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襲来
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「痛っ…」
激しい頭痛に襲われ、ピンクの髪、青い瞳の女性、橘冬美が顔を歪めた。この頭痛が、髪と瞳の色に関係がある事は、割と世間的に知られている。
彼女も、元々は黒髪・黒い瞳であった。だが、幼い頃よりグラスニウム鉱山で働いていた時の影響で、変色してしまった。冬美は白いカプセルを袋から取り出し、コップの水で流し込んだ。
と、その時、ドアを叩く音が聞こえた。
「冬美、いる?」
「いるわよ、マリー」
ドアを開けて入って来たのは、マリー・ウイング。冬美の幼馴染みで親友でもある女性。茶色の髪の毛をポニーテールにし、青い瞳、いつも水色のワンピースなのが特徴的だ。幼い頃に同じグラスニウム鉱山で採掘員として働いて以来、ずっと一緒に過ごしてきた。
グラスニウムはゲネティラに広く分布する鉱石で、厳密には鉱石名をグラスマ、研磨加工した物をグラスニウムと言う。加工しやすく高硬度、七色に輝いて美しい為、建築材料や美術品など様々な物に使用されていたが、採掘や加工の際に出る粉塵が、僅かでも体内に入り込むと癌細胞を急速に増やしてしまう。エンド博士が、レイドール・カフドールの材質にグラスニウムを使わなかった理由は、この事を知っていたからでは?と言う説もあった程(氷華はこれを明確に否定している)。アフィルと言う薬で増殖を緩やかに出来る。冬美が先程呑んでいた白いカプセルがそうだ。だが完治は不可能。平均して罹患から十年以内には死亡するケースが多い。この事から採掘禁止法が出ていたが、無視して続け、足りない人員を人身売買で補充していた採掘場もあった。冬美とマリーが従事していた鉱山もその一つで、彼女たち自身も売られてきた身だった。同僚の匝瑳栞も、別の場所ではあるがグラスニウム鉱山に採掘員として働いていた。因みに所長のアスラングも鉱山勤務だが、採掘ではなく運送の方だった為、変色はしていない。
「手紙が届いていたわよ。えっと、橘…冬美…あっこれだ」
マリーは、白い封書を手渡した。
「工場取り壊しのお知らせ…棄てといて」
「あ、やっぱり?そう言うと思ったけど、一応確認しておこうと思って」
そう言って、マリーは自分の分と一緒に、笑顔のまま躊躇いなく破り捨てた。そこまでしなくても、と言いたくなる程、まるでシュレッダーにかけたレベル並に粉々に。
「うわぁ…まるで雪みたいに…」
「握力と腕力には自信あるからね」
「確かに鉱山時代も、60kg位の荷物を、押し車で何十往復もしてたもんね。そのほっそい体のどこにそんな力があるのか、今でも不思議でしょうがないもの」
「それは冬美も同じでしょう」
「まあね。嬉しくない特技だわ」
二人は大笑いした。
すると突然、耳を劈く緊急警報が鳴り響いた。
「マリー、発信元は何処?」
「格納庫みたいね」
「何事?もしかして地底人の襲来?」
「有り得るかも。冬美、急ぎましょう」
「ええ」
二人は急いで部屋を出た。そしてミーティングルームに入り、格納庫に降りるエレベーターに載ろうとした。だがエレベーターで誰かが上がってくる。二人は身構えた。ドアが開き、中から降りてきたのは、栞だった。
「栞!大丈夫だった?何があったの?」
「うん大丈夫。実は…」
雨が強く降り出した。
驟雨だろう、すぐにやむに違いないと、勇一はあまり気に止めなかった。
大甕勇一。母子家庭で育った。父親は勇一が生まれる前から行方不明。だから写真を見ても、実感が湧かない。父親の事を、母はあまり語らないし語りたがらない。だから余計に他人の感覚だった。
「どうしたんだい?」
浮かない表情の勇一を心配し、ギースレイが話しかけてきた。まるでロボットフィギュアのような姿をした彼は、エンド・ルフィーネ博士が作ったレイドールと言う人型作業用人形。母の知り合いであるエンド博士直々に勇一の三歳の誕生日に贈られた。それ以来、友達というより家族同然の存在として共に過ごしてきた。
「いや、ふと父さんはどんな人なのかなって」
ふぅと息を深く吐く。
「会いたいかい?」
いや、と勇一はかぶりを振った。会おうにも会う術が無いし、会えたとして、いまさら何を話せば良いのか分からなかった。それより、勇一が所属するバードニックフォースの兵器工場プラング内では、ある噂でもちきりだった。それは、バードニックフォース最高責任者であるヴェスン・パンサーが、兵器工場を新設すると言うものだ。それはいい。問題なのはその場所だった。ギガニウス国。よりにもよって。人は口々にそう言った。地底に作られた初めての国であり、罪人が強制的に、文字通り叩き落とされた歴史を持つ因縁の地だ。代替わりが進んだとは言え、地上人を怨んでいる者も少なくない。実際、その情報がギガニウス国に伝わった時、激しい反発が起こったようだ。それで今も揉めているらしい。
と、突然耳障りな警報音が、けたたましく鳴った。緊急警報装置だ。プラングで何かが起こっているらしい。
「ギースレイ、行くぞ!」
「ああ。俺の背中に乗れ!」
勇一は頷き、外に出てすぐにギースレイの背中に飛び乗った。強い雨が全身に打ち付ける。だがそんな事はどうでも良かった。何があってもおかしくはない状況だ。一刻さえ惜しい。
プラングに到着した。見たところ何も変わった所はない。しかし中で何か起こっているかも知れない。慎重に歩みを進める。
ミーティングルームのドア前に来た。何やら中が騒がしい。何事かとドアを開けた瞬間!
「だからゴメンって言ってるでしょ」
「謝りゃ良いってもんじゃないのよ!本気で心配したんだからね」
謝っている青いショートボブは匝瑳栞。怒っているピンクのストレートロングヘアーは橘冬美だ。
「どうしたの?」
一瞬あっけにとられたが、気を取り直して勇一は、すぐそばにいたマリー・ウイングに声を掛けた。
「ああ、勇ちゃん。実はね、さっきの警報は誤報なのよ。栞が間違って押してしまったみたいなの。まあ冬美の気持ちも分かるんだけどね。状況が状況だから」
「地底人との軋轢?」
「そう。それが更にマズイ事になって来ているみたい」
「一触即発?」
「かもね。噂によると、いつ抗争状態になってもおかしくないって。ギガントと言う武装組織が結成されたと言うニュースもあったし」
ギガントの話は勇一も耳にした事がある。メンバー全員が、全身をマスクと鎧で覆っている、ゲリラ組織のような存在。地底人の捲土重来を狙っているのではと言う専らの噂だ。
「確かに不慮のアクシデントとは言え、敏感になっている者からすれば、イラッとするのも分かるよ」
「でしょう?」
気の強い冬美と、お調子者の栞は水と油。喧嘩もしょっちゅうだ。と、そこに所長のアスラング・サンティバルが入ってきた。
「何だ。また栞と冬美が喧嘩しているのか」
「だって栞が緊急警報誤作動させたのに、反省の色が見えないからっ」
「誤作動じゃ済まなくなったかもな」
えっ?と全員の動きが止まった。
「去年完成させたヴィームカイザーを憶えているか?」
「ええ」
栞が頷いた。
「遂に運用する日が近くなった。いつでも出撃可能なように整備しろとのお達しだ。いますぐに取り掛かってほしい」
「あ、それならすぐ終わりますよ。なんかヤバい雰囲気になって来てたんで、ある程度の点検はやっときました。まあそれで間違えて緊急警報装置鳴らしてしまったんですけど」
「そうか。警報の件は後で始末書を書いてもらうとして、助かったよ栞」
照れくさそうに栞が頭を掻く。
「そうだったの。ごめんなさい栞。私、つい頭に血が上って…」
「いいって。冬美の気持ちも分かるから」
「最終確認は俺と勇一がやっておく。他の部分は女性陣が頼む」
「了解!」
声を揃えてアスラング以外の全員が、そう叫んだ後、解散となった。
プラングは、ゲネティラ語と言う神々が最初に設定した言語で、工場の意。3357㏊という、広大な敷地面積をもつ、バードニックフォース兵器工場の総本山。所長はアスラング・サンティバルだが、その上に作戦本部長ギルザーク・ローレンス、彼の補佐役・作戦本部副部長ロール・クランプがいるが、アスラングを信頼しており、滅多にプラングには顔を出さない。来たとしてもたいてい呑みの誘いだ。
勇一とアスラングはエレベーターに乗り込み、格納庫に向かった。今いたミーティングルームから格納庫へは、エレベーターで直に行けるようになっている。エレベーターを降りると、目の前に巨大な建造物が現れた。これがヴィームカイザー。ヴィームはゲネティラ語で全て、カイザーは同じくゲネティラ語で頂点の意。つまり全ての兵器の頂点を目指す事をコンセプトに建造された、水陸両用型兵器。本来はこんなに巨大にしなくても充分全機能全装備が収まるのだが、ヴェスンの趣味で全長351メートル、全高60m、総重量91000tと無駄に巨大になっている。
二人が乗り込もうとした時、マリーがエレベーターから降りて来た。
「どうしたんだ?」
「ちょっとチェックし忘れた箇所を思い出して」
マリーが苦笑いする。それを聞いて、アスラングが右手で頭を掻いた。
「いけね。俺も本部に提出する書類の事を忘れてた。お前ら二人で確認頼む」
そう言い残し、アスラングは走って戻って行った。二人は肩を竦めた。
「取り敢えず僕は外回りから始めるよ」
「じゃあ私はコクピット内の計器関連から行くわね」
「了解」
二人はそれぞれの持ち場に分かれ、作業を開始した。暫くして、本日二度目の緊急警報装置が鳴り響いた。同時にコクピットが強制的にロックされた。どうやら今度は本部からのもののようだ。ヴィームカイザーが緊急自動発進を開始した。
「どうしよう…そりゃ操作は全部憶えているけどさ」
マリーは突然の出来事に戸惑った。
「でも、やるしかないわね」
気を取り直し、ヘルメットを被り、操縦に集中した。
勇一は急いでギースレイの元へ戻った。そして、本部の見える位置までギースレイの背に乗って移動した。
「なっ…」
