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第四節 ひと夏の陽炎とファンタジア
#53 雨に流すリグレット② - 光 side -
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窓に打ち付ける雨音が相変わらず激しい。それは耳をがっちり覆ったヘッドホン越しにも漏れ聞こえてくる。
昼間はあんなにいい天気だったのに、その空模様の変わり具合は揺れる人間の心のようだ。そんなうまいこと、誰かが言っていた気がする。国語の教科書だったか。
「すごい雨だね、今ちょうど台風通過中かな」
「……ああ」
「聖苑って、よく台風くる地域? 天気予報見るたびに、次の台風情報がのってる」
「……しらねえ」
夕方頃から、雨足は一気に強くなった。落雷が心配でパソコンの電源を落としたらしく、今はアナログ楽器の演奏音だけが相羽勝行の部屋に響く。
窓の向こうを何度も見つめる勝行は、時々何か言いたげに光を振り返る。けれど光はそんな仕草に全く気付くこともないまま、また鍵盤上に指を躍らせた。ダダン、ジャン、と叩きつけるような音に加えて空から落ちるようなグリッサンド。
「雨の曲だ」
「おう」
「光はいつもそうやって、見たものを音楽に変えるんだな」
「……別に、なんも考えてねえ。ただ、頭ん中に流れてきたモンを弾いてるだけ」
「へえ。意識して作曲してるわけじゃないのか。同じメロディ弾けないのはもしかしてそれのせい?」
「覚えてねえからな」
勝手に走り回る指をただじっと見つめて、光は楽し気に微笑んだ。ピアノを弾くと、まるで音楽と会話しているような錯覚に陥るのだ。タタンと弾けば、音も踊りまわる。ドオンと沈ませれば、物憂げに低音を響かせる。
そんな光を隣でいつまでも見つめながら、勝行は聴こえない声でぽつりと呟いた。
「なあ……俺さ、できたらホントは……お前と」
叩きつけるような雨が次第に落ち着いてきた頃、勝行の父親が唐突に帰ってきた。台風の最中で公共交通機関も麻痺していたというのに、相羽家の自家用車で悠々と帰ってきたらしい。
小柄で可愛い勝行とは似ても似つかぬ、大柄な風貌。お世辞にもスマートとは言えない、中年特有の少し出張った腹をベルトで強引に締めたサマースーツ姿の男は、初見ですぐに光を我が子の家政夫兼友人だと気づき、笑顔を振りまいた。
「やあやあ、世話になったねえ。ヒカルくんだったかな。勝行によくしてくれて、本当にありがとう」
嘘の笑顔は遺伝子か。
光はそんなことをぼんやり思いながら、社交辞令がぽんぽん飛び出てくる明るい父親の前に座った。話がある、と言われたからだ。彼の前には気遣いがてら、一杯どりのドリップコーヒーを淹れて出した。
コーヒーを啜りながら、父親の修行は光の働きぶりを手放しで褒めてくる。
「これね、お世話になった分。一人生活は心配だったんだが、君のおかげで随分楽しく健康的に過ごせたらしくて、本当に助かったよ。ダメ父親だからねえ、いつも息子を放置してばかりだ」
「…………」
目の前に差し出された封筒を、恐る恐る開ける。そこには見たこともないほどの万札が数十枚、入っていた。
「……なにこれ」
「一か月働いてくれた分の給料と、あとボーナス。趣味遊びの相手までしてくれたって聞いたからね」
確かに金が欲しいとは、口から出まかせで言った。実際生活が困っている以上、これなしには生きていけないのは事実だ。仕事がしたくてここに居座っていた。けれど何かが違う。――なにか、今更おかしい気がした。
部屋を片付けてから、後から遅れて隣の席に座った勝行は、あまり光と視線を合わせようとはしない。けれど、「ほんとに助かったよ。ありがとう。それは正当な報酬だから、受け取りなよ」といつになく優しい声色で話しかけてくる。視線は、机に置かれた指を見つめたまま。
止みかけていた雨音が、再び威力を増して窓を叩くように騒ぎ出す。
台風の目が通り過ぎて、もう一度暴風域の中に入ったのだろう。けれどあともう数時間もすればきっと、空は晴れる。
