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第六章「二人の時間~色のない世界で生きる俺と~」2
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長く追想をしていた感覚から覚醒して静かに目覚めの朝が訪れる。
あの頃から時が経ち、もう自分は24歳になってすっかり大人に成り果てていることに気付かされた。
遅すぎるということはない。だが、これほど風化した記憶になって舞い降りてきた運命とどう向き合うべきか、迷いが消えることはなかった。
「往人、そろそろ起きて朝食の準備をしてくれないか?」
「し、師匠……」
「起きたか、昨日は夜遅くまでアトリエを使っていたようだが、寝坊は許さんぞ」
「はい……」
師匠の乾いた温和な声で寝ぼけた調子から解放される。
陽の光に弱いため、常にカーテンを閉め切っているが、時刻を確認すると既に朝食を準備をしなければならない時間だった。
微睡にいざなう布団を剥がし、ベッドから降りた頃には師匠の姿はそこになく、静けさに包まれる中、俺は洗面所に慌てて向かい朝支度を始めた。
台所に立ち、朝食の準備をしている間、師匠はテレビを眺め続けていて、仮装する人々を映すハロウィンの報道を見ながら下品なせせら笑いを繰り返していた。
美術仲間には見せられない歪んだ表情を浮かべ、そうじゃねぇだろと世間の風潮をあざ笑っている。二面性を感じる光景だが、俺にとっては日常茶飯事な光景だった。
「今日は随分と早いっすね」
白いYシャツの上に珍しくスーツ姿をして、これから出掛ける様子の師匠に話しかける。家政婦のように洗濯をしてアイロンまで掛けているから、師匠が着ている衣服は視界に入れただけで鮮明に思い出せた。
バターロールと大きめのオムレツにポテトサラダを添えた朝食プレートをテーブルに置くと、師匠は一瞬目を輝かせて、すぐにいつもの表情に戻りナイフとフォークを手に持った。
父親は日本人だが母親がイギリス人の血が流れている師匠は青い瞳をしていて手足は長く、筆を握る手はシミ一つなく綺麗だ。
色の判別できない俺でも、瞳の色は何となく青色と言われれば納得できるものだった。
「おう、今日は絵画展でインタビューがあるからな。忙しいんだよ」
疲れの色は伺えるが、いつもの様子で身体に悪そうな真っ黒いブラックコーヒーを飲む師匠。
貴族のような佇まいに見えて、日本文化に馴染んでいる。
そういうところも、不思議と親しみやすさを覚えるのだろう。
俺が師匠と呼んでいる、神崎倫太郎はカリスマ性を持った現代美術を中心として様々なことを手掛ける画家だ。
まだ28歳の若さで、多くの仲間が集い作品を作り上げている。
師匠の開く現代アートの展覧会は世界を股にかけて開かれていて、独特の世界観が好評を博している。
幼い頃から師匠の描く絵画は頭角を現し、非凡の神童と呼ばれていたこともあって現在では平均5万ドルで取引されており、コンクール受賞作の場合は20万ドルを超える。
あまり版画や絵画を描かなくなったこともあり、投資家人口の増加によりその価値は年々跳ね上がっている。
現代アートを描くことが増えた近年はクライアントの依頼も多様で、テーマが決まってから仲間達を指揮しながら製作している。
スケールが大きい作品の場合は数年単位で時間がかかり、いくつも同時並行で製作に臨むことになるため多忙を極めることになる。
アトリエの真上にある師匠の自宅ではリラックスしているため、だらしないところもあるが、美術への道を志す者にとって価値あるものを生み出し続ける師匠は憧れの対象であることに変わりない。
その容姿はシルバーカラーの長い髪が特徴で、高身長で肌も白く、その芸術家らしい奇抜なビジュアル面でもファンが多い。
俺はどうしてかそんな敬愛する画家の自宅に居候して共同生活を送っている。モノクロームを主体とする絵画をずっと描き続けてきた俺になぜそこまで手を掛けてくれるのか、不思議に思うこともあるが、俺は師匠の期待に応えたいと思い、日々美術活動に勤しんでいる。
「あ……そうだ、今日はアトリエに一人招待することになってるから」
正確には一人と一匹だが、細かい詳細は省いた。