言葉を失うほど巨大な何かが本部を襲撃していた。推定80m。表面は青く透明、中は黒く不透明な軟体で、腕のような物が二本。目の位置に黄色い光が二つ、それ以外は一切無いシンプルな怪物。それが本部を蹂躙し、廃墟然とさせている。
勇一はギースレイに戦闘を指示しようとして、思い留まった。工員とは言え自分は軍籍を持つ軍人だ。勝手な戦闘は出来ない。だが今は緊急事態だ。様々な思いが脳裏を逡巡する。
一方、マリーの操縦するヴィームカイザーが現場に到着した。取り敢えず撃てば良いとばかりに全火器全弾を怪物めがけ一斉発射させる。だが兵士とは違い、射撃訓練もしていないマリーの弾が真面に当たる訳もなく、命中率は惨憺たるものだ。それでも多少は当たっている。それがまずかった。ヴィームカイザーからの攻撃に気がついた怪物は跳び上がり、ヴィームカイザーを踏みつけた。僅か数秒の出来事だった。ヴィームカイザーは原型を留めぬ程、破壊された。
「勇一。私に任せてくれ。私が勝手にやった事にすれば、君に迷惑は掛からない」
「しかし、あんな怪物相手に大丈夫か?」
「心配するな。戦闘機能も備わっているからな」
「分かった。ギースレイ!ヤツを倒してくれ!でも無茶はするなよ」
「大丈夫だ」
ギースレイは特殊なレイドールだ。身長を2mから3mの間で自由に変える事が出来る。最大になったギースレイは、怪物の眼前まで飛行移動し、手首の辺りから光を発生させたかと思った次の瞬間、X字に斬り裂いた。怪物は蒸発し、消え去った。
勇一は破壊し尽くされたヴィームカイザーのコクピットから、マリーを両腕で引き上げ、肩に乗せて降ろした。マリーは既に息絶えていた。冷たくなったマリーと言う現実。そしてそうなってしまったのは、自分の躊躇であると言う自責の念が、勇一を遣る瀬無い気持ちにさせ、号泣させた。
マリーの死を知った冬美は、悲しみを通り越して呆然とした。本当に悲しい時は涙も出ない事もある、それを実感した。現実が受け入れられなかった。そして、気を失った。
冬美は、初めてマリーと出会った頃の夢を見ていた。
二人はすぐに出会って直ぐに意気投合した。マリーは、冬美が鉱山に売られてくる一年前から働いている少女だった。冬美この時5歳、マリー6歳だった。
二人は採掘員として働いた。朝四時から夜九時まで、採掘したグラスニウムを押し車に載せ、倉庫に収める単純作業ではあるが、一桁年齢の、それも女の子にはきつい仕事だ。男女差別が無いと言えば聞こえはいいが、虐待そのものだった。だが慣れとは恐ろしい物で、始めは1㎏でもヒイヒイ言っていたが、軈て30㎏でも楽に運べるようになった。
二桁年齢になると、60㎏でも平気になった。
冬美が15歳の時、鉱山の所長にレイプされかけた。それが発覚し、鉱山は全面閉鎖となった。勿論それだけが閉鎖理由ではないが、きっかけの一つにはなっている。そして17歳の時にバードニックフォースが結成され、鉱山の主任だった太田勇からのスカウトで、プラング創設メンバーとしてマリーと共に入隊した。喜怒哀楽分かち合った。恋人同士でもあった。しかしそのマリーは、もういない。
目が覚めると、冬美はベッドに横になっていた。誰かが運んで来てくれたのだろう、食事がサイドテーブルに置かれていた。だが、食べる気力は無かった。自分の一部分が無くなったような空虚さ、孤独感が一遍に押し寄せてきた。これが絶望かと、それだけは分かった。冬美の頬を一筋の涙が伝った。だがそれすら冬美は気付かなかった。
翌日、冬美はプラング退職を申し出た。アスラングは冬美の気持ちを慮り、これを認めた。冬美はその日のうちに荷物を纏め、プラングを去って行った。二日続けてメンバーが減った事により、プラングは早急なメンバー補充に迫られた。他の工場から補充する案もあったが、人手不足はお互い様と言う事で、新規募集となった。また、ギースレイの活躍を、難を逃れた上層部が知り、その功績からプラング内にレイドール専用部署を立ち上げる事となった。この部署の顧問として、エンド・ルフィーネ博士の養女、氷華・ルフィーネが就任した。同時に、ギースレイもプラングの一員として正式に加わった。
地底に生まれた運命を、何度呪った事だろう。
ギバースはギガントの本拠地・エクソリア館の広間で、淹れ立ての珈琲を嗜みながら、その忌まわしき感情を消し去ろうとした。
元々地帝国は犯罪者が作った国だ。だから地底人は、文字通り下に見られる。代替わりが進んだ今となっては関係ない事ではあるが、そう言った負の部分という物は、中々根深い物がある。
また、地上人は地底に来る事が出来るが、その逆は不可能になっている。何故かは分からない。このゲネティラという世界の神々は、基盤や、土台だけ造って後は丸投げの部分が多い。勿論、多少のフォローはあるが、滅多に干渉して来ない。地球からのあらゆる国、時代の人間が混乱無く馴染んで過ごせているのは、間違いなく神のお陰ではあるのだが。
ノックする音が聞こえ、間を置いた後、ドアが開かれた。
「ギバース様、入りますよ」
「ロディアか。どうした?」
ロアー・グラナティスは、ギガントメンバーの紅一点。実戦でも強いが、裏方に回る方が性に合うと言う事で、すすんで雑務を熟してくれる。
「ゴラス計画が完成に近付きましたので、報告に上がりました」
「進捗は?」
「85%といったところでしょうか」
処刑場の控え室で偶然ひろった宝石と、落ちていた本に書かれていた、ゴラス復活方法に纏わる検証と考察という記事を破って持ち出し、それを元に着々と準備を進めてきた。
「よし。確認しよう」
二人はゴラスの間と呼ばれる特別室に移動した。
「おぉ、凄い」
特注の巨大カプセルの中には、黄金の仮面を着けたような顔、赤く尖った宝石のような体をした、一つ目の何かが、長い緑色の髪を揺らしながら浮かんでいる。大きさは約40m。瞼が閉じられている所を見ると覚醒はしていないようだ。
(早く目覚めろ。バードニックフォースを一掃してやる!)
ギバースは、自分の中にある地上人への憎悪が熱く高まり、湯気のように外に放出される感覚を覚えた。
「失礼します」
菫色の鎧に身を包んだ男が入ってきた。
「ファヴラー。どうした?」
「ええ、只今バードニックフォース本部が、巨大な怪物に襲われ、壊滅状態になったと…」
「何、それは本当か?」
「ええ、しかし本部の建物こそ瓦礫の山ですが、主要上層部は不在でしたからね。被害は規模の割には少ないようで」
「巨大な怪物…」
「ロアー、思い当たる節でも?」
「いえ、考え過ぎかも知れませんが、もしかしたら、こいつがやったのかも」
と言って、ゴラスを指さした。
「馬鹿な。こいつはまだ眠っているんだぞ」
「いえ、ゴラスは邪念・恩讐エネルギーの集合体という伝説があります」
「ああ、それは俺も絵本で読んだ事がある。地上神シャルラと地底神フィリマーがゴラスを封印した話だ」
ファヴラーとロアーは一瞬意外そうな顔をした。
「この形態になる前から、微弱ながら何らかのエネルギーが放出されているのは御存じの筈です。それが塊となって、ギバース様の標的であるバードニックフォース本部を襲撃したのでは?」
「成程。有り得るかも知れない」
「ファヴラー!お前までそんな話を信じるのか?」
「しかし実際に目の前に本物がいるじゃないですか。ギバース様もそれを或る意味信じていたから、復活させようと思ったのでしょう?」
ギバースは返す言葉が無かった。
「勿論、確証はありませんが、ロアーの説は案外、的を射ているかも知れませんよ」
三人は沈黙し、ゴラスを見上げた
高鳴る鼓動
勇一は市街をギースレイと共に見回っていた。あんな事件があった後だ。何が起こるか分からないから、とギースレイが市街警備を提案した。最初は、それはプラングの仕事ではないとアスラングは渋っていたが、作戦本部副本部長ロール・クランプに、
「やりましょう。どちらにしても現時点ではプラングは稼働できませんし、大事な候補生に何かあったらたまりませんからね。ギースレイ、貴方の実力は確かだと分かりましたので、寧ろこちらからお願いします」
と言われ、決定したのだ。
「んっ?」
勇一は目の前を歩く女性に目を止めた。
(あれはプラング採用試験の封筒…それに、以前会った事がある)
勇一とギースレイは女性に駆け寄った。
「僕は大甕勇一。隣のレイドールはギースレイ。君、此処を早く離れるんだ」
えっ?」
「先日の事件は知ってるだろう?」
女性は無言で頷く。
「だから、この辺一帯に警戒態勢が敷かれている。注意書きを読んでいないのか?送迎バスの集合場所は変更になっている筈だ。君、確か恋瀬川さんだね。交流会に来ていた」
「はい、恋瀬川美實です…」
と美實が名乗った瞬間、三人の目の前に、蛇腹の体の上に青い鎧を身につけた何者かが現れた。
「お前は誰だ!」
「我が名はジャラムー」
ジャラムーは一秒にも満たない速度で鞭を作り出し、二人目掛けて振るってきた。即座にギースレイが受け止める。
「勇一、恋瀬川さんは後ろに下がって!」
「ああ。頼んだぞギースレイ。ジャラムー以外の危険からは、僕が責任もって恋瀬川さんを守り抜く。安心してヤツに集中してくれ」
ギースレイは頷いた。そして、対抗するように右手に光の鞭を作り出した。その鞭でジャラムーの鞭を弾き飛ばした後、即、踏み込んで間合いを詰め、蹴りをジャラムーの腹部に見舞った。ジャラムーは大袈裟なくらい吹っ飛ばされ、壁に背中を強かに打ち付けた。一方勇一は、美實を自分の背後にいるよう指示し、両手を大きく広げ、壁に寄った。美實は今まで体験したことの無い気持ちが、全身に湧き上がるのを感じた。ああ、これが異性に守られる安心感か、と納得した。ジャラムーは肩や腰から伸びる四本の触角を伸ばし、勇一目掛けて放ってきた。だが、それを予測していたギースレイは、左手に光の剣を作り出し、全て切り落とした。更に光の鞭を光の剣に切り替えた。ジャラムーは両掌から光弾を連射してきた。ギースレイはこれをバリヤーで去なすと、間髪入れずにジャラムーを十字に斬り裂いた。
ジャラムーは消滅した。
