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2次選考の舞台は、学園の一区画である森全域だということだ。
技術者の協力は許可されていないということで、エダをいっしょに連れて行くことは出来なかった。
「暴れて来い」と、エダはノウノのことを送り出してくれた。エダはノウノのことを、まったく心配していない様子だった。勝てるという確信を持っているのだろう。
場所取りとして、最初に10分間与えられた。
10人のアバターは各々、森のなかに入って行く。場所取りと言われても、どこが有利だとか、どこが不利だとか、ノウノにはまったくわからない。
適当に森のなかを進んだ。端末を開けば、森のなかのマップを表示することが出来るため、遭難することはないので、その点は安心である。
不意討ちをされると困るため、なるべく視界の開けた場所にいようと決めた。森のなかには、湖があった。そのあたりには木が生えていなかった。周囲のどこから襲って来ても、対応できるだろうと思って水辺にあった岩に腰かけた。
ノウノのいるところからは、青い空を見上げることが出来た。青い空。散乱によって青いわけではない。
ただ、変数の値によって、青、と決められた空。
今日は、雲というデータは浮かんでいない。
その空に、巨大なディスプレイが投影されていた。ノウノを含めたVDOOLの名前が投影されていた。
おそらく今のこの状況は、バイナリー・ワールド全体に配信されているのだろう。どれぐらいの人が見てるんだろうか? 世界にいるほとんどの人が見ているかもしれない。そう思うと、こうして座っていても、あんまりだらしない恰好は出来ないな――と、背筋を正した。
あの日。ウサギの着ぐるみで生きていたころからは、信じられない躍進である。
魔女の手駒になる代償として、ここまで上り詰めたのだ。注目されてるなかで負けたら、フォロワー数ガン下がりやで――というベェタの言葉を思い出した。
負けるものか。せっかく手に入れた地位である。魔女のくれたチャンス。280万人のフォロワーを失ってたまるものか。
「あー」
うずうずする。
さっさとバトルしたい。
空中に浮かんでいる巨大なディスプレイに、突如――。「10」という数字が浮かび上がった。数字が数えおろされていく。カウントが「0」になる。「GO!」と表記されて、サイレンのような音が鳴った。
試合開始ということだろう。
サイレンの音とほぼ同時に、ノウノのもとに何かが飛来してきた。鉛玉。銃弾だ。ノウノはバク転をするようにして、それをかわした。
弾丸が飛んできたあたりに目を向ける。人影。どうやら、茂みのなかから、ノウノのことを狙っているらしい。
すこし遅れて2射目。ノウノの額を的確に狙った一撃。首を傾けてかわした。銃弾は、ノウノのブロンドの髪をかすめて通過してゆく。
「そこォ」
銃弾が飛来してきた場所に向かって疾駆した。
茂みのなかにいた人影が、逃げようとしていた。ノウノは茂みのなかに身を投じて、その背中に拳を叩きこんだ。少女の姿をしたアバターだ。たしか株式会社エモーションのVDOOLである。クリナと同じ企業の所属だ。
少女のアバターは間一髪でノウノの拳をかわした。ノウノの拳は地面の岩に直撃することになった。
拳が、岩を砕く。
砂塵が巻き起こり、岩片が吹き荒れた。
木の葉が舞い上がり、激しいノイズが吹き荒れた。
「ふぅん。武器とか使うのも、有りなのね」
「ありえない。私の狙撃をかわすなんて。それにこの怪力。やっぱりあなたは、エルシノア嬢……」
「よく間違えられるけど、違うわよ」
少女のアバターは、ふたたび銃を構えた。べつに火薬が使われているわけではない。あくまで物理計算によって射出されているに過ぎない武器である。ならばべつに銃の形をしている必要はない。
銃の形状をしているのは、デザインの問題だろう。トリガーに指がかかる。銃弾が射出されるよりも前に、ノウノは距離を詰めた。その銃身を蹴り上げる。銃弾が空に向かって撃ち放たれた。
少女は銃を捨てて、ナイフで斬りかかってきた。その動きのすべてが、低fpsに見えた。まるでスローモーションだ。やすやすとノウノは、少女の攻撃をかわした。
「バトルだから、ゴメン」
と、ノウノはその首を叩き折った。
