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2次試験へ
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「諸君! お休みのところ申し訳ないね!」
壁面に洞窟の入り口みたいな穴が開いたかと思うと、大魔導師が入ってきた。魔術師たちを従えていた。大魔導師の登場に、イビキをかいていた男性も、死んだように眠っていたロオウも目を覚ました。
「まずはここにいる者たちに祝福の言葉を送ろう。諸君らは優秀である。見事に1次試験を突破して見せた。それも群を抜いて速かった。見事じゃ」
大魔導師が拍手をした。
すると大魔導師とともに部屋に入ってきた魔術師たちも拍手していた。
大魔導師と同じ部屋にいることに、ヘイルータンはひどい緊張をおぼえた。
1次試験の説明のさいにも顔を合わせているが、あのときは群衆のなかに紛れられていた。今は、どんな粗相さえも許されない心地であった。
ダアゴやテンのことを知っているから、なおさらその緊張は大きかった。
恐縮しているのはヘイルータンのみならず、他5人も同じ様子だった。
マオは尾骨のあたりから生えている尻尾を逆立てていたし、チータイの目はあわただしく泳いでいた。ヘイルータンは思ったように表情を変えることが出来ないというハンデを背負っていた。そのハンデのおかげで、他の者たちのように緊張をおもてに出さずに済んだ。
不自由な表情は、さらに大きな仕事をしてくれた。
あの赤髪の大司書が部屋にはいってきたのだ。ヘイルータンのカラダは火照り、胃がひっくり返るような動揺をおぼえた。
それでもやはり、自分の表情は変わっていないはずだと思った。
殺気をかみ殺すことも忘れなかった。暗殺者であるテンの教えは、確実にヘイルータンの血肉になっていた。
「このなかに、1人だけ吾輩には認められんヤツがおる。わかっておろう。ロオウよ」
と、大魔導師は厳しい目をロオウに向けた。
ロオウは腰痛のせいで立つことも厳しいはずだったが、今は杖を頼りにして屹立していた。
「はッ」
「オヌシは、このラセン階段で腰を痛めたそうじゃな。それではいくらルーン文字の解読ができても、合格を出すことは出来ん」
「承知しております。ワシはこの少年に助けられました。のみならず、こちらの少年の1位通過を邪魔してしまった。ワシは今回の試験を辞退しようと考えておりました」
「良い心がけじゃ」
と、大魔導師はうなずいた。
ヘイルータンは勇気を振り絞って異議をとなえようとした。
ヘイルータンの心理を察知したのか、ヘイルータンの腕を、ロオウが強く握ってきた。そのため口から出かかった異議を、ヘイルータンは呑み込むことになった。
ルーン文字を瞬時に解読できる老人が不合格で、一方、解読ではなくて、大魔導師の視線を手がかりにしたヘイルータンが合格――。
不合理だと思った。
ホントウならばヘイルータンも辞退を申し出ているところだ。
ダアゴやテンのことを思うと、どうしても辞退は出来なかった。
「さて。ロオウにはご帰宅願おう。誰でも良い。ロオウを見送ってやれ」
大魔導師の言葉を受けて、魔術師のひとりがロオウのことを連れて行った。ロオウは去り際に、
「これでようやく、諦めがつく」
という言葉を残して行った。
ロオウは20度目の挑戦だった。これで60年目。するとロオウはもう80歳前後ということになる。あるいはもっと高齢かもしれない。
ロオウはその人生を、入館試験にかけて、そしてこの瞬間をもってして挫折したのである。人間がひとり、人生をかけて、そして夢を諦めなければならない瞬間であった。
なにか重要な瞬間に立ち会った気がした。今の感覚を噛みしめようとヘイルータンは思ったのだが、大魔導師はすぐさま言葉をつづけた。
「さて。ここにいる5名には、2次試験の内容を伝える。2次試験の内容はいたってシンプルじゃ。魔法書を製作せよ」
おいおいマジかよ――と、浅黒い肌をした男がそう声を漏らしていた。
それを受けて、ふふっ、と大魔導師は不敵に笑った。
「カルカッタと言うたな。異論があるならば、すぐさま出て行ってもらって構わん。じきに1次試験を突破してくる2軍もおるしのぉ」
「いえ。2次試験。受けさせてもらいます!」
カルカッタと呼ばれた浅黒い肌の青年は、ふつうの人の何倍も大きかった。勢いよく頭を下げて、円卓に頭をブツけていた。
