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第三節 友だちのエチュード
#35 親密度を上げろ!街中セッション③
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いったいどれほど演奏に夢中だったのだろうか。
修学旅行中だということも、集合時間があることもすっかり忘れていた。
勝行は慌てて店主に礼を告げると、まだピアノを弾く光の腕を掴んで店を飛び出した。だがすでに遅刻寸前な時間だ、腕時計をみて青ざめる。
集合場所まで走らねば間に合わない。周りにはもう制服姿など一人も見当たらない。
「も、無理っ、手ぇ離せ!」
走り出して早々、あっさり息を切らして根を上げた光に手を振り払われた。
「そういうわけにはいかないだろ!」
「はあっ……めんどくせえ……お前だけ先に行けばいいじゃねえか……っ」
「でも」
「うっせえ! 優等生ヅラしてんじゃねえ」
喧嘩腰にそういうと光は、勝行の背中を遠慮なく蹴り飛ばした。初めて受けた本気の暴力に、勝行は思わずしかめっ面を漏らす。制服のブレザーから、白い砂埃が零れ落ちた。
「さっさといきやがれ。俺は一人で勝手に歩いてんだ。てめえも一人で走れよ」
「……っ」
その態度に腹が立った勝行は、「ああそうかよ」と踵を返して走り出した。彼のためにしてきたことの全てを、あっさり否定された気分になって涙が零れそうになる。
どうせその辺の道端ではぐれたことにしてしまえばいい。そうすれば先生があの自分勝手な男を探しに行ってくれるだろう。
楽器屋で楽しく過ごしていたついさっきまでの時間がまるで夢か幻のようだ。
(演奏してる間はあんなに楽しかったのに……)
音楽がなくなった途端、ブツリと遮断される脆いつながり。
深入りしない友人関係を築きたかった勝行にしてみれば、正直別にそれでもよかったはずだ。けれど別れた途端、なぜか無性に心苦しい気がした。
息を切らしながら商店街を走り抜け、どうにか点呼中の集合場所まで戻ってこれた勝行は、人数確認中の学級委員長に「今西くんとはぐれました」とだけ伝え、自分の指定位置に座り込んだ。
**
夕食の時間になっても、光は帰ってこなかった。
さすがに気になり引率の教師に確認すると、「喘息発作を起こして倒れていたので、病院に行った」と告げられ、唖然とする。
「発作……」
「あいつ身体弱いくせして、喘息が出るほどの喧嘩でもしたんだろう。全く、毎日問題ばかり起こしやがる」
「近くの住人が気づいて通報してくれたんだけど、倒れるちょっと前に誰かと怒鳴り合って、暴力をふるっている場面を見たらしい」
「……」
「相手の子は走って逃げて行ったみたいなんだけど。相羽くんはその現場、見てないからわからないよね」
勝行の背中が、わけもなくずきんと痛くなった。それから、何一つ正直に言えない自分が酷く醜い気がして胃も痛くなる。今ここで「光と喧嘩した」と一言言えば済むはず、なのに。
一番肝心な声は、喉が震えて一言も出なかった。
「相羽くん、ご飯食べないの?」
男子用にとたっぷりよそわれた白ご飯をお膳に残したまま、勝行は何事もなかったかのように進んでいくクラスメイトの喧騒を呆然と眺めていた。今西光一人がいなくても、何一つ変わらないいつも通りの光景と時間。
もう一度戻れるのならば、光と夢中になってセッションを楽しんだ、あの楽器屋でのひと時まで戻ってやり直したい。そんなことができるわけ、ないけれど。
「――ごめんなさい」
その言葉は空中にふわりと浮いたまま、残した食事の上に零れて消えて行った。
修学旅行中だということも、集合時間があることもすっかり忘れていた。
勝行は慌てて店主に礼を告げると、まだピアノを弾く光の腕を掴んで店を飛び出した。だがすでに遅刻寸前な時間だ、腕時計をみて青ざめる。
集合場所まで走らねば間に合わない。周りにはもう制服姿など一人も見当たらない。
「も、無理っ、手ぇ離せ!」
走り出して早々、あっさり息を切らして根を上げた光に手を振り払われた。
「そういうわけにはいかないだろ!」
「はあっ……めんどくせえ……お前だけ先に行けばいいじゃねえか……っ」
「でも」
「うっせえ! 優等生ヅラしてんじゃねえ」
喧嘩腰にそういうと光は、勝行の背中を遠慮なく蹴り飛ばした。初めて受けた本気の暴力に、勝行は思わずしかめっ面を漏らす。制服のブレザーから、白い砂埃が零れ落ちた。
「さっさといきやがれ。俺は一人で勝手に歩いてんだ。てめえも一人で走れよ」
「……っ」
その態度に腹が立った勝行は、「ああそうかよ」と踵を返して走り出した。彼のためにしてきたことの全てを、あっさり否定された気分になって涙が零れそうになる。
どうせその辺の道端ではぐれたことにしてしまえばいい。そうすれば先生があの自分勝手な男を探しに行ってくれるだろう。
楽器屋で楽しく過ごしていたついさっきまでの時間がまるで夢か幻のようだ。
(演奏してる間はあんなに楽しかったのに……)
音楽がなくなった途端、ブツリと遮断される脆いつながり。
深入りしない友人関係を築きたかった勝行にしてみれば、正直別にそれでもよかったはずだ。けれど別れた途端、なぜか無性に心苦しい気がした。
息を切らしながら商店街を走り抜け、どうにか点呼中の集合場所まで戻ってこれた勝行は、人数確認中の学級委員長に「今西くんとはぐれました」とだけ伝え、自分の指定位置に座り込んだ。
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夕食の時間になっても、光は帰ってこなかった。
さすがに気になり引率の教師に確認すると、「喘息発作を起こして倒れていたので、病院に行った」と告げられ、唖然とする。
「発作……」
「あいつ身体弱いくせして、喘息が出るほどの喧嘩でもしたんだろう。全く、毎日問題ばかり起こしやがる」
「近くの住人が気づいて通報してくれたんだけど、倒れるちょっと前に誰かと怒鳴り合って、暴力をふるっている場面を見たらしい」
「……」
「相手の子は走って逃げて行ったみたいなんだけど。相羽くんはその現場、見てないからわからないよね」
勝行の背中が、わけもなくずきんと痛くなった。それから、何一つ正直に言えない自分が酷く醜い気がして胃も痛くなる。今ここで「光と喧嘩した」と一言言えば済むはず、なのに。
一番肝心な声は、喉が震えて一言も出なかった。
「相羽くん、ご飯食べないの?」
男子用にとたっぷりよそわれた白ご飯をお膳に残したまま、勝行は何事もなかったかのように進んでいくクラスメイトの喧騒を呆然と眺めていた。今西光一人がいなくても、何一つ変わらないいつも通りの光景と時間。
もう一度戻れるのならば、光と夢中になってセッションを楽しんだ、あの楽器屋でのひと時まで戻ってやり直したい。そんなことができるわけ、ないけれど。
「――ごめんなさい」
その言葉は空中にふわりと浮いたまま、残した食事の上に零れて消えて行った。
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