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魔剣狐、意外と負けず嫌いだったりする
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案ずるより産むが易しとは言うけれど、この時ばかりはそれも例外だと思う。
吐いてしまった唾は呑めないように、切ってしまった鯉口の音も撤回出来ない。
昔からこういう所あるんだよなぁ私……向こう見ずって言うか何と言うか……と泣き言を言っても始まらない、いやその暇自体がそもそもない。
あの魔剣狩りを思い出させる好戦的そのものの笑みの下に無限の憤怒を燃やしながら、ロンは私へ剣を構えた。
刹那にして私は悟る。理解する。
今までこいつは多分、本気なんて微塵たりとも出していなかったのだ。
「喰い殺せ――――『宍叢』」
爆音を撒き散らして振動するスピーカーを連想した。
もしくは鼓動に合わせて揺れ動く心臓か。
多分どっちも印象としては正しいんだと思う。
心の律動一つで稲光を撒き雷霆を放つスピーカー。
文字通り一挙一動で天変地異を地で行き人獣悉く圧倒する現代の雷神。
今にして理解する、皆殺しの龍。
その二つ名はきっと冗談でも酔狂でも、ましてや誇張などである筈もない。
こいつは。
この男は。
本当に逆らう全てを皆殺しにして笑い続けられる、そういう類の生命体……!
「見上げたもんだ。たかだか一度の死合で其処まで覇を吐ける野郎はそう居ねぇ」
「野郎じゃないんだけどね……!」
「だが、強くなるってのは必ずしも良い事でもねぇんだよなァ。たまたま格上を食い殺しちまった蟻の末路は決まってんだ」
雷鳴が鳴る。
稲光が揺らめく。
来る――!
そう悟って構えたのと。
私の腹に大穴が空いたのはほぼ同時だった。
「か、は……!?」
撃たれた?
いつ――今!?
嘘だ、幾ら何でも速すぎる!
……と、動揺して其処まで考えて自答が出た。
何を動揺してる。
当たり前だろ、考えても見ろ。
「っ、づ、ぅぅ……!」
こいつは、雷だぞ?
カタログスペックそのままの速度の雷を放つ事が出来ない道理がどうしてある。
こいつは今まで、必要がないからそれを使っていなかっただけ。
適度に痛め付けて絶望させれば泣きじゃくって降参する雑魚だと思っていたから。
気に入らないけど一家の落ち度を埋め合わせてくれた借りがあるから。
だから言うなれば"お客さん用"の電撃だけ使っていた。
でも今は違う。
私は、パンドラの匣を開けてしまった……!
「オマエ合一型だろ? たかだか腹ブチ抜かれた程度で眼ぇ潤ませてんじゃねぇよ雑魚」
いつの間にかロンが真隣に居る。
まさか、移動速度まで。
其処まで雷なのかこいつ!
そう思った時にはもう私の視界は三百六十度回転していた。
こめかみを蹴り飛ばされた――脳震盪と頭蓋骨の破損が私の意識を撹拌する。
何くそと出せるだけの炎を噴き上げて巻き込みを狙うが、玉響はムカつく程無感情に狐火の空振りを告げていて。
「発生が遅ぇ。火力もヌルい。あぁ当たっちゃいるぜ一応な。
けどこのくらいの炎なんざサウナの……あー、何だっけ? ロウリュか。あれと一緒だな。炎っていうか只の熱風だわ」
「随分饒舌じゃない、この……!」
「阿呆が。無言で殺し合う程しみったれた事があるかよ。剣鬼なら喋れ煽れ口上を回せ。饒舌は死合の華よ、テメェも気取るならそのくらいは理解しとけ」
……私は根本的に魔剣使い同士の戦闘を勘違いしていたのかもしれない。
魔剣を握っていても、結局の所担い手自体は人間なんだから倒せない事はないと思ってた。
でも多分それは大きな間違い。
違うんだ、こいつらは根本の所から。
「魔剣狩りは良い師だったと見えるが、まぁ野郎は筋金入りの剣狂いだからな。
雑魚を全力で殺すよりかは目線を合わせて楽しもうと考える――だからその教えには欠陥がある。
オレなりのも教えてやるよ。オマエにしてみれば同族になる、合一型の殺し方だ」
「丁重にお断りするよ、痛そうだからね――!」
拳を握る。
其処に狐火を纏わせて、イメージするのは単純な破壊の形だ。
普通に焼くだけじゃ火力が足りない。
ならもっとずっと激しく燃やして……爆発させて消し飛ばしてやる!
「魔剣狐、ぱーーーーーんちッ!」
炎と爆発は紙一重。
全力で放った狐火を放ってすぐに爆発させる。
多少の返し風はこの際気に留めていられない。
今は兎に角このやんちゃ坊主を地に伏せる事だけ考える、それ以外は一切無視だ。
魔剣狩りに一回ぶちかましたのよりも更に上の威力と質。
自分でも解る、私の狐火の扱いは格段に上手くなってる。
その粋をたっぷり味わせてやる気で放った渾身の魔剣狐パンチはしかし。
「っ」
まるで意趣返しみたいに放たれた拳型の電撃で相殺される。
どんだけ多芸なんだこいつと怒ってる暇は勿論ない。
早く次を、と急いで頭を回転させたけど、どうやらそれでもロンにしてみれば遅過ぎたみたいで。
「ぁ、う゛ッ……!? う、ぁ゛ッ、が……!?」
「極めた合一型は武装型の剣鬼より遥かに頑丈だ。だが多くの場合人型生物という形からまでは抜け出せねぇ。かく言うオレもな」
右腕が飛ぶ。
玉響を持ち換えようとした左腕も飛ぶ。
速すぎるから逃げるしかないと後ろに跳ぼうとした所で両足が纏めて膝から落とされた。
四肢切断。
一秒足らずで私の五体が誇張抜きに八割減らされる。
「だから手足を落としちまうのが一番早い」
「っ……! 人で、なしぃ……!」
「鬼に理屈を説くなよ。器が知れるぜ魔剣狐」
まずい――まずいまずいまずい!
再生が追い付かない!
四肢を失った喪失感なんてもの抱いていられない。
それは私が超人だからじゃない――そうでもしなきゃ次の瞬間には今度は首が飛ぶって分かってるからだ!
「そんでにっちもさっちも行かない所に特大を打ち込む」
ロンが天に剣を……『宍叢』を向ける。
その刀身へ落ちて来る雷撃。
空から電力を補充するという理解不能で意味不明の芸当に頭が痛くなるけど今はそれより傷口が痛い。
必死に再生を回すが遅い、遅すぎる。
治り切るのを待っていられない。
網膜を焼くような閃光の中で焦燥に狂う私へ、ロンは凶暴な笑みを貼り付けたまま剣を振り下ろした。
「消し炭と化せや、身の程知らずがァ――! 宍叢共鳴・武御雷ィィッ」
――その、火力は。
もう先刻までのの比じゃない。
今なら解る、私の狐火なんてこいつにしてみれば本当に片手で払えるような火の粉でしかなかったんだ。
鋒に収束させた雷電の全てが線になって身動きままならない私へ迫る。
当たれば一刀両断では間違いなく済まないだろう。
線路に寝転んで電車に轢かれるのより数倍、いや数十倍は酷い有様になると本能で解る。
「う、あ……!」
死ぬ。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――嫌だ、やだやだやだやだ死にたくない!
こんなところで。
こんな奴に殺されて堪るか。
まだ彼氏も出来た事ないし、クソ魔剣に背負わされた不幸の埋め合わせも来てないんだ。
それなのに――それなのに――!
こんな人でなしのクソガキなんかに私の人生、終わらされたくないよ……!