少女の首が変な方向に折れ曲って、その場に倒れ伏した。
べつに死んでいるわけではない。アバターが損傷しても、意識モデルに傷がいくわけではない。損傷したアバターも、心配は要らない。
株式会社エモーション所属ということだから、たぶんそこの技術者が修理するはずだ。
空中に浮かんでいるディスプレイ。10人の名前が書かれていたが、そのうちの1つに斜線が引かれた。ノウノがいま倒した人の名前だろう。
「なるほどね」
戦闘不能に陥った者から、斜線が引かれるのだろう。
残り9人か――と思ったら、いっきに2人に斜線が引かれた。知らない名前だ。
どこかで誰かがバトルをして決着がついたのだろう。
パチパチパチ……。
拍手の音が響く。
森の中。
広葉樹の幹に寄り掛かるようにして、黒猫丸ことクロがたたずんでいた。黒い手袋をはめた手を叩いていた。
「さすがは我が姫。君の処理速度は、世界のΔtを見通すか」
「でるたたいむ?」
「時間とは何だ? 当たり前に存在する物ではない。それは重力と同じように、現象のひとつに過ぎない。現実世界において言うならば、ビッグバンがもたらした現象のひとつだ。ならば、この世界は時間という概念を、どう処理しているか。それは微分の積み重ねによって計算されているのだ」
「難しい話をして、私を混乱させようって魂胆?」
「今という微分時間が、今という積分時間を構築する。その膨大な処理を、たった一人の意識モデルが行えるというのか? ありえん。それは世界に匹敵する価値。試させてもらおう。本当に我が姫が、この俺の妻にふさわしいのかどうか!」
「だから、妻になるつもりはないってば」
クロはディスプレイを出した。丸いディスプレイだった。ディスプレイからは、赤いレーザー光線が射出された。
ノウノはあわてて木の幹に姿を隠した。光線を受けた木の幹は激しいノイズを発生させて、グラフィックを歪ませていた。
本質は、おそらくクロが仕掛けていたトラップと同じものだ。クロを捕まえに旧棟に入ったときに、仕掛けられていた、あのトラップだ。しかし威力が段違いである。
「反応してみせよ。世界の速度を凌駕してみせよ。見せてくれ。君の意識モデルの神髄を! ほとばしらせよ。ニューロン計算を!」
ノウノを取り囲むようにして、丸いディスプレイが大量に現れた。ディスプレイひとつひとつの大きさは、ノウノの拳ぐらいだ。
青く明滅していたが、やがて赤くなった。光線を放とうとしているのだろう。
ノウノは木の枝に飛び移って、光線をかわした。
ディスプレイはまるで意思があるかのように、ノウノを追尾してきた。かといって、殴ってもノイズを走らせるだけである。
木の枝から枝へと飛び移り、ノウノはそのディスプレイを振り切ろうとしたが、執拗に付きまとってくる。
それどころか――。
「うわっち」
光線がすこしずつ、ノウノの動きを正確にとらえはじめている。
ノウノの足元に光線が撃ち込まれた。あやうくかわしたが、足場の木の枝が焼切れた。足場を失ったノウノは地面に落っこちた。着地地点に光線が撃ち込まれる。ノウノは跳ね起きて、その光線をかわした。
光線によって地面がえぐれて、激しい砂埃が生じた。
砂埃によって視界がかすむ。
「この俺のディスプレイは、超並列ベイズ更新によって、君の動きを予測する。動けば動くほどデータが蓄積されるぞ。さあ、この俺に見せてくれ。君のθを!」
ディスプレイを通して、クロの声が聞こえてくる。
「ったく」
厄介な男に、目をつけられたものである。
1次選考のときは、世話になったが、こんなに手のかかる男だとは思わなかった。
ノウノのような系統のタイプではない。どっちかというと、クリナみたいに頭を使うタイプなのだろう。そりゃそうだ。ロジカルンやセキュリティ会社の網をくぐって、黒猫丸として活動していたのだから。
こうして戦ってみると、クロという男の聡明さが伝わってくるようだった。
追尾してくるディスプレイが、じょじょにノウノの動きに追いついて来て、そして先回りをしようとしている。
ノウノの足跡を撃っていた光線はやがて、ノウノの足を狙いはじめ、さらには、ノウノの踏み出す先に、光線を置き撃ちしはじめている。
ノウノの動きを予測しはじめているのだ。このままではいずれ、ノウノはその光線に直撃することになる。