「一学期も終わったし、わしの政界入りも決まったし。もういいか、勝行」
「……はい。あ、ご当選おめでとうございます。電話でしか伝えてなかったので」
「はっはは、ありがとう。だがもうこれで、わしも相羽家から逃げられなくなってしまったなあ」
「今までずっとおじい様から逃げてきたツケです、しょうがないですよ」
殺伐とした親子の会話が、聴いていてひどく違和感を感じる。なんの話をしているのかもわからないが、どこまでも他人行儀で、血のつながりすら感じない。けれどどちらも、うすら浮かべる笑顔が同じだった。
「慌ただしくて申し訳ないんだが、ここはもう引き払うことが決まっている」
「いつまでですか」
「わしと一緒に行動するなら、今夜台風が抜けたらすぐに出発する」
「今夜って……いくらなんでも無理です。楽器、できたら自分で運べるものは手で運びたい」
「業者を雇ってある、飛行機の機内には持ち込めないぞ、あんなでかいもの」
「……」
「光くんがああいうの好きなのなら、いくらかあげたらどうだい。お前にはまた新しいのを買えばいい」
「……それも、そうですが……」
しばらく思案した後、勝行はため息をつきながら立ち上がった。
(どこへ……何を運ぶって……?)
光は思わずその腕を掴んだ。完全に無意識で。けれど何を問うも、咎める言葉も出てこない。言いたい言葉がうまくまとまらず、もやもやとした薄暗い雲が思考を惑わせる。
「ごめんね、光。……」
言いにくそうに視線を逸らしたまま、勝行はその手をゆっくり払った。
「雨が止んだら、送迎車を出してもらうから。……あのキーボード、お前にあげるよ。預かっててくれない?」
「……なんで?」
「俺、もう東京に戻らなきゃいけないんだ」
「……東京?」
それは何……?
一度に理解できなかった光の思考に、勝行の父親が現実を打ち付けた。
「光くん、今まで勝行によくしてくれてありがとう。短い間しかいられなかったけれど、君のようないい友人に出会えたと聞いてほっとしているよ。またいつか東京に来たときは、うちに遊びにおいで」
窓に打ち付ける雨音が相変わらず激しい。それは耳をがっちり覆ったヘッドホン越しにも漏れ聞こえてくる。
昼間はあんなにいい天気だったのに、その空模様の変わり具合は揺れる人間の心のようだ。そんなうまいこと、誰かが言っていた気がする。国語の教科書だったか。
「すごい雨だね、今ちょうど台風通過中かな」
「……ああ」
「聖苑って、よく台風くる地域? 天気予報見るたびに、次の台風情報がのってる」
「……しらねえ」
夕方頃から、雨足は一気に強くなった。落雷が心配でパソコンの電源を落としたらしく、今はアナログ楽器の演奏音だけが相羽勝行の部屋に響く。
窓の向こうを何度も見つめる勝行は、時々何か言いたげに光を振り返る。けれど光はそんな仕草に全く気付くこともないまま、また鍵盤上に指を躍らせた。ダダン、ジャン、と叩きつけるような音に加えて空から落ちるようなグリッサンド。
「雨の曲だ」
「おう」
「光はいつもそうやって、見たものを音楽に変えるんだな」
「……別に、なんも考えてねえ。ただ、頭ん中に流れてきたモンを弾いてるだけ」
「へえ。意識して作曲してるわけじゃないのか。同じメロディ弾けないのはもしかしてそれのせい?」
「覚えてねえからな」
勝手に走り回る指をただじっと見つめて、光は楽し気に微笑んだ。ピアノを弾くと、まるで音楽と会話しているような錯覚に陥るのだ。タタンと弾けば、音も踊りまわる。ドオンと沈ませれば、物憂げに低音を響かせる。
そんな光を隣でいつまでも見つめながら、勝行は聴こえない声でぽつりと呟いた。
「なあ……俺さ、できたらホントは……お前と」
叩きつけるような雨が次第に落ち着いてきた頃、勝行の父親が唐突に帰ってきた。台風の最中で公共交通機関も麻痺していたというのに、相羽家の自家用車で悠々と帰ってきたらしい。