「早くここを離れよう。恋瀬川さん。早くギースレイの背中に乗って、僕に掴まってくれ」
急かされるままに、美實はギースレイの背に跨がり、勇一の腰に両腕を回した。筋肉質で、見た目より広く感じる逞しい背中だった。ギースレイは垂直浮上からの超高速で飛行し始めた。普通、こんな速度で飛行する物体の外側に乗っていたら、人間は大変な事になるが、ギースレイが発する魔法力で包まれる為、ちょっと強い風程度に抑えられる。
歩けば三時間はかかる試験会場に、僅か二分で到着してしまった。
試験自体は楽勝で、実際全項目で満点を叩き出し、試験管を驚かせた。例え散々な成績でも、リナン国王の命令で満点にする予定だった。併し、そんなものを鼻で笑い飛ばすかのように、完璧に満点だった。だが、そんな事より美實の頭の中は勇一で一杯だった。
採用発表もその場で行われる為、全員筆記試験会場である大会議室に残っていた。何とも言えない静寂の中、試験官が戻ってきた。
「それでは、プラング補充採用試験の総合的結果から、正式採用となったのは二人です。採用となった二人には、契約書が置かれますので、内容を確認して記入し、私たちのどちらかに提出して下さい。他の者たちは帰って大丈夫です」
大方の予想通り、一人は美實だった。もう一人は、フィアリス・ライン。生まれつきの銀髪に赤のメッシュを付けている女性だった。歳は美實より二つ下の18歳と、今回の志願者の中で最年少だった。ただ、フィアリスは家族が健在なので、自宅からの通いとなる。美實は、マリーが住んでいた部屋に入る事となった。
「では、身体測定がありますので、医務室まで来て下さい」
「はい!」
二人は試験官の後に付いて歩き始めた。医務室は今の大会議室の在る通路の並び、三番目の部屋だった。
まずは美實から。担当の両手から放たれた光が全身を包んだ。
「恋瀬川美實さん、身長170㎝、B105、W60、H110」
体重を告げないのは、どうやらこの担当の優しさから来る拘りらしい。
「次にフィアリス・ラインさん、身長一六七㎝、B89、W61、H83。うん、他の数値も二人とも健康そのものですね」
始めてから五分もせずに、全項目の検査が終わってしまった。
二人は用紙を受け取ると、挨拶の為、プラングに向かった。
「私は恋瀬川美實です。宜しくお願い致します」
「私はフィアリス・ライン。本日よりこちらへの着任を拝命致しました。宜しく御指導・御鞭撻賜りますよう、お願い致します」
二人の対照的な挨拶に、一堂思わず笑ってしまった。
「フィアリス君。そんな無理して堅い挨拶しなくて良いから。美實君くらいが丁度良い」
フィアリスも、そうですか、と思わず笑ってしまい、一気に和やかな雰囲気になった。
「じゃあ、ざっくり紹介すると、俺が所長のアスラング・サンティバル。俺の左隣が匝瑳栞。右隣が大甕勇一だ。あと、此処には今いないが、レイドール開発室統括顧問・氷華・ルフィーネ博士、作戦本部長ギルザーク・ローレンス、作戦本部副部長のクランプ・ロールの二人がいる。宜しくな」
と言ったところで、「いるぞ」と超低音で響く声が聞こえた。入ってきたのは、ロングの銀髪を後ろで結び、スーツをビシッと着熟す初老の銀髪男性と、ストレートロングの黒髪に、これまた絵になるスーツ姿の若い女性が入ってきた。
「私はギルザーク・ローレンス、隣がクランプ・ロールだ」
「貴女ね、試験で史上初の満点を出した恋瀬川さんは。ラインさんも一点違いと超優秀成績だし」
「二人の訃報は心痛に堪えない。しかし優秀な二人が加わった今、悲しみを撥ね除け、精一杯取り組んでほしい。私からは以上だ」
と、ギルザークがその場を締めようとした、その時、ドアが開き、これまた若い、白衣姿の女性が入ってきた。
「遅れました。私はレイドール研究開発特級博士、氷華・ルフィーネです。姉がお世話になった場所で働ける事を光栄に思います」と頭を下げた。
「うむ。彼女は若くしてレイドール研究開発の大廈だ。私も皆も期待しているよ、氷華博士」
「はい」
ギルザークと氷華は握手を交わした。
こうして、プラングの新体制は整った。因みに試験に落ちた者たちの一部は、一般工員として働く事となる。
氷華はその晩、夢を見た。これまでの思い出がフルカラーの映像として、脳裏に浮かんでは消えていった。
優しい嘘
夢は、日々の憂いを忘れさせる程に、どこまでも澄み渡った蒼穹から始まる。
マジカリアス大陸セリア国。
氷華・ルフィーネがこの地に来てから、いったい何年経ったのだろう。氷華は、学会では異端児扱いされているレイドール研究の大廈、エンド・ルフィーネ博士の養女だ。姉とは三歳の時から離れて暮らしている為、どこにいるかさえ分からない。戸籍上養女になってはいるが、名前はそのままだ。これは冬華の要望というより、エンド博士の気遣いだった。エンド博士は今年83歳。その為、自分がいつ物故しても不便がないようにとの、彼なりの配慮なのだが、それを氷華に告げてはいないし、告げるつもりもなかった。
エンド博士は、最期の一文字を書き終えると、ペンを置いた。そしてふぅっと息を一つ吐くと、近くで片付けをしていた氷華に声をかけた。
「氷華、今は何時だ?」
「もう少しで午前九時です」
エンド博士は無言で頷き、窓の外に顔を向けた。彼の住居は、敷地面積10000平方㎞の広大な建物の一角にあり、そこに軟禁されている状態だ。得体の知れないレイドールを危険視した政府が、専用のラボラトリーと各種施設を用意する代わりに、建物内から出てはならないとされた。もうそうなって何年になるのだろう。古い記憶の糸を手繰る。だが、どうも歳のせいか、ハッキリ思い出せない。最近はレイドールへの理解も進んでいると聞く。だが今となっては、どうでも良かった。
ノックする音がした。氷華がドアを開けると、黄色の地に赤色の襟・袖口の軍服に身を包んだ男、男衾久英が、ノックと同時に入って来た。
「失礼します。本日は氷華様の健康診断の日ですので、お迎えに上がりました」
「あら男衾さん。そういえば忘れていたわ。じゃあ、行って参ります」
「ああ」
エンド博士は僅かに一瞥しただけで、すぐにまた窓に向き直ってしまった。
二人は部屋を出て歩き始めた。
「氷華様がこちらに住まわれるようになって、もう何年年くらい経つんですかね。確か私が24歳でこちらに配属された時、まだ氷華様は4歳か5歳くらいだったと。早いものです。私ももう36歳になってしまいました」
「始めは正直戸惑ったけど、でも流石にもう慣れたわ。この施設の中の事なら、知らない事はないくらい」
氷華もエンド博士同様、施設の外へ出る事は禁止されていた。尤も、生活に必要なものは全て施設内で事足りるので、不便に感じた事は、ただの一度も無い。
「男衾さんこそ、始めの頃は軍服の色の趣味が悪いだの、着心地が良くないだの文句ばかり言ってて」
「良く憶えておいでで。今は流石に慣れましたけどね」
医務室の前で、男衾は立ち止まり、ドアを開け、氷華を中へ入るよう促し、ドアを閉めて立ち去った。
氷華の住むこの地は、ゲネティラと言う巨大な惑星。エンド博士の父で惑星研究家のドーン博士によれば、この星は地球とほぼ同じ環境で、しかも面積が木星と同じくらいだという。更に地球内部と直結しており、曾て行方不明となった様々な国や年代の人たちが住んでいるという。しかも、この世界に住む神々の力に因って、あらゆる言語が本人の言語に変換されて聞こえる為、生活には支障は無い。最初にこの地に移住した人物の名を取って、ゲネティラと名付けられ、彼が移住した日を1年1月1日と制定し、現在に至る。
約3時間の健康診断が終り、医務室から出ると、氷華より少し背の低い、同年代の少女が立っていた。黒のショートヘアーの氷華と対照的に、ブロンドのロングヘアー。
「フィロス!驚かさないでよ」
「そろそろ終わる頃だと思って待ってたの」
二人は並んで歩き出した。
「氷華、また少し背、伸びたんじゃない?」
「うん、去年より五センチ伸びてた。」
「やっぱり。私なんか、全然伸びないし、胸だって…」
ショボンとした表情で、自らの胸に目を遣る。
「フィロス、胸の大きさなんてどうでも…」
「良くない!氷華はいいよね、そこそこあるもん。紙見せて」
と言って強引に氷華の手から診断用紙をひったくる。
「…ああ!こんなにあるじゃない!」
氷華は苦笑いしつつ、適当にフィロスの相手をしながら、部屋へ急いだ。
フィロス・イコゲニアとは、氷華が五歳の時にエンド博士の紹介で出会い、あっという間に意気投合した二人は、それからずっと仲良しだ。時には喧嘩もしたし、慰め合ったりもした。数少ない友達だった。同じ階に住んでいることもあり、もはや家族のようであった。
「ただいま。御父様」
「ああ、フィロスも一緒だったのか」
「はい!小父様もお元気そうで」
「ははは。お前も相変わらず元気そうだな」
「まぁ元気だけが取り柄ですから」
そう言って、胸の前で腕を突き出し、Ⅴサインを決める。
「あ、御父様、これ、診断書です。そしてこっちが頼まれていた資料です」
と言って、4cm✕8cmくらいの小さなカードを手渡した。
「小父様、また氷華にデータ入力させたの?」
両腕を腰に当てて、フィロスが呆れる。
「ああ、すまないとは思っているんだが、どうもこの手の機械は苦手でな」
「気になさらないで、御父様。これもいい勉強になるんですから」
「全く人がいいんだから氷華は」
冬華は真剣な表情になり、
「本当よ。私、将来は必ず御父様の跡を継いで、レイドール学者になるんだから」
「頼もしいな」
「氷華、あなた本気で言ってるの?呆れた。大体氷華は、レイドールの事どれだけ憶えてるの?」
