恋はしていませんが ~お飾り妻と片思い夫が夫婦になるまで~

みど里

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04 艶々した妻 平伏す夫

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 翌日、当然騒ぎになった。主に夫ユーリスの周辺が。

「すま、ない……すまない! 申し訳ない!」
「まあ。おはようございます。よっぽどお疲れだったのですね。ユーリス殿」
 昼食を終え当主夫妻に呼ばれたアンジェは、それなりの身支度をして本宅へ向かった。その先で平伏す夫がいたのだ。
 その背後には仁王立ちする当主と、呆れたような夫人。塵を見るような目線を兄に向ける嫡男。
 彼らロンド家の中核は、侍女から知らされ、ユーリスから事情を聞いた。一部始終だ。

「アンジェ、貴女、艶々してるわね……」
 ラミリス夫人の呆れた目は義娘のアンジェにも向けられている。しかし愚息とは違う、笑みを含んだ訳知り顔のそれだった。
「ふふ。夫のお酒の過ちを妻は許すものですわ。ねえ、ユーリス殿。覚えていらっしゃいますか?」

 アンジェは、女になっていた。元々の無垢な美貌はそのままに、内から色香が漏れ、悩ましい表情をするようになった。

 ユーリスは生唾を飲み込み、魅惑の妻を目に入れないようにして更に頭を下げる。見えない力に引っ張られるかのように、顔を上げて目が行きそうになるのを堪えつつ。
「す、すまな……申し訳ない……その、夢、だと思って……君じゃ」
 アンジェは、思惑ががっちりはまった事に内心ほくそ笑んだ。
「まあ、まあ! 仕方ありませんわ。ただの一度の過ち……お義父様、お義母様、義弟殿、彼をお許しになって下さいませ」
 一番の被害者にそう言われれば、そうするしかない。

 既にユーリスを見限っている当主も嫡男も、見下ろしていた冷たい目を労わりに変え、アンジェに向けた。
「本当に申し訳ない。結婚後早々やらかすとは」
「いつかはこうなると思ってましたよ。だから反対したのに」
 嫡男のイーリスなどは割と近い予想をしていた。不毛な片思いを続けるくせに、美しい妻にはフラフラするのだろうと。
 子に関して契約に含めておいたのは保険ではない。

 しかし彼の予想以上に兄は愚かだった。
「愛する妻を持つ同じ男として信じられない……想う相手に見立てて妻を抱く、など……虫唾が走る」
 ユーリスはただただ平伏したまま微動だにしない。いや、僅かに震えて蒼白になっている。

 アンジェは、少しばかり哀れに思ってしまった。
 だって、本人は全く傷付いていないのだ。微塵も。むしろ。
「当事者であるわたくしが苦言を呈しておきます。ですので、少しばかりお借りしてもよろしいですか?」
 アンジェはユーリスを立たせて、引きずるようにして退室しようとした。
 後は義母に任せておけばいいだろう。

「深酒は人間の本性を露呈させる。ユーリス。お前のその傲慢をいい加減自覚しろ。何故、お前は夜中、泥酔状態でわざわざ自分の部屋がない別宅へ行ったのだ? よく考える事だ」
 最後に呈された苦言を、虚脱感に陥ったユーリスは背中に受けた。
 アンジェは、なるほど、と目から鱗だった。



 真っ白に震える夫を何とか引っ張り、別宅の一室に押し込んで座らせた。
 ロンド家の侍女がお茶を出し、冷たい目でユーリスを見て退室していく。
 アンジェの寝室の隣に部屋を構え待機している侍女だ。当然、一部始終見聞きした。この侍女は、婚姻の際の契約も知っている。アンジェが口止めする前に、ユーリスの契約違反やらかしを当主夫妻に報告してしまったのだ。
「ユーリス殿。自らの行いを反省はしてください。普通のご令嬢ならば自傷案件ですわ。けれど、わたくしへの懺悔も憐みもいりません」
 一晩で女となった妻は、艶やかに笑う。

