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序章 きみが灰になったとしても
第2話 変わらない温度
しおりを挟む誰かに名前を呼ばれた気がして、目が覚めた。
冷や汗が背中をびっしょりと濡らしている。見た夢のことなんて覚えていないが、悪夢を見ていたような、そんな気がする。彼女が死んでいく夢。そして、彼女が灰になる夢。
──あの時、奇跡が起こる気がした。
いや、もはや確信すらあった。
彼女に会えたという奇跡があったんだから。俺が勇者として目覚めるという奇跡があったのだから。神技という神の如き力が存在するのだから。
彼女が灰の一粒から再生して、生き返って、目を開いて、立ち上がって、そして、俺にこう言うんだ。
また会えたね、って。
そんな奇跡を思い描いていた。
でも、奇跡なんて、起こらなかった。
そんなことは有り得なかったのだ。彼女はもう死んでしまったのだから。
どんなに願っても、どんなに欲しても。
彼女が生き返ることなんて、なかった。
彼女は灰になってしまったのだ。
もう、会えるわけが無い。
「──……こんなことなら」
こんな気持ちに、なるのなら。
「……彼女に出会わなければ…………」
胸が苦しい。苦しくて苦しくてたまらない。虫が胸の内に潜んで蠢いて喰い散らかしているような、そんな感覚。
そう、渇きだ。これは渇きによく似ている。どんなに水を得ても心の砂漠が沃られることはない。
「………喉が……乾いたな……」
心の渇きに呼応して、喉の乾きを感じる。
無意識に身体を起こして周りを見回した。
すると、ベッドの隣のキャビネットの上にまだ温かそうな食事があった。金属製のカップを手に取る。
「……コーヒー……いや、カフェオレか……」
……って、なんだ……これ。カップの取っ手に紙が括り付けてある。俺はそれを上手く取り外し、紙を開いてみた。
『頑固な勇者へ。
朝食と昼食を用意したぞ。私のお手製だ。サンドイッチの方は昼に食べるように。私は夜になるまで部屋に戻ることが出来ないので、夜になるまでその部屋にいてもいいし、そこから出てもいい。まぁ、自由に行動しててくれ。だが、クローゼットは漁るなよ。
P.S.食べ終わったあとの食器は食堂のキッチンに戻してくれると助かる。部屋から出たくなければ私が夜に帰ってきた時に片付けるから無理はしなくていい。
魔皇より』
「…………」
俺は黙ってカフェオレを啜った。
「………温かい…」
そして、少し甘い。心がほんのり熱くなる。
彼女のいない世界に意味なんてない。
そんなことは分かっている。分かりきっている。
でも、今だけは、この暖かさに少しだけ触れていたかった。
◇◇◇
結論から言おう。
俺は今現在、苦悩している。非常に苦しみ悩んでいる。
俺は、素直にも朝食を食べた。
不思議だ。あんなに死にたいと思っていたのに、あんなにも食が進むなんて。なんたって、料理が美味すぎるのだ。魔皇自身が料理をつくったと置き手紙に書いてあったが、それが本当だとしたら魔皇の腕前は相当なものだ。あの魔皇は魔皇のイメージから掛け離れ過ぎている。
まず、容姿端麗で華奢で細身。驚くほどに顔が整っている。整い過ぎていて怖いくらいだ。
加えて若過ぎる。同い年のようにも年下のようにも見える。
料理の腕前もあり、さらに強力な力を持った二人の勇者を簡単に退けるほどの強さを誇っている。
そして何より──
「………優しすぎるんだよな……」
何か裏があるってくらい優しいんだ。絶望の淵に伏したノウトさえも眩しく感じるほど、彼女の優しさが身に染みていく。
「………魔皇って、こう……残虐だったり弱者は淘汰するような………そんな奴だろ……」
なぜ、魔皇の敵である勇者を部屋に招き入れて、あまつさえ共に夜を過ごしたのか。同衾をしたと言っても嘘にはならないが、まぁ、そういうことは一切していない。そういうことってなんだって感じだけど。
「………なんだよ……この状況……ほんとに……」
俺はぶつぶつと独りごちた。
さて、ここで話を戻そう。
俺は苦悩している。
その原因は目の前に置かれた、食後の食器類にある。
魔皇の置き手紙にあるように俺が無茶しない限り、魔皇が帰ってくるまではここに置いといていいらしいが………料理をつくってもらい、部屋に居させてもらって。こんなにも与えられているのに何もしないでいるのは俺の大義に反する。
たとえ、魔皇が勇者である俺を誑かしているのだとしても、俺が優しさを与えられている以上、その恩を仇で返すのは心苦しい。
「食堂……に戻す、か」
まず、ここはどこなのか。魔皇の寝室? それはないと言いきりたいところだが、魔皇は現に無防備にもここで寝ている。魔皇の寝室にこんなにも容易く侵入してしまっていいのだろうか。
そうだ。窓から外を見て、ここがどこか推測できるんじゃないか? 俺は立ち上がり、カーテンをぴしゃりと開けた。
「た、たけぇ……」
めちゃくちゃに高いところにいる。遥か下の方に街が見える。城下町……だよな。ってことは、……やっぱり、ここ……魔皇城か。そりゃ、そうだよなぁ……。魔皇が寝泊まりする場所なんて魔皇城に決まってる。