ディスプレイへの攻撃は、意味をなさない。
ならば――。
クロ本人を叩くべきだろう。
「1次のときには協力してもらったけど、悪いけどそのモデルはぶっ壊させてもらうわ」
ノウノのことを見つめていたクロへと距離を詰めた。
「むろん。手加減されては困る。しかし、ここまで辿り着けるかな?」
直線距離で考えるならおおよそ30メートルもない。
しかし、その30メートルが長い。
追尾するディスプレイが、ノウノの行く手をはばむように光線を放ってくる。
「熱っ」
光線が頬をかすめた。
ふふっ、と黒猫丸がフードの奥で笑みを漏らした。
「驚くべき数値だよ。実際、姫がエルシノア嬢なのかどうか、ハッキリとしたことはわからない。だが、ひとつ言える。姫の数値はあのエルシノア嬢に匹敵する」
「そりゃどうも」
「しかし、ここまでだ。姫のデータは出そろった。一歩でも動いてみろ。統計予測によって確実に姫の脳天を貫くことになる」
「へえ」
ノウノのことを取り囲むように、拳ほどの大きさのディスプレイが、ふわふわと浮かんでいる。
脅しではない。
たしかに、そろそろ追いつかれそうな気がしている。
風が吹く。
あたりの葉っぱが、衣擦れのような音を奏でた。
「そのモデルを修復するのは、困難なものがあるだろう。どうだろう? この俺と結婚すると承諾してくれれば、降参してやっても良い」
「なにそれ? 取引ってこと?」
「俺が欲しいのは、姫の意識モデルであって、バトルの勝利ではないからね」
すこし、迷った。
が――。
エダの言葉をふと思い出した。
ヴェンヴ学園に登録したときのことだ。『アバターの精度は間違いない。なにせ、あのエルシノア嬢の改良版じゃからな。吾輩のアバターを上手く使えなったら、吾輩だってオヌシに文句を言うからな』と。
このアバターに、敗北は許されない。あとはノウノの問題である。
「悪いけど、そんなダサい勝利に興味はないわ」
「残念。この光線によって破損すると、修理に時間がかかるぜ」
「上等!」
ノウノは1歩、踏み出した。ノウノの動きを予測したディスプレイが、赤く光る。光線の準備だ。
人間の脳も感情も魂も芸術も宇宙も、すべては数学によって説明できる。
数式は世界を記述して、未来を予測する。
だが、それが何だというのか。
思い出す。
エダと出会う直前のことだ。
株式会社のエモーションの1次選考も、今と似たようなものだった。たしか、あのときはドローンによる光線だった。あのときとそう大差はない。
いや。
いつだってそうだ。
ノウノは、見えて、いるのだ。
予測がなんだというのか。
ノウノのまわりに浮かんでいるディスプレイの数をかぞえる。
全部で12。
12のディスプレイから、光線が撃ち放たれる。
光線は予測先に撃たれるのだから、見てから躱せば良いだけの話だ。
右手を地面について、側転。股のあいだを光線が抜けていく。
広葉樹の木の枝をつかんで、空中に舞い上がる。2射目、3射目と躱す。
ウサギの着ぐるみのアバターとは違う。ノウノの動きに身体が追い付いてきてくれる。
あっという間に、クロとの距離を詰めることが出来た。間合いに入っている。拳を突き出す。いや。突き出そうとしたときだ。クロは両手をあげて降参の恰好をした。周りに浮かんでいたディスプレイが、シャットダウンしていた。
「素晴らしい。俺の負けだ」
と、クロはそう宣言した。
空中に浮かんでいた巨大なディスプレイ。クロの名前に斜線が引かれた。
「なに? これからが良いところなんじゃない」
「悪いけど、直接やりあっても、俺じゃあ、勝ち目はないからさ。それにしても素晴らしい。統計予測なんて君の反応速度の前には、無意味だったわけだ。やはり俺は君とのあいだに子供を作りたい」
「もうちょっと遠回しな言い方は出来ないわけ?」
ふふん、とクロは肩をすくめた。
「じゃあ俺は、観客のほうに回らせてもらうよ。戦いに巻き込まれるのは御免なんでね」
そう言い残すと、クロはそそくさとノウノの視界から消えて行った。
良くわからない男である。
空中の巨大ディスプレイ。
残っているのは3人だけだった。
ノウノ。
それから、アルファとベェタだ。
ノウノがクロの相手をしているあいだに、アルファとベェタが、ほかのVDOOLを駆逐したのかもしれない。
