だから

あさき のぞみ

文字の大きさ
13 / 17

裁判と保険

しおりを挟む
美樹の死後、二週間が経った。
保は、初めて弁護士の田所と会った。
法テラスで紹介された弁護士だ。
「田中さん、奥様のこと……お悔やみ申し上げます」
田所は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
保は答えた。
「訴訟の件ですが」
田所は資料を開いた。
「まず、良いお知らせがあります。個人賠償責任保険が適用されることになりました」
保は顔を上げた。
「本当ですか」
「はい。保険会社の調査の結果、美保ちゃんには責任能力がなく、監督義務者である親御さんの責任として認められました」
田所は続けた。
「保険金の限度額は一億円です。佐々木さんへの賠償も、ゆらり本部への賠償も、この保険で対応できます」
保は安堵のため息をついた。
「ただし」
田所は付け加えた。
「保険会社が示談交渉を行いますが、相手方が納得するかどうかは別問題です。裁判になる可能性もあります」
「わかりました……」
保は答えた。
数週間後、保険会社から連絡があった。
「佐々木様との示談交渉が成立しました」
保は息を飲んだ。
「当初の請求額二千五百万円に対し、一千八百万円で合意しました」
「一千八百万……」
「医療費、逸失利益、慰謝料を含めた金額です。佐々木様も、これ以上争うことを望まれませんでした」
保は電話を握りしめた。
「ありがとうございます……」
「ゆらり本部との交渉も進めています。こちらも近々、合意できる見込みです」
電話を切った後、保は仏壇の前に座った。
「美樹……示談が成立したよ」
美樹の写真が、微笑んでいた。
「でも……これで終わりじゃない」
保は続けた。
「佐々木さんの腕は、元に戻らない。美保が施設にいることも変わらない。お前が戻ってくることもない」
保は涙を拭った。
「何も……解決してないんだ」
その後、保は佐々木さんに会いに行った。
保険会社を通じて、面会の申し出をした。
佐々木さんは、それを受け入れてくれた。
喫茶店で、二人は向かい合った。
佐々木さんは、左腕にサポーターをつけていた。
「田中さん、お久しぶりです」
佐々木さんは、笑顔で言った。
でも、その笑顔は、以前のような明るさはなかった。
「佐々木さん……本当に、申し訳ございませんでした」
保は深く頭を下げた。
「顔を上げてください」
佐々木さんは言った。
「奥様のこと……お悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます……」
保は顔を上げた。
佐々木さんは、左腕を見た。
「この腕、完全には戻らないそうです」
保は息を飲んだ。
「医者からは、握力が以前の六割程度しか戻らないと言われました。細かい作業も難しい」
「本当に……すみません……」
「謝らないでください」
佐々木さんは首を横に振った。
「美保ちゃんに、悪気があったわけじゃない。私も、それはわかっています」
佐々木さんは続けた。
「私には、妹がいるんです」
「……はい。お聞きしました」
「妹も、重度の知的障害があります。だから、美保ちゃんのこと、少しはわかるつもりでした」
佐々木さんの目に、涙が浮かんだ。
「でも……私、もう療育の仕事を続けられません」
「佐々木さん……」
「これが、一番辛いんです」
佐々木さんは涙を拭った。
「子どもたちのために働きたかった。美保ちゃんみたいな子どもたちを、支えたかった」
「すみません……本当に……」
保も涙を流した。
「でも」
佐々木さんは保を見た。
「田中さん、美保ちゃんを諦めないでください」
「え……」
「あの子は、確かに成長していました。私の連絡帳、覚えていますか?」
保は頷いた。
「美保ちゃんは、ちゃんと感じていました。音楽を、風を、人の優しさを」
佐々木さんは微笑んだ。
「だから、諦めないでください。美保ちゃんには、未来があります」
保は何も言えなかった。
ただ、涙を流すことしかできなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく
キャラ文芸
 ――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。  月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。  帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。 「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」  これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。 ※R-15っぽいゆるい性描写があります。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

処理中です...