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01 ガラス玉
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この日は、よく晴れていた。
朝露が店の外のプランターにて輝く様を、店主は小窓から眺めていた。「午前中の水やりは要らなさそうね」と柔く微笑む。
このアンティーク店の入口扉は、中央に主柱を設け、そこから観音開きになるタイプのもの。いつもギギギと軋み、いくらばかりか重たい。開閉の際は、ぐっと腰から下を踏ん張らねばならないほどである。
店主がいつも着ている黒のロングスカートワンピースは、踏ん張るには全く向いていない。しかし店主は、生憎この黒のワンピースがお気に入りときている。丈は足首まであり、首元はハイネックの折り返しデザイン。袖も長く、手首まできちんと隠れる。
踏ん張りを利かせつつ、右から順に外開きに開け放つ。朝靄に射す陽光が、店内に浮遊する細かな埃をまるでラメグリッターのごとくチラチラと照らした。
左側の扉を開けたそのとき。ガシュ、と何かにぶつかる音がした。不審に思い、二歩だけ外へ出てみる。
そこには、抱えられる程の大きさの段ボール箱がひとつ、ぽつんと置いてあった。
不要なので差し上げます。
使えそうなものがあったら
ここで売ってください。
店先に、こういうように置いていかれるのも久しい。処分に困り、しかし店の者に内容物についてあれこれ質問される事すらも億劫な者が、時折こうしていくのだ。しばしばある、珍しくもない話。店主はやれやれと言わんばかりに肩を竦め、段ボールへ近付く。
毛先をきつめに巻いた長い黒髪をふわりとさせ、段ボール箱へと手を伸ばす。店主が重さを覚悟し抱えたが、しかし大きさわりには然程重たくなかった。
「あら?」
段ボール箱の中から、キラリと一瞬だけ光る何かが視界に入る。段ボール箱を抱えたままそれを左手に取ると、なんとも澄みきったガラス玉であった。
なんの変哲もない、わずかにいびつなガラス玉。無色透明で、光を真っ直ぐ通す部分と屈折を生む部分とがある。どうやら製作過程で失敗した水晶玉のようだ。大きさとしては、掌で握るにはややあまる程度。ハンドボールよりは大きく、バレーボールよりは小さい。
「ふぅん?」
手に取ったまま、しばらくそれを眺めていた店主。薄い唇を満足そうに横へ引き、段ボール箱を抱えたまま店の中へと戻る。
店内カウンターへ段ボール箱のみを静かに置き、せっかく力を込めてようやく開けた観音開きの扉を、左右両方とも閉めてしまった。ズウンと重たい音が低く響き、すると店内は元の暗がりへと戻される。
店主がくるりと扉に背を向け、独り言のように言葉を紡ぐ。
「──さぁ、もう大丈夫よ」
まるで歌うような、囁くような。店主の透明なその声は、左手のガラス玉へ真っ直ぐに注がれていた。
「私はアサミ。ここには他に、誰も居ない」
店主──アサミは、両手で掬い上げるがごとく、丁寧にガラス玉を持ち上げた。そして顔の高さへと持ってくると、まるで吐息のように続きを囁いていく。
「さぁアメリア、あなたも変身を解きなさい。それ以上『そのまま』でいると、体力がもたないわよ」
言葉を終えると間も無く、そっと手を離す。
通常の概念でいえば、ガラス玉は重力に従じて落下し、砕け散るのが定説だ。しかしこのガラス玉は、その定説どおりにはいかなかった。落下せず、重力に反しその場でふわりと浮いている。まるで、空中に固着しているかのように。
「あら、思ったよりも頑固ね」
アサミは左腕を下げ、右人差し指で外巻きにクルクルクル、と螺旋を描くように宙を混ぜた。指先から、淡くほんのりと青白い光を発光させている。