「…エンド・ルフィーネ博士が発明・開発した人型作業用人形。何千年も昔に多く開発・使用された、ヴァトラスと言う巨大人型兵器の発展型。元々戦闘用に開発されていたものだが、その用途は多岐に亘り、医療用、教育用、家事用、防犯用など、あらゆる分野で使用されている。人が乗り込んで操縦していたヴァトラスとは違い、身長は二~三m、内部は空であり、直径1㎜の極小コアに全てが集結している。このコアはレイの意思で自由に移動させる事ができる。また、本体はカスタマイズも可能。主材質はアルセス硬金という、アルセス山脈など一部でしか採れない超稀少金属を、エンド博士が量産する方法を発見し、門外不出となっている。レイは自立思考、ドールは人型作業用人形を意味する。尚、自立思考しないタイプはカフドールと言う。耐用年数は用途や使用頻度に因っても異なるが、平均100年前後。未使用なら300年経っても大丈夫と言われるが、飽くまで計算上のもの。コアはアラヤと言う名前が正式名として付けられており、阿頼耶サイズの粒子が集まった結晶体で、粒子一つ一つに様々な情報がプログラムされている。また、補助魔法以外の魔法が廃れたこの世界で、攻撃魔法と防御・回復魔法を自在に使える数少ない存在で…」
「あー分かった、分かった、分かったから!もう。氷華はレイドールの事となるとすぐムキになるんだから!小父様、頼もしい後継者が出来て一安心ですわね」
フィロスは両手を左右に大きく広げ、お手上げポーズをした。エンド博士は、全くだな、と言いながら笑った。
その日の午後。氷華は机に向かっていた。
「えっと、戦闘用レイドールの装甲にはアルセス硬金に、パラストニウムが混ぜられた物が主に使用される…パラストニウム?ああ、確か魚の…何てったっけ?えーと、そうだ、イプソラドスの血液の含有成分・パラスドンを結晶化させ、粉状に砕いたやつよね。攻撃魔法や回復魔法の生成にも必須な…」
「氷華、あまり根詰めるのは、勉強には逆効果だよ。」
フィロスが後ろから声を掛けた。
「はい、珈琲淹れたから一休みしない?」
「ありがとう」
氷華は珈琲を一口啜り、ふぅっと息を吐いた。一度集中すると、完全に没頭してしまうのが、冬華の短所であり、長所でもある。
「そう言えばさ、フィロスはイプソラドスって知ってる?」
「えっ?イプちゃんなら別に珍しい魚じゃないよ?この建物のすぐ脇の小川にも棲んでいるし」
「えっ、そうなの?」
「うん、ただ顔が醜い感じだし、人気はあまりないらしいけどね」
確かに画像を見る限りでは、御世辞にも美しいとは言えない。
「じゃあ、見に行って見る?」
「えっ?大丈夫なの?フィロスはいいかも知れないけど私は…」
「大丈夫だって。この建物の敷地内だもん。いいでしょ?小父様」
エンド博士は無言で頷いた。それを確認するが早いか、フィロスは氷華の手を引いて走り出した。
フィロスと氷華は中庭に出た。十数年住んでいるが、中庭に出るのは今回が初めてだ。きちんと手入れが行き届き、美しい光景が拡がっている。雑草の無い、青々とした芝、澄んだ小川。ロココ調の東屋や噴水もある。更にその奥の森の中には、巨大なプールもある。もはや中庭なんてレベルではない。何しろ敷地面積の六~七割はこのような緑地帯だと、エンド博士から以前聞かされた事がある。
二人は早速、小川を覗き込んだ。
「ほら、あの銀色に光っているのがイプソラドスよ」
「うわぁ、泳ぐのが早い。それに思っていたより大きいわね」
冬華は目を輝かせて見入っている。
「成程。ガンメタリックの鱗が雄、白銀の鱗が雌ね。超肉食の魚で、場合に因っては人間も骨になるまで食い散らかす凶暴性もある。淡水、海水、汽水、浅瀬から深海まで、環境を問わず棲息可能で、あの長く伸びた突起が…」
「はあっ…私はあっちで待ってるから、好きなだけ見てなよ」
フィロスは少々呆れ気味に言うと、その場を離れた。
結局一時間もこんな美しい場所にいたにも関わらず、場所が変わっただけでやっている事はさっき迄と同じという結果となった。だが、それも氷華らしいと、フィロスは思わず笑ってしまった。
翌朝、氷華は朝食の準備を整え、エンド博士の部屋に入り、机に俯せになっている博士に声をかけた。
「御父様。朝食の用意が出来ましたよ。もう、またこんな所で寝て。風邪をひいても…」
だが、博士はピクリとも動かない。
「…御父様…?」
まさかと思い、博士の手首から脈を計り、呼吸を確認する。
「…死んでる…」
氷華はフィロスにこの事を伝えるべく、部屋に向かった。可能な限りの最速度で走る。
「フィロス!開けて!御父様が!」
ドアを全力で叩く。インターフォンを連打する。だが、何の反応もない。
氷華は合鍵で中に入って、更に戦慄した。何と、フィロスとその両親までもが俯せ、または仰向けの姿勢で死んでいた。
「いっ…いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ」
氷華は目を大きく見開いたまま、号泣した。
何が起こったのか、この時の氷華には理解出来なかった。後で分かった事ではあるが、実はフィロスとその家族は、第一期型のレイドールだったのだ。三期型以降のレイドールならば、新たにマスター登録すれば、再起動する事が出来る。しかしそれ以前のタイプは、それは不可能なのだ。
フィロスとはギリシャ語で友達、イコゲニアは同じくギリシャ語で家族の意。つまりフィロスはその家族も含め、エンド博士が、氷華に淋しい想いをさせないように初期型をベースに作ったレイドールだったのだ。限られた予算と資材で作られた、養父の優しい嘘。氷華は、喜び、悲しみ、恐怖、失意、あらゆる感情の波に飲み込まれ、その中で慟哭した。
後日、施設内で簡素な葬儀が行われた。氷華は決意を新たにした。必ず一人前のレイドール研究者となり、養父の名前を世に知らしめると。
身寄りのなくなった氷華だが、博士の養女の特権で、死ぬまで無条件で此処に住み続ける事が可能。氷華は養父の遺した資料、書物、部屋、そして名字までも全て受け継ぎ、研究を継承する事を正式に手続きし、レイドール研究家として第一歩を踏み出した、氷華十八歳の春だった。
八年後、晴れて前年に博士号を大帝(曾ては魔法大帝という名称だった、この大陸の魔法管理責任者)から賜った氷華の元に、男女二人組が訪ねてきた。一人はバードニックフォース創設者で最高責任者であるヴェスン・パンサー、もう一人は、秘書の菱田茜と名乗った。
「はぁ、そのバードニックフォースの方々が、私に何の用でしょうか?」
「実は、隣にいるヴェスン・パンサー将軍たってのお願いで参りました」
「あ、ここでは何ですから、お上がり下さい」
「有り難うございます」
二人は氷華に促され、応接室に移動した。
「それでお願いというのは?」
「ええ、こちらを御覧下さい」
氷華は、茜から手渡された封筒から、中身を取り出した。A4サイズの厚い冊子だった。
「つい先日、我々の本部が、我々はイヴボーズと名付けましたが、黒い怪物に襲撃された事件は御存じでしょうか?」
「はい、ニュースではその話題で持ち切りでしたもの」
「その際、レイドールが怪物を倒したんです。あ、そちらの冊子には、被害状況、死傷者数、今後の対策等が記載されています」
「レイドールが?」
氷華は訝しげに二人を見た。レイドールを所有している人物は非常に限られている。本当にレイドールだったのだろうか?だが確かにニュースでは怪物が倒された後しか報道されていない。顛末が分からないのだ。氷華の様子を察した茜は、話を続けた。
「報道関係には規制を掛けさせました。徒(いたずら)に不安を煽っても仕方ありませんからね。ただ、実際、その日は幹部会議の上、一般職員も少なかったのが不幸中の幸いと申しますか、唯一の救いですね。当然亡くなられた方々には哀悼の意を捧げます。彼らの犠牲の上に、今の我々があるのですから。彼らの無念に報いる為に何が出来るかを考えた結果の一つが、プラングレイドール課の開設です」
「プラング?確かバードニックフォースの兵器開発製造専門部署ですよね」
「ええそうです」
氷華は複雑な表情を浮かべた。確かにレイドールは一般家庭・企業用と、戦闘用に大別せれ、中には強力な力を秘めたものもある。彼らの目的はソレなのだろう。
「こちらがプラングの、現在のメンバー一覧です。博士はこの部署の最高責任者として相応しいと満場一致で推薦されました。なので、我々が参った次第です」
メンバー一覧のある人物名を見て、氷華は目を大きく見開いた。
「お気づきになりましたか。そう、橘冬美は、貴女の御姉様であらせられますよね」
そう、それも驚いた原因の一つではあるが、もっと驚いたのは大甕勇一の方だ。確かに彼はレイドールを所有している。彼の母親が曾(かつ)てエンド博士の助手の一人だったからだ。博士が彼女の息子の誕生日か何かに、プレゼントで贈ったという話を今、思い出した。何気なくあげたものが、実はとんでもない戦闘力を秘めた物だった…訳はない。博士だってそれは知っていただろう。恐らく友達兼護衛として、勇一を信じて贈ったに違いない。それに、いつまたあのような怪物が現れるとも限らない。確かにレイドールならば、その抑止力になり得る可能性がある。なにより、それを管理する人間が確かに必要だ。男衾がバードニックフォースに転籍するかも知れないという話も聞いている。
「分かりました。姉の事は兎も角、この件はお受け致します」
「おお、それは有り難い」
赤毛の男、ヴェスンが頭を下げた。思っていたより若いと氷華は思った。だが、その目には、何か油断のならない、よく分からない何かを感じる。威圧感に近いかも知れない。早く切り上げねば、と氷華は直感した。
「詳しい話は後日で宜しいですか?」
「ええ、勿論。こちらも準備がありますしね」
「そうですよね」
「では、私たちはこれで。あっこれは、お土産替りのイヴボーズの残滓です。お役に立てれば幸いです。お忙しい中、お時間を頂戴致しまして、誠に有り難うございました」
「いえ。こちらこそ有り難うございました。それではまた」
二人が帰った後、氷華は息を大きく吐いた。得体の知れぬ緊張から解き放たれた安堵の溜息だった。しかしこれで益々仕事に忙殺される毎日になる。氷華は再び…先程とは違う意味の…溜息を吐いた。
そこで夢は終わった。
「はっ」
氷華は目を開けて、辺りを見回す。そして現実に戻される。
(昨日からプラングに移ったんだっけ)
氷華は体を起こし、手早く着替え、白衣姿に戻った。
「さてと、今日は荷物の片付けね」
