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書架下街へ
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ダアゴが教えてくれるルーン文字は、不思議なくらいスルスルとヘイルータンのなかに流れ込んできた。
ルーン文字だけではない。
料理の作り方、心の読み方、楽器の弾き方……ありとあらゆる知識と技術を、さして苦もなく習得することが出来た。
魔窟の獣たちは「お前は天才だよ」「きっと時期、大魔導師の器だ」「天命を背負ってるに違いないよ」……などとホめたたえた。
ホめられるのは心地良かったけれど、べつに自分が優秀なわけではない――とヘイルータンは知っていた。
魔窟の獣たちは、みんなそれぞれの道を究めた者たちだ。今まで弟子を取ったこともあったかもしれない。でもみんな、ヘイルータンが人生最期の弟子になるかもしれないと覚悟を決めて、すべてを叩きこもうとしているのだ。
決死の迫力が、ヘイルータンにもヒシヒシと伝わってきた。獣たちの熱意あってこその結果だ。べつに熱血指導だったというわけではない。みんな優しく教えてくれた。獣たちの内に秘められた滾るものを感じた――というだけだ。
「見事なものじゃ。まさか残り半年を残して、ワシの知るすべてのルーン文字を覚え切ってしまうとはな」
「はい。ダアゴ爺」
ダアゴが見本を示して、ヘイルータンがそれを真似る。そうやってルーン文字を壁面や床に描いたせいで、洞窟のなかは、ルーン文字で埋め尽くされていた。
「オヌシほど優秀な子が、ただの農夫の子どもとはな」
「オレが優秀なわけではありませんよ。先生がたが優秀なだけです。もちろんダアゴ爺も」
ダアゴからも、すべてを叩きこもうという覇気が感じられた。ダアゴはすでに完全なトカゲの姿になってしまっていた。
カラダも縮んで、手のひらに乗るぐらいの大きさになってしまっている。
完全にカラダが縮みきったことによって、もう鎮痛薬は必要としなくなった。人間の食事もとることが出来なくなって、今では洞窟に跳んでいるハエなどを食べている。
「バカを言え。ヘイルータン。ワシらが今まで、いったいどれほどの弟子をとってきたと思うておるか。間違いなくオヌシがイチバンじゃ」
「ありがとうございます」
率直にホめられて、ヘイルータンは心臓がくすぐったくなった。
「これ以上は、ワシに教えられることはない。しかしワシの知識はチッとばかり古いかもしれん」 と、ダアゴは完全にトカゲとなった手で、己のひたいを掻くような仕草をしていた。
「新しいルーン文字があるのですか?」
「うむ。図書館の魔術師たちが、新たなルーン文字を編み出していることであろう。そういった新たなルーン文字の情報は、書架下街に行けば手に入る。息抜きがてらに行ってくると良い」
「オレはその書架下街がどこにあるのか、存じません」
「図書館の足元に広がる都市じゃ。都市とは言うても誰でも入れるから、気にすることはない。テンに案内させよう」
おい、テン――とダアゴが呼んだ。
へいへい、とテンはメンドウくさそうにやって来た。
テンに案内してくれるように頼むと、そういうことならお安い御用だぜ――とテンは快諾してくれた。
「おい。テン。奥の部屋にワシの金がすこしだけあるから、それを持ってゆけ。ヘイルータンに何か美味いものでも食わせてやれ」
「へぇ。あの金に手をつけるなんて、ダアゴ爺には珍しいことがあるもんだぜ」
「たった3年弱で、ワシらの教えを習得したのだ。それぐらいは褒美をやらんといかんじゃろう」
「ダアゴ爺は、ヘイルータンを甘やかしすぎなんだよ。目的を忘れちまったわけじゃねェだろうな」
「むろん。ヘイルータンはワシらにとって救世主になるかもしれん存在じゃ。じゃからこそ必死に、みんなヘイルータンに教えられるだけのことを、教えたのだ」
「いくら持って行って良いんだい?」
「いくらでも持って行くが良い。もうワシらには必要のないものじゃからな」
洞窟の奥には、トビラがあった。トビラと言っても、木っ端を張り合わせたような木の板だ。どことなくヘイルータンの実家のトビラに似ていた。
トビラの奥は倉庫になっている。薬の材料やら楽器やらが詰め込まれていた。テンは倉庫から金貨らしきものを3枚取り出してきた。