「生き延びられたら活かしてみろよ。ははははははッ!」
手から離れた玉響を口で咥える。
歯が欠けるくらい強く噛み締める。
再生は間に合わない。
この状態で何とかするしかない。
でも、どうやって。
どうすれば――。
思案の中で私の視界は白く、白く塗り潰されていき。
鼓膜まで焼き切れて光も音も消え去った世界の中、私は鏖殺の雷剣に曝され……。
(あ。これ)
理解した。
――勝てない。
◆ ◆ ◆
「ハ。流石に大人気なかったかね」
剣聖一家の龍は魔剣使いにとって恐怖の象徴である。
長男、流星群のゲッベルス。
末妹、無限剣のフィー。
そして未だ明かされぬ次男と長女。黎明と海底。
剣聖に身を置くいずれの兄妹達も純粋な武力の桁に於いては等しくロンの後塵を拝する。
それ程の強者であるにも関わらず、遥か格下の狐娘に売られた喧嘩も買わずにいられない思春期相応のパーソナリティ。
ゲッベルスもフィーも次男長女も、基本的には火の粉を飛ばさない限り目前に現れる事はない。
だがロンは違う。
この男はしばしば剣鬼の前に現れる。
そして轟雷を撒き散らしては屍を積み上げるのである。
あまつさえそんな生き方をしていながら今の今まで生涯無敗を貫いている事実。
その全てが生半な剣鬼の背筋を粟立たせる。
彼の雷鳴が剣聖一家の威光を体現している。
当然ながら――ひよっ子の魔剣狐で勝てる相手ではない。
魔剣使いにノウハウを叩き込まれた事実と生来の飲み込みの速さで既に新参の中では上澄みに入れるだけの実力を手に入れてはいるが、しかしそれだけだ。
彼女には絶対的に年季が、経験が足りない。
魔剣との共鳴は浅く、技術に乏しいのに地の力でも影すら踏めていないのだから勝てる道理がそもそも存在していない。
無謀どころの騒ぎではないのだ。
死ぬ為に目の前に立ったという事でもなければ話が通らない。
「手負いの莫迦を助けた程度で調子に乗るからこうなんだよ。解ったら来世はもう少し慎ましく生きろよ、小動物」
宍叢共鳴・武御雷。
天そのものから雷電を徴収して鋒に蓄え、その上で放射斬撃として放つロンの奥義。
言わずもがな人体はそれに耐えられない。
両断どころでなく五体が爆散する。
ロンは一切の加減を捨てて殺しに掛かった。
手足を落とし、身動きを封じて確殺の一撃で畳み掛ける。
まさしく大人げない。
それは彼の、死合を挑まれたなら如何な格下でも必ず殺す在り方に則っていたと言えよう。
剣聖の名は重い。
単に自棄っぱちで出来もしない覇を吐けた程度で名を連ねられる程軽い一家ではない。
彼女に限らず、これまでにもこうやって散っていった者は無数に居た。
長男が許し末妹が寵愛した程度では剣聖の名は背負えない。
これはそれだけで、それまでの話。
現実も知らないぽっと出の背伸びで辿り着ける境地ではないのだ。
「……?」
そう、背伸びでは辿り着けない。
剣鬼の真似事をする程度の気概では彼らの影も踏めない。
威光に肖りたい、そんな下心で挑めば待つのは無残な死のみ。
では如何にすれば彼らの血縁に名を連ねられるのか。
その難易度が絶望的なまでに吹き飛んでいる事を除いて、強いてその秘訣を挙げるならば。
「……へえ」
それはきっと――
「炎で手足を創ったのか。ちょっとは考えるじゃんかよ」
――背伸びではなく、彼らと対等の家族として並び立つ覚悟だ。
ロンの視界の先に手足のない狐娘が立っていた。
再生は未だ途上段階。
しかし癒えた分、その先を補う形で炎の手足が伸びている。
狐火を用いての義手足創造。
自由度の高さに於いてならば魔剣『玉響』の権能はロンの『宍叢』の上を行く。
「現実は知ったろ」
「……」
「オマエじゃオレには決して勝てない。これは事実だ」
「…………」
「――それでも挑むか? 雑魚女」
「当然」
魔剣狩りは篝ニナに目を輝かせた。
彼女より遥かに強い剣鬼を無数に屠って来たろうにも関わらず、この初々しくいじらしい狐娘を評価した。
顛末は話に伝え聞く限りでしか知らないロンだったが、それでも魔剣狩りの気持ちは今なら解せる。
確かにこれは面白い。
この向こう見ずで馬鹿げた不屈ぶりは――根拠もない未知を予感させる。
しかしそれもある意味では当然。
彼女はとうに剣鬼だ。
そう名乗るに足る修羅場を踏み、力を備えている。
ならばこそこれは誰が何と言おうと死合なのだ。
たとえ力に於いて遥かの格上であろうとも。
死合うと決めた剣鬼を相手取る以上は、両者の立場は対等となる。
「よく言った。その無謀に免じて、完膚なきまでに踏み躙ってやる」
挑むは魔剣狐。
受けて立つのは雷神龍。
結果の見えた死合が、剣閃の中で幕を開ける。
炎と雷が、絡み合うように轟き吠えた。
◆ ◆ ◆
痛い。
死ぬ程痛い。
それもその筈だ、ちぎれた手足から直で炎を伸ばしてるんだから傷口は焼けっぱなし。
再生しても再生して更新された断面を都度焼かれているんだから神経は発狂と言っていい勢いで悲鳴をあげている。
それでも命を繋げただけ良しとするしかない。
良かった、本当に良かった。
咄嗟に手足を伸ばす妙案を思い付いていなかったら今頃私はちょっと毛の多い挽肉炒めとして完成していた事だろう。
(でも――なんか)
けれど悪い事ばかりじゃない。
腹が立つ事に、私は今不思議な程冴えていた。
魔剣狩りの時以上の死線を肌で感じて、脳で乗り越えて。
その結果として得られた物が、痛みに埋め尽くされた自我の中で煌々と煌いているのを感じる。
(解った、気がする)
切断された部位を炎で補うなんて考えもしなかった。
それに、そもそもそんな事が出来るとも思っていなかった。
それが出来ると知った今、私の視野は自分でも驚く程に広がっていた。
どうもこのクソ魔剣は、『玉響』は私が思ってたよりもずっと自由な力を持っているらしい。
もっと自由に。
もっと柔軟に。
不可能を可能にする。
目の前に不条理があるのならそれを乗り越えられる無茶苦茶を作り出して突破する。
それが私という剣鬼に与えられた唯一の強みなのだと、私は今本能でそう理解していた。
だから――
「う、らあああああああああ!!」
先刻私の腹に穴を空けてくれたのと多分同じ雷霆の射出を玉響の刀身で弾き飛ばす。
勿論ただ弾いたわけじゃない。
再生したての腕の骨が炎の義手諸共吹き飛ぶような、後先考えない噴射をしてその上でぶちかました。
死ぬ程痛いし死にそうな気分だけど生きてる。
生きてるならもう何だっていい。
狐の直感で察知して我武者羅に肉体を使い潰しながら前に進む。
今の私にはこれが精一杯――常識で考えたら当然そうだ。
(なら、ッ)
なら、此処で常識をぶっ飛ばす!
カミカゼ紛いの突撃を敢行しながら炎の陣を創り、ロンと私を囲い込むフィールドにする。
当然こんなものでアレを捕らえられるとは思ってないけど、それでもやらないよりは絶対にマシな筈だ。
火力の追加を止めどなく玉響に促し続けて私が狙うのは、そうそもそも幽閉なんかじゃなくて。
「へえ。酸欠狙いか」
「蒸し焼きと酸欠の、Wコンボ……! これなら流石のロン様もきっついでしょ、常識的に考えてさ……!」
「まあ悪くねぇ発想だ。褒めてやるよ、とことん逆境で伸びるタイプらしい。けどよォ、ちょっと酔っ払い過ぎじゃねぇか? 肝心な事を一つ見落としてるぜ」
魔剣使いって言っても元は人間だ。
合一型はもしかしたら違うのかもと思ったりもしたけど、少なくとも私は玉響を出してる状態でもちゃんと呼吸してる。
蒸し焼きプランは正直通じると思ってない、でも酸欠の方はド本命だ。
酸素がなくなるまで陣を燃焼させ続ければ、剣の届かないこの雷神だって削り切れるかもしれない。
……なんて言うと何だか智将の妙案みたいに聞こえるけどこれに関してはロンの言う通りだ。
私も自分で解ってる――この作戦には致命的な欠陥がある。
「オマエ、今誰と戦ってんのか解ってるか?」
「ご――」
腹に叩き込まれる膝。
見えない感じない、知覚情報の全部が間に合わない。
よって反応出来ない。
手足の再生がやっと終わるかって所で内臓を粗方潰されて其処から向き合わなきゃいけないのは大上段からの唐竹割りだ。
何とか玉響で受け止めるけど、そのあまりの威力は殺し切れなくて結果足が地面にめり込む。
そうだ。
遅延戦法が通じるのは格下か良くて同格まで。
文字通り天と地程実力の離れてるこいつを前にそれを押し通す難易度は破格どころの騒ぎじゃない。
「猪口才なんだよ壱から十まで。欠伸が出るぜ、獣のじゃれ合いじゃねぇんだ」
身動きの取れない顔面を拳で砕かれる。
女の子の顔狙うか普通、どんな教育受けて育ったんだ。
直撃した私の顔がどうなったのかは私の尊厳の為に記さないとして、すぐさま反撃でこっちも殴り掛かる。
狐火を纏わせた触れれば爆ぜる剛拳だ。
こいつのに比べれば可愛いくらいの反撃だけどそれでも躱される。
膝をかち上げて顎を砕かれ宙に浮かされ、何度目何十度目かの失神の危機に晒される。
仕方がないから舌を噛み潰した。
泣く程痛いけど命には代えられない、そしてこの根性が即時功を奏した。
「死合ってのはこうやんだよ――解れろやァッ」
浮いた私を追い掛けて殺到する六つの雷槍。
私の斬撃網の数を扱き下ろしといて六つかよって話だが、如何せん一発一発の質が違い過ぎて突っ込む気力も起きない。
一撃でも受けたらそれで半身は吹き飛ぶ。
狐の危機感知がわんわん煩く警鐘を鳴らしている。
どうする、どうにかするしかない。
玉響の力をありったけ引き出して出力を爆発的に高める。
その上で振り下ろす――避けられないなら一か八かで突破を狙うしかないのだ。
「ぶ、ッ、と、べぇ――――ッ!」
自爆覚悟の狐火大爆発。
折角治したばかりの手足が早速お釈迦になるけど構っちゃいられない。
地面をごろごろ転がって土に塗れながら顔をあげて、緊急離脱の成果を確認する前にぐずぐずの足で無理矢理地を蹴る。
狐火の爆発で背中を押して加速し一気呵成に距離を詰める。
ああは言ってたけどこの酷暑空間はあいつにだって無害じゃない筈なんだ。
少しでも余裕がなくなってる事に期待して畳み掛けるしか格下の私に打てる手はない。
「最大、火力……! そんなに見下すんだったら正々堂々受けてみなさい!」
最大火力、その宣言に嘘はない。
これは宣戦布告だ。
私からこの後弟になるだろうクソガキへの宣戦布告。
玉響の刀身全体を覆うように炎が燃える。
刀から大剣に。
速度だとか取り回しだとか全部放り捨てた、最高の火力を叩き出す為だけの形態。
どうせなら私も格好良い技名とか付けて叫びたいけど、生憎アイデア出すにも時間が足りない。
今の私に出来るのは格好悪くてもみっともなくても、兎に角全力全開の一撃を叩き込んでワンチャン狙うだけ。
燃え上がれ狐火、全部寄越せ玉響。
私の出せる全部を此処に込めて、この剣鬼の鼻を明かしてやる――!
