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第9話 さくら②
しおりを挟む俺もシャワーを浴びた。
温かいお湯が体を流れていく。緊張をほぐすように、ゆっくりと深呼吸する。
今日こそ。
今日こそは、最後まで。
美咲さんは、スマホの通知で台無しになった。
りなさんは、不正アクセスの通知で中断してしまった。
でも今日は違う。
スマホの電源は完全に切った。バッグの奥深くにしまった。
もう、邪魔は入らない。
シャワーを終えて、黒いガウンを羽織る。
鏡で自分を確認する。
大丈夫。落ち着いている。
深呼吸して、ドアを開けた。
部屋に戻ると、さくらがベッドに座っていた。
長い脚を組んで、ワイングラスを傾けている。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「裕太さん、ワイン飲みますか?ミニバーにあったので」
「ああ、少しだけ」
さくらがグラスに注いでくれる。
俺は隣に座った。
「今日、楽しかったです」
「私も。裕太さんと一緒だと、時間があっという間で」
さくらは微笑んで、俺の肩に寄りかかってきた。
背が高いから、頭の位置がちょうど俺の肩に乗る。
「さくらさん」
「はい?」
「その……俺、こういうの慣れてなくて」
「知ってます」
さくらはくすりと笑った。
「でも、それが良いんです。裕太さんみたいな人、なかなかいないから」
「そうかな」
「うん。優しくて、誠実で」
さくらは顔を上げて、俺を見つめた。
「キスしてもいいですか?」
俺は答える代わりに、さくらに優しくキスをした。
柔らかくて、甘い。ワインの香りが混じっている。
さくらは目を閉じて、キスを受け入れた。
徐々に深くなっていく。
舌が絡み合う。
さくらの手が、俺の首に回ってくる。
俺の手は、さくらの腰に。
ガウンの上からでも分かる、細いウエスト。
さくらが小さく、声を漏らした。
「んっ……」
その声に、理性が溶けそうになる。
「裕太さん……」
さくらが囁いた。
「もっと……触って」
俺は震える手で、さくらの体を撫でた。
背中から、腰へ。
腰から、太ももへ。
ガウンの裾から覗く、長い脚。
滑らかで、柔らかい。
さくらは俺を押し倒して、上に跨った。
上から見下ろすさくらは、妖艶で美しかった。
「裕太さん、緊張してる?」
「……うん」
「可愛い」
さくらは微笑んで、再びキスをした。
そして、ゆっくりと自分のガウンの帯を解き始めた。
「見ていいですよ」
ガウンが開いていく。
白い肌が露わになる。
鎖骨。胸元——
小さめの、でも形の良い膨らみ。
そして、細いウエスト。
平らなお腹。
俺はそのまま、ガウンを脱がしていった。
さくらは抵抗せず、身を任せている。
ガウンが完全に脱げて——
俺は、固まった。
え?
そこには、自分の体にある見慣れたモノが、さくらにもあった。
股間に、それがある。
女性には、ないはずのもの。
「あ……」
さくらの顔が、一瞬で蒼白になった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
さくらは慌ててガウンを掴んで、体を隠した。
「私……私……」
声が震えている。
俺は、何も言えなかった。
頭が真っ白だった。
「ごめんなさい、言うべきだったのに……」
さくらは涙を浮かべていた。
「私、女性じゃないんです。体は……男性で……」
トランスジェンダー。
その言葉が、頭の中に浮かんだ。
「でも、心は女性なんです。ずっと、女性として生きてきて……」
さくらは必死に説明しようとしている。
「ごめんなさい、騙すつもりじゃなかったんです。でも、怖くて……言えなくて……」
俺は、まだ何も言えなかった。
ただ、さくらの震える姿を見ていた。
「帰ります。本当にごめんなさい」
さくらは立ち上がって、服を着始めた。
「待って」
俺は、ようやく声を出した。
さくらは動きを止めた。
「怒ってますよね……当然です……」
「怒ってない」
「え?」
さくらは驚いた顔で、俺を見た。
「ただ……驚いただけ」
俺は正直に言った。
「さくらさんと話してて、楽しかった。それは本当です」
「でも……」
「確かに、驚いた。でも……」
俺は言葉を探した。
何を言えばいいのか、分からなかった。
「さくらさんのこと、否定する気はないです」
それだけは、確かだった。
さくらは目に涙を浮かべたまま、俺を見つめていた。
「優しいんですね、裕太さん」
「優しくなんかないです。ただ……」
俺は頭を掻いた。
「でも、正直に言うと……俺、準備ができてないです。こういうの、初めてで」
さくらは静かに頷いた。
「分かります。当然です」
「ごめんなさい」
「謝らないでください。私の方こそ、ちゃんと最初に言うべきでした」
さくらは服を着終えて、立ち上がった。
「今日は、ありがとうございました。楽しかったです」
「俺も」
さくらは微笑んだ。だが、その笑顔には深い悲しみが滲んでいた。
「さようなら、裕太さん」
ドアが開いて、閉まった。
部屋に、また一人残された。
俺はベッドに座り込んだ。
何が起きたんだ。
さくらは、男性だった。
いや、正確には——体は男性だけど、心は女性。
トランスジェンダー。
そういう人がいることは、知っていた。
でも、実際に会ったのは初めてだった。
マッチングアプリで、そういう人と出会うなんて。
いや、待てよ。
さくらは、プロフィールに書いていなかったのか?
俺はスマホの電源を入れて、アプリを開いた。
さくらのプロフィールを確認する。
どこにも、そんな記載はなかった。
性別は「女性」になっている。
だが、よく見ると、自己紹介文の最後に小さく書かれていた。
「ありのままの私を受け入れてくれる方を探しています」
これが、暗示だったのか。
俺は気づかなかった。
いや、気づけるはずもなかった。
ため息をついて、スマホを置いた。
通知が、また大量に溜まっていた。
新しいマッチングが10件。
メッセージが38件。
もう、うんざりだった。
何もかもが、狂っている。
美咲さん。りなさん。さくらさん。
誰とも、最後までいけない。
何か、俺を邪魔する力が働いているような気さえする。
ベッドに倒れ込んで、天井を見つめた。
このアプリ、もうやめようかな。
そう思った。
でも、スマホを手に取ると、また新しい通知が来ていた。
「ゆい」からのメッセージ。
「裕太さん、明日会えませんか?どうしても会いたいんです」
「あかり」からも。
「裕太さん、私のこと覚えてますか?もう一度話したいです」
次から次へと。
止まらない。
まるで、俺を離さないかのように。
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