「まあ、魔法書を製作せよとイキナリ言われても、資料などが足りんじゃろうから、ここの書架を自由に使ってくれて構わん。自由に――とは言うても、汚したり紛失したりしたら許さんがな」
大魔導師は上体をそらして楽しげに笑っていた。
実年齢はわからないが、見てくれだけで言うのならば、まるであどけない少女のようだった。
決して侮ってはいけないとヘイルータンは気を引き締めた。
質問よろしいでしょうか――と、ブロンドの髪を短く切った女性が挙手をした。直立不動のまま硬直していた女性だ。
「フランチェスカと言うたな。質問を許そう」
「はい。魔法書の内容についての指定はないのでしょうか?」
「指定はない。こういう魔法書があれば良いと思うものを製作すれば良い」
「理解しました」
「とは言っても、各々疲れておるじゃろうからな。各自の個室を用意しよう。執筆作業もその部屋で取りかかれば良い。期限は3週間じゃ。3週間のうちに魔法書が出来るのならば、その時間をどう使ってくれても構わん」
大魔導師はそう言いながら、質問を投げたフランチェスカの前に立った。
フランチェスカは依然として直立不動の姿勢をとっていた。毅然とは違う。茫然といった印象が強かった。
緊張を隠しきれてはいない。フランチェスカの指先が、着ているブリオーのスソをつまんでいることを、ヘイルータンは見逃さなかった。
「魔法書を製作するというのは胆力がいる。豊富な知恵があれば良いというものではない。執筆にかかる胆力が必要になる」
頭を円卓に打ちつけていたカルカッタの前に、大魔導師は滑るように移動した。スカートのスソがあまりに長いために、滑っているように見えるのだ。
「さりとて、胆力があれば良いというわけでもない。本能とも言える生まれ持った感覚も必要となる」
と、大魔導師はマオの前へと移動した。
「豊富な知識。胆力。鋭敏な感覚。この3つが備わっていても意味がない。これまで積み上げてきたたゆまぬ努力ももちろんのこと必要になる」
と、大魔導師はチータイの手前に移動した。
次はこっちに来るだろうと身構えていたら、大魔導師はホントウにヘイルータンの手前までやって来た。
「気高き精神ももちろん忘れてはならぬ。その1冊の魔法書で世界に変革をもたらすやもしれぬのだから」
と大魔導師は、ヘイルータンの顔を覗きこむようにしてきた。
どうして5人の前を移動したのかわかった。大魔導師は5人の人相を見ているのだ。この薄暗い部屋で、他人の人相を判別できるのだろうか? 出来るのだろう。なにせ大魔導師だ。大魔導師に見つめられると、まるで自分が丸裸にされるかのような警戒をおぼえた。
気のせいかもしれないが、大魔導師はほかの者よりも長く、ヘイルータンの人相を見ていたように感じられた。
おっと言い忘れるところじゃった――と大魔導師はつづけた。
「2次試験でも互いに協力し合うことは認めよう。しかし、他人の魔法書をパクるようなマネをしてはいかん。もっとも、他人のものを書き写しただけの魔法書など、この吾輩が見れば一発で見抜くがな。吾輩はこの図書館を統べる大魔導師である。魔法書を見ればそれがどうやって製作されたかなど、イッパツで見抜くでな」
決して大言ではない。
大魔導師という肩書には、それ相応の重みがあるはずだ。
なにせこの少女は、ヘイルータンの師であるダアゴを、政争で負かしているのだ。
「魔法書が完成した者から、吾輩のところに持ってくるが良い。吾輩がじきじきに見分してやるでな」
大魔導師はそう言って、ヘイルータンに微笑みかけた。
瞬間。
『書簡がたまっています』
と、異質な言語が割って入った。それは赤髪の大司書の口から漏れた言葉だった。
(来た)
と、ヘイルータンは耳をすませた。
大魔導師は他人に訊かれたくないことや、プライベートなことを話すときには、特異な音声言語を使用するのだ。図書館内にはびこる間諜対策らしい。ダアゴからそう教えられている。そしてもちろんその音声が意味するところもヘイルータンは学んでいた。
『後回しよ。今はこの新入りたちが優先なんだから』
と、大魔導師はそう返していた。
暗号をヘイルータンは一語一音すら聞き逃さなかった。
大魔導師の砕けた語調を聞いて意外に思った。大魔導師はもしかすると裏では、ふつうの女の子かもしれないと思ったのだ。