「上等」
ロンのリアクションは予想通りだった。
こいつは魔剣狩りと同じで筋金入りのジャンキーだ。
なら挑まれた勝負を下りる事はしない、ましてや格下相手じゃ尚更。
私が"勝つ"為の条件は全部達成された。
後は魅せるだけだ。
そんでもって私の"勝ち"をもぎ取るだけ。
「このオレに大口叩いたんだ。半端な剣なら叩き折るぞ畜生女ァ!」
「やってみろ、っての――ッ!」
全長にして数メートル。
其処まで延長した最高熱量の狐火剣を裂帛の気合を込めて振り下ろす。
真実この時、私は目前の敵を消し炭にする為に剣を振るっていた。
紅蓮の一閃、迸り。
雷神討伐を私の魔剣が承る。
それに対しロンが繰り出したのは私と同じ形、同じ長さの雷剣だった。
こいつの事だ、格下を狩るにも勝ち方って物に拘りたいんだろう。
舐められてる。
完璧に勝たなきゃ勝ちにならない、その程度の相手だって思われてる。
ラッキーだ。
どうぞ盛大に舐め腐っててくれ、私は勝てれば何でもいい!
「っ、あああああ、あああああああああ……!」
炎と雷。
紅蓮と蒼雷が鬩ぎ合う。
互いの熱で肌が焼ける、眼球さえ蒸発してしまいそうだ。
化物の膂力と相撲を取ってる訳だから両腕は毎秒砕けては治ってを繰り返してる。
(それでも、これで……!)
私はこれで"勝ち"を狙う!
だから踏ん張れ、精一杯。
骨身が消し飛んでも構わないから根性見せろ。
一生で一番の本気を込めた針の穴通すみたいな正面突破。
その覚悟と気合を少しは神様も汲んでくれたのか。
ロンの剣が、微かに揺らいだ。
いける――!
勝利の確信と共に歯を噛み締めて残り一押しを踏み込んでいく。
この押し引きに勝っても負けてもこれ以上の継戦は不可能だろう。
つまりこれが私にとって正真正銘最後の勝機。
それを押し込む為に炎の出力を更に上げる。
限界の果て、更にそれ以上。
血を吐きながら咆哮して、漸く見えた突破口に突っ込んでいって、そして……
「え」
私の手の中の玉響が。
紅蓮の中に沈めた大元の刀身が。
折れて明後日の方に吹き飛んでいった。
「まぁ悪くはなかったよ。やるじゃん、最後に評価を一段だけ改めてやる」
ロンが笑っている。
丸腰同然の私に微笑むその顔は、嘲笑とは少し違う色を帯びてもいた。
「けど先刻も言ったろ。オマエの戦ってる相手は誰だ?」
ロンは。
この雷神は私より遥かに格上の魔剣使いだ。
経験とかの前に基礎スペックが違い過ぎて大体の策は機能しない。
考えてみれば当たり前の事だ。
そんな相手にちょっと根性出して全力で打ち込んだくらいで押し勝てるなんて、幾ら何でも考えが甘すぎる。
「これが剣聖とオマエの間にある実力の差だ。見る夢は選ぶべきだったな」
こいつは魔剣狩りとは違う。
単に剣筋が鋭くて速いだけじゃなくて、其処に冗談みたいな重さが付いて来る。
下克上なんて万に一つも起こらせてくれない万能の剣鬼。
勝てる道理なんて万に一つもなかったのだと思い知り。
私は、自分がかつて抱いた諦念が正しかった事を理解した。
――勝てない。
私じゃこいつには勝てない。
たかだか限界を二、三超えた程度じゃこいつの首はどうやったって取れない。
「掻っ消えろ、三下」
私の心も魔剣もへし折った雷剣が振り下ろされる。
それは私の、篝ニナの敗北を残酷に物語っていて。
だからこそ予定調和のように敗れ去った私に出来る事は一つだけだった。
(嗚呼、くそ……)
本当に、予想通りだ。
情けないし何より理不尽過ぎて腹が立つ。
そんな気持ちを今は剣じゃなく己の手に込めて。
私は右足を、前へと鋭く踏み出した。
玉響が折れてくれたのは結果的に良かったと言える。
ちょっと胸もすいたし、剣を失った事でこいつは少なからず油断してる。
だから最後の最後により格好の付く大振りで消し飛ばそうとして来てるんだ。
其処には隙があった。
更に言うならこいつも、まさか全部凌駕して踏み躙った筈の私がまだ前に出て来るなんて思いもしなかっただろう。
でもお生憎様、私は往生際が良くて散り際に美学を見せられるお利口さんな剣鬼じゃない。
なりたてで不格好でおまけに死ぬ程みっともない、そういうルーキーフォックスなんだよ。
実力で勝てなくても。
もう死ぬ以外になくても。
最後に一泡吹かせる為だけに一意専心、全力を投じて何が悪い。
それが私みたいな雑魚剣鬼の0.1%の勝ち筋になるのなら――私は其処に全部賭けるぞ、剣聖。
ぱしん。私の平手が、ロンの頬をはたき飛ばした。
「は?」
本当は思いっきりぶっ飛ばしてやるつもりだったんだけど、流石に其処まで力は残ってなかったらしい。
それもそうだよな、玉響本体も折られちゃったし。
狐耳と尻尾が消えてない辺り魔剣使いじゃなくなった訳じゃないんだろうが、それでも身剣の合一に多少なり影響は出てるんだろう。
だから今はこれが私の、ニナの精一杯。
それでもぶっちゃけ割と満足だ。
寧ろ下手に全力でぶん殴るよりも……こういう奴にはこっちの方がダメージになったんじゃないかなとそう思ってる。
「ざまあみろ、っての。ばーかめ……」
ぺしゃりと地面に顔から落ちる。
嗚呼もう今度こそ指一本も動かせないや。
やりたい事は出来たけどやっぱりこんな事しなきゃ良かったなぁって後悔もある。
でもまあとりあえず、ムカつく剣聖の吠え面はちゃんと見れたのでこれはこれで良し、かな。
じゃあ後は運を天に任せて。
――魔剣狐は寝ます。
おやすみなさい……。
◆ ◆ ◆
「……意味解らん。さっさと死ねや」
気絶した魔剣狐にロンは雷剣を瞬かせる。
その顔に浮かんでいるのは困惑だった。
こいつは何がしたかったのか。
頭に虫でも湧いているのか。
解らないからとりあえず消し飛ばしてその存在を消し去る事にしよう。
そう決めていざ哀れな狐を葬り去らんとする末弟だったが――
その刀身が漆黒の剣によって阻まれる。
黒髪の小さな少女が雷神と狐の間に割って入っていた。
「どけ」
「どかない。もう勝負ついたでしょ」
「手出し無用って言ったろうがよ。いつから不殺主義に成り下がりやがったテメェ」
剣聖一家の末妹。
ニナをこの家に引き合わせた張本人、無限剣のフィーである。
その体躯は少年であるロンより更に二段は小さいが、然し彼女はその細腕で兄の剛剣を確りと受け止めている。
「勝ったのはオレだ。なら敗者をどうするかもオレが決める。何かおかしい事言ってるか?」
「うん、おかしいね。だって」
ニナの全力を真っ向打ち砕ける威力も、剣聖の末妹にとっては地力で凌げる範疇に過ぎない。
つまりそのレベルは全霊でも何でもなく"当たり前"でなければ聖の字を冠するには不足という訳だ。
その点で言えばニナが剣聖の看板を背負うのはあまりにも時期尚早。
実力も足りなければ経験も追い付いていない、端的に言って器ではない。
富裕層の通い詰める店にドレスコードが存在するように。
場所にそぐうだけの器のない不逞の輩を寛容に受け入れる事は時に権威の失墜へ繋がる。
長い戦いではあったが、一家の在り方と今後を思うならば正しい事を言っているのは寧ろロンの方である。
篝ニナはどう考えても剣聖一家に相応しい剣鬼ではないのだ。
そして決着もこの通り、誰の予測も出はしなかった。
ロンを叩き伏せる事は叶わず敗者として地面に転がる――完敗と言っていい結末。
だが。
「ロン兄ちゃんの負けでしょ? じゃあ兄ちゃんをどうするか決めるのはお姉さんの方じゃん」
「?」
妹の口から出たそんな言葉に、ロンは「こてん」と首を傾げた。
今何かとんでもない事を言われた気がするが、はて上手く頭に入って来なかった。
一応国語の成績は良かった筈だが、馬鹿の言葉を解するには定期テストとは別の読解力が必要になってくる。
手の掛かる妹を持つと本当に大変だ。
だから家族なんて重たいだけなんだよなぁとしみじみ思いながら今一度言われた言葉を反芻して……
「ん?」
「どしたの?」
