上 下
9 / 27

仮想世界の食事システム

しおりを挟む
 翌日。


 ヴェンヴ学園は、学園というだけあって、いちおう授業もあった。かつて人類が住んでいた地球という惑星の成り立ちやら、バイナリー・ワールドの成り立ちについての歴史の授業があれば、アバター製作技術を学ぶモデリングの授業もあれば、プログラミングの授業もあれば、データサイエンスやら、脳科学やら、人工知能の授業もあった。


 昼休憩――。


 ヴェンヴ学園の吹き抜けになっている玄関ホールの1階から、まっすぐ進むと、大きな食堂があった。


 尖頭アーチ状の窓が数えきれないぐらい張り付けられており、その窓からは学園の庭園を見ることが出来た。


 20人ほどが座れる長机が並べられていたり、丸三角四角とさまざまな形状メッシュの机が置かれていた。


 天井からは、蜘蛛の巣みたいな複雑なシャンデリアがつるされている。豪華なのは、造りだけではない。


 その食堂では、バイキング形式になっており、好きなだけ食べても良いことになっていた。
 ワンホールのケーキが山積みになっていたり、噴水みたいなチョコレートタワーがあったり、フルーツが山みたいに積み上げられていた。


 ノウノはメロンソーダとチョコレートケーキと、それからホイップクリームで埋もれたパンケーキをテーブルへと運んだ。


「全部、お菓子なんですね」
 と、クリナが恐れおののくように言った。


「古代の人たちとは違って、なにを食べてもアバターに影響があるわけでもないし、問題はないでしょ」


「ですけど、甘くて気持ち悪くなりませんか」


「私、甘いのが好きだから。クリナは甘いの苦手なの?」


「ええ」


 たしかにクリナの前には、青々とした野菜ばかり並べられていた。
 その見た目通り、草食動物みたいだ。


 自分の意識モデルによって、趣味嗜好などが変わるのだろう。ノウノの父親か母親のどちらかが、きっと甘い物好きだったのだろう。


 同じテーブルにはエダも座っている。エダはカラダが小さいために、背丈の高い椅子に座っていた。エダは何も食べないらしい。


「エダは食べなくても平気なわけ?」


「問題ない。吾輩は、おのれの食事関数を自分で調整しておる。内部のプログラムを書き換えれば、空腹はたやすく満たされる」


「そんなことしなくても、食べれば良いのに」
 と、チョコレートケーキのひとかけらをフォークで突き刺して、エダに向けた。エダは拒否するようにソッポを向いた。


「吾輩の意識モデルは破損しておる。与えられた食事データを、処理するのに少し負荷がかかる」
 とのことだった。


「そうなんだ。ゴメン」


「べつに気にしておらんから問題はない」


 エダに向けていたチョコレートケーキのひとかけらを、ノウノは自分の口のなかに放り込むことにした。甘いチョコレートの味が、口のなかに広がる。幸せな瞬間だった。


「甘くて美味しい!」


「ただのデータじゃろうが、オヌシの持っている関数が、食事データを引数として受け取って、甘くておいしいという返値を出しているだけの話じゃ」


「それが良いんじゃない。古代の人たちみたいに、人体に影響があるわけでもないんだし」


「オヌシは純粋で良いな」と、エダは呆れたような溜息を吐いていた。「まあ、昔の連中も、関数の集まりでしかなかったのは同じじゃがな」。


「そうなの?」


「極論、生物というのは総じて、関数でしかない。吾輩はそう思うておる」


「難しい話はやめてよ。午前の授業で頭がパンクしそうなんだから」
 と、ノウノは今度は角切りにされたパイナップルを口のなかに放り込んだ。甘いものを食べた後から、酸味を強く感じる。


「勉学も頑張ってもらわなばならんぞ」


「えー。VDOOLなんだから、勉強は関係ないでしょ。優れたアバターであれば評価されるもんなんじゃないの?」


 企業が自社の製品を宣伝するために、VDOOLは存在しているのだ。
 そのためのバトルでもある。
 器用に動き回ることが出来れば、それで良いような気がする。


「直接は関係ないがな」


「なら良いじゃない」


「アバターがフロントエンドであるならば、それを動かす意識モデルは、バックエンドということになる」


「それは知ってるよ」


「勉学はそのバックエンドの評価につながる。優秀な頭脳を持っているかどうかの評価基準というわけじゃ」


「優秀な魂かどうか――ってことね」


 うむ、とエダはうなずいた。


「優秀な脳みそを持っている相手と、自分の意識モデルを掛け合わせたい。人間とはそう感じるものらしい。つまり、頭が良い人は魅力的だということじゃな。そうなるとフォロワーもいっきに増える」