「珍しい……いや、初めてだな。往人がアトリエに人を呼ぶのは。
アトリエを使うのは問題ないが、まさか運命の相手が現れたのか……?」
師匠が心の内を見透かしたような瞳で真っすぐに見つめてくる。
”母親のようにカラーで見える存在のこと”を指して師匠は運命の人と位置付けているのだろう。
しかし、俺は今年の一月に偶然にも出会った前田郁恵のことをこれまで話してこなかった。
その身体に色彩を宿していたとしても、関わることなく遠くからずっと見ているつもりだったからだ。
「いや、そんなに期待するようなことじゃないよ。
そいつは目が見えないからさ。母親のように絵を描いたりすることは出来ないんだ」
期待させては悪いと思い、俺は先に釘を刺しておいた。
「それでも……初めてなんだろう? 母親以外で色のある人間と出会ったのは」
師匠は表情を少し曇らせながら聞いた。
母が描き残してきた心に訴えかけるような暖かさを持った絵画を好きだっただけに落胆もあるのだろうと俺は想像した。
「うん、だからその子を描けば少しは色を取り戻せるような気がするんだ」
「そうか、お前の才能の足しになるなら、利用するといい。
余計なレッテルを剥がせるようになるまで、俺も手は尽くしてやる」
「はい、師匠。感謝しています」
それから無言のまま朝食を終えて師匠が立ちあがると、考えがまとまったかのように言葉を投げかけてきた。
「来るのは女か、歳はいくつだ?」
どうしてそこまでと思ったが、新通力のような鋭い洞察力を持っている師匠には隠し事など出来ないと俺は悟った。
「大学一回生なので、恐らく十八か十九かと」
「若いな……よくアトリエまで誘ったものだ」
「まぁ……成り行きです」
「好きにすればいい。だが女は繊細な生き物だ。今の内から相手の気持ちを考えて自分がどうしたいのか決めておくことだな」
それ以上、深掘りしてくることなく、師匠はダイニングから消えて行った。
大きなチャンスであることを師匠は知っているからこそ、余計な詮索はせず気を遣ってくれたのだろう。
色恋沙汰として興味津々に根掘り葉掘り聞かれても困るが、これだけ放任されると自分で考えるしかなくなる。それが師匠の思惑なのだろうが、複雑な気持ちだった。
あの頃から時が経ち、もう自分は24歳になってすっかり大人に成り果てていることに気付かされた。
遅すぎるということはない。だが、これほど風化した記憶になって舞い降りてきた運命とどう向き合うべきか、迷いが消えることはなかった。
「往人、そろそろ起きて朝食の準備をしてくれないか?」
「し、師匠……」
「起きたか、昨日は夜遅くまでアトリエを使っていたようだが、寝坊は許さんぞ」
「はい……」
師匠の乾いた温和な声で寝ぼけた調子から解放される。
陽の光に弱いため、常にカーテンを閉め切っているが、時刻を確認すると既に朝食を準備をしなければならない時間だった。
微睡にいざなう布団を剥がし、ベッドから降りた頃には師匠の姿はそこになく、静けさに包まれる中、俺は洗面所に慌てて向かい朝支度を始めた。
台所に立ち、朝食の準備をしている間、師匠はテレビを眺め続けていて、仮装する人々を映すハロウィンの報道を見ながら下品なせせら笑いを繰り返していた。
美術仲間には見せられない歪んだ表情を浮かべ、そうじゃねぇだろと世間の風潮をあざ笑っている。二面性を感じる光景だが、俺にとっては日常茶飯事な光景だった。
「今日は随分と早いっすね」
白いYシャツの上に珍しくスーツ姿をして、これから出掛ける様子の師匠に話しかける。家政婦のように洗濯をしてアイロンまで掛けているから、師匠が着ている衣服は視界に入れただけで鮮明に思い出せた。
バターロールと大きめのオムレツにポテトサラダを添えた朝食プレートをテーブルに置くと、師匠は一瞬目を輝かせて、すぐにいつもの表情に戻りナイフとフォークを手に持った。
父親は日本人だが母親がイギリス人の血が流れている師匠は青い瞳をしていて手足は長く、筆を握る手はシミ一つなく綺麗だ。
色の判別できない俺でも、瞳の色は何となく青色と言われれば納得できるものだった。
「おう、今日は絵画展でインタビューがあるからな。忙しいんだよ」
