恋はしていませんが ~お飾り妻と片思い夫が夫婦になるまで~

みど里

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07 母になった妻 父になった夫

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 子が出来たと知り段々とその身に実感を伴ってきた頃、アンジェの中に生まれたのは「いとおしさ」だった。

 確かに打算で子を望んだ。子がいれば、アンジェにとって沢山の煩わしい物事から逃げられると気付いたから。
 だが、そんな思惑は吹っ飛んだ。
「ふふ、早くいらっしゃい、わたくしの可愛い子」
 膨らんだ腹を撫で、愛しさが募る。

 自分の心境の変化に驚きつつ、更に夫ユーリスも変わった。
 いつの頃からか不要な外出を控えるようになったのだ。特にアンジェの妊娠が判明すると、泣き喚き、何度も礼を言い、ひたすら縋りつこうとした。
 アンジェは引いた。
 うっとおしいと引き離せば、迷子の子犬のような顔をして、膝を抱えて蹲る始末。

 体の関係ありきでの情だと思っていた。
(やっぱり、何だかおかしいわ)
 妊娠前から何となく感じつつ、確信を得たのは、妊娠7ヶ月あたり。
 体を重ねる時間は当然ない。アンジェが嫌なので共寝すらもない夫婦関係。
 だと言うのに、ユーリスはまるで愛する妻に接するように、気遣い、心配し、「かまって」と言わんばかりな目で見てくる。
 外で発散してきているのかと思えば、そんな気配は全くない。

 さすがのアンジェも気付いてくる。
 夫から妻への情の形を。
 肉欲の情だけではなかったと。

(困ったわ)
 アンジェとてここまでくれば、ユーリスに対し家族としての情くらい芽生える。
 切り捨てるのが前提のただの契約相手、そこから別宅に移り住んできた同居人となり、望んだ子の父親になったのだから。
 だがアンジェが困惑しているのは、それでも男女の情にはならない、と気付いてしまった事。
 ユーリスを好ましく思い始めても、好みの体つきでベッドの上では散々啼かされていても、決して芽生えない、色恋の情。



 妊娠が判明する前、アンジェは観念して素面しらふのユーリスと向き合ってみた。
 結論から言うと、駄目だった。

 自分を見ていないユーリスに触れられると上がる熱が、全く平常。
 性感帯を刺激されても、昂ることのない身体。むしろどこか冷めていく頭と心。
 アンジェの偏食、偏屈、潔癖とも言える性癖は、生まれもっての性質だった。どうにもならない生理的な問題だったらしい。
 落ち込むユーリスに、申し訳ない、と感じる心はあるのに、どうしても身体は正直だった。
 ユーリスもユーリスで、アンジェが眉を下げそう思うのを、申し訳ないと思っているようだった。

 結局、ユーリスは泥酔したフリをして、アンジェを抱く。
 アンジェはそれに騙され、応える。
 普通なら、他の女を想い抱かれるなど嫌がるが、アンジェは全く心を痛めなかった。やはり自分はどこかおかしいのだと再度気付かされただけ。
 肉親やペット、子供を愛する心はあれど、異性に恋をする情はない。



(本当、困ったわ)
 膨らんだ腹を撫でながら、アンジェはひたすら困っている。
 いつの間に募り、積もったのか。夫からの分かりやすく向けられた愛情を返したいが、どうにも同じ程には返せない。情欲だけならば体を開くだけでよかった。
 だが最後に抱かれた夜を思い起こせば、他の女の名を呼ぶユーリスの方が辛そうな顔をしていた。
 本当に泥酔すれば正直にアンジェを求めてしまう。

 あれ程煩わしいと忌避していた色恋を向けられているというのに、気にならないどころか、返せない事を気に病むようになった。
 夫に向けるそれは、異性へ向ける愛情だ、と魂が言う。

(そう……なのかしら。確かに彼に触れられてももう嫌悪はないけれど)
 いつだかの情事の際、酔っていなかった夫に名を呼ばれた時は嫌悪感が勝ったが、今はただ何も感じないだけ。心が昂る事が無いだけで鳥肌すら立たない。

 そんな行き詰った二人の元に授かった、贈り物。
 子供は、女児ならユージェニーと名付けようと事前に決めていた。
 産まれたのは女児。
 出産直後の咽び泣くユーリスの様子や、その後の言動に皆が驚愕した。

「アンジェ、君は寝てていい。俺が見るから」
 夜泣きするユージェニーをあやす、眠そうな、しかしどこか嬉しそうな顔。

 取り寄せた育児書を熱心に読み込んでいたり。
「これが抱っこ紐……? どう使う、だめだ、長さが足りないぞ」
 アンジェが作った抱っこ紐を自らの体に巻き付ける。
「これはわたくしが使うのです」
 すると育児書を取り出し、ページを広げる。
「乳児は細い女性よりも安定感のある男に抱っこされるほうが安心すると書いてある!」
「母親の安心感は別だと書いて……あら、これは微妙にずれた記載が多いとラミリス様に言われていた育児書ですわ。折角ですが破棄しましょう」
「なに、そうなのか」
「抱っこの際の安定感は犬猫……ペットの話だと聞いたことがありますわ。そもそも乳児は落とされる危険性を認識していないのですから」
「でも父親が抱っこしてはいけない決まりはないだろう」
 熱心に育児について議論し合ったり。

 積極的に育児に手を出し口を出し、体を張るのを、アンジェは意外な気持ちで見ていた。
(男性は父親の自覚の芽生えが遅いと聞いたけれど)
 自らの胎で育て腹を痛めて産み落とす女性と違い、男性は目に見えて実感が湧きづらい。育児書にもそう書かれてあった。
 だが、ユーリスは妻の妊娠が分かり準備をしていく中で、既に父親になっていたのだ。
 アンジェが作った育児練習用の人形を使い、こっそり抱き方の練習をしていたのも知っている。

 アンジェも家族も、彼をよく知る周りも、どういう心境の変化だと驚いた。あれほど注意され警告されても、20を超えるまで片思いを拗らせ「相談役」を降りなかったユーリスが。
 保身のための行動だと見る者もいたが、何てことはない。
 ユーリスは新たにアンジェに恋をした。
 そして深く愛しただけだ。愛されたいと願っただけだった。

 その愛を一身に浴び感じざるを得ないアンジェの気が引けているのを、ユーリスは知っていた。
「この子を……ユージェニーを産んで俺を父親と認めてくれただけで、それはもう俺にとっては君からの愛情だ……」
 そんな事を言った。

(普通に良い夫、良い父親なのよね。以前の放蕩が信じられないくらい)
 現在、アンジェの手掛けた事業を引き継いで責任者にもなった。
 後、二人の関係の発端であるユーリスの過ち、無自覚の傲慢も消え去ったように影を潜めている。
 ユーリスは、変わった。

 そうなってくると、アンジェも考えなければならない。
(別宅とはいえ……このままロンド家に居る訳にはいかなくなる。戸籍はそのままにでお引越し、かしら)
 ユーリスと相談し、義母ラミリスに打ち明け、準備を始めた。
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