「いや悪い、今オマエなんつった? もっかい言ってくれや」
「だから、ロン兄ちゃんの負け」
「え?」
「だから」
「おう」
「ロン兄ちゃんの」
「うん」
「負け」
「…………」
反芻終了。
再確認も完了。
成程成程オレは負けたのか。
オレはてっきり相手をズタボロボンボンに叩き潰して勝ったつもりだったけど、実は負けてたのか。
そっかそっか、成程……。
……、……。
「はあああああああああああああああああ!!!? オレの負け!? 何で!? オマエ何見てたんだよ地面にお絵かきでもしてたンかボケッ!?」
「いやぁ。だって、ねぇ。ゲー兄ちゃんはどう思う?」
「うん、まあな。バッチリしてやられてたしなぁ最後」
「あ――んなの只のイタチの最後っ屁だろうが! どう見ても! ど、う、見、て、も! オレの完全勝利だったろうがよォーッ!!」
――これには皆殺しの龍も驚いた。
目玉が飛び出そうな程に驚いたし口角泡も飛びに飛んだ。
然しフィーは愚か聡明なる長兄ゲッベルスさえ腕を組んでうんうん頷いている。
理解不能な光景である。
ロンは本気で、自分が狐女の魔剣が見せた幻覚の世界にでも迷い込んだかと思った。
「まあ落ち着けやロン。確かに死合として見りゃオマエの勝ちだったよ。うん、それは揺るがないわな」
「だったら……!」
「けどなぁ。じゃあオマエ、今心の底からスカッとしとるか?」
「……!」
言われてロンは唇を噛む。
それは正直な所、図星だった。
自分は全てに於いて篝ニナを上回っていたと断言出来る。
出来るが、最後にニナが自分へ入れたあの一撃。
あれがロンの心に微かなしこりを残していた。
狐火を押し固めての爆破だとか、火炎放射だとか。
そういう在り来りな最後っ屁だったなら寧ろ物笑いの種にさえしただろう。
「しとらんやろ。まぁビンタやもんな、俺がオマエでも格好付かんし微妙な気持ちになる」
だが実際の所は何だ。
平手打ち。
要するにビンタである。
剣鬼同士の血湧き肉躍る死合では決して出る筈のない、攻撃にも満たない一撃。
そうまるで、親きょうだいが聞き分けのない子供にするようなありふれた懲罰。
そんなもので死合を締め括られてしまったら、結果がどうあれ爽快感など生まれるべくもない。
少なくともロンはそうではなかった。
彼は勝利の形に固執しない。
弱者を蹂躙して一方的に勝利を収めた所で勝ちは勝ちなのだから何も恥じる事などないと、そう言って嗤える類の人間だ。
されども彼は生涯無敗。
それを地で行く武の化身。
勝ちの形には拘らねども、負けの気配には人一倍敏感である。
「死合に勝ったのは間違いなくオマエや、異論ないよ。けど"勝負"って意味なら……はてさてって所やな」
「なんッ……だよそれ……!」
地団駄を踏んであらん限りの不満を滾らせるロン。
今此処で魔剣を解放し、すっかり気絶して伸びている狐娘を消し飛ばしてやりたい衝動にさえ駆られる。
フィーやゲッベルスの邪魔立てが入る可能性等彼には関係ない。
邪魔が入った所でそれ諸共蹴散らしてしまえばいいのだから、それは刃を止める理由にはならない。
にも関わらずロンが不満を表すだけで止まっているのは、即ち彼自身がゲッベルスの言葉に無視の出来ない説得力を見てしまっているからに他ならなかった。
剣鬼とは武技のみでなく矜持の生き物。
それは武士侍が幅を利かせた時代から現代に至るまで不変の道理である。
「ていうか何あれ。宍叢共鳴・武御雷ーッ……て、兄ちゃんまた必殺技増やしたの?」
「あ? あればある程いいだろうがよ」
「前は雷切一閃って名前じゃなかった?」
「馬鹿が節穴かテメェ。武御雷は雷切一閃より初動がちょっとだけ速ぇんだよボケ。その代わり斬り込みの深さが若干甘ぇんだ」
「ふーん。その内剣を抜くだけでも必殺技になりそうだね。んふっ」
「あぁん? やんのか?」
「はぁん? いいけど?」
「よせよせ、やめときや二人共。流石にこれ以上暴れたら廃刀が飛んで来るで。
毎度ながらオマエらが壊した屋敷直すのは俺の仕事なんやから、いい加減兄妹喧嘩もちっとは自重して欲しいんやけどなぁ」
性懲りもなく一触即発に陥る末弟妹を律したのは豚頭の長兄だった。
暴れ馬の末弟もわがまま放題の末妹も比較的彼には従順である。
それは剣聖一家という、本来共存し得ない力と才能を束ねた流血の繋がりが彼の維持能力にこの上なく依存している背景を意味しているのだったが……今此処ではその話は置くとして。
「兎に角や。今回は特段の事情もある上、俺とフィーは"資格有り"と見做した。
まぁ実際にオマエの負け言うつもりはないが、それを踏まえてオマエの意見を聞いとこか」
「……なぁマジで言ってんのか? 余所ん家のガキの扱いにブチ切れて、あまつさえそれを戦う理由にしちまうような人間にマジで剣聖の看板背負わせる気なのかよ。馬鹿フィーは兎も角、アンタまでどうかしちまったんじゃねぇのか」
「寧ろ俺は其処がいいと思っとるよ。初戦で魔剣狩りと渡り合って次戦で剣聖と斬り結び、それでもまだどうにか命だけは繋いどる。これだけ恵まれたスタートダッシュを切った剣鬼を俺は他に知らん。
ならまぁ、長い目で見るの前提に抱えとくのも有りやろ。どの道ウチはこの子に借りがある。ボディーガード紛いの真似するよりかは手元に置いて強なって貰った方が俺としても楽なんよね」
「チッ。残り二人がどう言っても知らねぇぞ。オレは絶ッ対ェケツ拭かねぇからな」
「女の子に対する表現でケツ拭くはアカンやろオマエ……デリカシーとかないんか……」
「知るかボケ女だって糞はすんだろカス。大体その図体でデリカシー語んなやナチデブ」
うわぁ……と口元に手を当てて引く第三帝国復興論者に背を向けて、肩を揺らして歩き出すロン。
噴火寸前の火山、いや落雷寸前の黒雲と呼ぶべきか。
そんな触れれば爆ぜそうな勢いで不機嫌を滲ませ立ち去る彼の姿は最早不貞腐れて部屋に戻る歳相応の少年と大差なかった。
「兄ちゃん何処行くの。もうすぐごはんの時間なのに」
「話し掛けんなアホ」
「そうやぞロン。今日は家族が増える記念に焼肉でも食い行こうと思っとるのに何処行くんや」
「寝んだよ!! 新幹線酔いでゲロ吐きそうなんだッつのこっちは!! 誰の為に急いで帰って来たと思ってんだ死ね糞共!!」
魔剣狩り。
剣聖一家最強の『武』。
二度、二夜に渡る連日の艱難辛苦をどういう訳か乗り越える事に成功した魔剣狐。
その偉業が持つ価値が如何程の物か、目を回して気をやっている彼女が知るのは大分後の事である。
長男ゲッベルス。末妹フィー。(一応)末弟ロン。
過半数の認定を得て篝ニナもとい只の『ニナ』、剣聖一家への仮入居に成功す。
残る剣聖は二名。
黎明の洞。海底の魔女。
魔剣狐の試練はまだまだ続く。
がんばって欲しいものである。
「あーーッ! 面白くねぇーーッ!!」
吐いてしまった唾は呑めないように、切ってしまった鯉口の音も撤回出来ない。
昔からこういう所あるんだよなぁ私……向こう見ずって言うか何と言うか……と泣き言を言っても始まらない、いやその暇自体がそもそもない。
あの魔剣狩りを思い出させる好戦的そのものの笑みの下に無限の憤怒を燃やしながら、ロンは私へ剣を構えた。
刹那にして私は悟る。理解する。
今までこいつは多分、本気なんて微塵たりとも出していなかったのだ。
「喰い殺せ――――『宍叢』」
爆音を撒き散らして振動するスピーカーを連想した。
もしくは鼓動に合わせて揺れ動く心臓か。
多分どっちも印象としては正しいんだと思う。
心の律動一つで稲光を撒き雷霆を放つスピーカー。
文字通り一挙一動で天変地異を地で行き人獣悉く圧倒する現代の雷神。
今にして理解する、皆殺しの龍。
その二つ名はきっと冗談でも酔狂でも、ましてや誇張などである筈もない。
こいつは。
この男は。
本当に逆らう全てを皆殺しにして笑い続けられる、そういう類の生命体……!