「フォロワーか……」


「期末試験で成績上位であれば、いっきに数十万のフォロワーを増やすことが出来るというわけじゃ」


「うーん」
 と、ノウノはうなった。


 たしかにフォロワーは必要だ。女王とのバトル資格を得るために、少なくとも100万人ぐらいのフォロワーが必要になるのだ。
 しかし、そのために勉強するのは、気が進まない。


「あ、あの。私で良ければ、教えますよ。勉強」
 と、クリナが言った。


「クリナは勉強得意なの?」


「はい。前回の期末試験では3位でしたから」
 と、クリナは指を3本立ててみせた。


「3位!」


「はい。データサイエンスも統計学も人工知能開発も、数学ができれば、どうにかできますから。プログラミングはちょっと違いますけど、物理計算なんかは数学でどうにかなりますし」


「まぁ、そうなんだろうけどさ」
 それが苦手なのだ。
 ノウノの数学能力は、物を数えるぐらいが限界である。


「前回の期末試験で、私はフォロワー数が10万人ぐらい増えましたから、フォロワー集めには効果的ですよ」


「マジで!」


 エモーションの選考に私が落ちて、どうしてクリナが通過したのか、ノウノはちょっと不服に思っていた。理由がわかった。クリナは頭が良いのだ。選考通過できる、それなりの理由があったわけだ。


「これが私のフォロワーです」
 と、クリナはディスプレイを見せてくれた。クリナのフォロワーは、40万人だった。


「40万人!」


 思わず、口に含んでいたメロンソーダを吹きだしてしまいそうだった。吹き出すのは、堪えたものの、喉の変なところに炭酸が入り込んで、咳き込んでしまった。


 クリナのことを、勝手に格下だと思い込んでいた。大間違いである。フォロワー数5万人ちょいのノウノに比べると、大先輩である。


 冷静に考えてみると、それもそのはずだ。


 フォロワー20万人も抱えている蛇女が、クリナにバトルを申し込んでいたのだ。クリナは蛇女よりも格上なのである。


「まぁ、私はVDOOLよりも、技術者のほうが向いていたのかもしれませんが」
 と、クリナは曖昧に笑った。


「でも、40万人もフォロワーがいるなんて凄いよ。私、てっきり、クリナはもっとフォロワー数が少ないものだと思ってたから」


「だけど、変にフォロワー数が多いせいで、絡まれやすいんですよ」


「なるほどね」


 フォロワーが40万人もいるわけだから、クリナとバトルすれば、それなりに宣伝になる。
そのくせ、クリナ自身はたいして強くないから、簡単に倒せるというわけだ。


 嫌な例えかもしれないが、経験値豊富な雑魚キャラといったところか。
 私もクリナを倒せば、それなりにフォロワー数を稼げるのでは……と、ノウノの脳裏にもその思考がよぎった。いやいや。それはさすがにクリナに申し訳ない。


「あ、今日の昼ごはんも、ポストしておきましょうか」


「そうね」


 ポスト。つまり投稿である。ほかの生徒たちも、こぞって写真撮影をしていた。そのため、食堂ではあっちこっちに青白い半透明のディスプレイが明滅していた。ノウノもディスプレイを表示して、食べかけのワンホールケーキを写真撮影しておいた。


 食べる前に投稿したほうがえたかもと思った。今度からは気を付けよう。写真をポストすると、フォロワーからすぐに反応がある。「お菓子ばっかり」「こんにちは」「ノウノさんはお菓子が好きなんですね」……などなど。


 今まで投稿したものに反応があったことなんて少なかった。すぐに大量の反応が寄せられて、うれしくなった。もっとフォロワーを集めなくちゃならない。勉強する気にはなれないけど。


「不気味な顔になってるぞ」
 と、エダに指摘された。


 たしかにノウノは無意識のうちに、ニタニタ笑ってしまっていた。あわてて表情をひきしめた。
しおりを挟む

処理中です...