技術者の協力は許可されていないということで、エダをいっしょに連れて行くことは出来なかった。
「暴れて来い」と、エダはノウノのことを送り出してくれた。エダはノウノのことを、まったく心配していない様子だった。勝てるという確信を持っているのだろう。
場所取りとして、最初に10分間与えられた。
10人のアバターは各々、森のなかに入って行く。場所取りと言われても、どこが有利だとか、どこが不利だとか、ノウノにはまったくわからない。
適当に森のなかを進んだ。端末を開けば、森のなかのマップを表示することが出来るため、遭難することはないので、その点は安心である。
不意討ちをされると困るため、なるべく視界の開けた場所にいようと決めた。森のなかには、湖があった。そのあたりには木が生えていなかった。周囲のどこから襲って来ても、対応できるだろうと思って水辺にあった岩に腰かけた。
ノウノのいるところからは、青い空を見上げることが出来た。青い空。散乱によって青いわけではない。
ただ、変数の値によって、青、と決められた空。
今日は、雲というデータは浮かんでいない。
その空に、巨大なディスプレイが投影されていた。ノウノを含めたVDOOLの名前が投影されていた。
おそらく今のこの状況は、バイナリー・ワールド全体に配信されているのだろう。どれぐらいの人が見てるんだろうか? 世界にいるほとんどの人が見ているかもしれない。そう思うと、こうして座っていても、あんまりだらしない恰好は出来ないな――と、背筋を正した。
あの日。ウサギの着ぐるみで生きていたころからは、信じられない躍進である。
魔女の手駒になる代償として、ここまで上り詰めたのだ。注目されてるなかで負けたら、フォロワー数ガン下がりやで――というベェタの言葉を思い出した。
負けるものか。せっかく手に入れた地位である。魔女のくれたチャンス。280万人のフォロワーを失ってたまるものか。
「あー」
うずうずする。
さっさとバトルしたい。
空中に浮かんでいる巨大なディスプレイに、突如――。「10」という数字が浮かび上がった。数字が数えおろされていく。カウントが「0」になる。「GO!」と表記されて、サイレンのような音が鳴った。
試合開始ということだろう。
サイレンの音とほぼ同時に、ノウノのもとに何かが飛来してきた。鉛玉。銃弾だ。ノウノはバク転をするようにして、それをかわした。
弾丸が飛んできたあたりに目を向ける。人影。どうやら、茂みのなかから、ノウノのことを狙っているらしい。
すこし遅れて2射目。ノウノの額を的確に狙った一撃。首を傾けてかわした。銃弾は、ノウノのブロンドの髪をかすめて通過してゆく。
「そこォ」
銃弾が飛来してきた場所に向かって疾駆した。
茂みのなかにいた人影が、逃げようとしていた。ノウノは茂みのなかに身を投じて、その背中に拳を叩きこんだ。少女の姿をしたアバターだ。たしか株式会社エモーションのVDOOLである。クリナと同じ企業の所属だ。
少女のアバターは間一髪でノウノの拳をかわした。ノウノの拳は地面の岩に直撃することになった。
拳が、岩を砕く。
砂塵が巻き起こり、岩片が吹き荒れた。
木の葉が舞い上がり、激しいノイズが吹き荒れた。
「ふぅん。武器とか使うのも、有りなのね」
「ありえない。私の狙撃をかわすなんて。それにこの怪力。やっぱりあなたは、エルシノア嬢……」
「よく間違えられるけど、違うわよ」
少女のアバターは、ふたたび銃を構えた。べつに火薬が使われているわけではない。あくまで物理計算によって射出されているに過ぎない武器である。ならばべつに銃の形をしている必要はない。
銃の形状をしているのは、デザインの問題だろう。トリガーに指がかかる。銃弾が射出されるよりも前に、ノウノは距離を詰めた。その銃身を蹴り上げる。銃弾が空に向かって撃ち放たれた。
少女は銃を捨てて、ナイフで斬りかかってきた。その動きのすべてが、低fpsに見えた。まるでスローモーションだ。やすやすとノウノは、少女の攻撃をかわした。
「バトルだから、ゴメン」
と、ノウノはその首を叩き折った。
少女の首が変な方向に折れ曲って、その場に倒れ伏した。
べつに死んでいるわけではない。アバターが損傷しても、意識モデルに傷がいくわけではない。損傷したアバターも、心配は要らない。