大魔導師のその黒髪から、ふわりと白檀の香りがしたので、緩んだ気を引き締めることになった。
壁面に洞窟の入り口みたいな穴が開いたかと思うと、大魔導師が入ってきた。魔術師たちを従えていた。大魔導師の登場に、イビキをかいていた男性も、死んだように眠っていたロオウも目を覚ました。
「まずはここにいる者たちに祝福の言葉を送ろう。諸君らは優秀である。見事に1次試験を突破して見せた。それも群を抜いて速かった。見事じゃ」
大魔導師が拍手をした。
すると大魔導師とともに部屋に入ってきた魔術師たちも拍手していた。
大魔導師と同じ部屋にいることに、ヘイルータンはひどい緊張をおぼえた。
1次試験の説明のさいにも顔を合わせているが、あのときは群衆のなかに紛れられていた。今は、どんな粗相さえも許されない心地であった。
ダアゴやテンのことを知っているから、なおさらその緊張は大きかった。
恐縮しているのはヘイルータンのみならず、他5人も同じ様子だった。
マオは尾骨のあたりから生えている尻尾を逆立てていたし、チータイの目はあわただしく泳いでいた。ヘイルータンは思ったように表情を変えることが出来ないというハンデを背負っていた。そのハンデのおかげで、他の者たちのように緊張をおもてに出さずに済んだ。
不自由な表情は、さらに大きな仕事をしてくれた。
あの赤髪の大司書が部屋にはいってきたのだ。ヘイルータンのカラダは火照り、胃がひっくり返るような動揺をおぼえた。
それでもやはり、自分の表情は変わっていないはずだと思った。
殺気をかみ殺すことも忘れなかった。暗殺者であるテンの教えは、確実にヘイルータンの血肉になっていた。
「このなかに、1人だけ吾輩には認められんヤツがおる。わかっておろう。ロオウよ」
と、大魔導師は厳しい目をロオウに向けた。
ロオウは腰痛のせいで立つことも厳しいはずだったが、今は杖を頼りにして屹立していた。
「はッ」
「オヌシは、このラセン階段で腰を痛めたそうじゃな。それではいくらルーン文字の解読ができても、合格を出すことは出来ん」
「承知しております。ワシはこの少年に助けられました。のみならず、こちらの少年の1位通過を邪魔してしまった。ワシは今回の試験を辞退しようと考えておりました」
「良い心がけじゃ」
と、大魔導師はうなずいた。
ヘイルータンは勇気を振り絞って異議をとなえようとした。
ヘイルータンの心理を察知したのか、ヘイルータンの腕を、ロオウが強く握ってきた。そのため口から出かかった異議を、ヘイルータンは呑み込むことになった。
ルーン文字を瞬時に解読できる老人が不合格で、一方、解読ではなくて、大魔導師の視線を手がかりにしたヘイルータンが合格――。
不合理だと思った。
ホントウならばヘイルータンも辞退を申し出ているところだ。
ダアゴやテンのことを思うと、どうしても辞退は出来なかった。
「さて。ロオウにはご帰宅願おう。誰でも良い。ロオウを見送ってやれ」
大魔導師の言葉を受けて、魔術師のひとりがロオウのことを連れて行った。ロオウは去り際に、
「これでようやく、諦めがつく」
という言葉を残して行った。
ロオウは20度目の挑戦だった。これで60年目。するとロオウはもう80歳前後ということになる。あるいはもっと高齢かもしれない。
ロオウはその人生を、入館試験にかけて、そしてこの瞬間をもってして挫折したのである。人間がひとり、人生をかけて、そして夢を諦めなければならない瞬間であった。
なにか重要な瞬間に立ち会った気がした。今の感覚を噛みしめようとヘイルータンは思ったのだが、大魔導師はすぐさま言葉をつづけた。
「さて。ここにいる5名には、2次試験の内容を伝える。2次試験の内容はいたってシンプルじゃ。魔法書を製作せよ」
おいおいマジかよ――と、浅黒い肌をした男がそう声を漏らしていた。
それを受けて、ふふっ、と大魔導師は不敵に笑った。
「カルカッタと言うたな。異論があるならば、すぐさま出て行ってもらって構わん。じきに1次試験を突破してくる2軍もおるしのぉ」
「いえ。2次試験。受けさせてもらいます!」
カルカッタと呼ばれた浅黒い肌の青年は、ふつうの人の何倍も大きかった。勢いよく頭を下げて、円卓に頭をブツけていた。
「まあ、魔法書を製作せよとイキナリ言われても、資料などが足りんじゃろうから、ここの書架を自由に使ってくれて構わん。自由に――とは言うても、汚したり紛失したりしたら許さんがな」