「見上げたもんだ。たかだか一度の死合で其処まで覇を吐ける野郎はそう居ねぇ」
「野郎じゃないんだけどね……!」
「だが、強くなるってのは必ずしも良い事でもねぇんだよなァ。たまたま格上を食い殺しちまった蟻の末路は決まってんだ」
雷鳴が鳴る。
稲光が揺らめく。
来る――!
そう悟って構えたのと。
私の腹に大穴が空いたのはほぼ同時だった。
「か、は……!?」
撃たれた?
いつ――今!?
嘘だ、幾ら何でも速すぎる!
……と、動揺して其処まで考えて自答が出た。
何を動揺してる。
当たり前だろ、考えても見ろ。
「っ、づ、ぅぅ……!」
こいつは、雷だぞ?
カタログスペックそのままの速度の雷を放つ事が出来ない道理がどうしてある。
こいつは今まで、必要がないからそれを使っていなかっただけ。
適度に痛め付けて絶望させれば泣きじゃくって降参する雑魚だと思っていたから。
気に入らないけど一家の落ち度を埋め合わせてくれた借りがあるから。
だから言うなれば"お客さん用"の電撃だけ使っていた。
でも今は違う。
私は、パンドラの匣を開けてしまった……!
「オマエ合一型だろ? たかだか腹ブチ抜かれた程度で眼ぇ潤ませてんじゃねぇよ雑魚」
いつの間にかロンが真隣に居る。
まさか、移動速度まで。
其処まで雷なのかこいつ!
そう思った時にはもう私の視界は三百六十度回転していた。
こめかみを蹴り飛ばされた――脳震盪と頭蓋骨の破損が私の意識を撹拌する。
何くそと出せるだけの炎を噴き上げて巻き込みを狙うが、玉響はムカつく程無感情に狐火の空振りを告げていて。
「発生が遅ぇ。火力もヌルい。あぁ当たっちゃいるぜ一応な。
けどこのくらいの炎なんざサウナの……あー、何だっけ? ロウリュか。あれと一緒だな。炎っていうか只の熱風だわ」
「随分饒舌じゃない、この……!」
「阿呆が。無言で殺し合う程しみったれた事があるかよ。剣鬼なら喋れ煽れ口上を回せ。饒舌は死合の華よ、テメェも気取るならそのくらいは理解しとけ」
……私は根本的に魔剣使い同士の戦闘を勘違いしていたのかもしれない。
魔剣を握っていても、結局の所担い手自体は人間なんだから倒せない事はないと思ってた。
でも多分それは大きな間違い。
違うんだ、こいつらは根本の所から。
「魔剣狩りは良い師だったと見えるが、まぁ野郎は筋金入りの剣狂いだからな。
雑魚を全力で殺すよりかは目線を合わせて楽しもうと考える――だからその教えには欠陥がある。
オレなりのも教えてやるよ。オマエにしてみれば同族になる、合一型の殺し方だ」
「丁重にお断りするよ、痛そうだからね――!」
拳を握る。
其処に狐火を纏わせて、イメージするのは単純な破壊の形だ。
普通に焼くだけじゃ火力が足りない。
ならもっとずっと激しく燃やして……爆発させて消し飛ばしてやる!
「魔剣狐、ぱーーーーーんちッ!」
炎と爆発は紙一重。
全力で放った狐火を放ってすぐに爆発させる。
多少の返し風はこの際気に留めていられない。
今は兎に角このやんちゃ坊主を地に伏せる事だけ考える、それ以外は一切無視だ。
魔剣狩りに一回ぶちかましたのよりも更に上の威力と質。
自分でも解る、私の狐火の扱いは格段に上手くなってる。
その粋をたっぷり味わせてやる気で放った渾身の魔剣狐パンチはしかし。
「っ」
まるで意趣返しみたいに放たれた拳型の電撃で相殺される。
どんだけ多芸なんだこいつと怒ってる暇は勿論ない。
早く次を、と急いで頭を回転させたけど、どうやらそれでもロンにしてみれば遅過ぎたみたいで。
「ぁ、う゛ッ……!? う、ぁ゛ッ、が……!?」
「極めた合一型は武装型の剣鬼より遥かに頑丈だ。だが多くの場合人型生物という形からまでは抜け出せねぇ。かく言うオレもな」
右腕が飛ぶ。
玉響を持ち換えようとした左腕も飛ぶ。
速すぎるから逃げるしかないと後ろに跳ぼうとした所で両足が纏めて膝から落とされた。
四肢切断。
一秒足らずで私の五体が誇張抜きに八割減らされる。
「だから手足を落としちまうのが一番早い」
「っ……! 人で、なしぃ……!」
「鬼に理屈を説くなよ。器が知れるぜ魔剣狐」
まずい――まずいまずいまずい!
再生が追い付かない!
四肢を失った喪失感なんてもの抱いていられない。
それは私が超人だからじゃない――そうでもしなきゃ次の瞬間には今度は首が飛ぶって分かってるからだ!
「そんでにっちもさっちも行かない所に特大を打ち込む」
ロンが天に剣を……『宍叢』を向ける。
その刀身へ落ちて来る雷撃。
空から電力を補充するという理解不能で意味不明の芸当に頭が痛くなるけど今はそれより傷口が痛い。
必死に再生を回すが遅い、遅すぎる。
治り切るのを待っていられない。
網膜を焼くような閃光の中で焦燥に狂う私へ、ロンは凶暴な笑みを貼り付けたまま剣を振り下ろした。
「消し炭と化せや、身の程知らずがァ――! 宍叢共鳴・武御雷ィィッ」
――その、火力は。
もう先刻までのの比じゃない。
今なら解る、私の狐火なんてこいつにしてみれば本当に片手で払えるような火の粉でしかなかったんだ。
鋒に収束させた雷電の全てが線になって身動きままならない私へ迫る。
当たれば一刀両断では間違いなく済まないだろう。
線路に寝転んで電車に轢かれるのより数倍、いや数十倍は酷い有様になると本能で解る。
「う、あ……!」
死ぬ。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ――嫌だ、やだやだやだやだ死にたくない!
こんなところで。
こんな奴に殺されて堪るか。
まだ彼氏も出来た事ないし、クソ魔剣に背負わされた不幸の埋め合わせも来てないんだ。
それなのに――それなのに――!
こんな人でなしのクソガキなんかに私の人生、終わらされたくないよ……!
