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序章 きみが灰になったとしても
第1話 灰を抱えた僕は
しおりを挟む───俺は、灰を抱えていた。
大切な人の灰を。
かつて生きていた彼女の灰を。
何分、何時間、──いや何日と、俺はこうしていただろう。
その手に抱えていた灰は既に散り散りになり、風に飛ばされ、そこにはもう何も無かった。
その時初めて、彼女は本当に死んでしまったんだなと、思ってしまった。
俺には、彼らを止めに行くという気力も起きなかった。
───仲間同士で殺し合うなんて。
この世界に来てからこうなるなんて思いもしていなかった。
彼女のいない世界に生きている価値も、意味も無い。
絶望の淵に立っていた。
もう死にたいと、そう思っていた。
そんな時突然、誰かの声がした。
「何故そこで蹲っている?」
「……………」
「問答も出来ないのか?」
俺の顎を持ち上げて、顔を近付かせる。
綺麗な顔立ち。透き通るような白い肌。新雪のように真っ白な髪。その頭には黒く大きな二本の角が生えている。俺と同じくらいの年端の少女だった。
「酷い顔色だな。心拍数も安定していない。何時間ここにいたんだ、お前は」
「……………」
「お前は勇者だろう? 余を殺そうとしないのか」
「…………」
「言っておくが、余は魔皇だぞ」
「………そうか」
「やっと、喋ったな」
彼女は途端に笑顔になり、俺の顎から手を離した。俺が倒れそうになると彼女が肩を掴んで倒れないようにした。彼女の背後に何か人影が見えたが目が霞んでいて、良く見えない。
「おいおい。大丈夫か。死人のような顔をしているぞ」
「…………魔皇」
「なんだ。何にでも答えるぞ」
「…………お前を殺しに行った二人はどうなった?」
「あやつらか。殺したぞ。殺されるかと思ったのでな。熱光線を出す奴と炎を出す奴。それなりに手強かったが、戦いはすぐに終わった」
「そう、か………」
「お前はどうしたんだ? 置いてけぼりにされたのか?」
「……………」
「言わずともわかる。殺し合ったんだな」
反応すら出来なかった。思い出したくもない。
こんなことになるなら出逢わなければ良かった。ここに、来なければ良かった。そもそも、目覚めなければ………。
「これからどうするつもりだ?」
「…………」
魔皇は腕を組んだ。
「結界があるから人間領に帰ることは出来ないな。尤も、帰ったところで行く宛は無さそうだが」
「…………」
「よし、うちに来い。養ってやる」
「…………」
「おい、何か返事をしたらどうだ。余が馬鹿みたいじゃないか」
「……………殺してくれ」
「断る」
彼女は即答して背後を向き、人影に呼びかけた。
「ロストガン、こいつを運べ」
「ボスの命じるままに~」
濃紺色の髪をした男がこっちに歩いてくるのが分かった。だが、頭の中が霞みがかっていてよく見えない。そいつが俺を持ち上げて、その肩に乗っける。
「誤解されがちだが」
魔皇は屈託のない笑顔でにっと笑った。
「私は困ってるヤツは放っておけないタチなんだ」
◇◇◇
目を瞑ると、彼女の笑顔が瞼に浮かぶ。
そして、彼女が灰になる瞬間も。
だから眠るのは嫌いだ。
でも、いつの間にか俺は眠ってしまっていて、目を覚ますとほの暗い部屋にいた。
微かな甘い香りが鼻孔を掠める。それが起因したのか、小さく腹が鳴ってしまった。
身体を起こす。どうやら、ベッドの上にいたようだ。黒を基調とした、それでいて落ち着いた調度品が棚に置かれている。照明はベッドの横にあるシェードランプから発せられてる。
もう一度、横になりたい。いや、もう一度とは言わずに永遠と横になっていたい。この世界にはもう彼女はいないんだ。彼女は灰になって消えてしまった。彼女を灰にしたやつも、魔皇によって殺された。する気なんてさらさらないが、復讐すらも出来ない。もう、この世界に用なんかない。早く消えてしまいたい。もう、……死んでしまいたいんだ。
「おお。目が覚めたか」
魔皇の声だ。すぐに分かった。そして、思い出した。俺は魔皇に連れ去られたんだ。だが、今は正直、そんなことどうでもよかった。
香りだ。甘い香り。それに芳ばしい肉の焼けた匂い。
魔皇が持っている銀色のトレーに料理が乗っている。
「気分はどうだ。チナチナやシファナ達に診てもらいはしたが……」
俺は何か答える気力もなかったので、黙った。だが、次の瞬間、音が鳴った。ぐー、という間抜けな音だ。どこからしたのか。俺の腹からだ。
「はははっ」
魔皇が小さく笑った。
「腹が減っているだろうと思ってな。ほら、ちょうど料理を持ってきたんだ」
魔皇が近付いてきて、ベッドに座った。そして、魔皇が手をかざすとベッドの横に立てかけてあった板がひとりでに移動して、テーブルとなった。そこに魔皇がトレーを置く。