株式会社エモーション所属ということだから、たぶんそこの技術者が修理するはずだ。
空中に浮かんでいるディスプレイ。10人の名前が書かれていたが、そのうちの1つに斜線が引かれた。ノウノがいま倒した人の名前だろう。
「なるほどね」
戦闘不能に陥った者から、斜線が引かれるのだろう。
残り9人か――と思ったら、いっきに2人に斜線が引かれた。知らない名前だ。
どこかで誰かがバトルをして決着がついたのだろう。
パチパチパチ……。
拍手の音が響く。
森の中。
広葉樹の幹に寄り掛かるようにして、黒猫丸ことクロがたたずんでいた。黒い手袋をはめた手を叩いていた。
「さすがは我が姫。君の処理速度は、世界のΔtを見通すか」
「でるたたいむ?」
「時間とは何だ? 当たり前に存在する物ではない。それは重力と同じように、現象のひとつに過ぎない。現実世界において言うならば、ビッグバンがもたらした現象のひとつだ。ならば、この世界は時間という概念を、どう処理しているか。それは微分の積み重ねによって計算されているのだ」
「難しい話をして、私を混乱させようって魂胆?」
「今という微分時間が、今という積分時間を構築する。その膨大な処理を、たった一人の意識モデルが行えるというのか? ありえん。それは世界に匹敵する価値。試させてもらおう。本当に我が姫が、この俺の妻にふさわしいのかどうか!」
「だから、妻になるつもりはないってば」
クロはディスプレイを出した。丸いディスプレイだった。ディスプレイからは、赤いレーザー光線が射出された。
ノウノはあわてて木の幹に姿を隠した。光線を受けた木の幹は激しいノイズを発生させて、グラフィックを歪ませていた。
本質は、おそらくクロが仕掛けていたトラップと同じものだ。クロを捕まえに旧棟に入ったときに、仕掛けられていた、あのトラップだ。しかし威力が段違いである。
「反応してみせよ。世界の速度を凌駕してみせよ。見せてくれ。君の意識モデルの神髄を! ほとばしらせよ。ニューロン計算を!」
ノウノを取り囲むようにして、丸いディスプレイが大量に現れた。ディスプレイひとつひとつの大きさは、ノウノの拳ぐらいだ。
青く明滅していたが、やがて赤くなった。光線を放とうとしているのだろう。
ノウノは木の枝に飛び移って、光線をかわした。
ディスプレイはまるで意思があるかのように、ノウノを追尾してきた。かといって、殴ってもノイズを走らせるだけである。
木の枝から枝へと飛び移り、ノウノはそのディスプレイを振り切ろうとしたが、執拗に付きまとってくる。
それどころか――。
「うわっち」
光線がすこしずつ、ノウノの動きを正確にとらえはじめている。
ノウノの足元に光線が撃ち込まれた。あやうくかわしたが、足場の木の枝が焼切れた。足場を失ったノウノは地面に落っこちた。着地地点に光線が撃ち込まれる。ノウノは跳ね起きて、その光線をかわした。
光線によって地面がえぐれて、激しい砂埃が生じた。
砂埃によって視界がかすむ。
「この俺のディスプレイは、超並列ベイズ更新によって、君の動きを予測する。動けば動くほどデータが蓄積されるぞ。さあ、この俺に見せてくれ。君のθを!」
ディスプレイを通して、クロの声が聞こえてくる。
「ったく」
厄介な男に、目をつけられたものである。
1次選考のときは、世話になったが、こんなに手のかかる男だとは思わなかった。
ノウノのような系統のタイプではない。どっちかというと、クリナみたいに頭を使うタイプなのだろう。そりゃそうだ。ロジカルンやセキュリティ会社の網をくぐって、黒猫丸として活動していたのだから。
こうして戦ってみると、クロという男の聡明さが伝わってくるようだった。
追尾してくるディスプレイが、じょじょにノウノの動きに追いついて来て、そして先回りをしようとしている。
ノウノの足跡を撃っていた光線はやがて、ノウノの足を狙いはじめ、さらには、ノウノの踏み出す先に、光線を置き撃ちしはじめている。
ノウノの動きを予測しはじめているのだ。このままではいずれ、ノウノはその光線に直撃することになる。
ディスプレイへの攻撃は、意味をなさない。
ならば――。
クロ本人を叩くべきだろう。
「1次のときには協力してもらったけど、悪いけどそのモデルはぶっ壊させてもらうわ」