山のような荷物を前にして、氷華は気合いを入れた。
激しい頭痛に襲われ、ピンクの髪、青い瞳の女性、橘冬美が顔を歪めた。この頭痛が、髪と瞳の色に関係がある事は、割と世間的に知られている。
彼女も、元々は黒髪・黒い瞳であった。だが、幼い頃よりグラスニウム鉱山で働いていた時の影響で、変色してしまった。冬美は白いカプセルを袋から取り出し、コップの水で流し込んだ。
と、その時、ドアを叩く音が聞こえた。
「冬美、いる?」
「いるわよ、マリー」
ドアを開けて入って来たのは、マリー・ウイング。冬美の幼馴染みで親友でもある女性。茶色の髪の毛をポニーテールにし、青い瞳、いつも水色のワンピースなのが特徴的だ。幼い頃に同じグラスニウム鉱山で採掘員として働いて以来、ずっと一緒に過ごしてきた。
グラスニウムはゲネティラに広く分布する鉱石で、厳密には鉱石名をグラスマ、研磨加工した物をグラスニウムと言う。加工しやすく高硬度、七色に輝いて美しい為、建築材料や美術品など様々な物に使用されていたが、採掘や加工の際に出る粉塵が、僅かでも体内に入り込むと癌細胞を急速に増やしてしまう。エンド博士が、レイドール・カフドールの材質にグラスニウムを使わなかった理由は、この事を知っていたからでは?と言う説もあった程(氷華はこれを明確に否定している)。アフィルと言う薬で増殖を緩やかに出来る。冬美が先程呑んでいた白いカプセルがそうだ。だが完治は不可能。平均して罹患から十年以内には死亡するケースが多い。この事から採掘禁止法が出ていたが、無視して続け、足りない人員を人身売買で補充していた採掘場もあった。冬美とマリーが従事していた鉱山もその一つで、彼女たち自身も売られてきた身だった。同僚の匝瑳栞も、別の場所ではあるがグラスニウム鉱山に採掘員として働いていた。因みに所長のアスラングも鉱山勤務だが、採掘ではなく運送の方だった為、変色はしていない。
「手紙が届いていたわよ。えっと、橘…冬美…あっこれだ」
マリーは、白い封書を手渡した。
「工場取り壊しのお知らせ…棄てといて」
「あ、やっぱり?そう言うと思ったけど、一応確認しておこうと思って」
そう言って、マリーは自分の分と一緒に、笑顔のまま躊躇いなく破り捨てた。そこまでしなくても、と言いたくなる程、まるでシュレッダーにかけたレベル並に粉々に。
「うわぁ…まるで雪みたいに…」
「握力と腕力には自信あるからね」
「確かに鉱山時代も、60kg位の荷物を、押し車で何十往復もしてたもんね。そのほっそい体のどこにそんな力があるのか、今でも不思議でしょうがないもの」
「それは冬美も同じでしょう」
「まあね。嬉しくない特技だわ」
二人は大笑いした。
すると突然、耳を劈く緊急警報が鳴り響いた。
「マリー、発信元は何処?」
「格納庫みたいね」
「何事?もしかして地底人の襲来?」
「有り得るかも。冬美、急ぎましょう」
「ええ」
二人は急いで部屋を出た。そしてミーティングルームに入り、格納庫に降りるエレベーターに載ろうとした。だがエレベーターで誰かが上がってくる。二人は身構えた。ドアが開き、中から降りてきたのは、栞だった。
「栞!大丈夫だった?何があったの?」
「うん大丈夫。実は…」
雨が強く降り出した。
驟雨だろう、すぐにやむに違いないと、勇一はあまり気に止めなかった。
大甕勇一。母子家庭で育った。父親は勇一が生まれる前から行方不明。だから写真を見ても、実感が湧かない。父親の事を、母はあまり語らないし語りたがらない。だから余計に他人の感覚だった。
「どうしたんだい?」
浮かない表情の勇一を心配し、ギースレイが話しかけてきた。まるでロボットフィギュアのような姿をした彼は、エンド・ルフィーネ博士が作ったレイドールと言う人型作業用人形。母の知り合いであるエンド博士直々に勇一の三歳の誕生日に贈られた。それ以来、友達というより家族同然の存在として共に過ごしてきた。
「いや、ふと父さんはどんな人なのかなって」
ふぅと息を深く吐く。
「会いたいかい?」
いや、と勇一はかぶりを振った。会おうにも会う術が無いし、会えたとして、いまさら何を話せば良いのか分からなかった。それより、勇一が所属するバードニックフォースの兵器工場プラング内では、ある噂でもちきりだった。それは、バードニックフォース最高責任者であるヴェスン・パンサーが、兵器工場を新設すると言うものだ。それはいい。問題なのはその場所だった。ギガニウス国。よりにもよって。人は口々にそう言った。地底に作られた初めての国であり、罪人が強制的に、文字通り叩き落とされた歴史を持つ因縁の地だ。代替わりが進んだとは言え、地上人を怨んでいる者も少なくない。実際、その情報がギガニウス国に伝わった時、激しい反発が起こったようだ。それで今も揉めているらしい。
と、突然耳障りな警報音が、けたたましく鳴った。緊急警報装置だ。プラングで何かが起こっているらしい。
「ギースレイ、行くぞ!」
「ああ。俺の背中に乗れ!」
勇一は頷き、外に出てすぐにギースレイの背中に飛び乗った。強い雨が全身に打ち付ける。だがそんな事はどうでも良かった。何があってもおかしくはない状況だ。一刻さえ惜しい。
プラングに到着した。見たところ何も変わった所はない。しかし中で何か起こっているかも知れない。慎重に歩みを進める。
ミーティングルームのドア前に来た。何やら中が騒がしい。何事かとドアを開けた瞬間!
「だからゴメンって言ってるでしょ」
「謝りゃ良いってもんじゃないのよ!本気で心配したんだからね」
謝っている青いショートボブは匝瑳栞。怒っているピンクのストレートロングヘアーは橘冬美だ。
「どうしたの?」
一瞬あっけにとられたが、気を取り直して勇一は、すぐそばにいたマリー・ウイングに声を掛けた。
「ああ、勇ちゃん。実はね、さっきの警報は誤報なのよ。栞が間違って押してしまったみたいなの。まあ冬美の気持ちも分かるんだけどね。状況が状況だから」
「地底人との軋轢?」
「そう。それが更にマズイ事になって来ているみたい」
「一触即発?」
「かもね。噂によると、いつ抗争状態になってもおかしくないって。ギガントと言う武装組織が結成されたと言うニュースもあったし」
ギガントの話は勇一も耳にした事がある。メンバー全員が、全身をマスクと鎧で覆っている、ゲリラ組織のような存在。地底人の捲土重来を狙っているのではと言う専らの噂だ。
「確かに不慮のアクシデントとは言え、敏感になっている者からすれば、イラッとするのも分かるよ」
「でしょう?」
気の強い冬美と、お調子者の栞は水と油。喧嘩もしょっちゅうだ。と、そこに所長のアスラング・サンティバルが入ってきた。
「何だ。また栞と冬美が喧嘩しているのか」
「だって栞が緊急警報誤作動させたのに、反省の色が見えないからっ」
「誤作動じゃ済まなくなったかもな」
えっ?と全員の動きが止まった。
「去年完成させたヴィームカイザーを憶えているか?」
「ええ」
栞が頷いた。
「遂に運用する日が近くなった。いつでも出撃可能なように整備しろとのお達しだ。いますぐに取り掛かってほしい」
「あ、それならすぐ終わりますよ。なんかヤバい雰囲気になって来てたんで、ある程度の点検はやっときました。まあそれで間違えて緊急警報装置鳴らしてしまったんですけど」
「そうか。警報の件は後で始末書を書いてもらうとして、助かったよ栞」
照れくさそうに栞が頭を掻く。
「そうだったの。ごめんなさい栞。私、つい頭に血が上って…」
「いいって。冬美の気持ちも分かるから」
「最終確認は俺と勇一がやっておく。他の部分は女性陣が頼む」
「了解!」
声を揃えてアスラング以外の全員が、そう叫んだ後、解散となった。
プラングは、ゲネティラ語と言う神々が最初に設定した言語で、工場の意。3357㏊という、広大な敷地面積をもつ、バードニックフォース兵器工場の総本山。所長はアスラング・サンティバルだが、その上に作戦本部長ギルザーク・ローレンス、彼の補佐役・作戦本部副部長ロール・クランプがいるが、アスラングを信頼しており、滅多にプラングには顔を出さない。来たとしてもたいてい呑みの誘いだ。
勇一とアスラングはエレベーターに乗り込み、格納庫に向かった。今いたミーティングルームから格納庫へは、エレベーターで直に行けるようになっている。エレベーターを降りると、目の前に巨大な建造物が現れた。これがヴィームカイザー。ヴィームはゲネティラ語で全て、カイザーは同じくゲネティラ語で頂点の意。つまり全ての兵器の頂点を目指す事をコンセプトに建造された、水陸両用型兵器。本来はこんなに巨大にしなくても充分全機能全装備が収まるのだが、ヴェスンの趣味で全長351メートル、全高60m、総重量91000tと無駄に巨大になっている。
二人が乗り込もうとした時、マリーがエレベーターから降りて来た。
「どうしたんだ?」
「ちょっとチェックし忘れた箇所を思い出して」
マリーが苦笑いする。それを聞いて、アスラングが右手で頭を掻いた。
「いけね。俺も本部に提出する書類の事を忘れてた。お前ら二人で確認頼む」
そう言い残し、アスラングは走って戻って行った。二人は肩を竦めた。
「取り敢えず僕は外回りから始めるよ」
「じゃあ私はコクピット内の計器関連から行くわね」
「了解」
二人はそれぞれの持ち場に分かれ、作業を開始した。暫くして、本日二度目の緊急警報装置が鳴り響いた。同時にコクピットが強制的にロックされた。どうやら今度は本部からのもののようだ。ヴィームカイザーが緊急自動発進を開始した。
「どうしよう…そりゃ操作は全部憶えているけどさ」
マリーは突然の出来事に戸惑った。
「でも、やるしかないわね」
気を取り直し、ヘルメットを被り、操縦に集中した。
勇一は急いでギースレイの元へ戻った。そして、本部の見える位置までギースレイの背に乗って移動した。
「なっ…」
言葉を失うほど巨大な何かが本部を襲撃していた。推定80m。表面は青く透明、中は黒く不透明な軟体で、腕のような物が二本。目の位置に黄色い光が二つ、それ以外は一切無いシンプルな怪物。それが本部を蹂躙し、廃墟然とさせている。