「生き延びられたら活かしてみろよ。ははははははッ!」
手から離れた玉響を口で咥える。
歯が欠けるくらい強く噛み締める。
再生は間に合わない。
この状態で何とかするしかない。
でも、どうやって。
どうすれば――。
思案の中で私の視界は白く、白く塗り潰されていき。
鼓膜まで焼き切れて光も音も消え去った世界の中、私は鏖殺の雷剣に曝され……。
(あ。これ)
理解した。
――勝てない。
◆ ◆ ◆
「ハ。流石に大人気なかったかね」
剣聖一家の龍は魔剣使いにとって恐怖の象徴である。
長男、流星群のゲッベルス。
末妹、無限剣のフィー。
そして未だ明かされぬ次男と長女。黎明と海底。
剣聖に身を置くいずれの兄妹達も純粋な武力の桁に於いては等しくロンの後塵を拝する。
それ程の強者であるにも関わらず、遥か格下の狐娘に売られた喧嘩も買わずにいられない思春期相応のパーソナリティ。
ゲッベルスもフィーも次男長女も、基本的には火の粉を飛ばさない限り目前に現れる事はない。
だがロンは違う。
この男はしばしば剣鬼の前に現れる。
そして轟雷を撒き散らしては屍を積み上げるのである。
あまつさえそんな生き方をしていながら今の今まで生涯無敗を貫いている事実。
その全てが生半な剣鬼の背筋を粟立たせる。
彼の雷鳴が剣聖一家の威光を体現している。
当然ながら――ひよっ子の魔剣狐で勝てる相手ではない。
魔剣使いにノウハウを叩き込まれた事実と生来の飲み込みの速さで既に新参の中では上澄みに入れるだけの実力を手に入れてはいるが、しかしそれだけだ。
彼女には絶対的に年季が、経験が足りない。
魔剣との共鳴は浅く、技術に乏しいのに地の力でも影すら踏めていないのだから勝てる道理がそもそも存在していない。
無謀どころの騒ぎではないのだ。
死ぬ為に目の前に立ったという事でもなければ話が通らない。
「手負いの莫迦を助けた程度で調子に乗るからこうなんだよ。解ったら来世はもう少し慎ましく生きろよ、小動物」
宍叢共鳴・武御雷。
天そのものから雷電を徴収して鋒に蓄え、その上で放射斬撃として放つロンの奥義。
言わずもがな人体はそれに耐えられない。
両断どころでなく五体が爆散する。
ロンは一切の加減を捨てて殺しに掛かった。
手足を落とし、身動きを封じて確殺の一撃で畳み掛ける。
まさしく大人げない。
それは彼の、死合を挑まれたなら如何な格下でも必ず殺す在り方に則っていたと言えよう。
剣聖の名は重い。
単に自棄っぱちで出来もしない覇を吐けた程度で名を連ねられる程軽い一家ではない。
彼女に限らず、これまでにもこうやって散っていった者は無数に居た。
長男が許し末妹が寵愛した程度では剣聖の名は背負えない。
これはそれだけで、それまでの話。
現実も知らないぽっと出の背伸びで辿り着ける境地ではないのだ。
「……?」
そう、背伸びでは辿り着けない。
剣鬼の真似事をする程度の気概では彼らの影も踏めない。
威光に肖りたい、そんな下心で挑めば待つのは無残な死のみ。
では如何にすれば彼らの血縁に名を連ねられるのか。
その難易度が絶望的なまでに吹き飛んでいる事を除いて、強いてその秘訣を挙げるならば。
「……へえ」
それはきっと――
「炎で手足を創ったのか。ちょっとは考えるじゃんかよ」
――背伸びではなく、彼らと対等の家族として並び立つ覚悟だ。
ロンの視界の先に手足のない狐娘が立っていた。
再生は未だ途上段階。
しかし癒えた分、その先を補う形で炎の手足が伸びている。
狐火を用いての義手足創造。
自由度の高さに於いてならば魔剣『玉響』の権能はロンの『宍叢』の上を行く。
「現実は知ったろ」
「……」
「オマエじゃオレには決して勝てない。これは事実だ」
「…………」
「――それでも挑むか? 雑魚女」
「当然」
魔剣狩りは篝ニナに目を輝かせた。
彼女より遥かに強い剣鬼を無数に屠って来たろうにも関わらず、この初々しくいじらしい狐娘を評価した。
顛末は話に伝え聞く限りでしか知らないロンだったが、それでも魔剣狩りの気持ちは今なら解せる。
確かにこれは面白い。
この向こう見ずで馬鹿げた不屈ぶりは――根拠もない未知を予感させる。
しかしそれもある意味では当然。
彼女はとうに剣鬼だ。
そう名乗るに足る修羅場を踏み、力を備えている。
ならばこそこれは誰が何と言おうと死合なのだ。
たとえ力に於いて遥かの格上であろうとも。
死合うと決めた剣鬼を相手取る以上は、両者の立場は対等となる。
「よく言った。その無謀に免じて、完膚なきまでに踏み躙ってやる」
挑むは魔剣狐。
受けて立つのは雷神龍。
結果の見えた死合が、剣閃の中で幕を開ける。
炎と雷が、絡み合うように轟き吠えた。
◆ ◆ ◆
痛い。
死ぬ程痛い。
それもその筈だ、ちぎれた手足から直で炎を伸ばしてるんだから傷口は焼けっぱなし。
再生しても再生して更新された断面を都度焼かれているんだから神経は発狂と言っていい勢いで悲鳴をあげている。
それでも命を繋げただけ良しとするしかない。
良かった、本当に良かった。
咄嗟に手足を伸ばす妙案を思い付いていなかったら今頃私はちょっと毛の多い挽肉炒めとして完成していた事だろう。
(でも――なんか)
けれど悪い事ばかりじゃない。
腹が立つ事に、私は今不思議な程冴えていた。
魔剣狩りの時以上の死線を肌で感じて、脳で乗り越えて。
その結果として得られた物が、痛みに埋め尽くされた自我の中で煌々と煌いているのを感じる。
(解った、気がする)
切断された部位を炎で補うなんて考えもしなかった。
それに、そもそもそんな事が出来るとも思っていなかった。
それが出来ると知った今、私の視野は自分でも驚く程に広がっていた。
どうもこのクソ魔剣は、『玉響』は私が思ってたよりもずっと自由な力を持っているらしい。
もっと自由に。
もっと柔軟に。
不可能を可能にする。
目の前に不条理があるのならそれを乗り越えられる無茶苦茶を作り出して突破する。
それが私という剣鬼に与えられた唯一の強みなのだと、私は今本能でそう理解していた。
だから――
「う、らあああああああああ!!」
先刻私の腹に穴を空けてくれたのと多分同じ雷霆の射出を玉響の刀身で弾き飛ばす。
勿論ただ弾いたわけじゃない。
再生したての腕の骨が炎の義手諸共吹き飛ぶような、後先考えない噴射をしてその上でぶちかました。
死ぬ程痛いし死にそうな気分だけど生きてる。
生きてるならもう何だっていい。
狐の直感で察知して我武者羅に肉体を使い潰しながら前に進む。
今の私にはこれが精一杯――常識で考えたら当然そうだ。
(なら、ッ)
なら、此処で常識をぶっ飛ばす!
カミカゼ紛いの突撃を敢行しながら炎の陣を創り、ロンと私を囲い込むフィールドにする。
当然こんなものでアレを捕らえられるとは思ってないけど、それでもやらないよりは絶対にマシな筈だ。
火力の追加を止めどなく玉響に促し続けて私が狙うのは、そうそもそも幽閉なんかじゃなくて。
「へえ。酸欠狙いか」
「蒸し焼きと酸欠の、Wコンボ……! これなら流石のロン様もきっついでしょ、常識的に考えてさ……!」
「まあ悪くねぇ発想だ。褒めてやるよ、とことん逆境で伸びるタイプらしい。けどよォ、ちょっと酔っ払い過ぎじゃねぇか? 肝心な事を一つ見落としてるぜ」
魔剣使いって言っても元は人間だ。
合一型はもしかしたら違うのかもと思ったりもしたけど、少なくとも私は玉響を出してる状態でもちゃんと呼吸してる。
蒸し焼きプランは正直通じると思ってない、でも酸欠の方はド本命だ。
酸素がなくなるまで陣を燃焼させ続ければ、剣の届かないこの雷神だって削り切れるかもしれない。
……なんて言うと何だか智将の妙案みたいに聞こえるけどこれに関してはロンの言う通りだ。
私も自分で解ってる――この作戦には致命的な欠陥がある。
「オマエ、今誰と戦ってんのか解ってるか?」
「ご――」
腹に叩き込まれる膝。
見えない感じない、知覚情報の全部が間に合わない。
よって反応出来ない。
手足の再生がやっと終わるかって所で内臓を粗方潰されて其処から向き合わなきゃいけないのは大上段からの唐竹割りだ。
何とか玉響で受け止めるけど、そのあまりの威力は殺し切れなくて結果足が地面にめり込む。
そうだ。
遅延戦法が通じるのは格下か良くて同格まで。
文字通り天と地程実力の離れてるこいつを前にそれを押し通す難易度は破格どころの騒ぎじゃない。
「猪口才なんだよ壱から十まで。欠伸が出るぜ、獣のじゃれ合いじゃねぇんだ」
身動きの取れない顔面を拳で砕かれる。
女の子の顔狙うか普通、どんな教育受けて育ったんだ。
直撃した私の顔がどうなったのかは私の尊厳の為に記さないとして、すぐさま反撃でこっちも殴り掛かる。
狐火を纏わせた触れれば爆ぜる剛拳だ。
こいつのに比べれば可愛いくらいの反撃だけどそれでも躱される。
膝をかち上げて顎を砕かれ宙に浮かされ、何度目何十度目かの失神の危機に晒される。
仕方がないから舌を噛み潰した。
泣く程痛いけど命には代えられない、そしてこの根性が即時功を奏した。
「死合ってのはこうやんだよ――解れろやァッ」
浮いた私を追い掛けて殺到する六つの雷槍。
私の斬撃網の数を扱き下ろしといて六つかよって話だが、如何せん一発一発の質が違い過ぎて突っ込む気力も起きない。
一撃でも受けたらそれで半身は吹き飛ぶ。
狐の危機感知がわんわん煩く警鐘を鳴らしている。
どうする、どうにかするしかない。
玉響の力をありったけ引き出して出力を爆発的に高める。
その上で振り下ろす――避けられないなら一か八かで突破を狙うしかないのだ。
「ぶ、ッ、と、べぇ――――ッ!」
自爆覚悟の狐火大爆発。
折角治したばかりの手足が早速お釈迦になるけど構っちゃいられない。
地面をごろごろ転がって土に塗れながら顔をあげて、緊急離脱の成果を確認する前にぐずぐずの足で無理矢理地を蹴る。
狐火の爆発で背中を押して加速し一気呵成に距離を詰める。
ああは言ってたけどこの酷暑空間はあいつにだって無害じゃない筈なんだ。
少しでも余裕がなくなってる事に期待して畳み掛けるしか格下の私に打てる手はない。
「最大、火力……! そんなに見下すんだったら正々堂々受けてみなさい!」
最大火力、その宣言に嘘はない。
これは宣戦布告だ。
私からこの後弟になるだろうクソガキへの宣戦布告。
玉響の刀身全体を覆うように炎が燃える。
刀から大剣に。
速度だとか取り回しだとか全部放り捨てた、最高の火力を叩き出す為だけの形態。
どうせなら私も格好良い技名とか付けて叫びたいけど、生憎アイデア出すにも時間が足りない。
今の私に出来るのは格好悪くてもみっともなくても、兎に角全力全開の一撃を叩き込んでワンチャン狙うだけ。
燃え上がれ狐火、全部寄越せ玉響。
私の出せる全部を此処に込めて、この剣鬼の鼻を明かしてやる――!
