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魔術師に燃やされた村

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 燃えていた。


 じきに収穫をむかえるはずだった龍月草の畑。村の家々。イデル村の名物である大樹は特に、天まで届くかのような火柱と化していた。


 村をおおいつくす大小さまざまな火炎を目の当たりにして、少年は立ちすくんだ。


 父に言われたのだ。「隠れておけ。何があっても出てくるんじゃないぞ」と。言いつけを守って、農具小屋に身をかくしていた。


 騒擾を耳にしたが、少年は従順にもかくれつづけた。妙な熱気を感じて、ついぞ父の言いつけを破り、農具倉庫から出手きた次第である。


 火の手がここまで盛んになるまで、気が付かなかったのは、そういう理由だった。


 呆然自失――。
 村を食らわんとする燎原の火を前に、ただただ立ち尽くすしかなかった。


 火炎は残酷なことに少年に自室の暇すら与えはしなかった。紅蓮の魔手を伸ばし、少年のことをからめ捕ろうとしてきた。


 火はすでに、少年が隠れていた農具小屋にまで燃えうつっているのだった。


 少年の脳裏にやどったのは、家族の心配だった。ここに隠れているように言いつけた父は無事なのか。母や姉は? 少年には年端のいかぬ妹もいた。


 心配から、少年を家に向かって駆けた。


 家もまた例に漏れず、火炎の餌食となっていた。父の名を呼び、母の名を叫んだ。少年の声は炎の猛る音にかき消された。返答もなかった。


 木の板を張り合わせてつくった玄関トビラを開けようとした。爆発するように内側から開いた。少年は弾き飛ばされた。トビラはバラバラに飛散していた。とてもじゃないが、家のなかには入れそうになかった。


(父は? 母は? 姉妹は?)
 無事なんだろうか。


 不安にメマイを覚えた。熱風によってノドが焼けたのか、呼吸も苦しかった。水が飲みたい。水……。そうだ。家の人たちはみんな川辺に避難しているに違いない。そう思った。そうであって欲しかった。


 少年は来た道を引き返して、川辺へと急いだ。少年の隠れていた農具倉庫もすでに火炎に呑まれていた。


 これだけの火事だと言うのに、他の村人の姿がひとつも見当たらなかった。村人たちもみんな川辺に避難したのだと決めつけた。


 見知ったはずの村の景色は、猛火ににじみ灰にけぶっていた。自分がホントウに川辺へと進んでいるのか不安にもなった。


 農具倉庫に戻ろうか……とも思った。少年の身を案じた父親が、戻って来ているかもしらん、と考えたのである。迷った。川辺だと信じる方角へと足を進めることを決めた。火のめぐりが激しく、もう戻れそうになかったのだ。


「おかしい」
 少年はそうひとりごちた。


 火の勢いが強すぎた。イデルの村は四方を山に囲まれた盆地になっている。
 この時期には北の山から風が吹きつける。その風が火の手に拍車をかけたにしても――だ。村の何からなにまで炎上するなんてことが、ありうるだろうか。どうもこの異様な炎からは火の悪意が染みて見えるのであった。


(おや?)


 少年は川辺へと急ぐ足を止めた。村長の家屋と思われる建物が倒壊していた。焼けた家から飛び散った木の板や柱が、庭を燃やしていた。


 庭にはイタチと思わしき動物がいた。不運なことに火に包囲されて逃げ場をうしなっているらしかった。イタチの怯えようは、いまの少年自身と重なって見えた。庭を燃やしている火は、少年ならば踏み越えられる程度のものだった。


「大丈夫。怖くないから」


 イタチを抱き上げて、火炎のなかから助け出すことにした。誰かが飼っていたのか、イタチは人慣れしていた。少年から逃げようとしなかった。解放しても少年の足元に寄り添っていた。命の恩人をわかっているのかもしれない。


 このイタチも飼い主から離れてしまった憐れな1匹だ……と思うと情がわいた。イタチの毛は黒々としていた。焦げたのか。心配したが、どうやらそれはもともとの毛色らしかった。ヤケドした様子もなく安心した。


 村長の家まで来れば、川はすぐ近くのはずだった。いつもならセセラギが聞こえてくる。いかんせん今は、耳を澄ませても炎の暴れる音しか耳に入らない。


 川。見えた。
 灰散り火の粉吹く景色のなか、馬にまたがる一団の影が見て取れた。


(賊徒か?)


