魍魎倶楽部

煌矢

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化け猫騒動

1.天子の気まぐれ

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 なぁおぅ……と猫は鳴いた。
 ガラガラと凄まじい音を立てて石畳の道を走る馬車の中で。だが、彼女の声は誰にも届くことはなかった。



 大陸のほぼ中央に位置する大国、堅至国。混沌の時代,一介の騎馬民族に過ぎなかった堅至の王族は他民族への侵攻と略奪を繰り返し,いつしか大陸一の大国を総べるに至った.
 大陸の三分の二近い領土を誇る堅至国であるが,政治の中枢は国土の五分の一にも満たない広さしかない王都だ.王都リオウは区画ごとに路地で四角く区切られた,まるで碁盤のような造りをしている。が、実はとても複雑な構造をしているのだった。
 リオウの都の中央には、王族の住まう宮殿が置かれている。
 宮殿の中には、王の住まう袞竜殿と、天子の住まう麗明殿の他、離宮や潔斎の間など、大小合わせて二百近くの部屋がある。王族の権力を見せつける為に増改築を繰り返された堅至国で、一番大きく煩瑣な建物だ。
 宮殿を取り巻くように貴族の住む文官街が、その文官街の外側を、軍人の住まう武官街が囲っている。更にその外側に商人が住む商店街があり、それ以下の人々が住まう常民街までがリオウの塀の中に囲まれて暮らしている.常民までは王都の民として庇護されているからだ.塀の外には見張りの兵士が常駐しており,少し離れた場所に貧民たちの暮らすキャンプが広がっている.貧民街と呼ばれるキャンプの貧しさは一入で、一度飢饉でも起ころうものなら一番被害を受ける.貧民街は弔いのされなかった死体で異臭がするとまで言われるほどに。
 だが、そんなものは関係ない。
 なぜなら、ここはリオウの中で一番富める場所.宮殿なのだから。
 だだっ広い宮殿の一室,平常王族とそれ以外の人間が見える謁見の間ではなく,ごくプライベートな空間であるはずの正妃の私室で、彼女は王の息子と対面していた。

「今、なんと……」

 文官の頂点に立つエキ大臣の三女、マアサは、未来の夫となるべき人物の突然の言葉に驚き、頓狂な声を上げた。
 王族である彼に敬意を払うことすら忘れて問う。
 本来ならば、今のマアサの態度は不敬罪に当たる。だが、衛兵も居ないことだし何も見なかった、聞かなかったことにしてやろう。 
 天に与えられし子――天子と呼ばれる男は、滅多に見ることの出来ない婚約者の唖然とした表情にしてやったりと深い笑みを浮かべる。天子の左隣には昨年迎えた妻が座って茶器を傾けていたが,彼は異国訛りの抜けない二十も年上の女よりも年下のマアサの方が余程好ましかった.

「だからね,自治組織を作ろうと思うのだよ」
「はぁ、それは素晴らしい御考えだと存じます。ですが、何故私が……」

 そんなものの長にならなければならぬのか。
 多彩な色彩を持つこの国の人間にしても珍しい紫色の瞳をまたたかせ、マアサは人選を考え直すべきではないかと進言してきた。

「何故だと思う?」

 ひたと見据えられ、マアサは言葉に詰まる。
 彼が何を考えているのかなど、未だかつてマアサに分かったことなど一度もなかった。天子も、それを知っていて言っているのだ。
 唇を噛みしめ「分かりませぬ」と答える以外ない。悔しげな許嫁の姿に、天子は手にした扇の陰でほくそ笑む。
 例え、どんなにか天子の態度を怪しもうと、どんなにか天子の言葉に反論したかろうと、身分の隔たりがある以上はそれを口にすることは許されない。
 絶対の身分制は、覆されることなどない。
 マアサも天子も、充分すぎるほどにそのことを知っていた。
 マアサの心情を知ってか知らずか、男は満面の笑みを浮かべ告げた。

「お前が一番適していると思うからだ」


 ――アシキリの娘よ。

 心の中でそっと呟いて、天子は口元の笑みを深くする。彼女なら、きっと立派にやりおおせてくれるはずだ。
 詳しいことは追って連絡すると言われ、マアサは一層低く頭を下げて退出した。控えの間に居た女官に連れられ、宮殿の前に停まっていた馬車に乗り込む。

「どうだった、天子様とのお話しは」

 エキ家の別邸へと帰る道中、口元に豪快に髭を蓄えた男が馴れ馴れしくマアサの肩を抱いた。
エキ大臣。そう呼ばれる彼は、マアサの実の父親だ。「ん?」と覗きこまれて、マアサは「はい」と心ここにあらずの返事をした。

「はいでは分からないだろう、マアサ。天子様とどのような話をしたのだ。何かいただかなかったのか?」
「はあ……」

 またしても生返事を返すマアサに、エキは彼女の身に何が起きたのだろうかと下劣な妄想を展開した。
 接吻でも迫られたのだろうか、それとも、体をまさぐられた?どちらにせよ、それは良いことだ。
少なくとも、彼にとっては。
 まるで愛人にでもするように優しくマアサの頬を撫で、その油の乗った指で母親譲りの艶やかな黒髪を梳いたエキは、先日天子より賜ったばかりの別邸の前で娘を下ろす。
 後少しだ。もう二、三年も待てばマアサは正式に天子の妻となるだろう。
 正妃ではないのが悔しいところだが、第二夫人でも十分だ。後は、天子の嫡男を産ませるだけ。
 彼の頭の中は、美しい娘を産んでくれた自らの愛人の顔で一杯だった。アシキリという名のその女に、マアサは瓜二つだ。
 美しい娘に、若さでしか劣らない愛人。
 

 ――そのうちに会いに行ってやろう。


 そう考えながら、自らの権力に酔った男は御者に馬車を出すように指示をした。
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