小柄で可愛い勝行とは似ても似つかぬ、大柄な風貌。お世辞にもスマートとは言えない、中年特有の少し出張った腹をベルトで強引に締めたサマースーツ姿の男は、初見ですぐに光を我が子の家政夫兼友人だと気づき、笑顔を振りまいた。
「やあやあ、世話になったねえ。ヒカルくんだったかな。勝行によくしてくれて、本当にありがとう」
嘘の笑顔は遺伝子か。
光はそんなことをぼんやり思いながら、社交辞令がぽんぽん飛び出てくる明るい父親の前に座った。話がある、と言われたからだ。彼の前には気遣いがてら、一杯どりのドリップコーヒーを淹れて出した。
コーヒーを啜りながら、父親の修行は光の働きぶりを手放しで褒めてくる。
「これね、お世話になった分。一人生活は心配だったんだが、君のおかげで随分楽しく健康的に過ごせたらしくて、本当に助かったよ。ダメ父親だからねえ、いつも息子を放置してばかりだ」
「…………」
目の前に差し出された封筒を、恐る恐る開ける。そこには見たこともないほどの万札が数十枚、入っていた。
「……なにこれ」
「一か月働いてくれた分の給料と、あとボーナス。趣味遊びの相手までしてくれたって聞いたからね」
確かに金が欲しいとは、口から出まかせで言った。実際生活が困っている以上、これなしには生きていけないのは事実だ。仕事がしたくてここに居座っていた。けれど何かが違う。――なにか、今更おかしい気がした。
部屋を片付けてから、後から遅れて隣の席に座った勝行は、あまり光と視線を合わせようとはしない。けれど、「ほんとに助かったよ。ありがとう。それは正当な報酬だから、受け取りなよ」といつになく優しい声色で話しかけてくる。視線は、机に置かれた指を見つめたまま。
止みかけていた雨音が、再び威力を増して窓を叩くように騒ぎ出す。
台風の目が通り過ぎて、もう一度暴風域の中に入ったのだろう。けれどあともう数時間もすればきっと、空は晴れる。
「一学期も終わったし、わしの政界入りも決まったし。もういいか、勝行」
「……はい。あ、ご当選おめでとうございます。電話でしか伝えてなかったので」
「はっはは、ありがとう。だがもうこれで、わしも相羽家から逃げられなくなってしまったなあ」
「今までずっとおじい様から逃げてきたツケです、しょうがないですよ」
殺伐とした親子の会話が、聴いていてひどく違和感を感じる。なんの話をしているのかもわからないが、どこまでも他人行儀で、血のつながりすら感じない。けれどどちらも、うすら浮かべる笑顔が同じだった。
「慌ただしくて申し訳ないんだが、ここはもう引き払うことが決まっている」
「いつまでですか」
「わしと一緒に行動するなら、今夜台風が抜けたらすぐに出発する」
「今夜って……いくらなんでも無理です。楽器、できたら自分で運べるものは手で運びたい」
「業者を雇ってある、飛行機の機内には持ち込めないぞ、あんなでかいもの」
「……」
「光くんがああいうの好きなのなら、いくらかあげたらどうだい。お前にはまた新しいのを買えばいい」
「……それも、そうですが……」
しばらく思案した後、勝行はため息をつきながら立ち上がった。
(どこへ……何を運ぶって……?)
光は思わずその腕を掴んだ。完全に無意識で。けれど何を問うも、咎める言葉も出てこない。言いたい言葉がうまくまとまらず、もやもやとした薄暗い雲が思考を惑わせる。
「ごめんね、光。……」
言いにくそうに視線を逸らしたまま、勝行はその手をゆっくり払った。
「雨が止んだら、送迎車を出してもらうから。……あのキーボード、お前にあげるよ。預かっててくれない?」
「……なんで?」
「俺、もう東京に戻らなきゃいけないんだ」
「……東京?」
それは何……?
一度に理解できなかった光の思考に、勝行の父親が現実を打ち付けた。
「光くん、今まで勝行によくしてくれてありがとう。短い間しかいられなかったけれど、君のようないい友人に出会えたと聞いてほっとしているよ。またいつか東京に来たときは、うちに遊びにおいで」
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