疲れの色は伺えるが、いつもの様子で身体に悪そうな真っ黒いブラックコーヒーを飲む師匠。
貴族のような佇まいに見えて、日本文化に馴染んでいる。
そういうところも、不思議と親しみやすさを覚えるのだろう。
俺が師匠と呼んでいる、神崎倫太郎はカリスマ性を持った現代美術を中心として様々なことを手掛ける画家だ。
まだ28歳の若さで、多くの仲間が集い作品を作り上げている。
師匠の開く現代アートの展覧会は世界を股にかけて開かれていて、独特の世界観が好評を博している。
幼い頃から師匠の描く絵画は頭角を現し、非凡の神童と呼ばれていたこともあって現在では平均5万ドルで取引されており、コンクール受賞作の場合は20万ドルを超える。
あまり版画や絵画を描かなくなったこともあり、投資家人口の増加によりその価値は年々跳ね上がっている。
現代アートを描くことが増えた近年はクライアントの依頼も多様で、テーマが決まってから仲間達を指揮しながら製作している。
スケールが大きい作品の場合は数年単位で時間がかかり、いくつも同時並行で製作に臨むことになるため多忙を極めることになる。
アトリエの真上にある師匠の自宅ではリラックスしているため、だらしないところもあるが、美術への道を志す者にとって価値あるものを生み出し続ける師匠は憧れの対象であることに変わりない。
その容姿はシルバーカラーの長い髪が特徴で、高身長で肌も白く、その芸術家らしい奇抜なビジュアル面でもファンが多い。
俺はどうしてかそんな敬愛する画家の自宅に居候して共同生活を送っている。モノクロームを主体とする絵画をずっと描き続けてきた俺になぜそこまで手を掛けてくれるのか、不思議に思うこともあるが、俺は師匠の期待に応えたいと思い、日々美術活動に勤しんでいる。
「あ……そうだ、今日はアトリエに一人招待することになってるから」
正確には一人と一匹だが、細かい詳細は省いた。
「珍しい……いや、初めてだな。往人がアトリエに人を呼ぶのは。
アトリエを使うのは問題ないが、まさか運命の相手が現れたのか……?」
師匠が心の内を見透かしたような瞳で真っすぐに見つめてくる。
”母親のようにカラーで見える存在のこと”を指して師匠は運命の人と位置付けているのだろう。
しかし、俺は今年の一月に偶然にも出会った前田郁恵のことをこれまで話してこなかった。
その身体に色彩を宿していたとしても、関わることなく遠くからずっと見ているつもりだったからだ。
「いや、そんなに期待するようなことじゃないよ。
そいつは目が見えないからさ。母親のように絵を描いたりすることは出来ないんだ」
期待させては悪いと思い、俺は先に釘を刺しておいた。
「それでも……初めてなんだろう? 母親以外で色のある人間と出会ったのは」
師匠は表情を少し曇らせながら聞いた。
母が描き残してきた心に訴えかけるような暖かさを持った絵画を好きだっただけに落胆もあるのだろうと俺は想像した。
「うん、だからその子を描けば少しは色を取り戻せるような気がするんだ」
「そうか、お前の才能の足しになるなら、利用するといい。
余計なレッテルを剥がせるようになるまで、俺も手は尽くしてやる」
「はい、師匠。感謝しています」
それから無言のまま朝食を終えて師匠が立ちあがると、考えがまとまったかのように言葉を投げかけてきた。
「来るのは女か、歳はいくつだ?」
どうしてそこまでと思ったが、新通力のような鋭い洞察力を持っている師匠には隠し事など出来ないと俺は悟った。
「大学一回生なので、恐らく十八か十九かと」
「若いな……よくアトリエまで誘ったものだ」
「まぁ……成り行きです」
「好きにすればいい。だが女は繊細な生き物だ。今の内から相手の気持ちを考えて自分がどうしたいのか決めておくことだな」
それ以上、深掘りしてくることなく、師匠はダイニングから消えて行った。
大きなチャンスであることを師匠は知っているからこそ、余計な詮索はせず気を遣ってくれたのだろう。
色恋沙汰として興味津々に根掘り葉掘り聞かれても困るが、これだけ放任されると自分で考えるしかなくなる。それが師匠の思惑なのだろうが、複雑な気持ちだった。
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