やがて、ピシリ、とガラス玉にひび割れが一筋。アサミはそれを合図に、指先を回すのをピタリとやめる。ガラス玉は真っ白に発光したかと思うと、一人の少女に変わった。
「わあっ?!」
驚いている少女は、ドサリと床に倒れた。しかしすぐに上半身だけを起こし、顎を引き、アサミを睨むように見上げる。
「あらあら。こんなに可愛らしいお嬢さんだとは、思わなかったわ」
少女は腰から下を引き摺るように、ズリ、ズリ、と後退る。しかし、その思うように動けていない様子が、アサミに愛おしさを植え付けた。
黒い癖毛のミディアムボブ、深い紫の長袖チュニック、折り返して七分丈になったオフホワイトのスキニーパンツは、汚れが所々にある。
「さあ。もう大丈夫よ」
アサミは「ふふふ」と目を細め、自らが纏っていた撫子色のショールを剥いだ。空気を含むようにふわりとさせて、彼女の肩へとかける。
「どうして私の名前、知ってるの」
睨み続ける少女は、一旦肩に触れたそのショールを拒絶するように、肩から叩いて外す。
「私ね、心を読むことが出来るのよ。魔術のひとつ。読心術よ」
外されたショールを再び少女──アメリアへかけ直しながら、アサミは目線を合わせるためしゃがみこむ。
「これ、今はまだちゃんとかけてなさい。保護呪文を纏わせてあるの」
じっとアサミに眼を見据えられると、その奥まで覗かれ、本心すらも全て包み隠さずバレてしまうような気持ちになった。視線を外したくても外せそうにない。これが読心術か──アメリアの背筋がヒヤリとする。
ショールの肩に掛かる部分をギュッと握り、掠れる声で低く訊ねる。
「あなた、誰?」
「だから。私がアサミ。……あぁ、なるほど。あの人に私のことを伝え聞いたのね」
「もしかして。今、心読んでたの?」
「ええ、訊いても真実を口にはしてくれないと思ったから。手っ取り早いでしょう?」
「ヤな感じ」
わざと口を尖らせ悪口に変えるが、アサミはただ「ふふふ」と微笑むばかりであった。
「とにかくアメリア。まずはよく眠りなさい。話はそれからにしましょう」
「ねむっ、眠ってなんかいられない! 私はまたすぐにでも──」「取り込まれたいの?」
アサミはすっくと立ち上がり、 自らの二の腕を抱くように腕を組んだ。その表情はつい先程までの柔らかなものではない。キッと目尻を切れ長にした、物事を冷静かつ冷淡に見極める眼であった。
アメリアは生唾を呑み、硬直する。
「まず戦術を練って、体力を戻さないと。次は簡単に取り込まれるわよ。『彼』のように」
「か、彼」
「ケン──と、あなたが呼ぶ『彼』」
アメリアは、硬直した表情をぎゅっと強ばらせ、奥歯をガタガタと鳴らしだす。
アサミは表情をそのままに、首を傾げた。
「取り込まれてしまった彼を助けたいのなら、あの人の言うとおり、今は私の指示にきちんと従うことね。私を騙そうとしても無駄なことは、もうわかったでしょう? 心が読めるんだもの」
「…………」
アメリアは、アサミの言葉のひとつひとつに、頭を、背中をうなだれていった。すると突然、撫子色のそのショールがほわりと暖かくなったように感じた。
「さぁさぁ。とにかく今は休みなさい。ほら、これを頭からかけて……そう。いい子ね」
アサミは雰囲気を元の柔らかなものに戻し、口角を持ち上げた。そっとアメリアを立たせ、ショールを前髪の辺りまでフワリと掛ける。
アメリアはもう、抵抗しなかった。
「上に部屋を用意してあるわ。こっちよ」
「あの……」
「アサミでいいのよ」
「ア、アサミ、さん」
「ふふふ、なぁに?」
「私ね」
しかしそこまで言ったきり、アメリアはフルフルと頭を振り、静かに瞼と口を閉じた。
「ううん、なんでもない」
そう言ったものの、閉ざした言葉の奥をもアサミならば読み取ってしまっただろうな、とアメリアは伏目にし、嘲笑のように鼻で息をした。
