恋はしていませんが ~お飾り妻と片思い夫が夫婦になるまで~

みど里

文字の大きさ
8 / 10

08 気にしない妻 気にしてほしい夫

 アンジェとユーリスは、近くの公園でゆったり歩いていたところを、ある集団に捕まった。

「ユーリ……久しぶり。ねえ、どうして最近来てくれないの?」
 切なげに、儚げに、たおやかに。中心の令嬢が小首を傾げてユーリスを見上げる。
「これは、マリリア。お久しぶりです。最近は充実して忙しくて」
「あぅ、あー」

 マリリアは尚も泣きそうな顔を作り、目を潤ませる。
「ねえ、ユーリ。あなたやっぱり奥様に縛られて……無理矢理結婚を……可哀相……」
「ああ、これですか? 中々いいですよ。画期的な発明です」
「あー、だーだ」
 ユーリスは隣で微笑むアンジェを見て、自身の身体を見下ろす。
 マリリアは距離を詰めようとするががあり密着できない。

「信じられない……男がそのような事を……」
「情けない……」
 未だいい歳をしてマリリアの信奉者として付き従っている「逆ハー要因」たちが、ユーリスを詰っている。アンジェには面と向かって批判できないため矛先は全てユーリスへ向かう。
 そんなユーリスは聞こえないフリをして少し体を揺すった。
「あぅー、あーあぅ」

「まあ、今、かあさま、と言ったわ!」
 アンジェが、抱っこ紐にくくられユーリスに抱えられている娘を覗き込んだ。
「い、いや、とうさまと言った!」
 ユーリスも負けじと娘を窺う。
「あーあー」
 きゃっきゃっ、と無邪気に笑う愛らしい女児は、ふくふくした両手をフラフラさせて喜んでいる。

 二人は娘を連れ、散歩のために再度歩き出す。
「そうですわ。本当に、もう遊びませんの?」
「は……? あそぶ?」
 アンジェがちらりと肩越しに集団を振り返る。
 ユーリスは愕然としている。
「この子が物心つけば教育に悪いので流石に自重していただきたいですけれど」
「い、いや! ありえない!」
 ぶんぶんと首を振って否定する振動を受けて、娘がまた楽しそうに笑う。
 ユーリスはひっそり落ち込んだ。

「ユーリ……!」
 三人の後ろから、か弱いようで張り上げた声が響いた。


 別宅に戻り、ユージェニーを寝かしつけ、ユーリスは目に見えて落ち込んだ。
 初恋だったの令嬢の本性に今更ながら気付いたのと、妻がマリリアの存在を全く気にしていない事に。
「ユーリス。仕方がないと思いますわ。恋というのは盲目になるものだと沢山の小説にありましたもの。それが初恋であるなら猶更」
 妻の慰めは微妙に的を外している。
 ユーリスはその事よりも、妻にもっと気にしてほしかった。遊ばないのか、と今更思われている事が衝撃だった。

「いや……それはもうどうでもいいんだ……」
 力なく首を振るが、アンジェは反論した。
「どうでもいいかしら? 本当? 彼女、あなたを諦めていないみたいだったけれど」
「諦めて……いや、彼女は別に俺を好いていた訳じゃないだろう」
「それでも、相談女というのはそういう思考でしょう?」
「相談女?」
 まるで初めて聞いた、と言わんばかりな名称に、ユーリスは言葉の意味からその真意を推し計ろうとしている。
「ええ。思わせぶりに男性を見つめて、決して自分から明確に誘う事はしない。相談に乗ってほしいの、と言ってか弱く見つめる……」
 ユーリスは顔を青くして、口を引き結んだ。
「わたくしも誰かにやってみようかしら?」
(気持ちが悪いからやらないけれど)
 するとユーリスは慌てて止めた。
「だ、駄目だろう! それは浮気じゃないか!」
「ええ、そうですよ?」
 きょとん、と首を傾げたアンジェを見て、ユーリスは更に青白くなった。
「あ……」
「ようやくご自分を俯瞰で見られるようになって良かったですわ」
「あ、彼女が、離縁された、のは……」

