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第六章「二人の時間~色のない世界で生きる俺と~」5
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「私はどうすればいいですか?」
「あぁ、そこのソファーに座ってくれていればいい。椅子に座るよりは幾分楽だろう」
途中で休憩時間は取るつもりだがどれだけの時間が必要か想定できない。だから負担の少ないよう、ソファーに腰掛けてもらうことにした。
「フェロッソも一緒で大丈夫です?」
「もちろんだ。時間が余ればワンコロも描いてやるよ」
「それは嬉しいお知らせです! よかったね、フェロッソ」
もはや愛犬となっている盲導犬までソファーに座らせ、優しく体毛に覆われた身体を撫でている。自分の目の代わりをしてくれているのだから、よほど大切なのだろう。見ているだけで深い愛情を注いでいるのを感じた。
俺が必要なものを揃えてアトリエに戻って来ると、思わぬ状況になっていた。
「ちょっと恥ずかしいけどフェロッソ、私頑張るからねっ!」
「おい、何をしている。何で服を脱いでいるんだ」
そこには盲導犬の隣で下着姿になっている、あられもない姿の彼女がいた。
現実の光景とは思えず、イーゼルスタンドにキャンバスボードを置いたまま呆然と立ち尽くしてしまう俺。
直視できないほどの肌の露出。恥ずかしがる乙女を目の当たりにして俺は正気に戻り反射的に視線を逸らした。
「えっ、裸の私で写生するんじゃないんですか?」
「それは最悪の勘違いだよ。早く服を着てくれ……」
刺激的な光景に思わず下半身が反応しそうになるのを堪え、服を着るのを待つ。
かなりの年の差があるというのに、少しでも色気を感じてしまった自分が情けなかった。一回生にしてミスコン四位という快挙があったからだとは思いたくないが、確かに彼女が美しく可憐であることは否定しようがなかった。
「失礼しました。酷い誤解をしてしまったようで……もう大丈夫です」
茹でダコのように赤らめた表情で足を閉じて小さくなっている彼女に視線を戻す。
とても大丈夫な様子には見えないが、続ける意思はあるらしい。
二人きりという状況で前途多難だが、今は余計な事故が起きないよう誠意をもってやるしかないと俺は考えを改めた。
「あぁ、このことは美桜さんには秘密にしてくれると助かる。俺の命が危ういからな」
「はい……もちろんです。私が至らないばかりにやってしまった失態ですから」
俺の頭の中では包丁を手に殺人鬼のように半狂乱になって襲い掛かって来る美桜さんが容易に想像できた、ホラーすぎる。
気を取り直して、俺はアングルを決めて彼女に指示を与えていく。
彼女の視線が真っすぐ俺の方を向いたところで静止してもらい、出来るだけその姿勢から外れないようにしてもらうよう指示した。
「私の目はちゃんと往人さんのことを見てる?
見つめ合っていられてますか?」
「あぁ、見つめ合っているよ」
彼女には俺が見えなくても、俺は見ている。
だから大丈夫だと、気持ちを込めて伝えた。
「よかった……綺麗に描いてね、私のこと」
緊張が声からも伝わって来る。
考えれば考えるほど、相手の心は見えなくなる。
二人きりで不安を感じているのかもしれないと俺は思った。
「退屈なら会話を続けながらでもいい。その方が緊張も解れる。姿勢を維持するにも会話をしている方が気が紛れて効果があるだろう」
長時間無言で集中して描いていると対象者が眠りに落ちてしまうこともある。そうなってしまっては台無しなので、俺はそういう方針で描くことにした。
リラックス効果のあるクラシック音楽を流しながら、HBの鉛筆を手にしてキャンバスへ輪郭を入れていく。
作業時間は休憩を省くと四、五時間ほどしかない。
人物デッサンをするのに十分な時間はないため、俺は右腕に力を込めて迷いなく線を描いて行く。
「それでは、聞いてもいいですか?
