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第四章 野分

第六話 鬼と化す

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 新撰組に名を改めた後、幾度目かの隊士募集が済んだ。
 
 退京を命じられ、表向きは帰郷させられたはずの長州藩士が、尊皇贔屓そんのうびいきの豪商などにかくまわれ、当然の事ながら、夜陰にまぎれてくり返される天誅の標的となった新撰組は、隊士をどれだけ入れても間に合わない。
 

「疑わしきは斬れ」
 
 土方は隊士をそう鼓舞している。「長州藩士かそうでないか。迷う暇があったら斬れ」と言う。
 ことに沖田が率いる一番隊の誅殺は、酷烈を極めた。
 

 隊の中では沖田は人が変った、鬼神に憑かれたようだと眉をひそめる者もいるらしい。

 千尋は月明かりだけを頼りにして、提灯も下げずに相国寺の白塀に沿って歩いていた。
 どの家の戸板も堅く閉ざされた丑の刻。
 月に雲が流れ、深さを増した闇の中。

 前方で数名分の提灯の灯がせわしなく揺れ、往来を行き来する影がある。
 脇差に手を掛けながら歩を進めると、刀を収める沖田が見えた。

 口の中を切ったのか。側溝に唾を吐いている。 
 

「お勤め、ご苦労様です」
 
 通りがかりに足を止め、慇懃に労うと、沖田が肩越しに振り返る。

「何だ。千尋さんじゃないですか」
 
 提灯を翳した沖田は胡乱うろんな口調で答えたが、直後にぐうと喉を詰まらせて、何かを胃の腑の中から押し出すようにして咳込んだ。
 路地に茶褐色の痰を吐き、肩で息を喘がせる。


「長州ですね」

 千尋は路上で仰向ける死体と、沖田の足元で散った痰を一瞥した。

 死体の近くに落ちた手拭。

 おそらく沖田に会うまで手拭を頬被りにした上、町人髷に結って偽装したに違いない。

 しかし、沖田は殺気を感知する。

 手拭を奪い去れば長州藩士特有の剃り上げた額の月代さかやきの浅さは隠せない。藩士は胴が真ふたつに割られていた。
 そして、沖田が吐いたのは血痰だ。
 千尋は死体ではなく、雫のような飛沫の跡を色濃く残したそれを見て、僅かに口を歪ませた。
 

「無用心ですよ、千尋さん。御所付近にも長州は出ます」
 
 ようやく呼吸を整えた沖田が手の甲で口を拭き、上目使いに射抜いてきた。
 既に幕府の護兵ではなく、人斬りと化した沖田でも、人肉に刀が食い込む手応えには血潮が沸くのか、目の色が変わっている。


「お送りしましょう。どちらまでです?」 
「お気遣いなく。堤の塾を訪ねるだけです。すぐそこですから」
 
 人好きのする笑みを浮かべて千尋は申し出を辞退した。
 しかし、沖田が後からついて来る。

 背後で二、三度、咳が聞こえた。
 空咳だ。

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