 元王太子妃の離縁の理由は公にはされていない。だが知っている者は当然熟知している。彼女の「相談役」たちが原因だと。
 王太子妃ともあろう女性が、複数の男性と懇意にしている。その胎に宿るかもしれない種を疑うな、というのは無理がある。
 王太子が妃と距離を置き、確実に子を孕んでいない確証を経て、ようやく離縁が成った。と、そういう経緯がある。

 驚く事に、ユーリスは今の今までそれを思い付きもしなかった。
 自らが潔白であるから、疑いもしなかった。
 以前、「離縁の原因は何だったのだろうな」と疑問を呟いた事で、アンジェも母ラミリスも周りの使用人たちも呆れ、多少上がった好感度はまたひっそりと下がる、という事態にまで陥った。

 ユーリスの根本に、マリリアという女性は無垢で神秘性を湛えた淑女。という絶対的な概念があった。それは恋を失っても、消える事のない鉄壁の領域として存在している。

 それが、今日、初めて覆った。領域が崩れた。
 赤ん坊を抱えアンジェが隣にいるのに、目の前でその家族を扱き下ろすような発言を平然とした事で。
 ユーリスがアンジェを疎ましく思い、未だマリリアを好いていると絶対の自信を持った言葉だと、分かってしまって。

 ユーリスは床に埋まるのではないかというくらい項垂れている。
(随分根深い洗脳だったのね。さあ、これからどうなるかしら)
 アンジェはユーリスと情を交わしても、結局それは恋愛感情ではない。嫉妬という感情すら湧いてこない。
 だが鬱陶しいという気持ちがあるのは、娘がいるからだ。
(後顧の憂いだけは排除したいけれど……この子が大きくなった時、父親の色恋のあれこれは知りたくもないでしょうし)
 それでもアンジェは未来を描いた時、ユーリスを父親として引き留めねばという決断に行きついてしまう。

 だが、ロンド家の総意は違った。
「これから、また我が家を……イーリスたちを煩わせる可能性を考慮する。ユーリス。あの女がまた近づいてくる事があれば、今度こそお前ごと切り捨てるぞ」
 当主の冷酷な決断だ。
 嫡男のイーリスの妻は現在第2子を妊娠中だ。そんな中、兄にまたも異性問題が勃発するかもしれない。引っ越しをすればいいという問題ではなくなった。
 ユーリスが今は妻一人を愛しているという事実があっても、問題の方からやってきてはどうしようもない。

「……分かったか。お前が今までやってきたツケが、あの女だ」
「異性問題の後始末はきちんとしないとこうなるっていう悪い見本ね」
「……義姉上に免じて静観していましたが、こちらに飛び火するようなら絶対に許しません」
 家族会議でユーリスは針のむしろだった。唯一、アンジェだけは険を向ける事なくじっと黙っていた。
 そして、ひとつ、頷く。
「あなただけを切り捨てるのは容易ですが……」
 ユーリスは、目線を落とした。
「ユーリス。それでも、あの子にはあなたが必要ですわ。しっかりなさいませ、

 ユーリスは項垂れたまま、滂沱の涙を流した。

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

番ではないと言われた王妃の行く末

にのまえ
恋愛
 獣人の国エスラエルの王妃スノーは、人間でありながら“番”として選ばれ、オオカミ族の王ローレンスと結婚した。しかし三年間、彼に番と認められることも愛されることもなく、白い結婚のまま冷遇され続ける。  それでも王妃として国に尽くしてきたスノーだったが、ある日、ローレンスが別の令嬢レイアーを懐妊させ、側妃として迎えると知る。ついに心が折れたスノーは離縁を決意し、国を去ろうとする。  しかしその道中、レイアー嬢の実家の襲撃に遭い、スノーは命を落とす寸前、自身の命と引き換えに広域回復魔法で多くの命を救う。  これでスノーの、人生は終わりのはずだった。  だが次に目を覚ますと、スノーは三年前の結婚式当日に戻っていた。何度死んでも、何度拒絶しても、結婚式の誓いの瞬間へと戻される。  番から逃れようと、スノーは何度も死を選ぶが――。