どうして往人さんは画家になろうと思ったのでしょうか?」
最初の問いを彼女は俺に投げかけた。
集中力を研ぎ澄ませ腕の力を維持したまま、俺は曖昧な誤魔化し方をしないよう正直に答えようと口を開いた。
「最初は母親に喜んでもらいたかったからだろうな。
自分に少しでも才能があると分かってからは、ただ認められたくて描いてるだけだったが」
「認められたい……?」
「あまり口にしたことはないが、俺の絵は障がいを持っているから多くの人に見てもらえる機会を得ている。だから実力が認められたわけじゃない。それを自覚しているから、もっと人を惹きつけるような絵を描きたいんだ」
「謙虚で立派な考えですね…お師匠さんも理解がある方なんですよね。一緒に同居しているんですから」
「そうだな……家事全般は俺がやっているが、絵のことも教えてくれる。随分と世話になっているよ。
君だって立派じゃないか……あれだけピアノを上手く弾くのは健常者であっても難しいことだろう。
それに加えて、大学生になって卒業を目指して頑張っているんだから、俺よりもずっと立派だ」
「そんなことないですよ……一人では到底ここまで来ることは出来ませんでした。私は普通の人の何倍も多く人からの支援を受けています。
だから、その恩を仇で返すことは出来ません。
お父さんやフェロッソだけじゃない、たくさんの人に感謝しながら私は生きて社会の役に立てるようにならないといけないんです。
だって、大学生にまでなれて、今は毎日が充実していますから」
その瞬間を切り取りたくなるくらい、彼女は眩しい笑顔を見せた。
感謝しながら生きているからこそ、他人を恨むことも妬む事もないのだろう。それはある意味、多くの現代人が欲しているものでもある。
不自由を引き換えに手に入れた財産。それを平等と呼ぶのかもしれない。
「成長できることは自分を肯定できる重要な要素でもある。
生まれながら不自由を背負わされた者にとって大切なことだな……」
しみじみと俺は言った。両親が理解のある人達であったおかげで生まれの不幸を呪ったことはないが、それでも普通学級への憧れはあったというものだ。
「あっ……そうだ、もう一つ聞きたいことがあったんです。
”美とは一体何なのでしょうか?”
目が見えない私には、よく分かりません。
時々、整理が付いて分かったような気がしても、すぐに分からなくなります。
綺麗だと褒められるのは嬉しいことですが、誰かに対して綺麗だと褒めてあげることは私には出来ません。そんな私のままでいいのでしょうか?」
美とは何か……大学生らしいとも言えるが難しいことを考えるものだと思った。
だが、人とは違うという自覚があればあるほど、つい考えてしまうことでもある。
「気にせずに生きたいように生きろと言いたいところだが、俺も三流の画家だ。少しは参考になる話しでもした方がいいんだろうな」
「はい、ご面倒なことを承知で是非お願いします。
往人さんの意見を聞いてみたいです」
期待を寄せてくれているのをひしひしと感じてしまった俺は、芯の強い彼女の参考になる回答を導き出すため、真面目に思考を巡らせた。
「あぁ、そこのソファーに座ってくれていればいい。椅子に座るよりは幾分楽だろう」
途中で休憩時間は取るつもりだがどれだけの時間が必要か想定できない。だから負担の少ないよう、ソファーに腰掛けてもらうことにした。
「フェロッソも一緒で大丈夫です?」
「もちろんだ。時間が余ればワンコロも描いてやるよ」
「それは嬉しいお知らせです! よかったね、フェロッソ」
もはや愛犬となっている盲導犬までソファーに座らせ、優しく体毛に覆われた身体を撫でている。自分の目の代わりをしてくれているのだから、よほど大切なのだろう。見ているだけで深い愛情を注いでいるのを感じた。
俺が必要なものを揃えてアトリエに戻って来ると、思わぬ状況になっていた。
「ちょっと恥ずかしいけどフェロッソ、私頑張るからねっ!」
「おい、何をしている。何で服を脱いでいるんだ」
そこには盲導犬の隣で下着姿になっている、あられもない姿の彼女がいた。
現実の光景とは思えず、イーゼルスタンドにキャンバスボードを置いたまま呆然と立ち尽くしてしまう俺。
直視できないほどの肌の露出。恥ずかしがる乙女を目の当たりにして俺は正気に戻り反射的に視線を逸らした。
「えっ、裸の私で写生するんじゃないんですか?」
「それは最悪の勘違いだよ。早く服を着てくれ……」
刺激的な光景に思わず下半身が反応しそうになるのを堪え、服を着るのを待つ。
かなりの年の差があるというのに、少しでも色気を感じてしまった自分が情けなかった。一回生にしてミスコン四位という快挙があったからだとは思いたくないが、確かに彼女が美しく可憐であることは否定しようがなかった。
「失礼しました。酷い誤解をしてしまったようで……もう大丈夫です」
茹でダコのように赤らめた表情で足を閉じて小さくなっている彼女に視線を戻す。
とても大丈夫な様子には見えないが、続ける意思はあるらしい。
二人きりという状況で前途多難だが、今は余計な事故が起きないよう誠意をもってやるしかないと俺は考えを改めた。
「あぁ、このことは美桜さんには秘密にしてくれると助かる。俺の命が危ういからな」
「はい……もちろんです。私が至らないばかりにやってしまった失態ですから」
俺の頭の中では包丁を手に殺人鬼のように半狂乱になって襲い掛かって来る美桜さんが容易に想像できた、ホラーすぎる。
気を取り直して、俺はアングルを決めて彼女に指示を与えていく。
彼女の視線が真っすぐ俺の方を向いたところで静止してもらい、出来るだけその姿勢から外れないようにしてもらうよう指示した。
「私の目はちゃんと往人さんのことを見てる?