「上等」
ロンのリアクションは予想通りだった。
こいつは魔剣狩りと同じで筋金入りのジャンキーだ。
なら挑まれた勝負を下りる事はしない、ましてや格下相手じゃ尚更。
私が"勝つ"為の条件は全部達成された。
後は魅せるだけだ。
そんでもって私の"勝ち"をもぎ取るだけ。
「このオレに大口叩いたんだ。半端な剣なら叩き折るぞ畜生女ァ!」
「やってみろ、っての――ッ!」
全長にして数メートル。
其処まで延長した最高熱量の狐火剣を裂帛の気合を込めて振り下ろす。
真実この時、私は目前の敵を消し炭にする為に剣を振るっていた。
紅蓮の一閃、迸り。
雷神討伐を私の魔剣が承る。
それに対しロンが繰り出したのは私と同じ形、同じ長さの雷剣だった。
こいつの事だ、格下を狩るにも勝ち方って物に拘りたいんだろう。
舐められてる。
完璧に勝たなきゃ勝ちにならない、その程度の相手だって思われてる。
ラッキーだ。
どうぞ盛大に舐め腐っててくれ、私は勝てれば何でもいい!
「っ、あああああ、あああああああああ……!」
炎と雷。
紅蓮と蒼雷が鬩ぎ合う。
互いの熱で肌が焼ける、眼球さえ蒸発してしまいそうだ。
化物の膂力と相撲を取ってる訳だから両腕は毎秒砕けては治ってを繰り返してる。
(それでも、これで……!)
私はこれで"勝ち"を狙う!
だから踏ん張れ、精一杯。
骨身が消し飛んでも構わないから根性見せろ。
一生で一番の本気を込めた針の穴通すみたいな正面突破。
その覚悟と気合を少しは神様も汲んでくれたのか。
ロンの剣が、微かに揺らいだ。
いける――!
勝利の確信と共に歯を噛み締めて残り一押しを踏み込んでいく。
この押し引きに勝っても負けてもこれ以上の継戦は不可能だろう。
つまりこれが私にとって正真正銘最後の勝機。
それを押し込む為に炎の出力を更に上げる。
限界の果て、更にそれ以上。
血を吐きながら咆哮して、漸く見えた突破口に突っ込んでいって、そして……
「え」
私の手の中の玉響が。
紅蓮の中に沈めた大元の刀身が。
折れて明後日の方に吹き飛んでいった。
「まぁ悪くはなかったよ。やるじゃん、最後に評価を一段だけ改めてやる」
ロンが笑っている。
丸腰同然の私に微笑むその顔は、嘲笑とは少し違う色を帯びてもいた。
「けど先刻も言ったろ。オマエの戦ってる相手は誰だ?」
ロンは。
この雷神は私より遥かに格上の魔剣使いだ。
経験とかの前に基礎スペックが違い過ぎて大体の策は機能しない。
考えてみれば当たり前の事だ。
そんな相手にちょっと根性出して全力で打ち込んだくらいで押し勝てるなんて、幾ら何でも考えが甘すぎる。
「これが剣聖とオマエの間にある実力の差だ。見る夢は選ぶべきだったな」
こいつは魔剣狩りとは違う。
単に剣筋が鋭くて速いだけじゃなくて、其処に冗談みたいな重さが付いて来る。
下克上なんて万に一つも起こらせてくれない万能の剣鬼。
勝てる道理なんて万に一つもなかったのだと思い知り。
私は、自分がかつて抱いた諦念が正しかった事を理解した。
――勝てない。
私じゃこいつには勝てない。
たかだか限界を二、三超えた程度じゃこいつの首はどうやったって取れない。
「掻っ消えろ、三下」
私の心も魔剣もへし折った雷剣が振り下ろされる。
それは私の、篝ニナの敗北を残酷に物語っていて。
だからこそ予定調和のように敗れ去った私に出来る事は一つだけだった。
(嗚呼、くそ……)
本当に、予想通りだ。
情けないし何より理不尽過ぎて腹が立つ。
そんな気持ちを今は剣じゃなく己の手に込めて。
私は右足を、前へと鋭く踏み出した。
玉響が折れてくれたのは結果的に良かったと言える。
ちょっと胸もすいたし、剣を失った事でこいつは少なからず油断してる。
だから最後の最後により格好の付く大振りで消し飛ばそうとして来てるんだ。
其処には隙があった。
更に言うならこいつも、まさか全部凌駕して踏み躙った筈の私がまだ前に出て来るなんて思いもしなかっただろう。
でもお生憎様、私は往生際が良くて散り際に美学を見せられるお利口さんな剣鬼じゃない。
なりたてで不格好でおまけに死ぬ程みっともない、そういうルーキーフォックスなんだよ。
実力で勝てなくても。
もう死ぬ以外になくても。
最後に一泡吹かせる為だけに一意専心、全力を投じて何が悪い。
それが私みたいな雑魚剣鬼の0.1%の勝ち筋になるのなら――私は其処に全部賭けるぞ、剣聖。
ぱしん。私の平手が、ロンの頬をはたき飛ばした。
「は?」
本当は思いっきりぶっ飛ばしてやるつもりだったんだけど、流石に其処まで力は残ってなかったらしい。
それもそうだよな、玉響本体も折られちゃったし。
狐耳と尻尾が消えてない辺り魔剣使いじゃなくなった訳じゃないんだろうが、それでも身剣の合一に多少なり影響は出てるんだろう。
だから今はこれが私の、ニナの精一杯。
それでもぶっちゃけ割と満足だ。
寧ろ下手に全力でぶん殴るよりも……こういう奴にはこっちの方がダメージになったんじゃないかなとそう思ってる。
「ざまあみろ、っての。ばーかめ……」
ぺしゃりと地面に顔から落ちる。
嗚呼もう今度こそ指一本も動かせないや。
やりたい事は出来たけどやっぱりこんな事しなきゃ良かったなぁって後悔もある。
でもまあとりあえず、ムカつく剣聖の吠え面はちゃんと見れたのでこれはこれで良し、かな。
じゃあ後は運を天に任せて。
――魔剣狐は寝ます。
おやすみなさい……。
◆ ◆ ◆
「……意味解らん。さっさと死ねや」
気絶した魔剣狐にロンは雷剣を瞬かせる。
その顔に浮かんでいるのは困惑だった。
こいつは何がしたかったのか。
頭に虫でも湧いているのか。
解らないからとりあえず消し飛ばしてその存在を消し去る事にしよう。
そう決めていざ哀れな狐を葬り去らんとする末弟だったが――
その刀身が漆黒の剣によって阻まれる。
黒髪の小さな少女が雷神と狐の間に割って入っていた。
「どけ」
「どかない。もう勝負ついたでしょ」
「手出し無用って言ったろうがよ。いつから不殺主義に成り下がりやがったテメェ」
剣聖一家の末妹。
ニナをこの家に引き合わせた張本人、無限剣のフィーである。
その体躯は少年であるロンより更に二段は小さいが、然し彼女はその細腕で兄の剛剣を確りと受け止めている。
「勝ったのはオレだ。なら敗者をどうするかもオレが決める。何かおかしい事言ってるか?」
「うん、おかしいね。だって」
ニナの全力を真っ向打ち砕ける威力も、剣聖の末妹にとっては地力で凌げる範疇に過ぎない。
つまりそのレベルは全霊でも何でもなく"当たり前"でなければ聖の字を冠するには不足という訳だ。
その点で言えばニナが剣聖の看板を背負うのはあまりにも時期尚早。
実力も足りなければ経験も追い付いていない、端的に言って器ではない。
富裕層の通い詰める店にドレスコードが存在するように。
場所にそぐうだけの器のない不逞の輩を寛容に受け入れる事は時に権威の失墜へ繋がる。
長い戦いではあったが、一家の在り方と今後を思うならば正しい事を言っているのは寧ろロンの方である。
篝ニナはどう考えても剣聖一家に相応しい剣鬼ではないのだ。
そして決着もこの通り、誰の予測も出はしなかった。
ロンを叩き伏せる事は叶わず敗者として地面に転がる――完敗と言っていい結末。
だが。
「ロン兄ちゃんの負けでしょ? じゃあ兄ちゃんをどうするか決めるのはお姉さんの方じゃん」
「?」
妹の口から出たそんな言葉に、ロンは「こてん」と首を傾げた。
