。幼馴染だもの、気が付かないわけがない。
 でも、わからない。
 その対象が誰なのかは、ずっとわからない。
 学校一の美人な先輩にも、読者モデルを始めた後輩にも、逐一他の男と同じような感想は述べるケン。でもなぜか恋愛対象外らしくて、いつまで経ってもどんな女に対しても、なんのアクションも起こさない。
 向こうから来られても百発百中振っている。今回、アヤが立ち聞きしたように。

 ああ、ケンがいっそ、知らない何処かへ消えてくれないだろうか──そんな風に憎悪ぞうあくの念を持つのは馴れてしまったけど、この念を押し込めるのは反比例して限界にきている。こうやって震えて床に突っ伏して、アヤが私から離れていってしまうかもしれない恐怖に潰されそうになっている。

『──アメリア?』
 不意に、天から降るかのような声がした。床からおでこを離す。
「えっ?」
『どうしたの? アメリア、具合でも悪いの?』
 この声……もしかして。
「アヤ? アヤなの?!」
 辺りをキョロキョロと見回す。でも、アヤらしき人影はない。
「どこ、どこにいるの?! 顔見せてっ」
精神感応術テレパシー送ってみたの。ごめんね、顔見せてあげられなくて』
 ちょっと残念。でも、スッと空気を吸い込めるようにはなっていた私。
『アメリアが苦しそうだったから、心配で、つい精神感応術テレパシーなんか送っちゃって……』
「アヤ……」
 なんて優しいの。苦手な魔術を使って、私を心配してこうして語りかけてくれるだなんて!
 やっぱりアヤは私の天使。最も愛おしい存在。
「ありがとう、アヤ。とっても嬉しい。満たされた心地だよ……なんか、泣いちゃいそう」
『泣かないで。アメリアが泣くと、ワタシだって悲しくなっちゃう』
「悲しいから泣くんじゃないの。嬉しいの! アヤが私を心配してくれる、その気持ちが嬉しくて、ふふっ」
『当たり前よ、アメリアは大切な家族だもん』
 家族──その言葉を私とアヤにあてはめるには、どこか私は釈然としていない。でもアヤがそう言うのなら、と、無理矢理納得している。
「ねぇアヤ」
『うん?』
「苦手な魔術使って、こうして心配してくれて、本当にありがとうね」
『ううん。アメリアが魔術頑張ってるの見てたら、ワタシもやれるような気がするときがあるだけだよ。アメリアには、やっぱり敵わないけど』
「いや、私はほらっ、なんかたまたま! たまたま上手くいくだけだから!」
 アヤが落ち込まないように必死にそうしてカバーするも、沼地にハマったみたいに効を奏さない。
『ふふふ! 大丈夫、嫉妬したりしてるわけじゃないの。アメリアがスゴいってことは、ワタシも自慢なんだから』
 ほら、やっぱりアヤは優しい。アヤからかけられるそういう賛辞の言葉すべては、いつだって私の血肉となって活力を生むの。

 ああ、勇気が湧いてくる。
 アヤのために、今日を生きようと思える。

 そっと立ち上がる私。震えはもうない。
「ありがとう、アヤ。その言葉だけで、私は生きていけるよ」
『どうか、無理だけはしないで』
「オーケー、オーケー」
 膝に力が入る。大丈夫、もう大丈夫。アヤが私を見ていてくれるなら、なんだってできる。
『気を付けて、今日も行ってらっしゃい』
 溶けるみたいに、アヤの声はそうしてシュワリと消えた。

 私の胸の奥に、暖かくてまるい想いが転がっている。
 これが、想う心。アヤをいつくしみ愛おしく想う私の心。

「ケンに──誰にも負けないんだから」


        ▲▼ ▲▼


 朝、六時一五分。
 食卓テーブルにポツンと置いてあるB5ノートを手に取る。昨日の書き込みを見ようとページをめくれば、『おやすみ アメリア』と締められたはずのページに、続きが綴られてあった。
「『今度アヤも、カケルさんのところで魔術習ってみようよ。もっといろんな魔術あるんだよ。アヤなら上手くなるはずだから!』──か」
 フゥ、と肩を落とすワタシ。朝陽が、部屋の中のチラチラと舞う埃を、ラメグリッターのように照らす。
「どれだけ勉強しても、ワタシは魔術を使うことは出来ないのよ、アメリア」
 嗤うように呟くそれが、Uターンして自分のダメージになる。バカなワタシ。固く瞼を閉じて、眉間に力がこもった。