「じゃあ行こうぜ。ヘイルータン。ジジィの金で美味いものを食わせてもらおうぜ」
おい、待て、テンよ――とダアゴはあわてたように続けた。
「オヌシの技だけは、ヘイルータンに教えるでないぞ」
と、ダアゴはドスのきかせた声でそう言った。
「わかってるよ。ジジィ。私の技を誰かに教えようなんて思ったことは、一度だってねェよ」
それでは行ってきます、とヘイルータンはダアゴに頭を下げた。
洞窟を出る。
獣道を駆け下りてゆく。
もう慣れたものだ。
ヘイルータンはこの森で、おもに狩猟採取によって食べ物を得ていた。どのあたりにどんな動物がいて、どこにどんな実が生っているのかまで、カンペキに把握していた。
「しかし、ここに生活にスッカリ馴染んだな。ヘイルータンもオレたちと同じ、まるで獣だぜ」
「うん。オレは獣だよ」
大魔導師の機嫌を損ねて、ここに流れ着いた者たちを獣と称するならば、自分だってそうだと思っていた。
「前のイデルの村で生活していたことは、覚えてるのかい?」
「もちろん。忘れてはいないよ」
ホントウの両親のことだって、忘れたわけではない。忘れるどころか、今でもときおり胸が張り裂けそうな悲痛をおぼえる。獣たちから与えられる鍛錬に励んでいるときに限って、その悲痛を忘れることが出来た。
村を焼かれたことは今でも、ヘイルータンは、(オレが至らなかったせいだ)
と、思い込んでいる。
実際には何かしらの理由があったのだろう。家族が殺されなければならなかったことや、イデルの村が焼かれなければならなかったことについて――どんな理由をもってしても、納得できるとは思えなかった。
自分が至らなかったせいだという考えだけが、ヘイルータン自身の心を納得させることが出来たのだった。
今度こそは、カンペキな人間になろうと決めていた。その決意もまた、獣たちの指導にたいして真摯になる理由だった。
「テンに尋ねたいことがあるんだけどさ」
「うん?」
「ダアゴは優秀な魔術師だったのに、どうして図書館を追い出されたの?」
獣道を歩きながら、前をゆくテンにそう問いかけた。
この獣道をヘイルータンが、日々行き来することによって、以前よりさらに歩きやすくなっていた。
低木は別の方法へと向かって茂り、デコボコとした道は平坦になりつつある。森がヘイルータンのことを受け入れてくれているかのようだった。
「ダアゴから聞いてないのかい?」
「うん。尋ねるのも失礼かと思って」
「私だってダアゴの親じゃないから、詳しく知ってるわけじゃねェけどな。ダアゴは図書館で大司書をやってたそうだ」
「大司書?」
「そう。図書館にいる連中は、ひとくくりに魔術師って呼ばれてるけど、実はけっこう階級があるらしい。大司書ってのは、大魔導師さまの補佐をする役目なんだってさ」
「そんなにスゴイ人だったんだ」
「そう。けど、政争に負けちまったのさ」
「政争って、政治戦争ってこと? 図書館に政治があるの?」
「さあね。私も入ったことは一度しかないからね。どんな具合になってるのかは知らないよ。次期大魔導師を決める選挙があったらしいね。その選挙でダアゴは負けた。それでライバルが大魔導師になって、負けたダアゴは動物に変えられて放逐された――って言うのが、私の知ってる話だよ」
「ダアゴも至らない1人だったんだ……」
「なんだよ。至らないって」
「うん。ここにいる獣たちは何か失敗したり、ヘマをしたりして、動物に変えられてるんだろ。欠点があったというか、なんというか……」
「しくじった連中だ。なるほどね。たしかに至らない連中だよ。この私だってそうさ。大魔導師の暗殺に失敗してるからね。私も至らなかったひとりさ」
道中にはドラゴカズラと呼ばれる赤い実が生っていた。食べると甘酸っぱい味のする実だった。テンはそれをちぎりとって、つまみ食いをしていた。
「テンは暗殺者なんだっけ」
「ああ」
「オレ、テンからは何も教えられてないね」
「そりゃ。私の技は人を殺すためのものだからね。ヘイルータンには必要のないものさ。見ればわかる。君は殺しには向いてない」
「うん。オレもそう思う」
人を殺そうなんて思ったことはないし、そんな度胸もありはしなかった。
魔窟にいる獣たちは、自分の持てる技術を誰かに伝えたがっていた。テンもきっと、そうなのだろう。テンに弟子が出来ると良いな――と思った。冷静に考えてみると、テンが教える内容は人の殺し方だ。ヤッパリ弟子なんて出来ないほうが良いかもしれない、と思い直した。