「安心なさい、読んでないわ」
「本当?」と瞼を上げる。アサミは優しくアメリアの肩を抱き寄せた。
「寝て起きて、それでも話がしたかったら、きちんと聞くわ」
「……うん」
朝露が店の外のプランターにて輝く様を、店主は小窓から眺めていた。「午前中の水やりは要らなさそうね」と柔く微笑む。
このアンティーク店の入口扉は、中央に主柱を設け、そこから観音開きになるタイプのもの。いつもギギギと軋み、いくらばかりか重たい。開閉の際は、ぐっと腰から下を踏ん張らねばならないほどである。
店主がいつも着ている黒のロングスカートワンピースは、踏ん張るには全く向いていない。しかし店主は、生憎この黒のワンピースがお気に入りときている。丈は足首まであり、首元はハイネックの折り返しデザイン。袖も長く、手首まできちんと隠れる。
踏ん張りを利かせつつ、右から順に外開きに開け放つ。朝靄に射す陽光が、店内に浮遊する細かな埃をまるでラメグリッターのごとくチラチラと照らした。
左側の扉を開けたそのとき。ガシュ、と何かにぶつかる音がした。不審に思い、二歩だけ外へ出てみる。
そこには、抱えられる程の大きさの段ボール箱がひとつ、ぽつんと置いてあった。
不要なので差し上げます。
使えそうなものがあったら
ここで売ってください。
店先に、こういうように置いていかれるのも久しい。処分に困り、しかし店の者に内容物についてあれこれ質問される事すらも億劫な者が、時折こうしていくのだ。しばしばある、珍しくもない話。店主はやれやれと言わんばかりに肩を竦め、段ボールへ近付く。
毛先をきつめに巻いた長い黒髪をふわりとさせ、段ボール箱へと手を伸ばす。店主が重さを覚悟し抱えたが、しかし大きさわりには然程重たくなかった。
「あら?」
段ボール箱の中から、キラリと一瞬だけ光る何かが視界に入る。段ボール箱を抱えたままそれを左手に取ると、なんとも澄みきったガラス玉であった。
なんの変哲もない、わずかにいびつなガラス玉。無色透明で、光を真っ直ぐ通す部分と屈折を生む部分とがある。どうやら製作過程で失敗した水晶玉のようだ。大きさとしては、掌で握るにはややあまる程度。ハンドボールよりは大きく、バレーボールよりは小さい。
「ふぅん?」
手に取ったまま、しばらくそれを眺めていた店主。薄い唇を満足そうに横へ引き、段ボール箱を抱えたまま店の中へと戻る。
店内カウンターへ段ボール箱のみを静かに置き、せっかく力を込めてようやく開けた観音開きの扉を、左右両方とも閉めてしまった。ズウンと重たい音が低く響き、すると店内は元の暗がりへと戻される。
店主がくるりと扉に背を向け、独り言のように言葉を紡ぐ。
「──さぁ、もう大丈夫よ」
まるで歌うような、囁くような。店主の透明なその声は、左手のガラス玉へ真っ直ぐに注がれていた。
「私はアサミ。ここには他に、誰も居ない」
店主──アサミは、両手で掬い上げるがごとく、丁寧にガラス玉を持ち上げた。そして顔の高さへと持ってくると、まるで吐息のように続きを囁いていく。
「さぁアメリア、あなたも変身を解きなさい。それ以上『そのまま』でいると、体力がもたないわよ」
言葉を終えると間も無く、そっと手を離す。
通常の概念でいえば、ガラス玉は重力に従じて落下し、砕け散るのが定説だ。しかしこのガラス玉は、その定説どおりにはいかなかった。落下せず、重力に反しその場でふわりと浮いている。まるで、空中に固着しているかのように。
「あら、思ったよりも頑固ね」
アサミは左腕を下げ、右人差し指で外巻きにクルクルクル、と螺旋を描くように宙を混ぜた。指先から、淡くほんのりと青白い光を発光させている。
やがて、ピシリ、とガラス玉にひび割れが一筋。アサミはそれを合図に、指先を回すのをピタリとやめる。ガラス玉は真っ白に発光したかと思うと、一人の少女に変わった。