 ワタシが魔術を使えないのは、センスでも能力値の問題でもない。もっと単純な問題なの。
 それは、ワタシがアメリアと身体を共有している『多重精神のひとり』だから。

 ワタシたちの元の人格は、アメリア。
 アメリアは、授業外で使ってしまった『怨恨えんこん術』に失敗して、『跳ねっ返り』を受けた。その代償に、精神が分裂。ワタシ──アヤという別人格が、アメリアの中に生まれたの。

 怨恨術は禁止術──つまり、使ってはいけない魔術のひとつ。
 古書店で見つけた禁忌きんき術書に書いてあったそれを、アメリアは、好奇心から試してしまったみたい。誰を呪おうとしたのかは、ワタシにもわからない。
 ワタシが生まれてからは、怨恨術や『跳ねっ返り』について、綺麗に忘れているアメリア。思い出してしまったら、また精神が分裂してしまうかもしれないから、ワタシも周りも黙っていなきゃいけない。
「朝ごはん、なにか作らないと」
 ワタシとアメリアは、顔を合わせたことはない。まぁ、身体が同じなのだから当然の話だけれど。
 朝六時から夜の六時までが、ワタシ──アヤの時間。一五時には眠たくなって、三時間だけ就寝する。
 一八時に目が覚めたら、アメリアの時間。アメリアは、魔術の先生である『カケルさん』の元へ学びに赴く。真夜中に、毎日、休みなく。

 カケルさんは、高位こうい魔術師。つまり、高度な魔術までを扱える特別な魔術師の一人。
 ワタシたちの精神が分裂してしまったことを非常事態だとして、病院の先生が急遽きゅうきょ呼んで、精神分裂を治そうと試みている唯一の人。
「魔術の制御と、それを正しく使う方法を、きちんと真面目に学びなさい」
 精神が分裂して間もないワタシたちにそう言ったカケルさんは、アメリアにだけ魔術を教えている。
「アヤ。キミは昼間、普通に学校に行くんだ」
「どうして? ワタシも魔術を学びたいです」
「いや、それはできない。キミまで魔術を持ってしまっては、身体入れ物容量超過キャパオーバーになってしまう。それだと、キミはアメリアとして戻ることは叶わない」
 複雑だった。
 アメリアの中に戻ることは絶対条件だとされていて、しかも、ワタシはアメリアの代わりに昼間を務めなければならないことを、無条件に決められている。ワタシの意思なんて、関係ないのだ。
「アメリアには、キミのことは『別人格』ではなく『家族』だと伝えることになるからな。わかったね?」
 カケルさんの一言一言には、薄い魔術が練り込まれていた。否応なしに肯定発言してYESと言ってしまう──主従しゅじゅう魔術だった。

「熱い紅茶に、イチゴジャムをひと掬い入れる」
 これで、簡易ストロベリーティーの完成。ワタシの癒しの飲み物。ワタシはこれが大好き。

 それから、平日に学校へ行くときは、半分くらいアメリアの気持ちで学校へ通っている。極力アメリアのように振る舞うけれど、でもすぐに心が折れた。ワタシはアメリアのように、明るくなんでもこなす女の子ではないんだもん。人前に立つにも、相当な勇気が要る。
「無理にアメリアを演じるなよ」
 気が付いてくれたのは、彼だけだった。そう、ワタシの好きな人──ケン。
「お前はお前でいたらいいんだよ。名前、なんつーの?」
「あ、ワタシ、ワタシは……」
 そうやって、あの日恋に落ちたんだ。
 ケンがワタシを見つけてくれたと思ったから。

 でも、本当は違うの。
 ケンは、アメリアの姿がおどおどしているところを、見たくないだけなの。

 だってケンは、アメリアが好きなんだもの。


        ▲▼ ▲▼


 お話の続き?
 そうねぇ……話したげてもいいんだけどォ。
 じゃあ、私の魔術にかかってもらおうかしら。
 怖がらなくたっていいわ。私、意地悪な魔女だけれど命を取ったりまではしないもの。
 まずはそうね、変身術にかかりなさいな。
 この店の売り物のひとつになって、アメリアとアヤの行く末を見守るのよ。

 話は、そこからね──。

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