だから

あさき のぞみ

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だから

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美保が二十五歳になった年の春。
保は五十三歳になっていた。
髪に白いものが混じり、顔にも皺が増えた。
でも、保は元気だった。
仕事も続けていた。
そして、週末は必ず美保と過ごしていた。
ある日、保は美保を連れて、佐々木さんに会いに行った。
佐々木さんとは、年に一度会うようになっていた。
佐々木さんは、今は事務職として働いていた。
左腕の機能は完全には戻らなかったが、それでも障害者支援の現場に関わり続けていた。
「田中さん、美保ちゃん、お久しぶりです」
佐々木さんは笑顔で迎えた。
「佐々木さん、お元気でしたか」
「はい。田中さんこそ」
三人は、カフェで向かい合った。
美保は、ジュースを飲みながら、窓の外を見ていた。
「美保ちゃん、大きくなりましたね」
佐々木さんが言った。
「はい。もう二十五歳です」
保は答えた。
「あの時は……本当にご迷惑をおかけしました」
「もう、その話はやめましょう」
佐々木さんは首を横に振った。
「美保ちゃんが元気でいてくれること。それが、私の一番の喜びです」
佐々木さんは美保を見た。
「美保ちゃん、覚えてないかもしれないけど、先生だよ」
美保は、佐々木さんを見た。
そして——。
小さく笑った。
「あら」
佐々木さんは驚いた。
「覚えてくれてるのかしら」
「どうでしょう……でも、美保なりに感じてるのかもしれません」
保は言った。
三人は、しばらく話をした。
佐々木さんの仕事のこと。保の仕事のこと。美保の日常のこと。
「田中さん」
帰り際、佐々木さんが言った。
「奥様に、伝えてください」
保は頷いた。
「美保ちゃんは、ちゃんと育ってますって」
「はい……必ず」
保は深く頭を下げた。

その夜、保は美保と一緒に仏壇の前に座った。
「ママ、佐々木さんに会ってきたよ」
保は美樹に話しかけた。
「佐々木さんが言ってた。美保は、ちゃんと育ってるって」
美保も、仏壇に手を合わせた。
「美樹……俺、ずっと考えてたんだ」
保は続けた。
「なんで、こんなことになったのかって」
保は目を閉じた。
「美保が生まれて、障害があって、受け入れ先がなくて、事故が起きて、お前が死んで……」
「でも、今、わかる気がするんだ」
保は目を開けた。
「全部、意味があったんじゃないかって」
保は美保の頭を撫でた。
「美保がいたから、俺は支援の仕事を選んだ」
「お前が苦しんだから、俺は他の家族の苦しみがわかる」
「佐々木さんが怪我をしたから、安全管理の大切さがわかった」
保は涙を拭った。
「だから——」
保は美樹の写真を見た。
「全部、無駄じゃなかったんだ」
美保は、じっと保を見ていた。
そして、保の手を握った。
「美保」
保は娘を見た。
「お前がいてくれて、ありがとう」
美保は笑った。
声を立てて、笑った。

それから、さらに月日が流れた。
美保は三十歳になった。
保は五十八歳になった。
美保は、今も生活介護事業所に通っている。
そして、週末は保の家で過ごしている。
言葉は、相変わらず話せない。
でも、簡単な意思表示はできるようになった。
嬉しい時は笑う。嫌な時は首を横に振る。
保の顔を見ると、手を伸ばす。
それが、美保なりのコミュニケーションだった。
保は、毎日思う。
美樹がいてくれたから、今の俺がある。
美保がいてくれたから、今の俺がある。
佐々木さんがいてくれたから、今の俺がある。
すべての出会いが、すべての別れが、すべての苦しみが。
今の保を作ってくれた。
「だから」
保は、ある日、美保に言った。
「パパは、幸せだよ」
美保は、保を見た。
「美保がいてくれるから」
保は娘を抱きしめた。
「ありがとう」
美保は、保の背中に手を回した。
小さな手。でも、確かな温もり。
二人は、しばらく抱き合っていた。

窓の外では、また春が来ていた。
桜が咲き始めていた。
何度目の春だろう。
美樹が死んでから、何年経っただろう。
でも、保は前を向いていた。
美保と一緒に。
「美樹、見てるか」
保は心の中で呟いた。
「俺たち、ちゃんと生きてるぞ」
風が吹いた。
優しい、春の風。
まるで、美樹が答えてくれているようだった。
保と美保の物語は、まだ続く。
これから先、どんなことがあるかわからない。
でも——。
二人は、一緒に歩いていく。
一歩ずつ。
ゆっくりと。
確かに。
だから、生きていく。
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