 最後の当主の戒告でようやくユーリスは気付いた。
 確かに記憶はなく夢だと思っていた。そこに妻の姿は一切なかった。だというのに、片思いの相手を想いながら戸籍上の妻の許に居たのだ。
「そこに行けばいい」という、頭の片隅にあった無自覚な傲慢が足を動かして。

「お、俺は……」
「辛いですか? 傷付いていますよね? 自分の中にそんなものを飼っているなんて、誰も思いたくないですもの」
 懺悔はいらないと言ったアンジェは、いつものように笑っている。驚く程、いつもの通りに。
「怒って……傷付いて、いないのか?」
「まあ、それを本人に聞くのですか?」
 くすくすと笑う妻は機嫌がいいように見えた。

「ねえ、ユーリス殿。提案があるのですがいいですよね?」
 酔って無体を働いた夫の了承などいらない。一体何を言われるのか戦々恐々としつつ、ユーリスは当然の事として頷いた。
「わたくし、初めてでしたの」
「そっ……すまない、本当に、いくら謝っても許され」
「そういうのはいいのです」
 びしゃりと謝罪を遮断して、アンジェは笑みを深めた。何かを思い出すように恍惚に頬を染めて。

 あまりにも目に毒で、ユーリスは少し視線を外す。すると今度はふくらみに目が行く。そして、と悪循環にはまり、一人で悶々としていた。
 アンジェはそんな夫を全く気にも留めない。
「そう。初めて……あんなにもいものだとは知らなかったのですわ。ユーリス殿、わたくし、癖になりそうですの」
「くせ……」
 夫との性交の話だ。
 ユーリスは、意思に反して体が熱くなってしまう。
「ですが契約にもある通り、わたくし、異性とのそういう交わりは好みません。恋を捧げられるのも捧げるのも御免です。けれど、あの快感だけは……忘れられないのです」
「つ、まり……」

「昨夜の出来事……今後、何度か再現いたしませんか?」
 それは魅惑的な悪魔の囁きだった。

 さすがに頻繁にユーリスを酒漬けにする程、アンジェは非道ではない。
 互いに望んだ時、嗜んでもらおうと考えた。
「度数の高いお酒を用意します。わたくしが求めた時、もしくはあなたが恋する方を想ってどうしようもない時、飲んでくださいな。昨夜のように」
「君が、相手を、するという……」
 アンジェは嬉しそうに頷いた。
「しかし、そんな……外道な……」
 アンジェが眉を上げたのを、ユーリスは目を逸らし逃げた。昨夜その外道を歩んだ本人が。
「これも契約に含みましょう。もちろん、わたくしたちだけの秘密の」
「ひみつの……」
 ぐらついている。
 アンジェは、もうひと押しだと目を細めた。
「ギブアンドテイクですわ」
「ギブ……?」
「失礼。持ちつ持たれつ……いわば相互協力。如何でしょう。あなたにとっても悪い話ではないのでは? 周りにはきちんとしている、と見せられますよ?」
 ユーリスは気まずそうに俯いた。自らの世間の評判を気にしているのだ。

「ふふ、それに、子供が出来れば、より信憑性も増しますわ」
「こども……」
 ユーリスは、はっとしてアンジェの腹を見た。すぐに慌てて逸らしたが。
「それとも、そういう前提が頭にあると無理でしょうか? 操を立てているのでしょうか」
 アンジェは計画を練り直す必要性を描いた。男性は気が無くとも反応する、と聞いたことがあるが、ユーリスはその限りではないかもしれないのだ。
「泥酔状態で相手がわたくしであると認識できなければ問題ないでしょうか?」
「え、あの、いや……」
 ユーリスは、徐々に話に置いていかれそうになる。
「まあでも、知った事ではありません。そうですわよね?」
 アンジェは首を傾げて、この提案は半ば強制だと印象付けた。
「だって、わたくしにそれを教えたのは、あなたの傲慢と浅慮な行動のせいですもの。責任を取るべきですわ」

「はい……」
 ユーリスは、頷かされた。
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