森を抜けた。
ルーン文字だけではない。
料理の作り方、心の読み方、楽器の弾き方……ありとあらゆる知識と技術を、さして苦もなく習得することが出来た。
魔窟の獣たちは「お前は天才だよ」「きっと時期、大魔導師の器だ」「天命を背負ってるに違いないよ」……などとホめたたえた。
ホめられるのは心地良かったけれど、べつに自分が優秀なわけではない――とヘイルータンは知っていた。
魔窟の獣たちは、みんなそれぞれの道を究めた者たちだ。今まで弟子を取ったこともあったかもしれない。でもみんな、ヘイルータンが人生最期の弟子になるかもしれないと覚悟を決めて、すべてを叩きこもうとしているのだ。
決死の迫力が、ヘイルータンにもヒシヒシと伝わってきた。獣たちの熱意あってこその結果だ。べつに熱血指導だったというわけではない。みんな優しく教えてくれた。獣たちの内に秘められた滾るものを感じた――というだけだ。
「見事なものじゃ。まさか残り半年を残して、ワシの知るすべてのルーン文字を覚え切ってしまうとはな」
「はい。ダアゴ爺」
ダアゴが見本を示して、ヘイルータンがそれを真似る。そうやってルーン文字を壁面や床に描いたせいで、洞窟のなかは、ルーン文字で埋め尽くされていた。
「オヌシほど優秀な子が、ただの農夫の子どもとはな」
「オレが優秀なわけではありませんよ。先生がたが優秀なだけです。もちろんダアゴ爺も」
ダアゴからも、すべてを叩きこもうという覇気が感じられた。ダアゴはすでに完全なトカゲの姿になってしまっていた。
カラダも縮んで、手のひらに乗るぐらいの大きさになってしまっている。
完全にカラダが縮みきったことによって、もう鎮痛薬は必要としなくなった。人間の食事もとることが出来なくなって、今では洞窟に跳んでいるハエなどを食べている。
「バカを言え。ヘイルータン。ワシらが今まで、いったいどれほどの弟子をとってきたと思うておるか。間違いなくオヌシがイチバンじゃ」
「ありがとうございます」
率直にホめられて、ヘイルータンは心臓がくすぐったくなった。
「これ以上は、ワシに教えられることはない。しかしワシの知識はチッとばかり古いかもしれん」 と、ダアゴは完全にトカゲとなった手で、己のひたいを掻くような仕草をしていた。
「新しいルーン文字があるのですか?」
「うむ。図書館の魔術師たちが、新たなルーン文字を編み出していることであろう。そういった新たなルーン文字の情報は、書架下街に行けば手に入る。息抜きがてらに行ってくると良い」
「オレはその書架下街がどこにあるのか、存じません」
「図書館の足元に広がる都市じゃ。都市とは言うても誰でも入れるから、気にすることはない。テンに案内させよう」
おい、テン――とダアゴが呼んだ。
へいへい、とテンはメンドウくさそうにやって来た。
テンに案内してくれるように頼むと、そういうことならお安い御用だぜ――とテンは快諾してくれた。
「おい。テン。奥の部屋にワシの金がすこしだけあるから、それを持ってゆけ。ヘイルータンに何か美味いものでも食わせてやれ」
「へぇ。あの金に手をつけるなんて、ダアゴ爺には珍しいことがあるもんだぜ」
「たった3年弱で、ワシらの教えを習得したのだ。それぐらいは褒美をやらんといかんじゃろう」
「ダアゴ爺は、ヘイルータンを甘やかしすぎなんだよ。目的を忘れちまったわけじゃねェだろうな」
「むろん。ヘイルータンはワシらにとって救世主になるかもしれん存在じゃ。じゃからこそ必死に、みんなヘイルータンに教えられるだけのことを、教えたのだ」
「いくら持って行って良いんだい?」
「いくらでも持って行くが良い。もうワシらには必要のないものじゃからな」
洞窟の奥には、トビラがあった。トビラと言っても、木っ端を張り合わせたような木の板だ。どことなくヘイルータンの実家のトビラに似ていた。
トビラの奥は倉庫になっている。薬の材料やら楽器やらが詰め込まれていた。テンは倉庫から金貨らしきものを3枚取り出してきた。
「じゃあ行こうぜ。ヘイルータン。ジジィの金で美味いものを食わせてもらおうぜ」
おい、待て、テンよ――とダアゴはあわてたように続けた。
「オヌシの技だけは、ヘイルータンに教えるでないぞ」
と、ダアゴはドスのきかせた声でそう言った。