今何かとんでもない事を言われた気がするが、はて上手く頭に入って来なかった。
一応国語の成績は良かった筈だが、馬鹿の言葉を解するには定期テストとは別の読解力が必要になってくる。
手の掛かる妹を持つと本当に大変だ。
だから家族なんて重たいだけなんだよなぁとしみじみ思いながら今一度言われた言葉を反芻して……
「ん?」
「どしたの?」
「いや悪い、今オマエなんつった? もっかい言ってくれや」
「だから、ロン兄ちゃんの負け」
「え?」
「だから」
「おう」
「ロン兄ちゃんの」
「うん」
「負け」
「…………」
反芻終了。
再確認も完了。
成程成程オレは負けたのか。
オレはてっきり相手をズタボロボンボンに叩き潰して勝ったつもりだったけど、実は負けてたのか。
そっかそっか、成程……。
……、……。
「はあああああああああああああああああ!!!? オレの負け!? 何で!? オマエ何見てたんだよ地面にお絵かきでもしてたンかボケッ!?」
「いやぁ。だって、ねぇ。ゲー兄ちゃんはどう思う?」
「うん、まあな。バッチリしてやられてたしなぁ最後」
「あ――んなの只のイタチの最後っ屁だろうが! どう見ても! ど、う、見、て、も! オレの完全勝利だったろうがよォーッ!!」
――これには皆殺しの龍も驚いた。
目玉が飛び出そうな程に驚いたし口角泡も飛びに飛んだ。
然しフィーは愚か聡明なる長兄ゲッベルスさえ腕を組んでうんうん頷いている。
理解不能な光景である。
ロンは本気で、自分が狐女の魔剣が見せた幻覚の世界にでも迷い込んだかと思った。
「まあ落ち着けやロン。確かに死合として見りゃオマエの勝ちだったよ。うん、それは揺るがないわな」
「だったら……!」
「けどなぁ。じゃあオマエ、今心の底からスカッとしとるか?」
「……!」
言われてロンは唇を噛む。
それは正直な所、図星だった。
自分は全てに於いて篝ニナを上回っていたと断言出来る。
出来るが、最後にニナが自分へ入れたあの一撃。
あれがロンの心に微かなしこりを残していた。
狐火を押し固めての爆破だとか、火炎放射だとか。
そういう在り来りな最後っ屁だったなら寧ろ物笑いの種にさえしただろう。
「しとらんやろ。まぁビンタやもんな、俺がオマエでも格好付かんし微妙な気持ちになる」
だが実際の所は何だ。
平手打ち。
要するにビンタである。
剣鬼同士の血湧き肉躍る死合では決して出る筈のない、攻撃にも満たない一撃。
そうまるで、親きょうだいが聞き分けのない子供にするようなありふれた懲罰。
そんなもので死合を締め括られてしまったら、結果がどうあれ爽快感など生まれるべくもない。
少なくともロンはそうではなかった。
彼は勝利の形に固執しない。
弱者を蹂躙して一方的に勝利を収めた所で勝ちは勝ちなのだから何も恥じる事などないと、そう言って嗤える類の人間だ。
されども彼は生涯無敗。
それを地で行く武の化身。
勝ちの形には拘らねども、負けの気配には人一倍敏感である。
「死合に勝ったのは間違いなくオマエや、異論ないよ。けど"勝負"って意味なら……はてさてって所やな」
「なんッ……だよそれ……!」
地団駄を踏んであらん限りの不満を滾らせるロン。
今此処で魔剣を解放し、すっかり気絶して伸びている狐娘を消し飛ばしてやりたい衝動にさえ駆られる。
フィーやゲッベルスの邪魔立てが入る可能性等彼には関係ない。
邪魔が入った所でそれ諸共蹴散らしてしまえばいいのだから、それは刃を止める理由にはならない。
にも関わらずロンが不満を表すだけで止まっているのは、即ち彼自身がゲッベルスの言葉に無視の出来ない説得力を見てしまっているからに他ならなかった。
剣鬼とは武技のみでなく矜持の生き物。
それは武士侍が幅を利かせた時代から現代に至るまで不変の道理である。
「ていうか何あれ。宍叢共鳴・武御雷ーッ……て、兄ちゃんまた必殺技増やしたの?」
「あ? あればある程いいだろうがよ」
「前は雷切一閃って名前じゃなかった?」
「馬鹿が節穴かテメェ。武御雷は雷切一閃より初動がちょっとだけ速ぇんだよボケ。その代わり斬り込みの深さが若干甘ぇんだ」
「ふーん。その内剣を抜くだけでも必殺技になりそうだね。んふっ」
「あぁん? やんのか?」
「はぁん? いいけど?」
「よせよせ、やめときや二人共。流石にこれ以上暴れたら廃刀が飛んで来るで。
毎度ながらオマエらが壊した屋敷直すのは俺の仕事なんやから、いい加減兄妹喧嘩もちっとは自重して欲しいんやけどなぁ」
性懲りもなく一触即発に陥る末弟妹を律したのは豚頭の長兄だった。
暴れ馬の末弟もわがまま放題の末妹も比較的彼には従順である。
それは剣聖一家という、本来共存し得ない力と才能を束ねた流血の繋がりが彼の維持能力にこの上なく依存している背景を意味しているのだったが……今此処ではその話は置くとして。
「兎に角や。今回は特段の事情もある上、俺とフィーは"資格有り"と見做した。
まぁ実際にオマエの負け言うつもりはないが、それを踏まえてオマエの意見を聞いとこか」
「……なぁマジで言ってんのか? 余所ん家のガキの扱いにブチ切れて、あまつさえそれを戦う理由にしちまうような人間にマジで剣聖の看板背負わせる気なのかよ。馬鹿フィーは兎も角、アンタまでどうかしちまったんじゃねぇのか」
「寧ろ俺は其処がいいと思っとるよ。初戦で魔剣狩りと渡り合って次戦で剣聖と斬り結び、それでもまだどうにか命だけは繋いどる。これだけ恵まれたスタートダッシュを切った剣鬼を俺は他に知らん。
ならまぁ、長い目で見るの前提に抱えとくのも有りやろ。どの道ウチはこの子に借りがある。ボディーガード紛いの真似するよりかは手元に置いて強なって貰った方が俺としても楽なんよね」
「チッ。残り二人がどう言っても知らねぇぞ。オレは絶ッ対ェケツ拭かねぇからな」
「女の子に対する表現でケツ拭くはアカンやろオマエ……デリカシーとかないんか……」
「知るかボケ女だって糞はすんだろカス。大体その図体でデリカシー語んなやナチデブ」
うわぁ……と口元に手を当てて引く第三帝国復興論者に背を向けて、肩を揺らして歩き出すロン。
噴火寸前の火山、いや落雷寸前の黒雲と呼ぶべきか。
そんな触れれば爆ぜそうな勢いで不機嫌を滲ませ立ち去る彼の姿は最早不貞腐れて部屋に戻る歳相応の少年と大差なかった。
「兄ちゃん何処行くの。もうすぐごはんの時間なのに」
「話し掛けんなアホ」
「そうやぞロン。今日は家族が増える記念に焼肉でも食い行こうと思っとるのに何処行くんや」
「寝んだよ!! 新幹線酔いでゲロ吐きそうなんだッつのこっちは!! 誰の為に急いで帰って来たと思ってんだ死ね糞共!!」
魔剣狩り。
剣聖一家最強の『武』。
二度、二夜に渡る連日の艱難辛苦をどういう訳か乗り越える事に成功した魔剣狐。
その偉業が持つ価値が如何程の物か、目を回して気をやっている彼女が知るのは大分後の事である。
長男ゲッベルス。末妹フィー。(一応)末弟ロン。
過半数の認定を得て篝ニナもとい只の『ニナ』、剣聖一家への仮入居に成功す。
残る剣聖は二名。
黎明の洞。海底の魔女。
魔剣狐の試練はまだまだ続く。
がんばって欲しいものである。
「あーーッ! 面白くねぇーーッ!!」
応援ありがとうございます!
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ニナちゃんの等身大な語り口と、それに相反する重みのある描写や厚みを感じて尖っているキャラクター達が面白かったです