やり直し令嬢は箱の外へ、気弱な一歩が織りなす無限の可能性~夜明けと共に動き出す時計~

悠月

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65 令嬢は裏市場へ行く⑤

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 震える私の手に、突然、隣から暖かい手がそっときつく握りしめた拳を包み込むように重ねられた。
 それは――ライラの手だった。

 顔を上げると、ライラは私を見ず、無表情な顔にわずかに陰を落としながら、じっと台の上を見つめている。

「23万ドラ」
「26万」
「26万ドラ、一度!ほかにご入札は――」
「30万」
「……」

 私が葛藤している間にも、入札者たちは次々と番号札を掲げ、競りは着々と進んでいく。
 この異常な空気に呑まれ、台の上で泣き始める子供をよそに、付加価値がついている分、“商品”の価格は開始時の三倍にも跳ね上がっていた。 

(人身販売は、16年前に現国王が即位した際に禁止されたはずだ)

 この場で立ち上がって参加者に抗議する勇気がないまま、私は臆病にもグレムへ八つ当たりをした。

(いやいや、それを俺に言われましてもな。それに、ここは人身売買とかそういうヤバいもんじゃなくてさ、一応“職業紹介”ってことになってるからな)

 グレムは何食わぬ顔で、淡々と私の怒りを受け流した。

(そんな苦しい言い訳がまかり通ると思っているのか!)
(だからさ~、俺に怒鳴ったってなんの意味もねぇだろ?お坊ちゃんも分かっているのじゃねぇのか?目の前のこれが、なによりの証拠ってことをよ)
  
 ――分かっているわよ。

 グレムに怒るのは筋違いだ。
 彼はただ、私をこの現実へ引きずり込んだだけの傍観者に過ぎない。

 私は手元の番号札を見つめる。

 今、この場であの子を買ったらどうなる?それで本当に救えたことになるのか?
 他の子も同じように買うのか?18歳に貴族でなくなる私に、彼らの未来を背負う責任が持てるのか?

 ――本当、自己満足で、わがままをばかりする。

 だが、それでも、傍観者として高を括り、見て見ぬふりをすることは、この場の加害者と変わらない。
 怖いけど、私は傍観者のままでいたくはない。
  
 番号札を強く握りしめ、意を決して手を挙げようとしたとき、グレムの声がまた響く。

(へえ、お坊ちゃん、買う気か)
(それが何だ)

 グレムの含みのある口調に苛立ち、私はやや乱暴に返した。

(いやいや、そんなカリカリすんなって。ただ、単純なお坊ちゃんにちょっと忠告してやってるだけさ。悪魔に憑かれた奴は寿命が短ぇからな。買うなら、ちゃんとした専門の奴隷商を当たったほうがいいぜ)
(なに、貴方が所属する商会は奴隷も扱っているの)
(ははは、まさか。うちは法を守るまともな商人さ。でもさ、お坊ちゃんがどうしても欲しいなら、特別に“良心的な”奴隷商を紹介してやるよ。もちろん、これも忘れずにな)

 そう言って、彼はニヤニヤしながら、指をこすり合わせ、仲介料を要求してくる。
  
「いりません!」

 人を商品として扱う物言いに嫌気がさして、私は勝手に脳内に流れ込んだ念話を遮断する魔術を掛けた。

「40万ドラ、三度!」

 カーン、と乾いた音が場内に響き渡る。

「落札!13番のお客様、誠にありがとうございます!ご運勢が向上されますようお祈りいたします」

 無事落札できたことに安堵し、私は首に掛けた指輪を服の上から握り、その存在から力を得ようとした。

 子供は台に上がった時と同じように、鎖に引かれながら、よろめきつつ台を降りた。入れ替わって、10歳くらいの緑色の髪の男の子が不自由な足を引きずりながら、ぎこちない足取りで無理やり店員に引っ張られ、台へと上がる。
 首には、さっきの子と同じ鎖が巻かれていた。

「次の商品は旅商人の子。古老の書によれば、この者は創世神に逆らった罰として足を歪められ、生まれながらに魔物を呼び寄せる呪いを背負っているとされています。この者の周囲には常に災いを呼び込み、先月、ついに彼は両親を魔物に引き裂かれました……、……開札は20万ドラから!」

「40万」

 競売人の説明が終わるや否や、私は即座に番号札を掲げた。

 ――聞くに足りないわ!

 先程の盲目もうもくの幼子とは違い、彼は目が見える分、自分の置かれた状況をはっきり理解している。真っ青な顔で俯きながらも、台に上がるまでは周囲の冷たい囁きに必死に耐えていた。けれど、両親のことを持ち出された瞬間、張り詰めていたものが切れ、堪えていた涙がこぼれ落ちた。
 しかし、その涙は同情を誘うどころか、むしろ周囲の悪意をさらに増幅させた。

 旅商人の子供だからって何?スペンサーグ城に店を構えるほどなら、領民権を買い、正式なスペンサーグ公爵領の領民になったはずだ。彼は、公爵家の保護を受けられない流民りゅうみんなんかじゃない。
 それなのに、わざわざ社会的地位の低い流民旅商人の子供として紹介され、事故の原因を彼になすりつけ、存在しない呪いまで捏造するなんて――すべてが馬鹿げている。

 室内の視線がまばらに私に注がれ、手のひらにじわりと汗が滲むのを感じた。
 それでも、私は背筋を伸ばし、失礼な視線を意にも介さぬふりをして、気合いで全部を無視した。

「40万ドラ…… 二度、他にご入札は?」
「40万ドラ、三度!」

 ハンマーが再び下りた。

「これにて落札でございます!13番のお客様、誠にありがとうございます。お客様の手によってこの者の邪気が浄化されれば、創世神もさぞお喜びになることでしょう。これからの運勢の上昇、先にお祝い申し上げます!」

「彼がお坊ちゃんが探してる奴か?」

 念話を遮断していたにもかかわらず、グレムは気にせず近づいて、耳元で囁いた。
 私は彼に一瞥しただけで、返事を返したくなかった。

 競売人の説明、近所の子供たちから得た情報、そしてルナと似た容姿。それらを照らし合わせると、一致する点が多い。たぶん、彼がトムなのだろう。

「お坊ちゃんって、これからの品も買うつもりか?」

 ……無視だ。

「でもさ、お坊ちゃんの財布事情で全部買えるかな~。今のは前菜みたいなもんで、これからの商品はもっと高くなるぜ?」

 ……無視だ。

「まあ、でもな、もしお坊ちゃんが可愛く『お願いします』って言えば、値引き交渉くらいは手伝ってやってもいいぜ。そしたら、もしかしたら全部買えちまうかもな~」

 ……無視したい。でも、その提案には心が揺れた。

「何か目的?」

 疑わしげに睨むと、グレムから極めて真摯な眼差しを向けられ、どこからともなく一輪のバラを取り出し、差し出してきた。

「目的?そりゃもちろん、お坊ちゃんを助けるためさ。上のオークションとは比べもんにならねぇけどさ、全部買うとなりゃ、それなりに金がかかるだろ?それにお坊ちゃん、見るからに値引き交渉とか苦手そうだしな~」

 値引きは……いくらエマさんに教わっても、値引きだけは無理だった。

「いくら欲しい」
「ははは、お坊ちゃんもだんだん話が分かってきたじゃねぇの。じゃあ、取引額の5%、上限は小金貨1枚ってのでどうだ?」
「それで……」
「取引額の2%、大銀貨1枚を上限にする」

 躊躇いなく、その条件で受け入れようとした時、突然ライラが口を挟んだ。

「……」

 あっ、値引きって、こういう場面でもできるのか!
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