勇一はギースレイに戦闘を指示しようとして、思い留まった。工員とは言え自分は軍籍を持つ軍人だ。勝手な戦闘は出来ない。だが今は緊急事態だ。様々な思いが脳裏を逡巡する。
一方、マリーの操縦するヴィームカイザーが現場に到着した。取り敢えず撃てば良いとばかりに全火器全弾を怪物めがけ一斉発射させる。だが兵士とは違い、射撃訓練もしていないマリーの弾が真面に当たる訳もなく、命中率は惨憺たるものだ。それでも多少は当たっている。それがまずかった。ヴィームカイザーからの攻撃に気がついた怪物は跳び上がり、ヴィームカイザーを踏みつけた。僅か数秒の出来事だった。ヴィームカイザーは原型を留めぬ程、破壊された。
「勇一。私に任せてくれ。私が勝手にやった事にすれば、君に迷惑は掛からない」
「しかし、あんな怪物相手に大丈夫か?」
「心配するな。戦闘機能も備わっているからな」
「分かった。ギースレイ!ヤツを倒してくれ!でも無茶はするなよ」
「大丈夫だ」
ギースレイは特殊なレイドールだ。身長を2mから3mの間で自由に変える事が出来る。最大になったギースレイは、怪物の眼前まで飛行移動し、手首の辺りから光を発生させたかと思った次の瞬間、X字に斬り裂いた。怪物は蒸発し、消え去った。
勇一は破壊し尽くされたヴィームカイザーのコクピットから、マリーを両腕で引き上げ、肩に乗せて降ろした。マリーは既に息絶えていた。冷たくなったマリーと言う現実。そしてそうなってしまったのは、自分の躊躇であると言う自責の念が、勇一を遣る瀬無い気持ちにさせ、号泣させた。
マリーの死を知った冬美は、悲しみを通り越して呆然とした。本当に悲しい時は涙も出ない事もある、それを実感した。現実が受け入れられなかった。そして、気を失った。
冬美は、初めてマリーと出会った頃の夢を見ていた。
二人はすぐに出会って直ぐに意気投合した。マリーは、冬美が鉱山に売られてくる一年前から働いている少女だった。冬美この時5歳、マリー6歳だった。
二人は採掘員として働いた。朝四時から夜九時まで、採掘したグラスニウムを押し車に載せ、倉庫に収める単純作業ではあるが、一桁年齢の、それも女の子にはきつい仕事だ。男女差別が無いと言えば聞こえはいいが、虐待そのものだった。だが慣れとは恐ろしい物で、始めは1㎏でもヒイヒイ言っていたが、軈て30㎏でも楽に運べるようになった。
二桁年齢になると、60㎏でも平気になった。
冬美が15歳の時、鉱山の所長にレイプされかけた。それが発覚し、鉱山は全面閉鎖となった。勿論それだけが閉鎖理由ではないが、きっかけの一つにはなっている。そして17歳の時にバードニックフォースが結成され、鉱山の主任だった太田勇からのスカウトで、プラング創設メンバーとしてマリーと共に入隊した。喜怒哀楽分かち合った。恋人同士でもあった。しかしそのマリーは、もういない。
目が覚めると、冬美はベッドに横になっていた。誰かが運んで来てくれたのだろう、食事がサイドテーブルに置かれていた。だが、食べる気力は無かった。自分の一部分が無くなったような空虚さ、孤独感が一遍に押し寄せてきた。これが絶望かと、それだけは分かった。冬美の頬を一筋の涙が伝った。だがそれすら冬美は気付かなかった。
翌日、冬美はプラング退職を申し出た。アスラングは冬美の気持ちを慮り、これを認めた。冬美はその日のうちに荷物を纏め、プラングを去って行った。二日続けてメンバーが減った事により、プラングは早急なメンバー補充に迫られた。他の工場から補充する案もあったが、人手不足はお互い様と言う事で、新規募集となった。また、ギースレイの活躍を、難を逃れた上層部が知り、その功績からプラング内にレイドール専用部署を立ち上げる事となった。この部署の顧問として、エンド・ルフィーネ博士の養女、氷華・ルフィーネが就任した。同時に、ギースレイもプラングの一員として正式に加わった。
地底に生まれた運命を、何度呪った事だろう。
ギバースはギガントの本拠地・エクソリア館の広間で、淹れ立ての珈琲を嗜みながら、その忌まわしき感情を消し去ろうとした。
元々地帝国は犯罪者が作った国だ。だから地底人は、文字通り下に見られる。代替わりが進んだ今となっては関係ない事ではあるが、そう言った負の部分という物は、中々根深い物がある。
また、地上人は地底に来る事が出来るが、その逆は不可能になっている。何故かは分からない。このゲネティラという世界の神々は、基盤や、土台だけ造って後は丸投げの部分が多い。勿論、多少のフォローはあるが、滅多に干渉して来ない。地球からのあらゆる国、時代の人間が混乱無く馴染んで過ごせているのは、間違いなく神のお陰ではあるのだが。
ノックする音が聞こえ、間を置いた後、ドアが開かれた。
「ギバース様、入りますよ」
「ロディアか。どうした?」
ロアー・グラナティスは、ギガントメンバーの紅一点。実戦でも強いが、裏方に回る方が性に合うと言う事で、すすんで雑務を熟してくれる。
「ゴラス計画が完成に近付きましたので、報告に上がりました」
「進捗は?」
「85%といったところでしょうか」
処刑場の控え室で偶然ひろった宝石と、落ちていた本に書かれていた、ゴラス復活方法に纏わる検証と考察という記事を破って持ち出し、それを元に着々と準備を進めてきた。
「よし。確認しよう」
二人はゴラスの間と呼ばれる特別室に移動した。
「おぉ、凄い」
特注の巨大カプセルの中には、黄金の仮面を着けたような顔、赤く尖った宝石のような体をした、一つ目の何かが、長い緑色の髪を揺らしながら浮かんでいる。大きさは約40m。瞼が閉じられている所を見ると覚醒はしていないようだ。
(早く目覚めろ。バードニックフォースを一掃してやる!)
ギバースは、自分の中にある地上人への憎悪が熱く高まり、湯気のように外に放出される感覚を覚えた。
「失礼します」
菫色の鎧に身を包んだ男が入ってきた。
「ファヴラー。どうした?」
「ええ、只今バードニックフォース本部が、巨大な怪物に襲われ、壊滅状態になったと…」
「何、それは本当か?」
「ええ、しかし本部の建物こそ瓦礫の山ですが、主要上層部は不在でしたからね。被害は規模の割には少ないようで」
「巨大な怪物…」
「ロアー、思い当たる節でも?」
「いえ、考え過ぎかも知れませんが、もしかしたら、こいつがやったのかも」
と言って、ゴラスを指さした。
「馬鹿な。こいつはまだ眠っているんだぞ」
「いえ、ゴラスは邪念・恩讐エネルギーの集合体という伝説があります」
「ああ、それは俺も絵本で読んだ事がある。地上神シャルラと地底神フィリマーがゴラスを封印した話だ」
ファヴラーとロアーは一瞬意外そうな顔をした。
「この形態になる前から、微弱ながら何らかのエネルギーが放出されているのは御存じの筈です。それが塊となって、ギバース様の標的であるバードニックフォース本部を襲撃したのでは?」
「成程。有り得るかも知れない」
「ファヴラー!お前までそんな話を信じるのか?」
「しかし実際に目の前に本物がいるじゃないですか。ギバース様もそれを或る意味信じていたから、復活させようと思ったのでしょう?」
ギバースは返す言葉が無かった。
「勿論、確証はありませんが、ロアーの説は案外、的を射ているかも知れませんよ」
三人は沈黙し、ゴラスを見上げた
高鳴る鼓動
勇一は市街をギースレイと共に見回っていた。あんな事件があった後だ。何が起こるか分からないから、とギースレイが市街警備を提案した。最初は、それはプラングの仕事ではないとアスラングは渋っていたが、作戦本部副本部長ロール・クランプに、
「やりましょう。どちらにしても現時点ではプラングは稼働できませんし、大事な候補生に何かあったらたまりませんからね。ギースレイ、貴方の実力は確かだと分かりましたので、寧ろこちらからお願いします」
と言われ、決定したのだ。
「んっ?」
勇一は目の前を歩く女性に目を止めた。
(あれはプラング採用試験の封筒…それに、以前会った事がある)
勇一とギースレイは女性に駆け寄った。
「僕は大甕勇一。隣のレイドールはギースレイ。君、此処を早く離れるんだ」
えっ?」
「先日の事件は知ってるだろう?」
女性は無言で頷く。
「だから、この辺一帯に警戒態勢が敷かれている。注意書きを読んでいないのか?送迎バスの集合場所は変更になっている筈だ。君、確か恋瀬川さんだね。交流会に来ていた」
「はい、恋瀬川美實です…」
と美實が名乗った瞬間、三人の目の前に、蛇腹の体の上に青い鎧を身につけた何者かが現れた。
「お前は誰だ!」
「我が名はジャラムー」
ジャラムーは一秒にも満たない速度で鞭を作り出し、二人目掛けて振るってきた。即座にギースレイが受け止める。
「勇一、恋瀬川さんは後ろに下がって!」
「ああ。頼んだぞギースレイ。ジャラムー以外の危険からは、僕が責任もって恋瀬川さんを守り抜く。安心してヤツに集中してくれ」
ギースレイは頷いた。そして、対抗するように右手に光の鞭を作り出した。その鞭でジャラムーの鞭を弾き飛ばした後、即、踏み込んで間合いを詰め、蹴りをジャラムーの腹部に見舞った。ジャラムーは大袈裟なくらい吹っ飛ばされ、壁に背中を強かに打ち付けた。一方勇一は、美實を自分の背後にいるよう指示し、両手を大きく広げ、壁に寄った。美實は今まで体験したことの無い気持ちが、全身に湧き上がるのを感じた。ああ、これが異性に守られる安心感か、と納得した。ジャラムーは肩や腰から伸びる四本の触角を伸ばし、勇一目掛けて放ってきた。だが、それを予測していたギースレイは、左手に光の剣を作り出し、全て切り落とした。更に光の鞭を光の剣に切り替えた。ジャラムーは両掌から光弾を連射してきた。ギースレイはこれをバリヤーで去なすと、間髪入れずにジャラムーを十字に斬り裂いた。
ジャラムーは消滅した。
「早くここを離れよう。恋瀬川さん。早くギースレイの背中に乗って、僕に掴まってくれ」