今さらだが、かなり危ない状況なんじゃないか、これ。お互いに、危険な状況だろ。
勇者を寝室に入れる魔皇。
魔皇の寝室で魔皇と共に寝る勇者。
「……はぁ………」
ため息と共に無駄な思考を吐き出す。
考えたって仕方ない。動こう。何かあったら、その時はその時だ。俺は立ち上がって、食器類の乗ったトレーを持った。ドアノブを握る。深呼吸だ。深呼吸。ここを開けた瞬間から、俺はいつ死んでもおかしくないところへ身を投げ出すことになる。
「行くぞ………」
自らに言い聞かすように呟いて、扉を開けた。
外、ひんやりとした空気が部屋に忍び込み、思わず身震いしてしまう。
まず、誰かいないか、それを確認した。……幸い誰もいないようだ。小さく安堵の息を吐く。
勇者が魔皇城に侵入しているという事実。
バレたらおしまいな気がする。もし見つかったら、両手を上げて平伏しよう。そうしよう。
俺は歩を進めて、部屋の外に出た。そこに広がっていたのは暖色系の塗装で統一された長い廊下だった。
左右、どちらにも長々と道が続いていて、途中途中に先程出てきたところと同じような扉が点在しているのが見える。推測にはなるが、この扉のどれも食堂には通じていないだろう。
「食堂……か……」
闇雲に探すしか、ないのか。誰かに聞くなんて真似も許されないだろう。俺は勇者だから。魔皇の仲間達を大勢殺してしまったのだから。
覚悟を決めて、歩を進める。取り敢えずそれっぽいところまで歩いて行こう。止まっていたら何にもならない。
なんだ、結構誰ともすれ違わないじゃないか。このまま誰とも出会わずに食堂まで行けるかもしれないな───
「食器を持ってどこに行くのですか?」
「食ど──ってうわぁっ!?」
突然、声と気配が同時にノウトの背後に現れた。俺は素っ頓狂な声を張り上げて、食器を落としそうになってしまう。それを先程の声の主が床に落ちる前に華麗にもキャッチした。
あまりにも綺麗な動きだったので思わず見とれてしまった。その子は猫耳の生えた魔人だった。メイド服を着ている。小柄な女の子だ。俺よりも年下だろう。俺たちがこの容姿に似た魔人を幾万人も殺し尽くしたのを思い出して、嗚咽してしまいそうになってしまっ。
「食堂ならこちらではありませんよ。私が案内します。着いてきて下さい」
そう言って猫耳の魔人は歩き始める。しばらく歩いた所でこちらに振り返った。
「どうしてそこで佇立しているのですか?」
「い、いや……だって……」
大きな声を出すと、嘔吐してしまいそうになったので、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……俺は………勇者で……──だから、きみと話す権利なんてないから……」
俺が言うと、きょとんとした顔をして首を傾げた。
「どうして会話する権利がないのですか?」
「いや、それは……俺が勇者だからで」
「どうして勇者だと会話する権利がないのですか?」
「それは……俺が───」
「あなたは魔皇様の大切な御客人です」
俺が何か言う前に、目の前の女の子が口を開いた。
「あなたが何者であろうと、過去に何をしていようと関係ありません」
その反応が意外すぎて一瞬頭の中が疑問符で埋め尽くされてしまった。
「………俺が……怖くないのか?」
「全く」
女の子が首を振った。
「あなたの身体を拭いたのも、あなたを着替えさせたのもわたしですので」
「拭い、きが……えっ?」
「どんなことをすればあんなに汚れることが出来るのでしょうか。森に暮らす野ねずみの方がまだ清潔ですよ」
頭がまとまらない。そうか。いつの間にか着替えていると思っていたけど。あれ。なんだ、これ。どういうことだ。
「……きみが……俺を………?」
「はい」
魔人の女の子は無表情のまま頷く。
……俺は、今どんな顔をしているのだろう。赤面しているのか。泣きそうな顔をしているのか。
俺は年下の女の子、それも魔人に裸を見られて身体を拭かれて、おまけに着替えさせられていたのか。
「礼は……言うべきだよな」
俺は混乱した頭の中でなんとかそんな言葉を絞り出す。
「いえ、礼なんていりません。これが私の仕事なので」
女の子はきっぱりとそう言い切った。そしてまた歩き始める。俺は、自然とその背中と尻尾を追い掛けていた。
「……俺に、……その、襲われるとか、思わないのか?」
言うと、彼女は立ち止まって、そして振り返った。
「もう一度言いますが、あなたは魔皇様の大切な御客人です。そんなお方を私がぞんざいに扱うことなど出来ません。それに──」
そして、その硝子のような双眸で俺の瞳を捉えた。
「私は魔皇様を信じていますから」
その言葉が俺の心を透過して、穿っていく。
俺は目を瞑って、小さく呼吸をして、そしておもむろに瞼を開き、
「……俺が持つよ」
メイドの女の子が持つ食器を持ち上げた。
女の子は小さく笑ったのか、それともくしゃみが出そうなのか、不思議な表情で俺と目を合わせた。
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