ノウノのことを見つめていたクロへと距離を詰めた。
「むろん。手加減されては困る。しかし、ここまで辿り着けるかな?」
直線距離で考えるならおおよそ30メートルもない。
しかし、その30メートルが長い。
追尾するディスプレイが、ノウノの行く手をはばむように光線を放ってくる。
「熱っ」
光線が頬をかすめた。
ふふっ、と黒猫丸がフードの奥で笑みを漏らした。
「驚くべき数値だよ。実際、姫がエルシノア嬢なのかどうか、ハッキリとしたことはわからない。だが、ひとつ言える。姫の数値はあのエルシノア嬢に匹敵する」
「そりゃどうも」
「しかし、ここまでだ。姫のデータは出そろった。一歩でも動いてみろ。統計予測によって確実に姫の脳天を貫くことになる」
「へえ」
ノウノのことを取り囲むように、拳ほどの大きさのディスプレイが、ふわふわと浮かんでいる。
脅しではない。
たしかに、そろそろ追いつかれそうな気がしている。
風が吹く。
あたりの葉っぱが、衣擦れのような音を奏でた。
「そのモデルを修復するのは、困難なものがあるだろう。どうだろう? この俺と結婚すると承諾してくれれば、降参してやっても良い」
「なにそれ? 取引ってこと?」
「俺が欲しいのは、姫の意識モデルであって、バトルの勝利ではないからね」
すこし、迷った。
が――。
エダの言葉をふと思い出した。
ヴェンヴ学園に登録したときのことだ。『アバターの精度は間違いない。なにせ、あのエルシノア嬢の改良版じゃからな。吾輩のアバターを上手く使えなったら、吾輩だってオヌシに文句を言うからな』と。
このアバターに、敗北は許されない。あとはノウノの問題である。
「悪いけど、そんなダサい勝利に興味はないわ」
「残念。この光線によって破損すると、修理に時間がかかるぜ」
「上等!」
ノウノは1歩、踏み出した。ノウノの動きを予測したディスプレイが、赤く光る。光線の準備だ。
人間の脳も感情も魂も芸術も宇宙も、すべては数学によって説明できる。
数式は世界を記述して、未来を予測する。
だが、それが何だというのか。
思い出す。
エダと出会う直前のことだ。
株式会社のエモーションの1次選考も、今と似たようなものだった。たしか、あのときはドローンによる光線だった。あのときとそう大差はない。
いや。
いつだってそうだ。
ノウノは、見えて、いるのだ。
予測がなんだというのか。
ノウノのまわりに浮かんでいるディスプレイの数をかぞえる。
全部で12。
12のディスプレイから、光線が撃ち放たれる。
光線は予測先に撃たれるのだから、見てから躱せば良いだけの話だ。
右手を地面について、側転。股のあいだを光線が抜けていく。
広葉樹の木の枝をつかんで、空中に舞い上がる。2射目、3射目と躱す。
ウサギの着ぐるみのアバターとは違う。ノウノの動きに身体が追い付いてきてくれる。
あっという間に、クロとの距離を詰めることが出来た。間合いに入っている。拳を突き出す。いや。突き出そうとしたときだ。クロは両手をあげて降参の恰好をした。周りに浮かんでいたディスプレイが、シャットダウンしていた。
「素晴らしい。俺の負けだ」
と、クロはそう宣言した。
空中に浮かんでいた巨大なディスプレイ。クロの名前に斜線が引かれた。
「なに? これからが良いところなんじゃない」
「悪いけど、直接やりあっても、俺じゃあ、勝ち目はないからさ。それにしても素晴らしい。統計予測なんて君の反応速度の前には、無意味だったわけだ。やはり俺は君とのあいだに子供を作りたい」
「もうちょっと遠回しな言い方は出来ないわけ?」
ふふん、とクロは肩をすくめた。
「じゃあ俺は、観客のほうに回らせてもらうよ。戦いに巻き込まれるのは御免なんでね」
そう言い残すと、クロはそそくさとノウノの視界から消えて行った。
良くわからない男である。
空中の巨大ディスプレイ。
残っているのは3人だけだった。
ノウノ。
それから、アルファとベェタだ。
ノウノがクロの相手をしているあいだに、アルファとベェタが、ほかのVDOOLを駆逐したのかもしれない。
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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