急かされるままに、美實はギースレイの背に跨がり、勇一の腰に両腕を回した。筋肉質で、見た目より広く感じる逞しい背中だった。ギースレイは垂直浮上からの超高速で飛行し始めた。普通、こんな速度で飛行する物体の外側に乗っていたら、人間は大変な事になるが、ギースレイが発する魔法力で包まれる為、ちょっと強い風程度に抑えられる。
歩けば三時間はかかる試験会場に、僅か二分で到着してしまった。
試験自体は楽勝で、実際全項目で満点を叩き出し、試験管を驚かせた。例え散々な成績でも、リナン国王の命令で満点にする予定だった。併し、そんなものを鼻で笑い飛ばすかのように、完璧に満点だった。だが、そんな事より美實の頭の中は勇一で一杯だった。
採用発表もその場で行われる為、全員筆記試験会場である大会議室に残っていた。何とも言えない静寂の中、試験官が戻ってきた。
「それでは、プラング補充採用試験の総合的結果から、正式採用となったのは二人です。採用となった二人には、契約書が置かれますので、内容を確認して記入し、私たちのどちらかに提出して下さい。他の者たちは帰って大丈夫です」
大方の予想通り、一人は美實だった。もう一人は、フィアリス・ライン。生まれつきの銀髪に赤のメッシュを付けている女性だった。歳は美實より二つ下の18歳と、今回の志願者の中で最年少だった。ただ、フィアリスは家族が健在なので、自宅からの通いとなる。美實は、マリーが住んでいた部屋に入る事となった。
「では、身体測定がありますので、医務室まで来て下さい」
「はい!」
二人は試験官の後に付いて歩き始めた。医務室は今の大会議室の在る通路の並び、三番目の部屋だった。
まずは美實から。担当の両手から放たれた光が全身を包んだ。
「恋瀬川美實さん、身長170㎝、B105、W60、H110」
体重を告げないのは、どうやらこの担当の優しさから来る拘りらしい。
「次にフィアリス・ラインさん、身長一六七㎝、B89、W61、H83。うん、他の数値も二人とも健康そのものですね」
始めてから五分もせずに、全項目の検査が終わってしまった。
二人は用紙を受け取ると、挨拶の為、プラングに向かった。
「私は恋瀬川美實です。宜しくお願い致します」
「私はフィアリス・ライン。本日よりこちらへの着任を拝命致しました。宜しく御指導・御鞭撻賜りますよう、お願い致します」
二人の対照的な挨拶に、一堂思わず笑ってしまった。
「フィアリス君。そんな無理して堅い挨拶しなくて良いから。美實君くらいが丁度良い」
フィアリスも、そうですか、と思わず笑ってしまい、一気に和やかな雰囲気になった。
「じゃあ、ざっくり紹介すると、俺が所長のアスラング・サンティバル。俺の左隣が匝瑳栞。右隣が大甕勇一だ。あと、此処には今いないが、レイドール開発室統括顧問・氷華・ルフィーネ博士、作戦本部長ギルザーク・ローレンス、作戦本部副部長のクランプ・ロールの二人がいる。宜しくな」
と言ったところで、「いるぞ」と超低音で響く声が聞こえた。入ってきたのは、ロングの銀髪を後ろで結び、スーツをビシッと着熟す初老の銀髪男性と、ストレートロングの黒髪に、これまた絵になるスーツ姿の若い女性が入ってきた。
「私はギルザーク・ローレンス、隣がクランプ・ロールだ」
「貴女ね、試験で史上初の満点を出した恋瀬川さんは。ラインさんも一点違いと超優秀成績だし」
「二人の訃報は心痛に堪えない。しかし優秀な二人が加わった今、悲しみを撥ね除け、精一杯取り組んでほしい。私からは以上だ」
と、ギルザークがその場を締めようとした、その時、ドアが開き、これまた若い、白衣姿の女性が入ってきた。
「遅れました。私はレイドール研究開発特級博士、氷華・ルフィーネです。姉がお世話になった場所で働ける事を光栄に思います」と頭を下げた。
「うむ。彼女は若くしてレイドール研究開発の大廈だ。私も皆も期待しているよ、氷華博士」
「はい」
ギルザークと氷華は握手を交わした。
こうして、プラングの新体制は整った。因みに試験に落ちた者たちの一部は、一般工員として働く事となる。
氷華はその晩、夢を見た。これまでの思い出がフルカラーの映像として、脳裏に浮かんでは消えていった。
優しい嘘
夢は、日々の憂いを忘れさせる程に、どこまでも澄み渡った蒼穹から始まる。
マジカリアス大陸セリア国。
氷華・ルフィーネがこの地に来てから、いったい何年経ったのだろう。氷華は、学会では異端児扱いされているレイドール研究の大廈、エンド・ルフィーネ博士の養女だ。姉とは三歳の時から離れて暮らしている為、どこにいるかさえ分からない。戸籍上養女になってはいるが、名前はそのままだ。これは冬華の要望というより、エンド博士の気遣いだった。エンド博士は今年83歳。その為、自分がいつ物故しても不便がないようにとの、彼なりの配慮なのだが、それを氷華に告げてはいないし、告げるつもりもなかった。
エンド博士は、最期の一文字を書き終えると、ペンを置いた。そしてふぅっと息を一つ吐くと、近くで片付けをしていた氷華に声をかけた。
「氷華、今は何時だ?」
「もう少しで午前九時です」
エンド博士は無言で頷き、窓の外に顔を向けた。彼の住居は、敷地面積10000平方㎞の広大な建物の一角にあり、そこに軟禁されている状態だ。得体の知れないレイドールを危険視した政府が、専用のラボラトリーと各種施設を用意する代わりに、建物内から出てはならないとされた。もうそうなって何年になるのだろう。古い記憶の糸を手繰る。だが、どうも歳のせいか、ハッキリ思い出せない。最近はレイドールへの理解も進んでいると聞く。だが今となっては、どうでも良かった。
ノックする音がした。氷華がドアを開けると、黄色の地に赤色の襟・袖口の軍服に身を包んだ男、男衾久英が、ノックと同時に入って来た。
「失礼します。本日は氷華様の健康診断の日ですので、お迎えに上がりました」
「あら男衾さん。そういえば忘れていたわ。じゃあ、行って参ります」
「ああ」
エンド博士は僅かに一瞥しただけで、すぐにまた窓に向き直ってしまった。
二人は部屋を出て歩き始めた。
「氷華様がこちらに住まわれるようになって、もう何年年くらい経つんですかね。確か私が24歳でこちらに配属された時、まだ氷華様は4歳か5歳くらいだったと。早いものです。私ももう36歳になってしまいました」
「始めは正直戸惑ったけど、でも流石にもう慣れたわ。この施設の中の事なら、知らない事はないくらい」
氷華もエンド博士同様、施設の外へ出る事は禁止されていた。尤も、生活に必要なものは全て施設内で事足りるので、不便に感じた事は、ただの一度も無い。
「男衾さんこそ、始めの頃は軍服の色の趣味が悪いだの、着心地が良くないだの文句ばかり言ってて」
「良く憶えておいでで。今は流石に慣れましたけどね」
医務室の前で、男衾は立ち止まり、ドアを開け、氷華を中へ入るよう促し、ドアを閉めて立ち去った。
氷華の住むこの地は、ゲネティラと言う巨大な惑星。エンド博士の父で惑星研究家のドーン博士によれば、この星は地球とほぼ同じ環境で、しかも面積が木星と同じくらいだという。更に地球内部と直結しており、曾て行方不明となった様々な国や年代の人たちが住んでいるという。しかも、この世界に住む神々の力に因って、あらゆる言語が本人の言語に変換されて聞こえる為、生活には支障は無い。最初にこの地に移住した人物の名を取って、ゲネティラと名付けられ、彼が移住した日を1年1月1日と制定し、現在に至る。
約3時間の健康診断が終り、医務室から出ると、氷華より少し背の低い、同年代の少女が立っていた。黒のショートヘアーの氷華と対照的に、ブロンドのロングヘアー。
「フィロス!驚かさないでよ」
「そろそろ終わる頃だと思って待ってたの」
二人は並んで歩き出した。
「氷華、また少し背、伸びたんじゃない?」
「うん、去年より五センチ伸びてた。」
「やっぱり。私なんか、全然伸びないし、胸だって…」
ショボンとした表情で、自らの胸に目を遣る。
「フィロス、胸の大きさなんてどうでも…」
「良くない!氷華はいいよね、そこそこあるもん。紙見せて」
と言って強引に氷華の手から診断用紙をひったくる。
「…ああ!こんなにあるじゃない!」
氷華は苦笑いしつつ、適当にフィロスの相手をしながら、部屋へ急いだ。
フィロス・イコゲニアとは、氷華が五歳の時にエンド博士の紹介で出会い、あっという間に意気投合した二人は、それからずっと仲良しだ。時には喧嘩もしたし、慰め合ったりもした。数少ない友達だった。同じ階に住んでいることもあり、もはや家族のようであった。
「ただいま。御父様」
「ああ、フィロスも一緒だったのか」
「はい!小父様もお元気そうで」
「ははは。お前も相変わらず元気そうだな」
「まぁ元気だけが取り柄ですから」
そう言って、胸の前で腕を突き出し、Ⅴサインを決める。
「あ、御父様、これ、診断書です。そしてこっちが頼まれていた資料です」
と言って、4cm✕8cmくらいの小さなカードを手渡した。
「小父様、また氷華にデータ入力させたの?」
両腕を腰に当てて、フィロスが呆れる。
「ああ、すまないとは思っているんだが、どうもこの手の機械は苦手でな」
「気になさらないで、御父様。これもいい勉強になるんですから」
「全く人がいいんだから氷華は」
冬華は真剣な表情になり、
「本当よ。私、将来は必ず御父様の跡を継いで、レイドール学者になるんだから」
「頼もしいな」
「氷華、あなた本気で言ってるの?呆れた。大体氷華は、レイドールの事どれだけ憶えてるの?」
「…エンド・ルフィーネ博士が発明・開発した人型作業用人形。何千年も昔に多く開発・使用された、ヴァトラスと言う巨大人型兵器の発展型。元々戦闘用に開発されていたものだが、その用途は多岐に亘り、医療用、教育用、家事用、防犯用など、あらゆる分野で使用されている。人が乗り込んで操縦していたヴァトラスとは違い、身長は二~三m、内部は空であり、直径1㎜の極小コアに全てが集結している。このコアはレイの意思で自由に移動させる事ができる。また、本体はカスタマイズも可能。主材質はアルセス硬金という、アルセス山脈など一部でしか採れない超稀少金属を、エンド博士が量産する方法を発見し、門外不出となっている。レイは自立思考、ドールは人型作業用人形を意味する。尚、自立思考しないタイプはカフドールと言う。耐用年数は用途や使用頻度に因っても異なるが、平均100年前後。未使用なら300年経っても大丈夫と言われるが、飽くまで計算上のもの。コアはアラヤと言う名前が正式名として付けられており、阿頼耶サイズの粒子が集まった結晶体で、粒子一つ一つに様々な情報がプログラムされている。また、補助魔法以外の魔法が廃れたこの世界で、攻撃魔法と防御・回復魔法を自在に使える数少ない存在で…」