大魔導師は上体をそらして楽しげに笑っていた。
実年齢はわからないが、見てくれだけで言うのならば、まるであどけない少女のようだった。
決して侮ってはいけないとヘイルータンは気を引き締めた。
質問よろしいでしょうか――と、ブロンドの髪を短く切った女性が挙手をした。直立不動のまま硬直していた女性だ。
「フランチェスカと言うたな。質問を許そう」
「はい。魔法書の内容についての指定はないのでしょうか?」
「指定はない。こういう魔法書があれば良いと思うものを製作すれば良い」
「理解しました」
「とは言っても、各々疲れておるじゃろうからな。各自の個室を用意しよう。執筆作業もその部屋で取りかかれば良い。期限は3週間じゃ。3週間のうちに魔法書が出来るのならば、その時間をどう使ってくれても構わん」
大魔導師はそう言いながら、質問を投げたフランチェスカの前に立った。
フランチェスカは依然として直立不動の姿勢をとっていた。毅然とは違う。茫然といった印象が強かった。
緊張を隠しきれてはいない。フランチェスカの指先が、着ているブリオーのスソをつまんでいることを、ヘイルータンは見逃さなかった。
「魔法書を製作するというのは胆力がいる。豊富な知恵があれば良いというものではない。執筆にかかる胆力が必要になる」
頭を円卓に打ちつけていたカルカッタの前に、大魔導師は滑るように移動した。スカートのスソがあまりに長いために、滑っているように見えるのだ。
「さりとて、胆力があれば良いというわけでもない。本能とも言える生まれ持った感覚も必要となる」
と、大魔導師はマオの前へと移動した。
「豊富な知識。胆力。鋭敏な感覚。この3つが備わっていても意味がない。これまで積み上げてきたたゆまぬ努力ももちろんのこと必要になる」
と、大魔導師はチータイの手前に移動した。
次はこっちに来るだろうと身構えていたら、大魔導師はホントウにヘイルータンの手前までやって来た。
「気高き精神ももちろん忘れてはならぬ。その1冊の魔法書で世界に変革をもたらすやもしれぬのだから」
と大魔導師は、ヘイルータンの顔を覗きこむようにしてきた。
どうして5人の前を移動したのかわかった。大魔導師は5人の人相を見ているのだ。この薄暗い部屋で、他人の人相を判別できるのだろうか? 出来るのだろう。なにせ大魔導師だ。大魔導師に見つめられると、まるで自分が丸裸にされるかのような警戒をおぼえた。
気のせいかもしれないが、大魔導師はほかの者よりも長く、ヘイルータンの人相を見ていたように感じられた。
おっと言い忘れるところじゃった――と大魔導師はつづけた。
「2次試験でも互いに協力し合うことは認めよう。しかし、他人の魔法書をパクるようなマネをしてはいかん。もっとも、他人のものを書き写しただけの魔法書など、この吾輩が見れば一発で見抜くがな。吾輩はこの図書館を統べる大魔導師である。魔法書を見ればそれがどうやって製作されたかなど、イッパツで見抜くでな」
決して大言ではない。
大魔導師という肩書には、それ相応の重みがあるはずだ。
なにせこの少女は、ヘイルータンの師であるダアゴを、政争で負かしているのだ。
「魔法書が完成した者から、吾輩のところに持ってくるが良い。吾輩がじきじきに見分してやるでな」
大魔導師はそう言って、ヘイルータンに微笑みかけた。
瞬間。
『書簡がたまっています』
と、異質な言語が割って入った。それは赤髪の大司書の口から漏れた言葉だった。
(来た)
と、ヘイルータンは耳をすませた。
大魔導師は他人に訊かれたくないことや、プライベートなことを話すときには、特異な音声言語を使用するのだ。図書館内にはびこる間諜対策らしい。ダアゴからそう教えられている。そしてもちろんその音声が意味するところもヘイルータンは学んでいた。
『後回しよ。今はこの新入りたちが優先なんだから』
と、大魔導師はそう返していた。
暗号をヘイルータンは一語一音すら聞き逃さなかった。
大魔導師の砕けた語調を聞いて意外に思った。大魔導師はもしかすると裏では、ふつうの女の子かもしれないと思ったのだ。
大魔導師のその黒髪から、ふわりと白檀の香りがしたので、緩んだ気を引き締めることになった。
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