「わあっ?!」
驚いている少女は、ドサリと床に倒れた。しかしすぐに上半身だけを起こし、顎を引き、アサミを睨むように見上げる。
「あらあら。こんなに可愛らしいお嬢さんだとは、思わなかったわ」
少女は腰から下を引き摺るように、ズリ、ズリ、と後退る。しかし、その思うように動けていない様子が、アサミに愛おしさを植え付けた。
黒い癖毛のミディアムボブ、深い紫の長袖チュニック、折り返して七分丈になったオフホワイトのスキニーパンツは、汚れが所々にある。
「さあ。もう大丈夫よ」
アサミは「ふふふ」と目を細め、自らが纏っていた撫子色のショールを剥いだ。空気を含むようにふわりとさせて、彼女の肩へとかける。
「どうして私の名前、知ってるの」
睨み続ける少女は、一旦肩に触れたそのショールを拒絶するように、肩から叩いて外す。
「私ね、心を読むことが出来るのよ。魔術のひとつ。読心術よ」
外されたショールを再び少女──アメリアへかけ直しながら、アサミは目線を合わせるためしゃがみこむ。
「これ、今はまだちゃんとかけてなさい。保護呪文を纏わせてあるの」
じっとアサミに眼を見据えられると、その奥まで覗かれ、本心すらも全て包み隠さずバレてしまうような気持ちになった。視線を外したくても外せそうにない。これが読心術か──アメリアの背筋がヒヤリとする。
ショールの肩に掛かる部分をギュッと握り、掠れる声で低く訊ねる。
「あなた、誰?」
「だから。私がアサミ。……あぁ、なるほど。あの人に私のことを伝え聞いたのね」
「もしかして。今、心読んでたの?」
「ええ、訊いても真実を口にはしてくれないと思ったから。手っ取り早いでしょう?」
「ヤな感じ」
わざと口を尖らせ悪口に変えるが、アサミはただ「ふふふ」と微笑むばかりであった。
「とにかくアメリア。まずはよく眠りなさい。話はそれからにしましょう」
「ねむっ、眠ってなんかいられない! 私はまたすぐにでも──」「取り込まれたいの?」
アサミはすっくと立ち上がり、 自らの二の腕を抱くように腕を組んだ。その表情はつい先程までの柔らかなものではない。キッと目尻を切れ長にした、物事を冷静かつ冷淡に見極める眼であった。
アメリアは生唾を呑み、硬直する。
「まず戦術を練って、体力を戻さないと。次は簡単に取り込まれるわよ。『彼』のように」
「か、彼」
「ケン──と、あなたが呼ぶ『彼』」
アメリアは、硬直した表情をぎゅっと強ばらせ、奥歯をガタガタと鳴らしだす。
アサミは表情をそのままに、首を傾げた。
「取り込まれてしまった彼を助けたいのなら、あの人の言うとおり、今は私の指示にきちんと従うことね。私を騙そうとしても無駄なことは、もうわかったでしょう? 心が読めるんだもの」
「…………」
アメリアは、アサミの言葉のひとつひとつに、頭を、背中をうなだれていった。すると突然、撫子色のそのショールがほわりと暖かくなったように感じた。
「さぁさぁ。とにかく今は休みなさい。ほら、これを頭からかけて……そう。いい子ね」
アサミは雰囲気を元の柔らかなものに戻し、口角を持ち上げた。そっとアメリアを立たせ、ショールを前髪の辺りまでフワリと掛ける。
アメリアはもう、抵抗しなかった。
「上に部屋を用意してあるわ。こっちよ」
「あの……」
「アサミでいいのよ」
「ア、アサミ、さん」
「ふふふ、なぁに?」
「私ね」
しかしそこまで言ったきり、アメリアはフルフルと頭を振り、静かに瞼と口を閉じた。
「ううん、なんでもない」
そう言ったものの、閉ざした言葉の奥をもアサミならば読み取ってしまっただろうな、とアメリアは伏目にし、嘲笑のように鼻で息をした。
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