「あー分かった、分かった、分かったから!もう。氷華はレイドールの事となるとすぐムキになるんだから!小父様、頼もしい後継者が出来て一安心ですわね」
フィロスは両手を左右に大きく広げ、お手上げポーズをした。エンド博士は、全くだな、と言いながら笑った。
その日の午後。氷華は机に向かっていた。
「えっと、戦闘用レイドールの装甲にはアルセス硬金に、パラストニウムが混ぜられた物が主に使用される…パラストニウム?ああ、確か魚の…何てったっけ?えーと、そうだ、イプソラドスの血液の含有成分・パラスドンを結晶化させ、粉状に砕いたやつよね。攻撃魔法や回復魔法の生成にも必須な…」
「氷華、あまり根詰めるのは、勉強には逆効果だよ。」
フィロスが後ろから声を掛けた。
「はい、珈琲淹れたから一休みしない?」
「ありがとう」
氷華は珈琲を一口啜り、ふぅっと息を吐いた。一度集中すると、完全に没頭してしまうのが、冬華の短所であり、長所でもある。
「そう言えばさ、フィロスはイプソラドスって知ってる?」
「えっ?イプちゃんなら別に珍しい魚じゃないよ?この建物のすぐ脇の小川にも棲んでいるし」
「えっ、そうなの?」
「うん、ただ顔が醜い感じだし、人気はあまりないらしいけどね」
確かに画像を見る限りでは、御世辞にも美しいとは言えない。
「じゃあ、見に行って見る?」
「えっ?大丈夫なの?フィロスはいいかも知れないけど私は…」
「大丈夫だって。この建物の敷地内だもん。いいでしょ?小父様」
エンド博士は無言で頷いた。それを確認するが早いか、フィロスは氷華の手を引いて走り出した。
フィロスと氷華は中庭に出た。十数年住んでいるが、中庭に出るのは今回が初めてだ。きちんと手入れが行き届き、美しい光景が拡がっている。雑草の無い、青々とした芝、澄んだ小川。ロココ調の東屋や噴水もある。更にその奥の森の中には、巨大なプールもある。もはや中庭なんてレベルではない。何しろ敷地面積の六~七割はこのような緑地帯だと、エンド博士から以前聞かされた事がある。
二人は早速、小川を覗き込んだ。
「ほら、あの銀色に光っているのがイプソラドスよ」
「うわぁ、泳ぐのが早い。それに思っていたより大きいわね」
冬華は目を輝かせて見入っている。
「成程。ガンメタリックの鱗が雄、白銀の鱗が雌ね。超肉食の魚で、場合に因っては人間も骨になるまで食い散らかす凶暴性もある。淡水、海水、汽水、浅瀬から深海まで、環境を問わず棲息可能で、あの長く伸びた突起が…」
「はあっ…私はあっちで待ってるから、好きなだけ見てなよ」
フィロスは少々呆れ気味に言うと、その場を離れた。
結局一時間もこんな美しい場所にいたにも関わらず、場所が変わっただけでやっている事はさっき迄と同じという結果となった。だが、それも氷華らしいと、フィロスは思わず笑ってしまった。
翌朝、氷華は朝食の準備を整え、エンド博士の部屋に入り、机に俯せになっている博士に声をかけた。
「御父様。朝食の用意が出来ましたよ。もう、またこんな所で寝て。風邪をひいても…」
だが、博士はピクリとも動かない。
「…御父様…?」
まさかと思い、博士の手首から脈を計り、呼吸を確認する。
「…死んでる…」
氷華はフィロスにこの事を伝えるべく、部屋に向かった。可能な限りの最速度で走る。
「フィロス!開けて!御父様が!」
ドアを全力で叩く。インターフォンを連打する。だが、何の反応もない。
氷華は合鍵で中に入って、更に戦慄した。何と、フィロスとその両親までもが俯せ、または仰向けの姿勢で死んでいた。
「いっ…いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ」
氷華は目を大きく見開いたまま、号泣した。
何が起こったのか、この時の氷華には理解出来なかった。後で分かった事ではあるが、実はフィロスとその家族は、第一期型のレイドールだったのだ。三期型以降のレイドールならば、新たにマスター登録すれば、再起動する事が出来る。しかしそれ以前のタイプは、それは不可能なのだ。
フィロスとはギリシャ語で友達、イコゲニアは同じくギリシャ語で家族の意。つまりフィロスはその家族も含め、エンド博士が、氷華に淋しい想いをさせないように初期型をベースに作ったレイドールだったのだ。限られた予算と資材で作られた、養父の優しい嘘。氷華は、喜び、悲しみ、恐怖、失意、あらゆる感情の波に飲み込まれ、その中で慟哭した。
後日、施設内で簡素な葬儀が行われた。氷華は決意を新たにした。必ず一人前のレイドール研究者となり、養父の名前を世に知らしめると。
身寄りのなくなった氷華だが、博士の養女の特権で、死ぬまで無条件で此処に住み続ける事が可能。氷華は養父の遺した資料、書物、部屋、そして名字までも全て受け継ぎ、研究を継承する事を正式に手続きし、レイドール研究家として第一歩を踏み出した、氷華十八歳の春だった。
八年後、晴れて前年に博士号を大帝(曾ては魔法大帝という名称だった、この大陸の魔法管理責任者)から賜った氷華の元に、男女二人組が訪ねてきた。一人はバードニックフォース創設者で最高責任者であるヴェスン・パンサー、もう一人は、秘書の菱田茜と名乗った。
「はぁ、そのバードニックフォースの方々が、私に何の用でしょうか?」
「実は、隣にいるヴェスン・パンサー将軍たってのお願いで参りました」
「あ、ここでは何ですから、お上がり下さい」
「有り難うございます」
二人は氷華に促され、応接室に移動した。
「それでお願いというのは?」
「ええ、こちらを御覧下さい」
氷華は、茜から手渡された封筒から、中身を取り出した。A4サイズの厚い冊子だった。
「つい先日、我々の本部が、我々はイヴボーズと名付けましたが、黒い怪物に襲撃された事件は御存じでしょうか?」
「はい、ニュースではその話題で持ち切りでしたもの」
「その際、レイドールが怪物を倒したんです。あ、そちらの冊子には、被害状況、死傷者数、今後の対策等が記載されています」
「レイドールが?」
氷華は訝しげに二人を見た。レイドールを所有している人物は非常に限られている。本当にレイドールだったのだろうか?だが確かにニュースでは怪物が倒された後しか報道されていない。顛末が分からないのだ。氷華の様子を察した茜は、話を続けた。
「報道関係には規制を掛けさせました。徒(いたずら)に不安を煽っても仕方ありませんからね。ただ、実際、その日は幹部会議の上、一般職員も少なかったのが不幸中の幸いと申しますか、唯一の救いですね。当然亡くなられた方々には哀悼の意を捧げます。彼らの犠牲の上に、今の我々があるのですから。彼らの無念に報いる為に何が出来るかを考えた結果の一つが、プラングレイドール課の開設です」
「プラング?確かバードニックフォースの兵器開発製造専門部署ですよね」
「ええそうです」
氷華は複雑な表情を浮かべた。確かにレイドールは一般家庭・企業用と、戦闘用に大別せれ、中には強力な力を秘めたものもある。彼らの目的はソレなのだろう。
「こちらがプラングの、現在のメンバー一覧です。博士はこの部署の最高責任者として相応しいと満場一致で推薦されました。なので、我々が参った次第です」
メンバー一覧のある人物名を見て、氷華は目を大きく見開いた。
「お気づきになりましたか。そう、橘冬美は、貴女の御姉様であらせられますよね」
そう、それも驚いた原因の一つではあるが、もっと驚いたのは大甕勇一の方だ。確かに彼はレイドールを所有している。彼の母親が曾(かつ)てエンド博士の助手の一人だったからだ。博士が彼女の息子の誕生日か何かに、プレゼントで贈ったという話を今、思い出した。何気なくあげたものが、実はとんでもない戦闘力を秘めた物だった…訳はない。博士だってそれは知っていただろう。恐らく友達兼護衛として、勇一を信じて贈ったに違いない。それに、いつまたあのような怪物が現れるとも限らない。確かにレイドールならば、その抑止力になり得る可能性がある。なにより、それを管理する人間が確かに必要だ。男衾がバードニックフォースに転籍するかも知れないという話も聞いている。
「分かりました。姉の事は兎も角、この件はお受け致します」
「おお、それは有り難い」
赤毛の男、ヴェスンが頭を下げた。思っていたより若いと氷華は思った。だが、その目には、何か油断のならない、よく分からない何かを感じる。威圧感に近いかも知れない。早く切り上げねば、と氷華は直感した。
「詳しい話は後日で宜しいですか?」
「ええ、勿論。こちらも準備がありますしね」
「そうですよね」
「では、私たちはこれで。あっこれは、お土産替りのイヴボーズの残滓です。お役に立てれば幸いです。お忙しい中、お時間を頂戴致しまして、誠に有り難うございました」
「いえ。こちらこそ有り難うございました。それではまた」
二人が帰った後、氷華は息を大きく吐いた。得体の知れぬ緊張から解き放たれた安堵の溜息だった。しかしこれで益々仕事に忙殺される毎日になる。氷華は再び…先程とは違う意味の…溜息を吐いた。
そこで夢は終わった。
「はっ」
氷華は目を開けて、辺りを見回す。そして現実に戻される。
(昨日からプラングに移ったんだっけ)
氷華は体を起こし、手早く着替え、白衣姿に戻った。
「さてと、今日は荷物の片付けね」
山のような荷物を前にして、氷華は気合いを入れた。
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