変える理由なんてなく

あさき のぞみ

文字の大きさ
10 / 17

落雷、停電、そして非日常

しおりを挟む
悠人と静香が、マキアートの「計量」について話し始めてから、すでに一時間ほどが経過していた。乾燥機は運転を終え、衣類はカラカラに乾いていた。しかし、二人の間に漂う空気は、帰り支度をするにはあまりにも心地よかった。

静香が立ち上がり、自分の服に着替えようと奥の部屋へ向かった、その時だった。

ゴロゴロ……


先ほどよりも遥かに低い、重苦しい雷鳴がアパート全体を震わせた。悠人は思わず窓の外を見たが、雨は依然として降り続いており、空は真夜中のように暗い。

静香が奥の部屋から顔を出す。
「すごい音ですね。まだ、こんなに降ってるんだ」


ドォォォン!!



一際大きな落雷が、アパートのすぐ近くに着弾した。振動は足元から突き上げ、窓ガラスが激しく震える。
その瞬間、部屋のすべての光が消えた。


「うわっ!」


部屋は完全な暗闇に包まれた。古いアパートのせいか、瞬時にブレーカーが落ちたようだ。乾燥機も、洗濯機も、エアコンの音も、すべてが停止した。残ったのは、窓を打ち付ける豪雨の音と、二人の息遣いだけ。

「大丈夫ですか、静香さん!」

「は、はい。びっくりしました……真っ暗ですね」

悠人は反射的にスマートフォンを掴み、ライトをつけた。光の円が、散らかった部屋の一角と、その中心に立つ静香を照らし出す。彼女は、着替える途中で止まったのだろう、乾燥機から出したばかりの白いワンピースを片手に持ったまま、少し目を丸くしていた。

悠人はすぐに動いた。こういう時、彼の衝動性は、パニックではなく**「行動」**へと変換される。

「待ってください、すぐにブレーカーを確認します!…あ、でも、その前に」

彼は引き出しから、非常用に置いていた古びたオイルランプとライターを取り出した。カチッ、カチッ。数回の試行の後、ランプの芯に火が灯り、オレンジ色の柔らかな光が部屋を包み込んだ。

豪雨の音、ランプの炎、そして二人の影。部屋は一瞬で、現代の東京の片隅とは思えない、非日常の空間へと変わった。

「すごい、素敵……」静香は、ランプの光を見つめ、思わず息を漏らした。

悠人は、ランプをテーブルの中央に置き、窓の外の雨の様子を覗き込んだ。

「ブレーカーはすぐ戻せると思いますが……ちょっと、帰るのは無理かもしれません」

彼のスマホには、緊急情報のアラートが届いていた。


【緊急】集中豪雨による交通麻痺:周辺路線(〇〇線、△△線)運転見合わせ。河川増水の恐れ。不要不急の外出を控えてください。

静香も自分のスマホで確認し、深刻な表情になった。


「本当に、すごいことになっていますね……こんな状況じゃ、電車もバスも動かない」

帰宅困難。それはつまり、悠人と静香が、この非日常的な暗闇の中で、さらに長い時間を共に過ごさなければならないことを意味していた。

悠人の動揺は、極限に達していた。ランプの光は優しかったが、それは同時に、彼の視界を静香の一点に集中させる。

(帰れない……このまま、夜を越すのか? 童貞の俺が、一目惚れの相手と、この部屋で?)

静香は、まだ濡れた髪を軽くタオルで拭きながら、彼の視線に気づいた。

「あの、悠人君。私の服、完全に乾いているから、着替えてもいいですか? このTシャツ、とても心地いいんだけど……」

「あ、もちろんです!どうぞ!」

静香は再び奥の部屋へ消えた。悠人は、暗闇の中で、自分の心臓が異常な速度で脈打つのを感じた。彼の脳は、この非日常的な状況を、**「特別なイベント」**として処理し始めていた。
彼は、自分の衝動性と向き合った。ここでまた衝動的に変なことを口走ったり、焦って行動を間違えたりすれば、すべてが終わる。

(落ち着け。失敗は、衝動的な結論付けだ。今、俺がやるべきことは、静香さんが安心して過ごせる環境を作ることだ)

静香が着替えを終えて戻ってきた。元の白いワンピース姿に戻った彼女は、ランプの光の中で、先ほどのTシャツ姿とはまた違う、清楚で美しい輝きを放っていた。

「ありがとうございます。やっぱり、自分の服は安心しますね」

悠人は、ランプの炎を見つめながら、静かに口を開いた。

「あの、もしよかったら、ブレーカーが戻るまで、ゲーム制作の話をしませんか? 僕、過集中が始まると、変なことは考えられなくなるんで」
それは、自分の弱さと向き合い、自身の特性を武器にしてこの非日常を乗り切ろうとする、悠人なりの精一杯のプロポーズだった。

静香は、その提案を嬉しそうに受け入れた。

「はい。楽しそう。私のデザイン科での話も聞いてください。……あ、でも、コーヒーが冷めちゃいましたね。お湯、沸かせないですよね」

「大丈夫です。他に、何か、このノイズを消す方法を探します」

豪雨の音、雷鳴、そして暗闇。すべてが二人を閉じ込める非日常的なノイズだった。だが、この夜、悠人の衝動的な行動力は、そのノイズを背景とした、彼らだけの新しい物語のメロディを奏で始めたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

痩せたがりの姫言(ひめごと)

エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。 姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。 だから「姫言」と書いてひめごと。 別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。 語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。

処理中です...