「一緒に食べよう。余も夕食を食べていなくてな」
魔皇が両手を合わせる。
「……マギア様の名においてお祈りします。頂きます」
魔皇がカトラリーを持って料理に手を伸ばす。
「ん。どうした。食べないのか?」
生きる気力はない。───だが。
「ほれ」
魔皇が料理の入った容器を俺の顔の前に近付けた。あまりにもいい香りが、鼻の奥をくすぐる。
どんなに死にたくても、腹は減る。腹が減れば、なぜか死ぬのが少しだけ億劫になる。死にたい俺は、自ずとその容器を手に取った。魔皇はにかっ、と笑った。
フォークを手に取って、何かのソースが着いた肉を口に運ぶ。
「…………うまい」
自然と自らの口からそんな言葉が漏れた。
「ははっ。そりゃそうだろう。余が認める者がつくった極上の逸品だ。料理は逃げないからな。ゆっくり食べるんだぞ」
見た目はどう見ても、家庭料理のようにしか見えない。でも、なぜだろう。こんなに美味いものなのか。自ずと手が動いて、食が進んでいる。スープにサラダ、肉料理とどれもが素朴で、どれもが美味しい。
黙って食べていると、魔皇がふとハンカチを差し出してきた。
「ほら」
「………?」
一瞬なぜそれを渡してきたのか分からずに魔皇のことを見つめてしまった。魔皇が優しく、柔らかな笑顔で微笑んでいる。
俺はフォークをトレーに置いて、そして手で顔に触れた。頬が濡れている。
「……なん……で……俺……」
───泣いて、るんだ……?
涙はとうに枯れたと思っていたのに。
泣く必要なんてないくらい泣いたと思っていたのに。
「泣きたい時はいくらでも泣いていいんだ」
魔皇が俺の背中に手を触れて、さすった。
俺はその手を払おうと思ったのに、どうしてか、出来なかった。涙が。涙が止まらないんだ。
「……よしよし」
魔皇が頭を撫でてくる。優しい撫で方だった。同じくらいの年端の少女なのに。なんで、俺はこんなにも……。
「……どうして」
「……ん?」
「………どうして……そんなに優しくするんだ……」
聞くと、魔皇はベッドに座り直して、黙って俺の方を見た。
「………どうして、勇者の俺に……こんなに優しくするんだよ………。俺らは……魔皇の配下たちを何千、何万と……数え切れないくらいの人数を殺したんだぞ。一切の容赦なく、殺戮の限りを尽くした。冷たく、非人道的な俺らを……俺を……許せないだろ。早く……殺してくれよ……」
俺は掠れた、涙に溺れたような声を振り絞るように発した。魔皇は俺の方を見て、俺の手を掴んだ。
「───お前が、救けを求める顔をしていたんだ」
「………え?」
「初めに言っただろう。私は、困ってる奴を放っておけないタチなんだ。──理由なんて、それくらいでいいだろう」
「……そんなの理由になって──。もう一回言うが、俺は勇者だ。……殺さなくても、いいのか?」
「では、こちらももう一度聞こう。余は魔帝国を治める魔皇だ。殺さなくていいのか?」
その言葉に、思わず身を震わせてしまった。魔皇としての威光、または威厳。それを直に感じてしまったからだろう。
「お前が余に対して殺意のないことなんて、余にはお見通しだ。そんな相手を殺せるほど狂ってはいないさ」
魔皇の言葉には力があった。確かな絶望が俺の中を渦巻いていたのに、それが揺らいでしまうほどの。
「さて、ここまで随分と話し込んでしまったが、お前の名前を聞いてなかったな」
「──俺は………」
つい、名前を言ってしまいそうになってしまって、すぐに口を結んだ。
「……名乗る名前なんて、ない………」
「お前は頑固だな。気に入った」
魔皇はそっと笑った。
「さて」
魔皇がベッドから立ち上がる。大きなクローゼットを開いて、中から白く薄い布地のものを取り出した。そして、上衣を脱いで着替え始める。
「……っ!?」
「ん? ああ。余は眠る時はネグリジェと決まっているのだ。どうにも服が重苦しく感じてな」
「ちが、……なんで………俺の目の前で……」
俺の方を見た魔皇はきょとん、とした顔で目を丸くして、直後「ははーん」と言って口角を上げた。
「てっきり無関心なのかと思ったが、案外初心なんだな」
魔皇が余裕そうな表情のまま、いつの間にか着替え終わっていた。魔皇は薄い下着ともワンピースとも言えないような服を着ていた。ゆっくりとこちらに歩いて来て、気が付くとノウトの隣に横になった。魔皇はノウトの手を引いて、ベッドの中に引き入れた。なぜか、抵抗する力が出なかった。
抱きしめられて、無力な俺は、そのまま目を瞑った。
「……お前は、自らを冷たいと称したが」魔皇は小さく微笑んだ。「なんだ、こんなにも暖かいじゃないか」
そう言って魔皇は胸の中に俺を抱く。俺は少しずつ、夜の微睡みに溶けていき、いつの間にか……深い眠りについていた。
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