 否。
 旗が見えた。剣と筆の交差する紋章が描かれていた。


 賊徒なんかじゃない。あれは図書館の旗印だ。


 村の災害をおさめに、図書館の魔術師たちが来てくれたんだ。少年は歓喜した。よくよく目を凝らしてみれば、図書館の魔術師の周りには村人らしき影もあった。


「父さん! 母さん!」


 それらしき姿を村人のなかに見つけたので、少年も川辺に駆け寄ろうとした。
 思ったとおり河辺に逃げていたんだ。


 オレだけ農具倉庫に置いてきぼりだなんて酷いじゃないか。あとですこしスねてやろうと決めた。
 少年の行く手をはばむかのようにイタチが前に出た。行くな、そう言っているように見えた。


「なんだよ。どいてくれよ」

「ダメだ。ここにいたほうが良いぜ」

「え?」


 しゃべったように思われて、少年は唖然とした。


「村人たちをよく見てみなよ」
 やはり、しゃべっている。


 この火災によってモウロウとする意識が生み出した幻覚かもしれない。そう思ったが、今はイタチの存在を疑うよりも、その忠告に耳を傾けることを選んだ。


 妙なことに気づいた。村人たちはみんな縄で縛られているのだ。父も母もそうだった。姉や幼い妹までもが縛られていた。


「図書館の魔術師は助けに来たわけじゃないぜ」

「じゃあなんで?」

「見てればわかる」


 図書館の魔術師は、黒いローブをまとっていた。先頭にいる男の顔貌が見てとれた。赤い髪を長く伸ばした男だった。


 男は馬上から村人をヘイゲイしていた。手には本をたずさえている。男は本をおもむろに開いた。すると、村人たちが燃えあがった。村の名物であるイデル大樹が火柱と化していたように、村人も同じ運命をたどっていた。暴れ狂う火炎のさなかに、村人たちの絶叫が聞こえた気がした。魔術師は仕事を終えたとでも言うように、火炎の向こうに姿を消した。


「な、なんだよ。今の」

「魔術師は村を救いに来たんじゃない。潰しに来たのさ」


 もはやイタチがしゃべっていることなんて、どうでも良かった。隠れていろと言って、少年のことを隠してくれた父。毎日ご飯をつくってくれた母。少年に優しくしてくれた姉。甘えてばかりでまだ年端のいかぬ妹。少年の家族はみんな炎につつまれていた。


 こらえがたい悲懐が……イデルの村を食らう大火よりもすさまじい勢いで……少年の胸に押し寄せてきた。


「夢だよ」
 そう思った。そう思いたかった。


 イタチがしゃべるのも、村が焼けるのも、すべて現実のことではないのだ。


 息が苦しい。
 哀傷が肺を破り、火炎が呼気の通り道を焼いた。
 これが夢ならば苦しみもまた現のものではないはずだ。


 目を覚ませばきっと父も母も、姉も妹も無事であるはずだ。少年はそうやって自分を騙すしかなかった。モウロウと弱った意識はさらに虚ろになってゆく。


 空――。
 なにか大きなものの気配を感じ取って、見上げた。


 両翼を広げたドラゴンが、村の頭上を通過していた。ドラゴンはおおいなる吉兆あるいは、凶兆と言い伝えられていた。


 きっとこれも夢なのだと思って、少年は意識をうしなった。
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