「わかってるよ。ジジィ。私の技を誰かに教えようなんて思ったことは、一度だってねェよ」
それでは行ってきます、とヘイルータンはダアゴに頭を下げた。
洞窟を出る。
獣道を駆け下りてゆく。
もう慣れたものだ。
ヘイルータンはこの森で、おもに狩猟採取によって食べ物を得ていた。どのあたりにどんな動物がいて、どこにどんな実が生っているのかまで、カンペキに把握していた。
「しかし、ここに生活にスッカリ馴染んだな。ヘイルータンもオレたちと同じ、まるで獣だぜ」
「うん。オレは獣だよ」
大魔導師の機嫌を損ねて、ここに流れ着いた者たちを獣と称するならば、自分だってそうだと思っていた。
「前のイデルの村で生活していたことは、覚えてるのかい?」
「もちろん。忘れてはいないよ」
ホントウの両親のことだって、忘れたわけではない。忘れるどころか、今でもときおり胸が張り裂けそうな悲痛をおぼえる。獣たちから与えられる鍛錬に励んでいるときに限って、その悲痛を忘れることが出来た。
村を焼かれたことは今でも、ヘイルータンは、(オレが至らなかったせいだ)
と、思い込んでいる。
実際には何かしらの理由があったのだろう。家族が殺されなければならなかったことや、イデルの村が焼かれなければならなかったことについて――どんな理由をもってしても、納得できるとは思えなかった。
自分が至らなかったせいだという考えだけが、ヘイルータン自身の心を納得させることが出来たのだった。
今度こそは、カンペキな人間になろうと決めていた。その決意もまた、獣たちの指導にたいして真摯になる理由だった。
「テンに尋ねたいことがあるんだけどさ」
「うん?」
「ダアゴは優秀な魔術師だったのに、どうして図書館を追い出されたの?」
獣道を歩きながら、前をゆくテンにそう問いかけた。
この獣道をヘイルータンが、日々行き来することによって、以前よりさらに歩きやすくなっていた。
低木は別の方法へと向かって茂り、デコボコとした道は平坦になりつつある。森がヘイルータンのことを受け入れてくれているかのようだった。
「ダアゴから聞いてないのかい?」
「うん。尋ねるのも失礼かと思って」
「私だってダアゴの親じゃないから、詳しく知ってるわけじゃねェけどな。ダアゴは図書館で大司書をやってたそうだ」
「大司書?」
「そう。図書館にいる連中は、ひとくくりに魔術師って呼ばれてるけど、実はけっこう階級があるらしい。大司書ってのは、大魔導師さまの補佐をする役目なんだってさ」
「そんなにスゴイ人だったんだ」
「そう。けど、政争に負けちまったのさ」
「政争って、政治戦争ってこと? 図書館に政治があるの?」
「さあね。私も入ったことは一度しかないからね。どんな具合になってるのかは知らないよ。次期大魔導師を決める選挙があったらしいね。その選挙でダアゴは負けた。それでライバルが大魔導師になって、負けたダアゴは動物に変えられて放逐された――って言うのが、私の知ってる話だよ」
「ダアゴも至らない1人だったんだ……」
「なんだよ。至らないって」
「うん。ここにいる獣たちは何か失敗したり、ヘマをしたりして、動物に変えられてるんだろ。欠点があったというか、なんというか……」
「しくじった連中だ。なるほどね。たしかに至らない連中だよ。この私だってそうさ。大魔導師の暗殺に失敗してるからね。私も至らなかったひとりさ」
道中にはドラゴカズラと呼ばれる赤い実が生っていた。食べると甘酸っぱい味のする実だった。テンはそれをちぎりとって、つまみ食いをしていた。
「テンは暗殺者なんだっけ」
「ああ」
「オレ、テンからは何も教えられてないね」
「そりゃ。私の技は人を殺すためのものだからね。ヘイルータンには必要のないものさ。見ればわかる。君は殺しには向いてない」
「うん。オレもそう思う」
人を殺そうなんて思ったことはないし、そんな度胸もありはしなかった。
魔窟にいる獣たちは、自分の持てる技術を誰かに伝えたがっていた。テンもきっと、そうなのだろう。テンに弟子が出来ると良いな――と思った。冷静に考えてみると、テンが教える内容は人の殺し方だ。ヤッパリ弟子なんて出来ないほうが良いかもしれない、と思い直した。
森を抜けた。
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