見つめ合っていられてますか?」
「あぁ、見つめ合っているよ」
彼女には俺が見えなくても、俺は見ている。
だから大丈夫だと、気持ちを込めて伝えた。
「よかった……綺麗に描いてね、私のこと」
緊張が声からも伝わって来る。
考えれば考えるほど、相手の心は見えなくなる。
二人きりで不安を感じているのかもしれないと俺は思った。
「退屈なら会話を続けながらでもいい。その方が緊張も解れる。姿勢を維持するにも会話をしている方が気が紛れて効果があるだろう」
長時間無言で集中して描いていると対象者が眠りに落ちてしまうこともある。そうなってしまっては台無しなので、俺はそういう方針で描くことにした。
リラックス効果のあるクラシック音楽を流しながら、HBの鉛筆を手にしてキャンバスへ輪郭を入れていく。
作業時間は休憩を省くと四、五時間ほどしかない。
人物デッサンをするのに十分な時間はないため、俺は右腕に力を込めて迷いなく線を描いて行く。
「それでは、聞いてもいいですか?
どうして往人さんは画家になろうと思ったのでしょうか?」
最初の問いを彼女は俺に投げかけた。
集中力を研ぎ澄ませ腕の力を維持したまま、俺は曖昧な誤魔化し方をしないよう正直に答えようと口を開いた。
「最初は母親に喜んでもらいたかったからだろうな。
自分に少しでも才能があると分かってからは、ただ認められたくて描いてるだけだったが」
「認められたい……?」
「あまり口にしたことはないが、俺の絵は障がいを持っているから多くの人に見てもらえる機会を得ている。だから実力が認められたわけじゃない。それを自覚しているから、もっと人を惹きつけるような絵を描きたいんだ」
「謙虚で立派な考えですね…お師匠さんも理解がある方なんですよね。一緒に同居しているんですから」
「そうだな……家事全般は俺がやっているが、絵のことも教えてくれる。随分と世話になっているよ。
君だって立派じゃないか……あれだけピアノを上手く弾くのは健常者であっても難しいことだろう。
それに加えて、大学生になって卒業を目指して頑張っているんだから、俺よりもずっと立派だ」
「そんなことないですよ……一人では到底ここまで来ることは出来ませんでした。私は普通の人の何倍も多く人からの支援を受けています。
だから、その恩を仇で返すことは出来ません。
お父さんやフェロッソだけじゃない、たくさんの人に感謝しながら私は生きて社会の役に立てるようにならないといけないんです。
だって、大学生にまでなれて、今は毎日が充実していますから」
その瞬間を切り取りたくなるくらい、彼女は眩しい笑顔を見せた。
感謝しながら生きているからこそ、他人を恨むことも妬む事もないのだろう。それはある意味、多くの現代人が欲しているものでもある。
不自由を引き換えに手に入れた財産。それを平等と呼ぶのかもしれない。
「成長できることは自分を肯定できる重要な要素でもある。
生まれながら不自由を背負わされた者にとって大切なことだな……」
しみじみと俺は言った。両親が理解のある人達であったおかげで生まれの不幸を呪ったことはないが、それでも普通学級への憧れはあったというものだ。
「あっ……そうだ、もう一つ聞きたいことがあったんです。
”美とは一体何なのでしょうか?”
目が見えない私には、よく分かりません。
時々、整理が付いて分かったような気がしても、すぐに分からなくなります。
綺麗だと褒められるのは嬉しいことですが、誰かに対して綺麗だと褒めてあげることは私には出来ません。そんな私のままでいいのでしょうか?」
美とは何か……大学生らしいとも言えるが難しいことを考えるものだと思った。
だが、人とは違うという自覚があればあるほど、つい考えてしまうことでもある。
「気にせずに生きたいように生きろと言いたいところだが、俺も三流の画家だ。少しは参考になる話しでもした方がいいんだろうな」
「はい、ご面倒なことを承知で是非お願いします。
往人さんの意見を聞いてみたいです」
期待を寄せてくれているのをひしひしと感じてしまった俺は、芯の強い彼女の参考になる回答を導き出すため、真面目に思考を巡らせた。
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